バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
1



 今日はどんな一日になるだろう。愉しみだ。吉永香織は、電車のつり革につかまっている時から、むずむずとしていた。
 頭の中は、南涼子のことで一杯だった。ほんの一ヶ月ほど前までは、香織が憧れの思いを抱いていた相手。かっこいい、なんとかして友達になりたい、あの子が、バレー部で活躍している勇姿を、一目見たい……、と。だが、今では、天地がひっくり返ったかのように、香織の目から見て、世の中で一番惨めな人間に成り果てた女。
 目を閉じた次の瞬間には、その涼子の姿が、まぶたの裏にはっきりと描かれる。いかにも部活少女らしい、飾り気のないショートカット。切れ長の澄んだ眼差しは、まるで、人間の汚い面を知らずに生きてきたかのようで、高い鼻筋は、同性として羨ましい。りんとして、よく整った顔立ちだ。だが、それでも、トップモデルのような美貌というほどではない。頬のあたりには、平凡な丸みがあるし、顔全体からは、都会の似合わなそうな、素朴で垢抜けない雰囲気も滲み出ている。今では、涼子のそんなところが、香織は大好きだったし、同時に、付け入る『隙』でもあったという気がしている。どこにも隙のないような完璧な美少女だったら、香織も、恐れ多くて、何かしてやろうなどとは考えなかったはずだ。そして、健康そうな小麦色の肌、Tシャツにスパッツ姿がぴったりの、肉感的で伸びやかな体つき。あの、女子アスリートにありがちな低い声も、耳によみがえってくる。
 はやく会いたい。惨めなあいつの顔が、見たい。また色々とやってやるからね……。
 ふと思うことがある。なぜ自分は、南涼子というクラスメイトに対してだけは、ここまで悪意をかき立てられるのだろうか。なぜだろう。正直、自分でもわからなかった。あたしは、悪魔なんかじゃないのに。ごく普通の、どこにでもいる女子高生なのに。
 電車内では人に席を譲るし、誰かに道を尋ねられれば、微妙に愛想笑いを浮かべながら説明する。そんな時は、それなりに気持ちがいい。イヤホンを耳に当て、好きなミュージシャンが、歌詞の中で人類の愛や平和を訴えているのを聴くと、香織は、それに共感したりもする。そうだよ。なんで人は、争い続けるんだろう。おかしいよ。
 博愛の精神みたいなものに感化されている時は、しばしば、涼子に対する申し訳ない思いで、胸がうずく。今までひどいことしちゃって、ごめんね、と言って謝ったら、涼子は、許してくれるだろうか……。土下座するのは無理だが、頭を下げるくらいなら、やってあげてもいい。それだけのことをしたのだから。涼子から、嫌な思いをさせられたわけでもないのに。なんでだろう。なんで、あんなひどいことを。もう、やめてあげようかな……。
 ごめんね、南さん。
 そうして、軽く目を閉じてみる。まぶたの裏には、すぐに涼子が現れる……。すると、どうだろう。まるで条件反射のように、めらめらと悪意が燃え上がるのを抑えられない。やだやだ。まだ全然、物足りない。もっともっと、涼子の苦痛に歪んだ顔が見たい。そういえば、涼子が、自分たちの前で泣いたことは、一度もないではないか。……強いじゃん。でも、いつか絶対に、泣き顔も拝ませてもらうからね。
 悪いことだと自覚していながらも、やめられない。もはや、香織にとって、涼子を対象にした加虐の欲望は、食べたい、寝たい、といった生理的欲求に等しかった。ダイエットをしないと、と思っていても、甘いものを食べてしまう。それと一緒だ。そんなものだから、やめるのは至難の業なのだ。
 
 駅のバス停で、香織は、学校行きのバスを待っていた。列ができていて、香織の前も後ろも、自分と同じ制服を着た三、四人のグループだった。
 香織は、彼女たちのお喋りが、耳障りで仕方がなかった。自分が独りでいる時に、周りが賑やかだと、決まっていらいらとする。突然、きゃはは、という甲高い笑い声が上がると、自分が笑われたのではないかと、びくりとしてしまう。こういう時に限って、バスの到着時刻まで、だいぶ時間がある。
 ああ、うるせーな……。香織は、意味もなくスマートフォンをいじりながら、周りに聞こえないように溜め息をついた。
 その時、ふと思った。こうして、朝っぱらから気分が悪くなったのは、南涼子のせいじゃないか……。涼子のことを色々と考えていたせいで、足取りが遅くなり、知っている子が誰もいないバス停に、並ぶ羽目になってしまった。もう少し早く歩いていれば、今頃はバスに乗っていて、知り合いの子と、たわいない会話を交わしていたかもしれない。きっとそうだ……。だんだんムカついてきた。それだけじゃない。クラスの友人に冷たい態度を取られたり、体育のバスケで、同じチームの五人中、自分だけ点を入れられなかったりするのも、何もかも、涼子のせいだ。許せない。だから、日常のストレスのすべてを、涼子にぶつけてやる。
 そんなふうにして、香織は、良いことも悪いことも、世の中のあらゆる物事を、南涼子という人間に結びつけ、集約していく思考のくせが付き始めていた。
 たとえば、授業中、教師に当てられて、答えられない問題があったとする。そんな時、まず頭に思い浮かぶのは、涼子なら、わかるのだろうか、という疑問なのだ。
 あるいはまた、クラスメイトの一人ひとりを分析する時、香織自身との関係性は、むろん重要だが、それと同じくらい、涼子と、どのような間柄なのかという情報が、欠かせない。香織というX軸と、涼子というY軸において、その生徒が、どこに位置する点なのかを、じっくりと見極めるのだ。涼子と話したことがあるのか。涼子と相性が良いのか、悪いのか。涼子との共通の趣味は……。
 そう。滝沢秋菜という生徒は、そうした意味で、特殊な存在だった。彼女の座標は特異で、他のクラスメイトたちとは、大きく離れたところに位置していた。香織は、そこに目を引かれたのだった。
 そんなストーカーじみた香織に、天は『味方』してくれた。味方したのは、天上の神ではなく、悪魔なのかもしれないが。逆にいえば、涼子は、とことん運から見放されていた。涼子の背中を、指差して笑ってやりたくなる。香織は、そのことが、涙が出るほど嬉しかったのだ。
 もう止まらない……。あたしは、おまえのことだけを考えてるんだからね……。



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