堕ちた女体と
華やかな晩餐
第一章
5



 その時、加納が口を開いた。
「千尋さま……。お嬢さまは、家のものを、汚い人には使わせたくない主義なんです。千尋さまは綺麗なんですか? どうなんです?」
 当然、千尋には意味不明である。何を言っているんだ、この人は……。
「綺麗って……。どういう意味ですか? いまいち加納さんの言っていることが、理解できないんですけど……」
 加納は、何の感情も読み取れないような目つきで、千尋を見下ろしていた。先程まで見せていた、千尋に対する敬意や気遣いの雰囲気が、今は、どこにもなかった。
 千尋は、しだいに、この使用人を不審に思い始めた。
「それでは、これから、千尋さまの体を検査させて頂きます。服を脱いでもらえますか?」
「は……?」
 耳には入っていたが、頭で認識することはできなかった。完全に訳がわからなくなり、千尋は、亜希に向かって訊いた。
「ねえ、これって、どういうことなの……?」
 亜希は、ふっと笑うと、両手で頬を包むようにして、テーブルに頬杖をついた。その目は、テーブルの一点を見つめており、千尋とは目を合わせない。
 亜希の態度もおかしい。二人して、催眠術にでも掛けられているのだろうか。千尋は、本気でそんなことを疑った。
 その時だった。亜希の代わりに、加納の怒鳴り声が部屋に響いたのは。
「だ・か・ら、服を脱げって言ってんでしょ。裸になればいいの! なにとぼけてんのよ!」
 ぎょっとさせられた。加納は、腰に手を当て、千尋を威圧するように立っている。
 千尋は、ようやく、この使用人が異常であることを確信し、それゆえに、パニックに陥りそうになった。だが同時に、抑えきれないほどの腹立たしさも込み上げてきた。千尋は、加納を睨みつけた。
「裸になれって……? あんた、頭おかしいんじゃないの? それと、使用人のくせに、なんなの、その口の利きかたは。ふざけないでよ」
 その時、亜希の声が割って入った。
「千尋ちゃん……。なにか勘違いしてるみたいねえ」
 亜希は、頬杖をやめて両腕を組み、ソファの背もたれに体を預ける。いやに偉そうなポーズである。
「あなたは、これから、わたしの家で働くのよ。つまり、加納さんから色々と指導をしてもらう立場なの。言葉遣いが間違っているのは、千尋ちゃんのほうでしょう?」
 千尋は、殴られるようなショックを受けた。『あなた』なんていう、冷たく他人行儀な呼び方。言葉を失った千尋に、亜希は、さらに言った。
「ねえ……、まさかとは思うけど、この家で、以前と同じような、お嬢さま的な扱いを受けられるなんて、期待してたんじゃないでしょうね?」
 どうなのよ、とでもいうように、亜希は、顎を引いて千尋を見すえる。
 
 千尋は、頭が混乱し、思わず視線を逸らした。
 なに、どうゆうこと……。落ちぶれた安城家の娘なんて、一介の使用人程度の人間に過ぎないというの……。ぜひ、この家に来てほしいって、わたしを誘ったのは、亜希ちゃんでしょう。なのになぜ……。
 その上さらに、狂ったことを言い出す使用人の肩を持つなんて。と、いうことは……。
 千尋は、意を決して亜希に尋ねた。
「亜希ちゃんも、この人と同じことを、わたしに言いたいわけ?」
「同じことって、なあにぃ?」
 亜希は、にやけた顔をこちらに突き出した。もはや、その態度からは、千尋を慕っていた頃の可愛らしい面影など、かけらも感じられない。
「この家のものを使う前に、わたしは、服を脱いで体を検査されないといけないわけ?」
 もう敵対心を隠そうとはせずに、千尋は、強い語気で言った。
 亜希は、ふと真面目腐った表情になり、視線を落とす。
「ええっとね……。まず、うちのお風呂に入るか入らないかは関係なしに、体の検査はさせてもらうよ。だって、千尋ちゃんはこれから、うちで働くことになるんだからね。仕事の前の、適性検査……ってところかな。まあ、千尋ちゃんの健康的な体だったら、失格にはならないと思うから、安心していいよ」
 千尋は、頭に血が上った。もう我慢の限界だ。父の会社が破綻したとはいえ、自分は安城家の娘なのだ。自分のことを完全に見下して侮辱する小娘なんかの言いなりになど、どうしてなれようか。
 千尋はソファを立ち、亜希を見すえた。頭の片隅に、目の前に座っている小娘は、亜希とはまったくの別人なのではないかという思いが浮かぶ。しかし、どこからどう見ても、あの菅野亜希に間違いはなかった。
 要するに、この性根の腐った小娘の本性を見抜けずに、長い間、共に遊び、面倒を見てきた自分が、大馬鹿者だったというわけだ。
 最後の別れの挨拶に、思いっ切り横っ面を引っぱたいてやりたい気持ちだった。だが、千尋は、ぐっと拳を握りしめ、小さな声で告げた。
「わたし、出て行くわ。体の検査とか言っちゃって……。あんた、頭がおかしいんじゃないの。一度、病院で診てもらったら? もう、あんたとは、二度と会うことはないでしょうね……。さよなら、亜希ちゃん」
 言い終えると、千尋は、すぐに足を踏み出した。



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