バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十四章
自己保身
8



 三人が去ってから少しして、涼子もトイレを出た。たった十数分の間だったが、自分の中に、幾度、深刻な葛藤が起こっただろうか。気づくと、真っ直ぐに歩いておらず、壁にぶつかりそうになるほど、涼子は、心も体もへとへとになっていた。
 怖ろしいことだ。悪夢を見ているように怖ろしい。ひとりのクラスメイトに邪悪なものが迫ろうとしている。そして、自分が、それを見て見ぬフリどころか、よこしまな側に荷担するような行為を行おうとしている。
 思い直すことはできないのか。自分は、本当に、そうするしかないのか。
 
 香織の最後の言葉が、耳にこびりついている。『もうすぐ仲間ができるかもよ』という言葉が……。
 つまり、滝沢秋菜が、涼子の『仲間』になるかもしれない、ということ。では、その『仲間』とは、何を指すのか。おそらく、涼子と『同じ状態』になるという意味だと考えて、間違いないだろう。
 やっぱり、と涼子は思う。滝沢秋菜のことが嫌いだと、香織が言い始めた時から、なんとなく、そんな気はしていた。そして、香織の最後の言葉で、確信した。滝沢秋菜を標的とした、香織たちの陰謀。その筋書き通りに事が運ぶと、最終的に滝沢秋菜は、涼子と同じように、女としての誇りを蹂躙されることになる可能性が高い。
 頭のいい彼女が、そう簡単に毒牙にかかって、無力な人間と化すとは思えないが、なにせ香織たちのやることだ。悪魔のように狡猾に陰謀を張り巡らすに違いない。実際、自分はその餌食となったのだ。彼女とて危ない。
 
 脳裏に、滝沢秋菜の顔が浮かんだ。ゆったりとしたストレートヘアを胸もとまで垂らし、その毛先だけ、少し内側にはねさせている、お洒落な髪型。彼女の特性を象徴するような、涼しげで余裕のある眼差し。学業優秀で、ちょっと大人びた雰囲気のクラスメイト。
 その彼女が、涼子の脳裏では、見る影もなく変わり果てた姿を晒している。
 放課後の教室。場違いにも、彼女は、下着一枚、身に着けていなかった。恥部に、両手をきつく押し当てており、陰毛の一本たりとも見せたくないという思いが、痛いほど伝わってくる。乳房を隠すのは諦めていて、淡い色の乳首が、寒々しい。プロポーションの取れた剥き出しの肢体が、恥ずかしさに縮こまり、かたかたと震えている。
 普段の、どことなくひんやりとした顔立ちは、見るも無惨にくしゃくしゃに歪み、目には涙が滲んでいる。
 そして、その姿をあざ笑っている、三人の少女。
 香織は、たった今まで彼女が着けていたパンツの両端をつまんで、顔の高さに持ち上げ、彼女の屈辱感を煽るように見せつけながら、下卑た笑みを浮かべている。涼子に対してやったように。さゆりが、そのパンツの股布の部分を指差し、何事か言っている。
 彼女の下着をいじくり回した後、香織の口から出た言葉は、人間とは思えないものだった。
『その手をどかして、そこを、ちゃんと見せなよ』
 彼女は、涙目で首を左右に振る。
 すると明日香が、ゆらりと彼女に歩み寄った。明日香は、震える彼女の首筋に触れ、あの笛の音のような笑い声を立てる。彼女の目尻から、一筋の涙がこぼれ始めた。かたくなに恥部を押さえる両腕を、つと、明日香はつかんだ。両手が股から引き剥がされようとした時、彼女は、けたたましい金切り声を上げる……。
 
 そんなイメージが脳裏で展開され、涼子はショックを受けた。かわいそう……。滝沢さんが、わたしみたいな思いをさせられるなんて……。
 いっそのこと、魔の手が伸びる前に、滝沢秋菜に何もかもを話そうか。涼子は、そんなふうに思い始めた。まず、自分が経験した、筆舌に尽くしがたい恥辱の数々を告白する。赤裸々に。そして、次に狙われているのが彼女であることを、しっかりと言い聞かせる。彼女を思いやるのなら、そうするべきだ。
 しかし、涼子が、勇気を振り絞ってすべてを話したところで、彼女が信じてくれるものかどうか、はなはだ怪しい。涼子自身ですら、現実の出来事とは思えないような話を。正気を疑われて終わりかもしれない。
 それに、涼子のそのような行動が、香織たちに知られたら、どうなるだろう。香織たちの次なる獲物を、涼子が逃がそうとしていることが、知られたら……。身勝手なあの三人が怒り狂うのは、目に見えている。今、香織たちを怒らせると、自分は、学校に通うことすらできないような事態に追い込まれかねないし、最悪、そこで人生の歯車が狂ってしまうかもしれない。
 やっぱり、彼女を助けようとするのはリスクが大きすぎる。自分の人生を犠牲にする覚悟がなければ、それはできない。
 そして、怖ろしいのは、彼女を守る側に付けないのなら、もう、香織たちに荷担するしかないということ。極端な二者択一なのだ。いくら思考を巡らしても、第三の道は、頭の中のどこにも発見できなかった。考えれば考えるほど、香織の言うとおりにするしかないという現状が、浮かび上がってくる。
 ごめん、滝沢さん……。本当に、ごめん……。許されることじゃないのは、わかってる。だけど、わたし……。念仏のように心の中で謝り続ける。
 だが、その後、涼子は教室に着くと、『罪』を意識しないよう、頭を切り替えた。



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