バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十五章
クラスメイト
5



 そして間もなく、香織が何をやろうとしているのか、はっきりと理解した。たしかに、涼子の『思っているようなこと』とは少し違っていた。とはいえ、それも、到底、黙っていられることではなかった。
 うそ……。なに考えてんの、こいつら……。
 綺麗とはいえないトイレの床に、涼子は、バッグを取り落とした。吐き出す息が、震えた。
「やっ……、やめてえぇ!」
 涼子は、割れんばかりに叫び、大股で香織に近づくと、思わずその肩をつかんだ。力を入れたら砕けそうなほど、華奢な肩だった。
 突然のことに、香織は、すっかりすくみ上がり、ヒステリックに喚きだした。
「やだっ! やだ! 離してよっ! やめて! 触らないでっ!」
「やめてほしいのは、こっちのほうよ! ふざけるのも、いい加減にしてよ!」
 涼子は半狂乱に怒鳴り、香織の小柄な体を激しく揺すった。
 香織の顔は、恐怖に引きつっている。
「りょーちんっ! ボウリョクはやめなよっ!」
 怖いもの知らずの明日香が、抱きつくようにして涼子の体を押さえてきた。
 平静を失っていた涼子は、明日香の細い腕を振りほどこうとして暴れかかったが、すんでのところで思い止まった。前にそれをやって、身勝手な彼女が、烈火のごとく怒りだしたのを、憶えているからだ。
 
 涼子の勢いが止まった隙に、香織は逃げるようにして離れていった。怯えたその顔が、安全圏に抜け出したとたん、怒りと不快感を露わにする。
 性悪な後輩は、自分は無関係です、とでも言うように、そっぽを向いて固まっていたが、結局、涼子が手を出せないと見るや、悪辣ぶりを発揮した。
「なにやってんですかあ!?」
 反撃のつもりなのか、さゆりは、邪険に涼子の後ろ髪をつかんだのだった。
 がくっと頭部を後ろに引かれた涼子は、脳裏で、真っ赤な閃光が弾けるのを見た。
「やめろよっ!」
 不良少女も黙るような野太い怒号を、後輩に浴びせる。
 さゆりは、大音声に顔をしかめ、肩をすくめた。そして、視線を落とし、こわっ……、と小さく声を漏らした。その口もとには、相変わらず、嫌な薄笑いを滲ませているのだけれども。
「うっせぇーんだよぉ……。この写真はぁ、変な意味じゃあ、ねえって、言ってんだろーがよぉ」
 明日香は、眉間にしわを寄せ、荒っぽく涼子を突き放した。
 
 自分の荒い息遣いを、涼子は聞いていた。ふざけないで……。滝沢秋菜へのメッセージとして作りかけられている『もの』に、目をやる。実力行使に出たいと、今ほど思ったことはない。しかし、悲しいかな、それを許されない涼子は、泣き落としに頭を切り替えるほかなかった。
 なりふり構わず、自分のプライドが、ぐにゃぐにゃになっても。
「ごめん……、乱暴しちゃって、ごめんね。許して。でも……、お願い。そんなの、わたし、滝沢さんに、ぜったい渡せない!」
 涼子は、両手をこすり合わせたり、胸に手を当てたりと、派手にジェスチャーまで加えてみせた。
 けれども、当然、彼女たちの怒りの表情は、そう簡単に消えない。
 涼子は、トイレの床に両手をつこうかとまで考えたが、あるかなきかの最後の誇りが、それを押し止めた。
 
 香織が、つかつかと歩いて来る。こめかみに青筋を立てたような顔をして。
「ふざけんなよ、おまえ……」
 勢いよく振られた右手の平が、涼子の頬を直撃し、乾いた音が鳴った。予想通りだと思った。張られたところが熱くなるが、痛みを感じている場合ではない。立て続けにもう一発、同じところを叩かれる。
「ごめんっ、ごめんっ……。好きなだけ殴っていいから、『あれ』はやめて……」
 手洗い台に載っている、滝沢秋菜へのメッセージ。今の涼子は、そのこと以外、もはや眼中になかった。
 どさくさに紛れ、後輩が、怒鳴られた仕返しとばかりに、後ろから涼子のおしりへと、膝蹴りを入れてきた。不意を打たれ、息むような無様なうめき声を、涼子は漏らしていた。
 血なまぐさい修羅場のような様相を呈していた。

「どうして、つかみかかってくるわけ? あんた、暴力ふるったからには、それなりの覚悟が、できてんだろうね? もしかして、もう、高校には未練がなくなって、辞める前に、あたしたちをボコボコにしようとか、そんなこと考えたの?」
 香織は、腰に手を当て、下から顔を覗き込むようにしてくる。つい今しがた、涼子に怯えて逃げ出したのと比べると、ほとんど二重人格の変わりぶりである。
「ごめんね……、吉永さん。わたし、ちょっと、頭が……、なんていうか、パニックみたいになっちゃって、乱暴するつもりなんて、全然なかったのに……。ごめんなさい」
 涼子は、必要以上にもぞもぞと体を動かしながら言い、頭を下げた。
「その謝り方、気持ち悪いんだよ……」
 香織は、揃えた三本の指で、涼子の額を突いてきた。衝撃に首が反り返る。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 重大な罪を犯してしまったかのように、涼子は、ひたすら謝り続ける。
 
 香織の表情にあった怒気が、だんだんと侮蔑の薄笑いに変わっていった。
「それじゃあ、学校から追い出すようなことするのだけは、止めてあげる。あたしって、優しいでしょ? その代わり、ちゃんと滝沢さんに、『あれ』を届けに行って。嫌とは、言わせないからね」
 結局、振り出しに戻ったということか。最悪の事態だけは免れたとはいえ、それでも、一点、どうしても譲れないものがあった。
「許してくれて、ありがとぅ……。でも……、待って。滝沢さんに渡すことはするから、あの写真だけは使わないで……。お願い。ほかになにか、やり方があるでしょう?」
 涼子は、少し涙ぐんだ眼差しで、じっと香織を見つめた。
「ダーメ。『あれ』を見た滝沢さんが、どんな反応をするか、この目で確かめたいの。いつまでもぐちぐち言ってると、本当に怒るよ。……さゆりっ、作ろっ」
 もはや香織は、これ以上、何も聞き入れそうになかった。しかし、だからといって、このまま口をつぐむわけにはいかない。
「ねえ待って……。吉永さん、もうちょっと話を聞いて……」
 そう言いかけたところで、涼子は、いきなり後頭部をはたかれた。またしても、性悪な後輩が、手を出してきたのだ。
「なに、いつまでも、往生際の悪いこと、言ってるんですかあ?」
 涼子は、込み上げる怒りを、今度はぐっと呑み込んだ。
 
 香織とさゆりが、メッセージを作る作業に戻る。
「あっ、そうだ……。滝沢さんにメッセージを渡して、はい、さよなら、っていうんじゃ、つまらないからさ、南さんに、いくつか、言ってもらいたいセリフがあるんだよね。聞いた滝沢さんが、怖がるような……」
 香織は、妙なことを言い始めた。
「まず、そうだなあ……、これ……」
 香織は、にたにたと笑いながら、十秒ほどの長さのセリフを口にした。
 それを聞くと、涼子は、目の前が真っ暗になった。
「いや……、言えない……。そんなこと、わたし、滝沢さんに言えない……。それに、その写真も、本当にやめて。使わないで……」
「ダメ。言ってもらう。もちろん、写真も使う。……忠告しておくけど、これ以上、文句を言うようだったら、暴力ふるったこと、反省してないものと見なすからね」
「ねえ、お願い……。吉永さん、お願いだから、ねえ……」
 涼子は、涙声になっていた。
 だが、香織はもう、涼子の声には耳を貸さなかった。
 頭を抱え、宙を仰ぐ涼子を尻目に、香織とさゆりは、胸躍るような顔をして、ハサミやノリなどを持った手を、動かし続けるのだった。



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