バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十三章
隔絶された世界
2



「やばいでしょっ、南さん……。これ、滝沢さんの着るものなんだよ?」
 香織が口にした言葉に、脳髄を鋭く貫かれる。暗いトンネルの出口を抜けるように、意識が研ぎ澄まされていく。
 それだった。
 高校生活の崩壊、ひいては人生の暗転に直結する問題は、無関係な生徒への波及なのだ。しかも、その波及の脅威は、前とは比べものにならないくらい厳酷なものとなっている。クラスメイトの体操着を、涼子が、文字通り汚してしまったせいで。
 現実逃避の衣は、脱ぎ捨てなくてはならない。考えろ。現実を直視しろ……。わたしは、どう対処するべきなのか。
 物事を考えられる精神状態ではなかったが、何らかの脳内物質が大量に放出されるかのように頭が覚醒していく。ランナーズハイに似た状態かもしれなかった。

「このシャツ、体育の時間、滝沢さんが着るんだけど……。そのことについて、南さん的には、どうなの? 答えなよ。重大な問題でしょ」
 香織の顔は、喜色に満ちていた。
「なんか……、これ着ちゃったら、かゆくなりそう……」
 さゆりが、口もとを押さえて笑いながら言う。
 涼子は、香織が持つ体操着を直視した。赤い丸首の部分から肩口のあたりまで、濡れているのが視認できる。
「え!? 待ってください……。これ、ちょっと、これ! この色って……」
 さゆりが、驚きの声を上げ、一点を指差している。
「うんちぃー!?」
 明日香が、素っ頓狂な声を発した。
「最低……。南さん、マジ、最低。信じらんない……。そういえば、まん汁の臭いだけじゃなくて、なんか、うんこの臭いも漂ってるような気がする……」
 香織は、嫌悪感と歓喜が表裏一体になったような表情で、鼻をひくつかせる。
 さゆりが、だみ声で笑う。
「やっぱりぃ……! あたしの言ったとおり、やっぱり、南せんぱい、おしり、ちゃんと拭いてなかったんだ……! さいあくぅ!」
 体操着の肩口のところに、涼子の目も釘付けになる。そこには、たしかに、ただの汚れとは思えない、黄土色の線が見える。
 さゆりに肛門を擦られていた時の感覚が蘇る。無意識のうちに、剥き出しのおしりに力が入っていた。
 恥ずかしさ。いや、それより、波及に対する恐怖で泣き出したくなる。

「ああー……、この匂い、もう無理……。気持ち悪くなってくる。ちょっと、汚くて申し訳ないけど、置かせてもらおっと……」
 香織は、手近の机に、まだ熱気の立ち上るような体操着を置いた。
 その机は、普段、誰が使っていただろう。だが、今は、余計なことを考える余裕はない。
 体液と大便の残滓で汚れきった体操着が、夕陽に照らされている。否応なく、胸のところに刺繍された苗字が、目に飛び込んでくる。
 滝沢秋菜の涼しげな顔が、まざまざと眼前に浮かぶ。知性の深淵を感じさせる眼差し。ゆったりとしたストレートヘア。そのイメージが動き出し、体育のバスケットの時間、体操着を着た彼女が、軽快なドリブルを見せて走っている。が、次の瞬間、その襟元や肩口には、見るからに臭いそうな汚れが、べったりとこびり付いていた。そこで、ふと、彼女は何かに気づいた。表情が険しくなり、体操着をつまんで鼻を寄せる。そのとたん、彼女の顔が、みるみると歪んでいく……。
 脳裏に、滝沢秋菜の絶叫が聞こえてきそうだった。
 惨めにも、涼子は全裸で恥部を押さえて固まっているが、心の内には、めらめらと炎を立ち上らせ、鬼の形相で奮起している自分がいるのだった。波及だけは絶対に防ぐという、強固な意志がある。



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