堕ちた女体と
華やかな晩餐
第一章
2



 千尋は、表通りを目指して、舗装の整っていない道を歩いている。
 脚を動かしていながらも、何不自由ない暮らしを失ってしまったという思いが、頭にこびり付いていて離れない。優雅なバルコニーやパーティー部屋の備わった豪邸。わがままを聞いてくれる使用人たち。コックの作る、好物が盛りだくさんの料理。欲しいものは何でも揃っていた、華やかで大きな自室……。
 千尋は溜め息をつき、夜空を仰いだ。
 けれども、いつまでも、そんな過ぎ去ったことを、未練たらしく思い返していても仕方がない。気をしっかりと持ち、これからは、人一倍たくましく生きていかなくてはならないのだ。
 
 待ち合わせの場所は、大きな案内看板だった。
 千尋が着いてから五分ほどで、迎えの車が到着した。黒光りのする高級車だ。
 運転してきたのは、亜希の家の使用人である、加納雅美という女性だった。亜希の新居には、何度か遊びに行ったことがあるので、彼女の顔は知っている。 加納雅美は、小ざっぱりとした黒髪のストレートヘアで、なかなか気の強そうな顔立ちをしていた。背が高く、成人女性の平均身長よりは高い千尋とも、十センチ近くの差がある。何事も要領よくこなしそうな雰囲気を漂わせており、使用人というよりは、社長秘書といった感じの風貌だった。年齢のことは、本人にも亜希にも訊かなかったが、三十をちょっと過ぎたあたりだろうと、千尋は見当を付けていた。

「こんばんは、千尋さま。どうぞ、お車にお乗りください」
 加納は、いつもそうするように、うやうやしく挨拶をし、後ろのドアを開けてくれた。
「あっ……。どうもすみません」
 ぺこりと頭を下げて、千尋は、後部座席に乗り込んだ。丁寧にドアが閉められる。
 千尋は、加納というこの女性には好感を持っていた。プライドの高そうな雰囲気があるのだが、高校生の千尋に対しても、決して礼を欠くことのないその姿勢。加納が、丁重に、かつ機敏に応接してくれるのは、いつも気持ちがよかった。
 しかし、ちくりと考えさせられることがある。
 これまで加納は、千尋に対して、大企業の令嬢として接してきたのだ。だが、もう千尋は、そんな身分からは切り離された、普通の高校生に過ぎない。いや、もっと悪いだろう。卑下した表現をすれば、路頭に迷い、亜希の家に居候する身なのだ。
 もしかすると、と勘ぐってしまう。加納さんは、わたしに対して、以前より粗末な態度で接するようになるかもしれない……。
 だが、そこで千尋は思考を止め、頭を振った。わたしは、いつまで甘ったれた気持ちでいるんだ。もう二度と、こんな馬鹿なことを考えるのはよそう。

 車に揺られながら、千尋は、亜希と共に遊んだ昔のことを思い返していた。
 小学生時代にまで遡ってみる。姉妹のような、仲睦まじい二人の女の子。だが、二人の遊びは、同年代の女の子たちとは、やはりどこか違っていたと思う。千尋も亜希も、欲しいものがあれば、お小遣いとして手元にあったお金で、何でも手に入ったのだ。また、行きたい場所が決まれば、どこへだって使用人が車で連れて行ってくれた。
 最後に亜希と会ったのは、二ヶ月ほど前のことだ。その時は、千尋が、グランドホテルにある高級ケーキ店に、亜希を誘い、二人で食べに行ったのだった。代金は、安城家の『つけ』として済ませた。
 安城商会の経営が危機にあることを、父から聞かされたのは、たしか、その二、三日後だったと思う。そして、周囲の環境は、瞬く間に崩れていった。多くの使用人を抱えた豪邸も、ベンツの出迎えも、セレブたちの集まる煌びやかな舞踏会も、今となっては、すべて過去の幻影である。
 現在の千尋にあるものといえば、一万円札が何枚か入った財布や携帯電話、化粧道具などが収められている、小さなバッグだけなのだ。



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