バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十一章〜間隙
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「南さーん、南さーん……。逃げちゃダメでしょー? まだ終わってないんだけどー」
 よほど可笑しいのか、吹きだすのを堪えているような香織の声が、耳に届く。
 吉永香織。あんたには、良心の欠片もないんだね……。腐りきった女だとわかっていたが、正直、これほどえげつない仕打ちを加えてくるとは、予想もしなかった。

「南さーん……。あたしたち、続きをやるために待ってんだから、早く戻ってきて、『これ』をまたいで立って。滝沢さんのシャツで……、その、汚い股を綺麗に拭いてあげる。心を開いて、仲良くなれるように・さっ」
 目を向けると、香織とさゆりが、体操着の両袖をそれぞれ手に持ち、低い位置でぴんと張っている。
 なによ……。どういうことよ、それ……。
 涼子は、彼女たちが、おいでおいでをするように揺らす体操着を見つめたまま、茫然と立ち尽くしていた。
 半ば思考能力の停止した頭の中とは裏腹に、心臓が、ドラムのように激しい鼓動を打ち始める。
 向かい合う香織とさゆりの間には、半袖の体操着の横幅分、人間がひとり入れるかどうかという間隙があり、そして、赤い丸首の部分は、ひどく不吉なことにも、ぴっしりと上にきていた。
 
 涼子は、奇声を上げそうになった。慌てて、そこから目を背ける。
 うそ……、うそよ……、信じられない。香織の狂気と底無しの悪意が伝わってきて、ぞっと戦慄が走った。
 この女は、人間じゃない。悪魔だ。人の面を被った悪魔だ。
 香織は、うろたえる涼子の姿を見て、優越感に満ちた笑みを浮かべている。
 
 いや、違う……。この女だって、紛れもなく人間じゃないか。そして、わたしと同じ、女子高生である。それどころか、クラスメイトだ。友達に気を遣ったり、些細なことで傷ついたりしながら、高校生活を送っているはずなのだ。
 もはや、あるかなきかの香織の人間としての良心を無理にでも信じ、それに縋りつくしか、残された道はない。涼子は、声を絞り出すようにして言い始めた。
「あ、あの……、吉永さん。ごめんなさい……。わたし、吉永さんが不愉快に思うようなこと、してたんだよね? 学校でも、けっこう調子に乗ってたとこ、あったと思うし……。わたしの、どんな行動が嫌だったのか、教えてもらえませんか? ちゃんと反省します。ですから……、もう、許してもらえませんか……。わたし、本当につらいんです。もう立ち直れないくらい、つらいです」
 香織は、歯を見せて笑った。
「なに言ってんの、南さん。誤解しないでよ。あたし、南さんのこと嫌いだなんて、一言も言ってないでしょ? 『これ』は、滝沢さんと友達になるための、秘訣みたいなもんだよ。南さんのために、やってあげるんだよ……。わかったら、こっちにおいで」
 聞き終わるが早いか、香織の言葉は無視し、訴える相手を変えた。
「竹内さんっ! わたし……、竹内さんのこと、マネージャーとして、仲間として、信用してたのに……、全部、騙されたんだって知って、すごい傷ついた……。もう、こんなことやめて……。もう気が済んだでしょう?」
 明日香は、小さく微笑んで小首を傾げ、考えるような仕草を取った。
 涼子は、同情を引きたい眼差しで、彼女を真っ直ぐに見つめていたが、答えたのは、またしても香織だった。
「往生際が悪いね、あんた……。だんだん、ムカついてくるんだけど。あんたのためにやってやるんだから、早く、こっちにこいよ。それとも、余計なお世話だって言うの? だったら、もう服着れば? その代わり、南さんが、滝沢さんのシャツ咥えて、チューチューしてた写真、あの子にも見れるように準備しておくけどね」
 
 世界の終わりのような絶望感に襲われ、涼子は、思わず両手で顔を覆っていた。
「あっ、泣いた……」とさゆり。
「りょーちん、ごめんねぇ……。香織もぉ、こう言ってるからぁー、一緒にぃ、がんばろー」
 頭の中で、現実逃避が始まっていたせいか、涙は流れなかった。
 涼子の魂は、もはや救いようのなくなった自身の肉体を見捨て、離脱していたのだ。
 教室のドアを通り抜け、校舎の窓から外に出ると、体育館に入り、コート上空をさまよう。本来であれば、今頃、部活用のTシャツにスパッツを着込んで、部員を率いて駆け回っているはずの、自分の肉体を探し求めて。



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