バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第三章〜無力な声
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 舞台の下見として、初めてこの場所に足を踏み入れたのが、本番の前日、つまり一昨日だ。だから、連続三日、ここに訪れていることになる。初日から感じていたのだが、なにより陰気くさい。空気は淀んでじめじめしているし、埃とカビの匂いが、間断なく鼻孔の前を流れている。慣れることはできない。
 しかし、これから南涼子に降り懸かる運命を考えると、にわかに、このスペースが監獄のように思えてきて、お誂え向きだという、ちょっとした高揚感も感じるのだった。誰よりも涼子本人が、この場の陰鬱さを身に染みて感じ、そして、おどろおどろしく思うことだろう。
 だったら、いいじゃない。環境的要素は、演出の役割を果たしてくれている。

 吉永香織は、灰色のコンクリートの壁を、靴先でこんこんと蹴った。
 すぐ隣には、石野さゆりが、壁に凭れて座り込み、携帯電話をいじっている。液晶画面を確認したわけではないのだが、どうも、ゲームで遊んでいるようなのだ。まったく、この後輩は、こんな時に、なぜそんなことをしているのか。もうすぐ涼子が来るのだから、話し合うことは、限りなくあるはずなのに。あの女に、今日は、こういった嫌がらせをしてみたいとか、逆に、もし思い通りに事が運ばなかったら、どうするかとか。
 期待と不安。さゆりの胸中には、それがないのだろうか。
 この子は、香織と明日香が盛り上げてくれれば、それに乗っかるし、不測の事態になった場合の解決も、全面的に先輩たちに任せようという、受動的なスタンスなのだ。

「さゆりっ」
 香織は、苛立ちを隠さない声で呼んだ。
「はい?」
 さゆりは、いつものように口元を微笑の形にして、香織を見上げた。この顔を見ると、香織は、怒るものも怒れないのだった。
「はい、じゃないでしょっ。もうすぐ、あいつが来るんだから、カメラ用意しておいてよ。すぐに使えなかったら駄目でしょう……」
 あきれ口調で香織は言った。

 体育倉庫に入る前に、香織とさゆりは、涼子の姿を一目見ていこうと、体育館のギャラリーを訪れていた。連日集まっている、南涼子ファンの後輩たちに混じって、同じ対象に目を向けた。
 威厳を示すかのように腰に手を当て、片脚に重心を掛けて立っている涼子の姿が、印象に残っている。時たま、涼子の怒鳴り声が、フロアに響くのだった。「よし! 気合い入れてこ!」とか「一年生、もっと声出して!」などと。
 香織にとっては、愉快この上ない光景だった。癒えない傷心を抱え、不安は片時も頭から離れないだろうに、部長としての責務をこなそうとする、その姿勢。あるいは、卑劣な辱めを受けたからといって、血と汗を流し、これまで積み重ねてきたものまで、奪われてたまるかという意地だろうか。
 なんにせよ、その姿は滑稽で哀れだったが、心地良い反動のように、香織を悦ばせてくれた。もし精気が消えたら、それほど詰まらないことはない。
 涼子のそばには、我らが竹内明日香も、紺のジャージを着込んで立っていた。自分を罠に嵌めた女から、間近で監視されているのは、いったい、どんな気分だろうか。
 それでも表向きは、文句なしに、いつもの南涼子だった。香織は、その、運動着を身に着けている、かっこいい涼子の姿も、カメラに収めるべきだと断を下していたのだった。



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