堕ちた女体と
華やかな晩餐
第五章
2



 階下への意識が薄れている時だった。
 とん、とん、とん、とひとりが階段を上がってくる足音が、耳に飛び込んできた。
 ついにその時がやってきたのだ。意識が極限まで研ぎ澄まされる。亜希の友達、自分の汚物、亜希の友達、自分の汚物……。二つの恐怖が、千尋の肩にのし掛かってくる。
 足音は、真っ直ぐにこの部屋に向かってきている。亜希か、加納か。
 
 ドアが開けられた。間を置かずに電気が点けられ、部屋が明るくなる。
 加納だった。壁に寄り掛かるようにして、入り口に立っている。フリルの付いた派手なブラウスを、加納は着ていた。その出で立ちには、いかにも何か愉しいことでもあるような印象を受ける。
 両手を拘束された状態で、正座の姿勢を取っている千尋は、ただただ、そんな彼女の姿を見ていた。
 
 加納が、おもむろにこちらに歩いてきた。その足が、ぴたりと止まる。
「千尋、あんた……」
 加納は苦笑いのような表情を浮かべ、鼻をひくつかせた。
 ガラスの容器から放たれる悪臭が、加納の鼻にも届いたらしい。恐ろしくひどい臭気だと、自分でも閉口しているものを、他人に嗅がれる恥ずかしさ。
 加納は、つかつかと容器のそばまで来ると、嫌悪感と好奇心の入り交じった顔で、千尋の排泄物に目を留めた。
 ふふっと、小さな笑い声が漏れる。その笑いは、痙攣のように続き、やがて加納は、口をばっくりと開けて大声で笑いだした。
「ははっ、ははははっはは……。はははぁ」
 こんなはしたない笑い方をする加納を見るのは、初めてだった。日常生活の鬱積した感情が、爆発したかのようでもあった。
「安城家の娘であるおまえが、こんなところに糞を出すほど落ちぶれるとはねえ。まったく笑っちゃう。それにしても、ひどい臭い……。お嬢さまの大事なお部屋に、この臭いが染みつかないか、心配だわ」
 自分の汚物の悪臭に包まれながら、千尋は、加納の毒々しい言葉責めを背中で受け止めていた。
 ふと、そんな千尋の背中に、ぴしゃりと加納の手が宛がわれた。千尋は、体に電気を通されたかのようにびくりとし、体の筋肉が、一層こわばった。
 
 加納は、低い笑い声を漏らしながら、千尋の背中を上下に撫でさすった。気色の悪い手つきで、ぞわぞわと悪寒が走る。
「千尋……。今夜はね、お嬢さまが、夕食会に、お友達の方を招待したんだよ。いらっしゃっている方は、瀬名川記念病院の院長の娘である、瀬名川朱美さま」
 院長の娘……。その言葉を聞くと、ひどく不吉な予感を抱かずにはいられなかった。亜希と同じ、そして、以前の千尋とも同じ、資産家の令嬢が、今、この家の一階にいるというのだ。
 わがまま。身勝手。人に尽くされるのが当たり前と思っている。そんなマイナスのイメージばかりが、脳裏に浮かんでしまう。
 
 千尋の背中を撫でさすりながら、加納は続けた。
「光栄なことに、今夜、おまえは、お嬢さまと瀬名川朱美さまを、もてなす仕事を与えられたんだよ。しっかりと糞も出したことだし、これからリビングに下りて、お二人のために精一杯働きなさい」
 加納と目が合う。加納は、にやりと唇を歪め、千尋の両手を縛っているロープを、ほどきに掛かった。
 今、どうしても、訊かずにはいられないことがある。
「わたし、こっ……、この格好で、下りるんですか……?」
 千尋は、泣き出しそうな声で言った。その令嬢の前でも、わたしは全裸でいなくてはならないのか。
 すると、加納は鼻にしわを寄せ、くすぐったそうな笑みを見せた。
「そうだよ。服なんか着なくても、お客様をもてなす仕事はできるから、心配なんてしなくていいんだよ。……それとも、何? おまえ、恥ずかしいの? 見ず知らずの女の子に裸を見られることが、恥ずかしいの? ねえ? おまえにも、まだプライドが残ってたの?」
 加納はもう立派な大人の年齢であろうに、喋り方が、千尋と同年代のように退行していた。つまり、この状況を、子供のように愉しんでいるのだ。
 千尋は、歯を食いしばったまま、答えなかった。
 薄々予期していたが、やはり亜希は、千尋という生きた玩具を見せる目的で、友達を呼んだらしい。だが、亜希の友達の子とは、一体全体、どういう人間なのか。同じ女を辱めて愉しむような、亜希や加納と同類の人間が、果たして他にもいるのだろうか。
 もしかすると、亜希の目的はむしろ逆で、千尋に対して、より耐え難い苦痛を与えるための道具として、友達を用意したのかもしれない。考えれば考えるほど、そちらが実情に近い気がしてくる。

「千尋、立ちなさい、下りるよ」
 立ち上がった加納が、薄笑いの表情で見下している。
 恐怖と絶望によって、体のすべての細胞が狂い始めていた。目が霞み、顔の筋肉は引きつり、心臓は早鐘を打ち、四肢の至る所で痙攣が起きている。
 立ち上がりたくない。いや、立てない。処刑台に連れていかれるかのような恐怖だった。
「立つんだよ、千尋っ」
 ついに加納は、千尋の二の腕を引っつかんだ。



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