バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
5



 結局、同じ班とはいえ、班として何かに取り組む機会はなかったので、秋菜との会話は、必要最低限にとどまり、一年が終わった。二年も美術の授業で一緒だったが、クラス替えに伴って、座席も班も変わり、秋菜とは離れた。二年時の彼女について思い起こすことは、特にない。強いて挙げれば、彼女の、むくんだように少し膨れていた顔が、余分な脂肪がだいぶ落ちて、すっきりしたと感じたことくらいだ。
 
 そして三年に上がり、秋菜と同じクラスになった。
 こんなに綺麗だったっけ……? 香織は、秋菜を見て意外の感に打たれた。中分けにしたストレートヘアを、ふわりと胸もとまで垂らし、毛先だけ、自然に内側にはねさせた髪型は、エレガントだった。髪型がお洒落になり、顔の輪郭がすっきりしたことで、以前は、気だるそうな印象しか受けなかった眼差しが、クールという形容がぴったりの雰囲気を、発するようになっていた。
 学業優秀というイメージもあるためか、秋菜は、全体的にお姉さんっぽく見えた。一年の頃、芝田さんを小馬鹿にして遊んでいたのが、嘘のようだ。もちろん、三年のクラスで、秋菜が、表立って誰かを攻撃しているところなど、目にしたことがない。それどころか、口数自体、ずいぶん減っていた。
 大人しくなっちゃって……。香織は、秋菜の横顔を見ながら、くすっと笑いたくなった。しかし忘れてはいけない。騙されてはいけない。この子には、毒がある。それも猛毒だ。下手に刺激すると、その猛毒の牙を剥き出しにするかもしれない。
 
 三年になった当初、香織は、そんな秋菜に関心を持っていた。しかし、その思いは、一週間ほどで消し飛んだ。もはや秋菜など、どうでもよくなった。
 色々な意味で、それよりはるかに興味を惹かれる人物に、出会ったのだから。南涼子、その人だ。
 香織は、暇さえあれば、涼子のことを考えるようになった。そして、友達になりたい、と痛切に願った。まずは、アプローチをする前に、涼子が、どんな子と親しくしているのかを、知りたいと思った。香織にとって、もはやクラスメイトとは、涼子という巨星の周りを公転する、ちっぽけな暗い惑星に過ぎなかった。涼子がいることで初めて光が当たり、意味を持つ。
 移動教室へ向かう途中、体育やパソコンの授業、昼休み……。クラスメイトが流動する状況の時に、香織は、涼子とその周辺の生徒を、さりげなく、しかし事細かに観察した。涼子は、バレー部以外では、誰とよく喋っているか。最近、誰と仲良くなったか。やりとりの内容は……。我ながら気持ち悪いな、と独りで苦笑しながらも、それを続けた。
 
 そんな中で、おやっ、と香織は思った。香織の目を引いたのは、あの、滝沢秋菜だった。涼子が現れてからというもの、秋菜の存在は、香織の意識から、すっかり抜け落ちていたのだが……。
 南涼子と滝沢秋菜。この二人は、基本的には違うグループに属していた。けれども、社交性の高い涼子は、しばしば、秋菜のいるグループにも加わり、そこでも自然にとけ込んでいるように見えた。
 だが、香織は、奇妙な出来事を目撃したのだ。それは、帰りのホームルームの直前のことだった。教室の教壇のそばで、五、六人が、立ってお喋りをしていた。その輪には、秋菜も含まれていた。そして後から、涼子が、屈託なく何事かを口にしながら、そこへ入っていった。みんな、涼子に対しては、好意的な様子に、見えたのだが……。
 その時だった。秋菜が、隣にいた須藤仁美にちらりと視線を送り、ほんの一瞬、片側の頬を歪めたのだ。仁美は、秋菜の仕草を見て、目だけで頷く。そして秋菜は、きびすを返してその場から離れていった。
 えっ……?
 その場面を目にした香織は、なぜか胸が高鳴るような、なんとも言い様のない気分になった。香織の目には、しっかりと焼きついていた。涼子がやって来た直後、瞬きをするような間のことだったが、秋菜の顔に、苦々しい表情が浮かんだのが……。
 あれには、きっと意味がある。
 香織は、真相を探りたいという強い欲求に駆られ、次の日から、行動を起こした。涼子と秋菜が接近したのを見かけたら、友人との会話も適当に切り上げて、すぐに二人がいる場へ向かった。ほとんどのシチュエーションは、涼子が、秋菜のいるグループにさっそうと入っていく、というものだった。香織は、その輪の周りを亡霊のようにうろうろし、二人の動きに神経を集中した。気になる芸能人の色恋沙汰がスクープされ、メディアから目が離せない時の心境に、どこか似ていたかもしれない。
 
 監視を続けた甲斐あって、香織は、いくつもの『傍証』をつかんだ。
 涼子が輪に加わると、秋菜が、そこから離れていく。そんな場面を、香織は、繰り返し目の当たりにした。秋菜は、立ち去る直前、そばに親しい須藤仁美がいる場合には、意味ありげに、その背中を、ぽんっと叩いたりしていた。
 もはや偶然とは、とても考えられない。滝沢さんは、南さんのことが、苦手なんだ……。香織は、そう確信した。いや、もしかすると、嫌っている、なんてことも……。
 涼子のほうも、そんな気配に感づいたらしく、自分が輪にいる時、秋菜が去っていくと、ちょっと切なそうな表情を見せるのだった。
 時には、涼子が、思い切って秋菜に話題を振ることもあった。
「あっ、ねえ……、滝沢さんは、この話、知ってた!?」
 もしこれが、海外で、言葉の通じない相手だったとしても、一発で仲良くなれる。涼子は、そんな笑顔を見せていた。
 しかし、秋菜の対応は、冷めていた。
「うーん……、あんまり、そういうの、好きじゃなくって……」
 秋菜は、そう答えて横を向き、口もとに苦笑を滲ませる。いくら以前より口数が減ったとはいえ、素っ気ないとしか言い様がない。
「あっ……、そっかぁ」
 涼子は、言葉の接ぎ穂を失うと、自省するように下唇を軽く噛み、もじもじと指をいじった。
 その姿の可愛いこと。香織は、なんだか微笑ましかった。そして、涼子の秘密を一つ知ったという、嬉しさみたいなものを感じた。とはいえ、その秘密をどうこうしようなんて、さらさら考えていなかった。この時、香織の胸にあった、涼子に対する感情は、『健全な』憧れだったのだから。あの南さんも、人間関係に苦労したりするんだなあ……、と感慨に浸っただけだ。
 それでも涼子は、物事をネガティブには考えない。だから、秋菜のことも、秋菜のいるグループも、避けたりはしなかった。秋菜に対しては、芽生えた苦手意識を克服しようとするかのように、むしろ、勢い込んで話しかけていた。
 
 しかし、よくよく考えてみると、涼子と秋菜の二人が、良好な関係を築けるはずがないのだ。涼子は、天真爛漫、毎日、キャプテンとして部活を率いて汗を流し、校則を守って、携帯電話すら持っていないという、今時珍しい、太陽のような生徒なのだ。かたや、秋菜はどうだ。二年前のことになるが、芝田さんという弱い者を小突き回し、挙げ句には、彼女のスケッチブックの絵を破っていたではないか。人間、中身は、そうは変わらない。そんなふうに思って秋菜を観察すると、あの、クールそうな眼差しだって、なんとなく、同級生たちを、馬鹿だと見下しているような目つきに、見えてくる。
 南さん、その子は性格が悪いから、もう、話しかけるのは、やめておきな。ちょっとイタいよ、南さん。滝沢さんなんて放っておいて、あたしと仲良くしてくれたらいいのに……。
 
 ついに、香織の知りたかった答えが、はっきりとした形でもたらされた。学年全体で、学校の周辺の掃除をするという、訳のわからない行事の時のことだ。クラスごとに、場所が割り振られる。
 香織は、缶拾いやホウキ、チリトリなどは人任せにして、二人の友人とお喋りをしていた。だが、ふと、視界の端っこに、見過ごせない光景があることに、気づいた。例のシチュエーションである。涼子と秋菜の接近。
 香織は、角が立たないように注意して、そっと会話から抜け、涼子と秋菜のいる集団に近寄っていった。二人の間に齟齬があることは、すでに、疑いから確信に変わっていたので、もう、これ以上の大きな発見はないような気がし、徐々に、執着心は薄れ始めていた。だが、興味を失ったわけではなかった。
 香織がそばまで近づいた時、秋菜が、ちょうどその輪から離れ、こっちへ歩いてきた。秋菜の表情は、ひどく詰まらなそうだった。珍しく、彼女と親しい須藤仁美も、その後を追ってきていた。
 南さんの様子は、どうだろう……? 香織は、瞬間的にそう思った。だが、香織の直感は、なぜか、『滝沢秋菜を張れ』と訴えていた。
 香織は、直感に従い、涼子の様子を確かめるのではなく、遠ざかっていく秋菜と仁美に付いていった。
 少し離れたところで、その二人は立ち止まった。
 そこで秋菜は、穏やかでない声で、言ったのだった。
「もーう……。なんで、あの子、わたしたちの中に、入ってくんの? ノリは変だし、くだらないことで盛り上がるし……。ホンット、うざいんだけど」
 仁美は、控えめに笑った。同意も反論もしないような笑いだ。
 秋菜は、仁美のそんな煮え切らない態度が、いささか不満なのか、まったくもう、というふうに肩をすくめた。
 そして二人は、また歩き出した。
 
 密かにそれを見ていた香織は、わずかの間、その場に立ち尽くしてしまった。ショックにも似た感情が、胸の内で吹き荒れていた。
 うそ……。いや、やっぱり、というべきか。薄々予想は付いていたが、秋菜の口から、はっきりと言葉で聞いてしまうと、衝撃以外の何物でもなかった。しかも、あんな攻撃的な口調で。秋菜の言った、『あの子』というのが、涼子であることは、もはや疑いようがない。
 確定した。滝沢さんは、南さんを、嫌っている……。
 香織が驚くのは、あの、真っ直ぐな性格の涼子を、嫌う人間が、存在するという事実だった。だが、それは秋菜一人だけだ。須藤仁美は違う。香織は知っていた。仁美は、秋菜と親しいが、涼子とも馬が合うのだ。だから、秋菜寄りの立ち位置にいるが、完全に秋菜側に付き、涼子を遠ざけるとは、考えにくい。中立的と言っていい。けれども、秋菜が、頑なに涼子を排除しようとし続けるなら、ひょっとすると仁美は、愛想を尽かして、だんだん、涼子の側に傾いていくかもしれない。いや、それは時間の問題のような気もする。
 やっぱり性格の悪い、滝沢。彼女の内面は、二年前、悪人ぶりを周りに見せつけていた頃から、さほど変わっていない。滝沢……、あんたと、南さんとじゃあ、みんな、南さんに付くよ。この異分子め。
 香織の胸の内には、秋菜に対する漠然とした不快感が流れていた。しかし同時に、その底のほうでは、なんだか面白いことになってきた、という、わくわく感みたいなものも、かすかにくすぶっているのだった。不思議な気持ち……。
 
 だが、その後、やはり秋菜のことは、どうでもよくなった。いくら秋菜が嫌おうが、秋菜の力だけでは、涼子には、何をすることもできない。また、秋菜に同調する者も、きっと現れない。つまり、圧倒的パワーを持ち、幅広い交友関係を築いている涼子の前では、秋菜など、脅威にならないのだ。
 そうして、香織の中で、秋菜の存在は、再び意識下に沈んでいった。その分、涼子に対して、より意識を集中できるようになった。



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