堕ちた女体と
華やかな晩餐
第四章
2



「ああぁー。今日はもう疲れちゃったなあ、わたし。千尋ちゃんも疲れてるでしょ、色々あったしね……。そろそろ寝よっか?」
 亜希は、伸びをして体を左右にひねっている。
「あの……。亜希ちゃん」
 この部屋に戻ってきてから、いつ言い出そうかと躊躇していたこと。千尋は、今もって意味もなく裸のままなのだ。
「ふく……。服を、着させてくれませんか」
 一瞬、奇妙な沈黙があったが、亜希は、ソファにふんぞり返った。
「ええー。でもわたし、千尋ちゃんに下着は貸したくなーい……。あ、それとも、あんなに汚いパンツを、また穿く気ぃ?」
「亜希ちゃんに服を借りようとは、思ってません。いいから、わたしが着てた服を返して下さい!」
 血の逆流するような怒りで、千尋は、つい語気を尖らせていた。
 けれども、亜希の余裕綽々とした態度は、微動だにしない。
「なに必死になってんの、千尋ちゃん。はっきり言ってダサいから。寒いわけじゃないんでしょ? だったらあ、服なんて着なくっていいじゃぁーん」
 頭の中で、何かがぷつりと切れて飛んだ。
「ふざけないでよ……。あんた! ほんとうにぃ、いい加減にぃ!」
 抑えようもなく、憤怒の魂がほとばしるかのごとく、声が荒くなる。気づくと、無意識のうちに脚が前に送り出されており、右の拳をぐっと握っていた。
「はぁ!?」
 張り合うように亜希が声を発する。だが、亜希の表情に、怯えの影が走ったのを、千尋は見逃さなかった。
 真っ直ぐに亜希の体を目指して突き進んでいた千尋だったが、ぬっと伸びてきた手に、顔面を押さえつけられる。
「ああぅ……」
 首を押し戻されるようにして、千尋の勢いは完全に止められた。忌々しい守護者によって阻まれたのである。とはいえ、頭の片隅には、やっぱりか、という思いがあった。加納が黙って見ているわけがないのだ。
 千尋は、短くなった髪の毛を、引き抜かれるほどの勢いでつかまれた。全身にみなぎっていた怒りのパワーが、徐々に消えていく。右の拳も、指が開いていった。
 くそ……。自分を抑えられなかったことに対する痛切な後悔と、叫び声を上げたいほどの屈辱感。

「千尋……。おまえ、まさか、お嬢さまに暴力を振るう気だったんじゃあないだろうね……。何を言われても、従わないといけないのが、おまえの立場でしょうが。お嬢さまに服は必要ないって言われたら、裸でいればいいんだよ!」
 怒号を上げた加納は、声を低くして続ける。
「髪をつるつるに丸められて、まん毛まで剃られないと、自分の立場ってものを理解できない? ねえ?」
 心臓が縮み上がるような脅しだった。
「すいません。本当にすいませんでした……」
 千尋は、すがりつかんばかりに謝った。
「お嬢さまに謝るんだよ!」
 髪の毛をつかむ手に体を引きずられ、千尋は、亜希のすぐ前に立たされた。
「すいませんでした」
 千尋は、深々と腰を折った。許されるまで、この体勢を取り続けるつもりでいた。
 それを見た亜希は、はあ、と溜め息をついた。
「ねえ、加納さん。やっぱり寝る時は、千尋ちゃんのこと、縛っておくことにする……」
「え!?」
 ぎょっとして、亜希の顔を凝視した。
 亜希は、千尋の反応は無視し、顔をしかめて加納のほうを向いている。
「だって、手をグーにして襲い掛かろうとしてきたんだよ。夜、わたしが寝てる時に、なにされるかわからないもん。……怖いよぉ」
 何もできない子供のような口調で、亜希は言う。
「それがいいと思います。お嬢さま、ロープはどこにあります?」
 亜希がタンスを指し示し、加納がロープを取ってくる。
 加納に二の腕をつかまれ、体を引かれたが、千尋は、縛られることに対する不安感から、足を踏ん張って拒んだ。
 すると加納が、凍ったような双眸をこちらに向けた。
「おまえ、抵抗する気なの? 本当に、まだ立場がわかっていないようね」
 脳裏に、つい今しがた言われた、怖ろしい脅し文句が蘇る。とたんに体から力が抜けていき、千尋は、操り人形のようにぎくしゃくと連れていかれた。

 亜希の天蓋ベッドのところで立ち止まる。加納は、ベッドの足側の脚にロープの片端を結びつけ、反対の端で、千尋の両手首を合わせて縛った。
 千尋は、まさに囚人と同じように、手の自由を奪われたのだった。そして、寝る場所は、どうやら亜希のベッドの足元ということらしい。
 茫然自失の状態で立ち尽くしていると、すぐ横に、どん、と加納が物を置いた。ガラスの容器、千尋のトイレと呼ばれるものだ。
「明日から、この家で頑張って働かなくっちゃいけないんだから、しっかりと休んでおくんだよ。……おやすみ、千尋」
 加納は、皮肉な笑みを口もとに浮かべる。
「……おやすみなさい」
 虚しい挨拶を返すと、千尋は、力なく頭を垂れた。
 そうして加納は立ち去りかけたが、思い出したように、千尋の背中に声をぶつけた。
「汚物は、ちゃんとこの入れ物に出すんだぞ!」
 剥き出しのおしりが、平手で勢いよく打たれた。微量の湿り気を帯びたような、鈍い音が鳴った。
「ひうっ」
 不意を衝かれた打擲に、千尋はぶるりと飛び上がっていた。

「お嬢さま、わたしはこれで失礼します。では明日。おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
 千尋の後ろでは、亜希が陽気な声を出していた。
 ロープで拘束された両手に、千尋は目を落とす。なんて惨めな格好なんだろう……。ひどい、こんなの。これはいったい、なんの罰なの。
 胸を内側から叩かれるような悲しみが湧き起こってきた。頬の筋肉が震え、目の縁には涙が溜まってくる。
 しかし、何度も深呼吸することで感情を紛らわせ、必死に涙を堪えた。泣いているのが亜希にばれたら、なおさら惨めになる。



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