バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第七章〜放課後の教室
1



「リョーコー、じゃあねーっ」
「じゃーねえー」
 二人のクラスメイトの爽やかな声に、南涼子は、はっと顔を上げた。
 屈託のない表情をした二人の女子生徒が、ぼんやりと席に突っ立っている涼子に、小さく手を振っていた。
 涼子は、とっさに、明るく快活な表情を作った。
「じゃっねえー。また明日」
 そう返しながら、彼女たちと同じように右手を伸ばし、ひらひらとさせた。
 二人が教室を出ていくと、涼子は席に腰を落とし、やるせない溜め息をついた。
 今のわたしは、意識してほっぺたを持ち上げないと、笑顔を表すことすらできない。あの子たちに声を掛けられる寸前まで、わたしはいったい、どんな顔つきをしていただろう。以前と変わらぬ自分を振る舞うのが、とても疲れる。
 だが、クラスメイトたちに、暗く落ち込んでいるような素振りを見せるのは、なんとしてでも避けたかった。体育倉庫の地下で起こった出来事は、片時も忘れることができないが、そのせいで、高校生活の友人関係にまで影響が出てくるという事態を考えると、なんとも言い様のない悲しみを覚えるのだ。
 それともう一つ、理由がある。同じクラスの、香織の目だ。授業中、移動教室、昼食の間、休み時間。四六時中、涼子を視界に捉え、涼子の一挙一動をねちっこく観察しているのであろう、香織の存在。涼子の変調に感づいた友人が、親切にも心配の言葉を掛けてくれる場面などを、もし、香織が目に留めたとしたら、さぞかし内心で抱腹絶倒することだろう。これ以上、香織をいい気にさせる必要はない。

 教室の窓から、日中に比べてやや弱まった陽の光が射し込んでいる。帰りのホームルームが終わって、十数分ほど過ぎていた。女子しかいない教室では、終業と同時に、ほとんどの生徒が、もはや何の用もなしとばかりに、ぞろぞろと退出していく。今は、数えるほどしか残っていなかった。
 香織の姿もない。きっと、どこかで時間を潰しているのだ。
 体育倉庫の地下には、二度、連れて行かれた。二度目のあの日から、今日で三日目。間の二日間は、どこかに連れ込まれるようなことはなかった。しかし、昨夕、呼び出しのメッセージが、思いもよらぬ形で飛んできた。あの時のことは、苦い感情と共に、克明に憶えている。

 放課後、部活の始まる前のことだった。涼子は、運動着に着替えるために、体育館内にある部室に入ろうとしていた。
 ふいに、一年生らしき生徒が走り寄ってきた。バレー部員ではなかった。小柄で、頬のふっくらした幼い顔立ち。神経質なストレートヘア信仰を感じさせる、全体的にぺったりとした髪の毛を、どことなく遠慮がちに肩まで下ろしていた。まだ中学生にしか見えない風貌である。
 見覚えがあった。涼子が記憶をたぐろうとした時には、その子が話し始めていた。
「南先輩、すいません……」
 頬を赤らめながら、開口一番、畏敬の念や恥ずかしさのこもった謝りの言葉を述べ、慌ただしく頭を下げる。
「あ、あの、あたし、竹内先輩から南先輩に伝えるように頼まれたんです。あの、あたし、よくわからなかったんですけど……。明日、帰りのホームルームが終わって一時間後、E組の教室に『四人で』集合するから、絶対に待っててってことらしいです……。そう言われました」
 その子は、一刻も早く用を済ませて逃げ出したいかのように、早口でそう告げた。
 思い出しかけていた目の前の生徒に関する記憶は、すっかり消し飛ばされていた。あの三人から送られてきた、紛れもない命令。心臓が早鐘のように打ち始め、体の体温が急激に下がっていく感覚があった。
 涼子は押し黙り、立ち尽くしていた。幼げな後輩の、ぱっちりとした可憐な眼差しが、機嫌を窺うように、じっと涼子を見つめている。
 涼子は、ふうと息を吐き出し、なんとか口元を曲げて笑顔を作った。
「うん、わかった……。教えてくれて、ありがとね」
 涼子がねぎらうと、その生徒は、再度ぺこりと頭を下げ、早足に去っていった。
 後輩への態度とは裏腹に、胸の内では、真っ赤な憎しみの炎が燃えていた。あの三人を焼き尽くす怒り。特に、明日香に対しては、炎が躍り上がっていた。

 この前日のことだ。ふてぶてしくも、何食わぬ顔をして部活の練習に参加しようとした明日香を、涼子は呼び止めたのだ。そのちゃらちゃらとした美貌の顔面を、渾身の力で殴ってやりたい衝動を抑え、「出ていってよ。もう二度とここには来ないで」と、涼子は、言葉少なに言い放った。すでにジャージに着替え終えていた明日香は、きょとんとした顔になり、何も言わず黙っていたが、やがて、ふて腐れた態度で立ち去っていった。
 おそらく、明日香の悪意に油を注ぐことになっただろうが、明日香が、この場所に足を踏み入れることだけは、金輪際ないと思われた。
 また、涼子は、携帯電話を持っていなかった。私立であるこの高校は、公立に比べて校則が厳しく、学校への携帯の持ち込みは禁止されていた。それを遵守しているというのもある。むろん、今時、そんな規則を律儀に守っているのは、天然記念物さながらの少数派であることも知っていた。教師たちでさえ、ほぼ公然の秘密として扱っている。
 けれども、涼子にとっては、校則だけが理由の全てではなかった。来たる夏の大会に向けての部活動に忙殺される毎日で、友達と遊ぶような時間も満足に作れない。それに、メールのやり取りなどしなくても、本物の友情は、実際に顔を合わせれば確かめられる。要するに、携帯を必需品だとは感じなかったのだ。
 しかし、そういった現状が重なったせいで、香織たちが、卑怯千万にも、無関係な後輩を使った伝言という手段を取ったのかもしれなかった。
 涼子は、あまりの不快感に歯噛みした。どこまでも陰険で卑劣な、あの三人……。



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