バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十四章
自己保身
4



 ペンキの剥がれた古びたドアを押し、中に入る。掃除は行き届いているようで、不潔な感じはしないが、蛍光灯の明かりが弱く、ひどく陰気臭い。そして、このトイレに住み着いているかのように陰湿で性根の腐った、三人の女子生徒。
 自分が隔絶された世界にいることを実感する。さっきまで一緒にいた華やかな友人たちとは、根本的に住む世界が違っているのだ。

「こうやって南さんと話すのって、久しぶりだねえ。元気してたー?」
 香織が、ずいっと涼子の顔を見上げて言った。
 涼子は目を逸らし、小さく溜め息をついた。馬鹿らしくて答える気になれない。
「明日香から聞いたんだけどさあ、ここのところ、南さん、部活で調子が悪いらしいじゃん。具合でも悪いのお?」
 数日ぶりに涼子と話せることが、嬉しくて堪らないような、そんな声音で香織は話す。
 不調なのは事実だった。その最大の原因は、未だに明日香が、何食わぬ顔をして、マネージャーとして部活に参加していることにあった。
「平気……。べつに、吉永さんに、心配してもらわなくっても……」
 腹立たしさのあまり、つい、涼子も皮肉で返してしまった。
「南さんの体調の問題は、マネージャーの明日香にとっての問題でもあるわけよ。今回、こんな、人の来ないようなトイレまで来てもらった理由は、実は、南さんの検尿のためなんだよね。おしっこの、色とか臭いとかで、南さんの健康状態を調べてあげる」
 検尿……? おしっこ……? 涼子は、目をしばたたいた。
「南さんは、これから全部服を脱いで裸になって、個室のドアを開けたまま、おしっこして。あたしたちが見やすいように、和式のほうでね」
 香織は、野卑な笑いを口もとに浮かべ、並んだ個室を指差した。
 
 ほどなくして、涼子は震かんした。
「うっ、うそでしょう……? あんた、なに言ってんの?」
 あたま、おかしいんじゃないの? よっぽど、そう言ってやりたかった。
「あーそう……。そんな口の利き方していいんだあ? あんた、滝沢さんのシャツでオナニーして、シャツに、くっさいまん汁を付けちゃったこと、忘れたわけじゃないよね? あのシャツ、いつだって滝沢さん本人に返せるんだからね」
 香織のつり上がり気味の両眼が、ぎらぎらと光っている。
 心臓が締めつけられるように息苦しくなった。脳裏から片時も離れることのなかった問題。今、実際に脅迫を受けたことにより、その恐怖はリアルなものとなって、はち切れんばかりに膨れ上がっていく。
 
 そこで明日香が、突き抜けるような甲高い声を上げた。
「しょーんべぇーんっ! しょーんべぇーんっ!」
 その汚いコールに合わせ、香織とさゆりも嬉々として手を叩く。
 ひどい……。ひどすぎる……。ここへ来て、まだ五分と経っていないのに、もう涼子は、泣きたくなっていた。想像以上の下劣さ、下品さ。 
「このトイレなら、誰も入って来ないから大丈夫だって。万一、誰か来たら、個室のドアを閉めていいから。恥ずかしいことなんて、ないでしょ? 滝沢さんに、南さんが変態のストーカーだってバレるほうが、よっぽど恥ずかしいと思うよ?」
 クリーム色の個室のドアは開いていて、和式の便器が見える。涼子は、そこへ視線を向けたまま、頭部に銃弾を撃ち込まれたかのように呆然としていた。
 
 数秒後、涼子の足は、じりじりと動きだした。個室のほうへと。これから自分が、何をやろうとしているのか。それを自分でわかっているのか、いないのか。
 あと一歩で、個室の中に入るというところまで来て、数分後の光景が脳裏に浮かんだ。全裸になり、人間としてもっとも浅ましい姿を、同年代の少女たちに晒している自分……。
 小さな嗚咽が漏れる。この場で泣き崩れてしまいそうな境地だった。涼子は、そろそろと振り返った。
「できない……。お願いだから、こんなこと、もうやめて……」
 そう言葉を絞り出すと、三人は、くすくすと笑った。
 
 香織の答えは、意外なものだった。
「もしかして、南さん、本気にしちゃった?」
 涼子は、あっけに取られた。
「ありえなくない? 南さんのおしっこ姿とかさ、そんな汚いモノ、あたしたちが見たいわけ、ないでしょう?」
「でも、南せんぱい、今、ホントにトイレ入ろうとしてましたよね。気持ちわるーい」
 香織とさゆりは、寒風が吹いたかのように身を寄せ合った。
 ほっとしてよいものか、涼子にはわからなかった。ありえない。たしかにそうだ。人前で排泄することも、また、それを見たがることも。だが、その『ありえない』ことを、散々やってきたのが、香織たちではないか。



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