バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十五章
クラスメイト
8



 会話の流れが途切れ、沈黙が下りた。
 その時、香織が、わざとらしい咳をした。横から、香織の強い視線を、ひしひしと感じる。そろそろ言え、と急かす視線だった。
 そう。今から涼子は、香織の考えたいくつかのセリフを、秋菜にぶつけなくてはいけないのだった。
 滝沢さん、ごめんね……。今一度、心の内で両手を合わせ、涼子は口火を切った。
「あの……、滝沢さん。ほかには、嫌がらせみたいなこと、された覚えはない? 何か、思い当たるようなことがあったら、正直に話してほしいんだけど……」
 何気ない質問のようで、ちゃんと意味はあった。秋菜にとって、被害は、この件だけではないことを、涼子と香織は知っている。秋菜は、何者かに体操着が盗まれたことを、忘れてはいないはずだ。
 秋菜の視線が、わずかに揺れて落ちた。ためらうように下唇を軽く噛んでいる。
「とくに、ほかには、何も……。うん、何も、ない」
 秋菜は、やや力の入った声で、そう答えた。
 思ったとおりだった。やはり、涼子に話そうとはしない。涼子を信用していないというのではなく、彼女のプライドが、そうさせたのだろう。涼子が秋菜に対して抱くように、秋菜もまた、涼子への苦手意識を持っているかもしれないのだ。だとしたら、そんな相手に、これ以上、弱いところを晒すのは、屈辱以外の何物でもないはずだ。

「南さん。わたし、これを見た瞬間は、うわっ、て思ったけど……、こんなの、なんでもないよ。どっかの頭のおかしい人が、たまたま、わたしの教科書と写真を手に入れたから、こんなもの、作ったってだけ。怖くもなんともない。だから、南さんも、これを見たことは、忘れてね」
 秋菜は、わずかに首を傾け、口もとで微笑して見せた。涼子に対して強がる姿が、なんだか痛々しくもある。
 つと、横に視線を向けると、香織は、面白くて仕方がないのか、にやついているのをごまかすように、顔を俯けていた。
 
 だが、次に涼子が口にするのは、そんな秋菜を、恐怖のどん底に突き落とすようなセリフだ。同時に、それを言う涼子のほうは、もう、狂気の一言だった。
「あの、怖がらせるようで、ちょっと言いにくいんだけど……、でも、滝沢さんのことが心配だから、言うね……。この写真、後ろに、マットとか飛び箱とか、写ってるでしょ? この光景、わたし、見覚えがあるの。これ……、きっと、この学校で撮られたものだよ……」
 いったい自分は、どんな顔をして、こんなことを喋っているのだろう、と涼子は思う。すうっと気が遠のき、今にも、自分の体が、椅子から落ちてしまうのではないかと、不安になるような感覚だった。
 写真の背景は、灰色のコンクリートの壁で、その壁際に、ほこり被った運動用具が、小さく写っている。
「えっ……、うちの学校……? これ、学校の、どこなの……?」
 秋菜の顔から、余裕が消えていた。
「たぶん、体育倉庫の、地下……。わたし、一度、あそこに下りたこと、あるから……」
 あの、じめじめとした、陰鬱な空間。涼子にとっては、監獄を連想するような場所である。
「それって、要するに……」
 秋菜は、言い淀んだ。言葉にするのを、怖がっているようでもある。その喉もとが、ごくりと波打つ。そして、寒気を感じさせるような低い声で言った。
「ここに写ってる裸の体は、『うちの学校の生徒』である可能性が、高いっていうこと?」
 やはり秋菜は、鈍感ではない。
「……そう。たぶん、だけど」
 涼子は、ぽつりと言った。世の中に、こんなにも惨めなことが、あるだろうか。
 秋菜は、青ざめた顔をして、写真に目を落とした。『うちの学校の生徒』だということを意識して、写真の中の裸体を凝視している。これまでとは、まったく別物に見えてくるに違いない。
 当然ながら、涼子の気持ちを、秋菜は知らないのだ。そうやって、まじまじと全裸の写真を見られるのが、どれほど生理的に耐え難いかということを。
 
 そこで、秋菜が口にしたのは、彼女にしては、驚くほど間抜けな言葉だった。
「この、裸になってる人って……、自分で、やりたくて、こんなことやってるんじゃ、ないよねえ?」
 そんなわけないでしょう……!
「こんなことして、喜ぶ人なんて、いるはずないじゃん」
 涼子は、つい、語気に不快感を込めてしまった。何も知らない秋菜の言葉に腹を立てるなど、筋違いだと、わかってはいるものの。
「そうだよねえ……。てことは……、うちの学校に、こんな目に遭わされた子が、いるってことなんだよね。信じられない……」
 秋菜の片側の頬は引きつっていて、目の下がぴくぴくと痙攣するのが見えた。そんな秋菜の顔は珍しく、新鮮ですらあった。
「だから……、滝沢さんも、気をつけて。わたし、ただのいたずらだとは、思えなくて……」
 全裸の女の写真は、ネット上のどこかにあったのを、ダウンロードして印刷したものだと、秋菜は最初、思っただろう。それならば、気持ちの悪い嫌がらせを受けたということで、大きなショックは受けるだろうが、後は、心の傷が癒えるのを待つだけである。だが、それが、実際にこの学校で起こった出来事となれば、話は、まったく異なってくる。なにせ、『前例』が示されているのだ。その、『滝沢 おまえも、こうなる!!』の言葉も、リアリティを伴って迫ってくるはずだった。
 今、秋菜は、恐怖におののいている。本気で自分を狙っている人間が、この学校には、いるのかもしれない、と。気を付けないと、今度は、顔のすげ替えなどではなく、自分自身が、この被写体のようになってしまいかねない、と。
 そして、今では、口を閉じ、ただの付添人のような風情の香織だが、そんな秋菜の反応を観察し、内心、満足げな笑みを浮かべているに違いなかった。

「やっだ……、何考えてんだろう、気持ち悪い。わたし、絶対に関わりたくない」
 秋菜は、しっとりした声に激しい嫌悪感を込めて言い、腕をさすった。
 気持ち悪い、という言葉が、半分は、被害者である全裸の被写体にも向けられている気がして、涼子は、胸が苦しくなった。まだ今は、涼子と秋菜の間に、立ち位置の『落差』がある。つまり、秋菜は、『普通の』高校生活を送る女子高生なのだ。その秋菜にしてみれば、惨めにも、人前で全裸にさせられ、それを写真に撮られた生徒など、悪気はなくとも、見下してしまうものなのかもしれなかった。

「あっ、でも……、南さん、これ、本当に、うちの学校の子かな……?」
 秋菜は、含みのある言い方をした。
「えっ……、どうゆうこと……?」
 涼子は、なんとなく嫌な予感を覚えていた。
 秋菜の唇の端が、苦笑いでもするように、微妙につり上がった。
「これ……、大人っぽくない……? なんていうかさ、ほら……」
 何を言いたいのか、すぐに感づいた。写真の中の裸体の、身体的特徴のことだ。
 乳房や腰回りの艶めかしい曲線は、成熟した女性であることを示している。燃えさかるように広範囲に茂った陰毛も。また、肩や上腕、太ももなどに浮かび上がった筋肉は、どこか女子高生離れしていた。そういったものを総合して、秋菜は、直感的に『大人』を連想したのだろう。
 みるみると顔に血が上っていくのがわかる。涼子は、恥ずかしくて仕方がなく、両手で顔を覆いたいほどだった。やだ……。そんなこと、言わないでよ……。
 その時、息の止まるようなタイミングで、秋菜と目が合った。秋菜の涼しげな眼差しが、涼子の火照った顔を、真っ直ぐに捉えている。その瞬間が、涼子には、何秒間という長さに引き延ばされて感じられた。
 えっ、なに……。
 涼子は、思わず顔を背けていた。直後、自分のリアクションは、痛恨のミスだということに気づく。なにやってんの、ばか……。
「……あっ、南さん?」
 秋菜が、訝しげに声を掛けてくる。
 そうされると、涼子は、いよいよ恐慌をきたしてしまった。落ち着いて、大丈夫だから、落ち着いて、と必死に自分に言い聞かせるも、気持ちは静まるばかりか、動揺の炎に油を注ぐだけだった。
 今、自分は、熱い湯船に浸かりすぎ、のぼせ上がった時のように、真っ赤な顔を晒していることだろう。頭の切れる秋菜が、不審に思わないわけがない。バレちゃう。この写真の裸の女が、わたしだってことが、バレちゃう……。もう、怪しまれてるかも……。
 生きた心地がしなかった。なんだか、世の中のすべての事象が、がたがたと崩れていく様を、眼前に見ているような気分だった。



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