堕ちた女体と
華やかな晩餐
第三章
6



 加納の持つ銀色のハサミが、後ろ髪に接近する。梳きバサミではなく、普通の形状のものだ。
 加納は、一片のためらいも見せず、髪の毛に対し垂直に刃を入れた。
 小気味よい音。千尋にとっては、体が硬直するようなその冷たい音と共に、そこから下の髪の毛が、瞬時に落下する。
 さっき、ドライヤーとブラシで、全体を真っ直ぐに伸ばしたのは、正確な長さを把握するためだったようだ。
 後ろ髪に、普通では、まず有り得ない段差ができてしまっている。加納は、その段差に合わせて、ハサミを真横に進めていった。ものの五秒ほどで、後ろ髪の長さは、うなじの中ほどの高さで、一直線に切り揃えられていた。
 髪の毛は、女の子のアイデンティティーである。それを切り崩されるのは、自分自身を失うのと同じことなのだ。今や、千尋の胸の内は、喪失感で一杯だった。

「サイドは、耳がちゃんと出るようにしてねっ」
 愉快そうな亜希の言葉が、さらに追い打ちをかけてくる。
「はい。横も、ばっさりと切ってしまいますので……」
 ハサミの刃が、千尋の側頭部に触れる。横髪を切り落とされる瞬間の、凍りつくようなショックは、後ろ髪の比ではなかった。
「えっ、う……そ……」
 鏡の中の光景が嘘のようで、千尋は思わず呟いていた。
 髪型もくそもない。ハサミを操る加納の頭には、耳に髪の毛が一本たりとも掛からないように短くする、という単純な一点しかないらしかった。
 千尋の両サイドの耳が、すっかり露出すると、亜希と加納は正面に回った。
「前髪は……。そうねえ、眉の上で切り揃えちゃって」
「かしこまりました」
 加納は、千尋の前髪を手で浮かすと、おまえには、お洒落をする必要なんてない、と言わんばかりの態度で、ハサミを入れていった。
 
 すべて終わると、二人は、自分たちの作り上げた彫刻でも点検するような表情で、千尋の髪型を眺めていた。
 こっちは、生身の人間、意思を持った、ひとりの人間だというのに……。
 亜希が、こんなものでいい、と加納に頷きかける。加納は、微笑して一礼し、軽やかな足取りで浴室から出ていった。

「どーおぅ? 千尋ちゃん。わたし的には、すがすがしくて真面目な感じがするから、その髪型、好感持てるんだけどねえ」
 亜希は、すました態度で、千尋のそばに歩み寄ってくる。
 前に立っていた二人が、そこをどいたので、千尋は、改めて鏡に映る自分の容姿を確認した。もはや、亜希の皮肉の言葉にも、何の感情も湧かないほどに打ちのめされる。
 眉毛の上で、真一文字に揃えられた前髪。横髪は、どう引っ張っても耳には掛かりそうもない。後ろ髪は、首筋から、わずかに覗くぐらいしか残されていなかった。それでも、トップのボリュームは減らされていないため、不格好なキノコ頭になっている。そのキノコの部分でさえ、加納がぞんざいに切ったせいで、左右のバランスも滅茶苦茶で、斜めに傾いていた。
 みすぼらしい、の一言である。
 鏡に映る黒髪の少女の顔からは、もう色気などという贅沢なものは、微塵も感じられなくなっていた。その情けない顔を、ただ悲しげに歪めているだけだった。
 
 今の自分は、輝いていた頃の自分とは、もう完全に切り離されている。千尋は、それを身に染みて感じるようになっていた。
 隣にいる亜希は、鏡の中に立つ二人の少女を、あからさまに見比べていた。そして、なにやら優越感に満ちた表情になり、派手な茶髪をいじったり、顔の角度を変えてみたりして、容姿に自信ありげな仕草を、見せ始めるのだった。



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