花盛りの被験体
第一章
2



 保健室の前に行き着き、ひとりがドアをノックした。
「どうぞ!」
 中から、若い女性のはっきりとした声が返ってくる。
 失礼します、とそれぞれに言って、五人は中に入った。
 薄暗い廊下に目が慣れていたせいだろう、保健室の中は、蛍光灯の白い光がまぶしい。
 生物学ゼミの教授、高遠水穂が、歓迎するように部屋の中央に立っていた。いつもどおり、黒のパンツスーツを身に着けている。すらりとした体型なので、その格好が、すこぶる似合っている。
 水穂は、いかにも頭脳明晰そうな顔立ちの美人だった。その知的な雰囲気を際立たせるかのように、小さなフレームの眼鏡を掛け、アップにした栗色の髪をサイドで留めていた。年齢は、教授という地位にあるにもかかわらず、驚くことに、三十の手前なのだった。
 その若さは大きな武器だった。まず、学生たちとの距離がない。打ち解けた先輩後輩のような関係に近かった。しかし、だからといって、学生たちを甘やかすようなことは、決してしなかった。講義では、彼女の有能ぶりが遺憾なく発揮され、鋭い弁舌は、ゼミ生たちを惹き付けた。無断欠席をするような者は、一人もいなかったし、出された課題には、皆、全力で取り組んだ。
 そして、水穂は、ゼミ生の相談には、それがどんな種類のものであっても、親身になってアドバイスをくれた。進路のことはもちろん、恋の悩みや、肌を美しく保つための美容法に至るまで。
 そうして若き女教授は、ゼミ生たちに畏敬の念を抱かせるだけではなく、羨望の眼差しで見られるようにもなっていた。

「皆さん、ごめんなさいね。こんなに遅くまで残らせちゃって」
 高遠水穂は、五人の女子学生を見渡して言った。先週のゼミで、この日の八時半に保健室へ集合するようにと、指示されていたのだ。特別な実験と観察を行うとのことだった。内容に関しては、まだ何も知らされていない。
「いえ、全然大丈夫でーす!」
 ゼミで一番よく喋る山崎理香が、甲高い声で答えた。理香は茶髪で、大きく額を出した髪型をしている。小柄で、ゼミの中でひときわ子供っぽかった。
「では早速始めましょうか。今日行うのは、ずばり、女性の生態についての実験と観察です。皆さんは二十歳、もしくは二十一歳ですよね?」
「はいっ」
 理香たちが、嬉しそうに返事をする。
 奈々子と由美は二十歳だった。
 けれども、奈々子には年齢のことよりも、頭に引っ掛かった言葉があった。女性の生態……。
「その年頃は、女性として、もっとも美しい時期だと多くの人が言います。わたしも同意見です。皆さんは今、その真っ只中にいることになりますね」
 水穂は、微笑みを浮かべて見回す。女子学生たちは、黙っていた。
「そこで! 皆さんは、同じ年頃の、同じ花盛りの時期にある女の人の生態を、観察してみたいとは思いませんか?」
「はい、したいです!」
 真っ先に答えたのは、またもや理香だった。理香に続き、二人の女子学生も強い反応を示す。
「わたしも、すんごい興味があります!」
 圭子が、弾んだ声で言った。
「なんだか、わくわくしてきましたっ!」と瞳。
 
 奈々子には、水穂の言葉からは具体的なイメージすら湧かなかった。なのに、理香たち三人の、この反応はどうだろう。強い違和感を抱いていたが、奈々子は、この場のムードに呑まれて、仕方なく同調することにした。
「あっ……。わたしも、そう、思います……」
 なんだか意思の弱そうな声になってしまった。由美は、やはり体調が優れないのか、顔を俯けている。
 水穂は、満足げにうなずいた。
「今回の実験なのですが、当初は、外部から若い女性に来てもらうことを考えてたんですけど、事務上の問題で、それが難しくなりましてね……。そこで、皆さんの中から誰か一人に、その代わりをお願いしようと思っています。よろしければ、勝手ながら、わたしのほうから指名させて頂きます」
 奈々子は、それを聞いて少し動揺した。しかし、前の三人は平然として、妙に納得した様子で首を縦に振っている。
「わかりましたあ……。やっぱり、こういう時は、みんなで協力しないといけないよね」
「先生、わたしも賛成します。その実験、興味ありますし。それで、誰になるんですか?」
 理香と圭子が、優等生よろしく言った。

「ありがとう。皆さんなら、誰でも快く引き受けてくれると思っていました。では、異論もないようなので……」
 水穂は、ゼミ生たち一人ひとりの顔に視線を走らせる。異議を唱える余地すらなかった。
「桜木奈々子さん。やってくれますね」
 どきりと心臓が跳ね上がった。
 女教授の眼鏡の奥の眼差しが、奈々子をじっと捉えている。
「あなたを選んだ理由は、もっとも健康そうだし、体格的にも申し分ないと判断したためです」
「えっ……」
 奈々子は、想像もしていなかった展開に、言葉に詰まった。
「おめでとー。奈々子!」
 理香が振り返って言い、前の三人が、奈々子に向かって拍手し始めた。

「ちょっと待ってくださいっ。あの、先生、今日の実験って、そもそも何をするんですか!?」
 初めに訊くべきだった質問を、奈々子は、今になって慌てて口にした。
「それについては、順次説明します。とにかく、これから桜木さんには、完全な被験体となって頂きます」
 まさに有無を言わさぬ口調だった。奈々子には、それ以上、訊くことはできなかった。
「……被験体、ですか」
 それが、今から奈々子の置かれる状況なのだ。その言葉の響きに、どうしても嫌なものを感じてしまう。
「そう……。被験体となる桜木さんには、申し訳ないけど、その場で、服をすべて脱いで、裸になってもらいたいの。心の準備もあるでしょうけど、時間もないので、五分。五分以内に」
 常識では考えられないような指示だったが、女教授の口調はあっさりとしていた。すると、それを合図にしたかのように、奈々子のそばに立っていた学生たちが、さっと距離を取った。なんと、由美までもが、そろそろと離れていく。



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