バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十五章
クラスメイト
7



 ドアを押して開けると、本当に、滝沢秋菜の姿はあった。自分の席に着いて、退屈していた様子で、携帯電話をいじっていた。
 涼子が最初に感じたのは、失望だった。そして、彼女と目が合うと、心の準備はできていたとはいえ、どきりとさせられた。怯んじゃだめ。もう、やるしかないの……。
「あっ……。滝沢さんっ。あのっ……、吉永さんから、言われてたんだよね?」
 どうしても、声がうわずってしまう。
「うん、そうなんだけど……、南さんも、わたしに、何か話があるの? わたし、吉永さんだけだと思ってたから……」
 秋菜のしっとりした声は、いつ聞いても、大人のお姉さんじみた印象を受ける。
 そこで、香織が口を開いた。
「驚かせちゃって、ごめんね、滝沢さん。話っていうのは、あたしと南さんが、掃除の時間に、滝沢さんの教科書を見つけたんだけど、そのことについて、ちょっと……。最初は、あたしひとりで話すつもりだったんだけど、やっぱり、南さんも来てくれるって言うから……」
 嘘八百を並べ立て、香織は、こちらに目配せした。続きは、自分で話せ、ということらしい。
 
 これから、自分も、虚言の渦に落ちるのだ。涼子は、すうっと息を吸い込んだ。心の内で、秋菜に対して両手を合わせる。そして、考えていたセリフを吐き出した。
「うん、そう……。掃除の時に、視聴覚室で、『保健』の教科書を見つけたのね。裏には、滝沢さんの名前が書いてあった。それで……、ひどいものが、貼りつけてあって……。見せるべきか、迷ったんだけど……」
 太ももを生温かいものが流れそうなほどの恐怖で、もはや、嘘を口にする罪悪感すら、麻痺し始める。
「視聴覚室で……? えっ……、それで、ひどいものって、なに……?」
 秋菜は、不安そうな面持ちで、下唇に人差し指を当てている。
 
 涼子は、自分の心に鞭打って、脚を踏み出し、秋菜の前の席の椅子を引いた。椅子の向きを変え、秋菜の机を挟んで、彼女と向かい合う形で、そこに腰を下ろす。
 こうして、すぐ目の前に秋菜がいるということ自体、非現実的だった。体操着を汚してしまった後ろめたさで、この数日間は、秋菜の横顔すら、まともに見られないほどだったというのに。まさに急接近である。それを意識するだけで、涼子はくらくらとしてくる。
 その秋菜に、これを見せ……。心臓の鼓動が、地鳴りのように激しくなっている気がした。バッグのチャックを開け、秋菜の『保健』の教科書を取り出す。
「これ……、滝沢さんのものでしょう……?」
 からからに乾いた口を動かして言い、裏表紙を見せた。
 秋菜は、自分の字で名前が書いてあるのを確認すると、一層不安げな表情になり、そして、小さく頷いた。
「うん。わたしの……」
 秋菜の涼しげな眼差しが、今は、少しばかり暗い色を帯びて、涼子に向けられている。
 
 いよいよ、その瞬間がやって来る。
「視聴覚室の……、教壇に、こうやって開かれて……、置いてあったの……」
 涼子は、表紙を捲った。すっかり折り目が付いていて、手を離しても、閉じることはない。
 秋菜の眉間に、しわが刻まれた。
 ぼっと顔中が熱くなるのを、涼子は感じた。この場だけ、時間の流れが停滞したかのようだった。
 秋菜は、そっと手を伸ばし、開かれた教科書の向きを、静かに自分のほうへ変えた。
 表紙の裏に、葉書サイズの写真が、ノリで貼りつけられている。写っているのは、涼子の全裸だった。囚人のように、両手を頭の後ろで組まされたポーズ。赤紫色の乳首や、逆三角状に茂った陰毛までもが、目に飛び込む。
 だが、被写体は、涼子とは特定できない。頭部が、ハサミで丸く切り取られているからだ。その、ぽっかり空いた部分には、代わりに、秋菜の顔が貼られているのだった。素材は、今日、涼子が盗んだ写真で、秋菜は、少しいたずらっぽく微笑み、Vサインをしていたが、その肩から上の部分が使用された。
 顔のすげ替え。いわゆるアイコラみたいなものである。あたかも、秋菜が、無様にヘアヌードを晒しているかのような。
 そして、その上には、黒いマジックで、大きく『滝沢 おまえも、こうなる!!』と書き殴ってあった。
 これが、香織たちによる、秋菜への『メッセージ』だった。関係のない第三者が見たら、失笑ものの、滑稽極まりない代物であるが。

「やだ……、なに、これ……」
 どことなくひんやりとした目鼻立ちの秋菜だが、今は、その目が、わずかに見開かれていた。ゆったりとしたストレートヘアを胸もとまで垂らし、その毛先だけ、自然に内側にはねさせた、お洒落な髪型。その髪から、ふんわりといい香りがする。
 こんな上品なクラスメイトの目と鼻の先に、まるで、臭いでも立ち上ってきそうな、生々しい自分の裸の写真があるのだ。顔の部分は切り取られているとはいえ、涼子は、猛烈な羞恥を感じずにはいられない。

「最悪……。誰が、こんなこと……」
 秋菜は、虚ろな表情で呟き、寒気を感じたように肩を抱いた。その眼差しが、こちらに向けられる。
 とてもじゃないが、涼子は、目を合わせられなかった。体が小刻みに震えていた。落ち着いて、と自分に言い聞かせる。ここでは、決して恥ずかしそうな素振りを見せてはいけない。ことに、相手が、頭のいい秋菜とあっては。
「あっ……、あの、これ、見せるべきか、迷ったんだけど……、表紙だから、破って捨てるわけにも、いかなくって……」
 ごめんね、と言いそうになるが、涼子の胸には、自分に誓ったことがあった。秋菜に謝ることだけは、絶対にしない、と。なぜなら涼子は、無関係な第三者として、ここに座っているのだから。謝る道理など、どこにもないはずだ。
「ううん……。教えてくれて、ありがとう、南さん」
 涼子が、どこか申し訳なさそうにしているのを察したのか、秋菜は、取りなすように言った。そして、なにやら、次の言葉をためらうような仕草を見せる。
「あの……、これって……、知ってるのは、南さんと吉永さんだけ? ほかに、誰か……、見た人はいる?」
 その問いが、秋菜のプライドの問題であることに、涼子は、すぐに気づいた。こんな、気持ちの悪い嫌がらせを受けたということは、人に知られたくないのだ。涼子自身、初めて服をすべて脱がされた時、真っ先にそれを思った。だから、その気持ちはよくわかる。
「いや、わたしと、吉永さん以外は……」
 涼子の言葉を、香織がさえぎる。
「それを、視聴覚室で発見した時は、あたしたち二人のほかに、人はいなかったよ。いつから、あそこにあったのか、わからないから、はっきりとは言えないけど……、たぶん、それを作った犯人以外だと、知ってるのは、あたしたちだけだと思うよ……」
 香織は、そう言いながら歩いて来て、そばの席の椅子を引き、ようやく腰を下ろした。
「そっか……」
 秋菜は、幾分ほっとしたように、二度、軽く頷いた。

「南さん、吉永さん。このことは……、誰にも言わないで……。わたし、ほかの子から同情とか心配とか、されたくないから」
 秋菜の真剣な眼差しに、涼子は、わかった、と小さく答えた。香織も、そう言う。
 なんとなく、秋菜のプライドの高さをかいま見た気がした。秋菜が、今、一番気がかりなのは、周囲の生徒たちへの波及なのだ。その心情は、まさに涼子と同じである。



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