バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
7



 香織は、逸る気持ちを抑えられず、その日の昼休みにはもう、それを明日香とさゆりに話していた。明日香は、あっさりと了解してくれた。誰とでも、そこそこ巧くやる自信があるのだろう。だが、さゆりは、まったく面識のない先輩ということで、少し渋った。そんなさゆりを、別に秋菜と仲良くしなくてもいいからと、なんとか説き伏せたのだった。
 
 そして、同日、六限目の体育のことで、場所は、体育館だった。香織は初めて、秋菜と話らしい話をした。あの時のことは、アルバムの一ページのように忘れられない。
 授業はバスケットで、体育館のフロア全体が、ネットで二つに分けられ、ステージ側で試合、出入り口側でシュートやパスなどの練習が行われていた。
 香織は、出入り口側にいて、時々ボールを弾ませながら、ずっと秋菜の動きを目で追っていた。秋菜と二人で話ができるような、チャンスを窺っていたのだ。番号やメアドは交換していないし、放課後、捉まえるというのも変なので、こういう時しかないのだ。
 話す内容は、頭に入っている。虚実を取り混ぜた一つのストーリーを、授業中に考えておいた。自分の身は、常に安全圏に置きながら、エサで、少しずつ少しずつ、秋菜を引き寄せてくる。そんな話術が要求される。決して深追いはしてはいけない。秋菜には、隠れた危険な牙がある。下手をすると、こちらの命取りになりかねないのだ。
 
 今だ。そう思った。
 秋菜が、ひとりで、壁際に腰を下ろしている。彼女から一番近くの生徒も、ある程度離れたところにいる。
 香織は、変に思われないよう、ボールを持ったまま、さり気なくそこへ向かった。もしかしたら、相手にもされないかも、という不安で、胸が苦しかった。だが、これを乗り越えたら、すごいことになるかもしれないのだと、自分を鼓舞する。
 すぐ隣に座る勇気は、さすがになかった。ああ疲れた、というふうに、香織は、そばに腰を下ろす。
 秋菜は、ちらりとこちらを見た。だが、それだけだった。体を動かすため、髪をポニーテールに結び、体操着の白いシャツと紺のハーフパンツ姿の秋菜は、普段より、子供っぽく見える。(この体操着のシャツが、二日後、涼子の体液で汚れることになる。)
 
 少し間を置いてから、香織は、意を決して声を掛けた。
「あっ、ねえ……、滝沢さんって、バスケやってたの? 巧くない? シュートとか、遠くから、よくゴールに届くね……」
 まずは、当たり障りのないことから。秋菜を上手だと思っていることは、本当だった。
 案の定、秋菜は、きょとんとした。
「えっ……、べつに、やってたことは、ないよ。シュートなんて、ふわっと飛ばしてるだけだし」
 秋菜の口もとには、微妙な笑いが浮かんでいる。なんで、この子が、話しかけてきたんだろう、という感じの。
「ふわっと……、かあ。やっぱり、腕の力が必要なのかな……?」
 香織は、適当に話をつないだ。
「うーん……。案外、ジャンプのほうが、大事かも……」
 秋菜は、ちゃんと答えてくれたが、早くも気まずそうに、視線をそっぽへやった。
 どうやら、香織と仲良くなろうという気は、ほとんどないらしい。これ以上、たわいないやりとりを続けるのは、無理な空気だった。
 ひどく不自然だが、もう本題に入る。
「そうだ……。滝沢さん、あの、すごいこと知っちゃったんだよね……」
 香織は、そう切り出し、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 秋菜は、小首を傾げてこちらを見ている。
「南さんって、いるじゃん? うちのクラスの、あの、南さん……」
 秋菜の片側の眉が、ぴくりと動いた。だが、秋菜は、無表情のまま、うん、と小さく頷いただけだった。
 ダムダム、とボールの弾む音が、あちこちから途切れることなく響いている。ステージ側のコートでは、試合の中のかけ声が上がる。そんな中で、香織は口にした。
「うちの学校の、何人かの子から、よく、リンチみたいなことされてるみたいだよ。あたし、その現場、見ちゃったんだよね」
 秋菜が毛嫌いしている女の悲劇。このエサで、秋菜が、何も興味を示さなければ、そこで話は終わりにし、計画も取り止めるつもりだった。
「ええっ……? なにそれ……?」
 ポーカーフェイスが崩れた。秋菜の顔には、驚きと共に、うっすらと興味の色も漂っているように見える。
 よし……! 香織は、思い切って、秋菜のそばへにじり寄った。これで友達同士の距離になった。
「あたしさ、学校から帰る前に、友達と煙草吸っていくことが多いのね。体育倉庫に、地下があって、いつもそこで、吸ってるんだけど……」
 煙草は、一度だけ友達から貰って吸ったことがあるが、ひどくむせて苦しい思いをしたため、それきり手を出していなかったが。
「えっ、意外……」
 秋菜は、一言、そう言った。悪いことなんて、しなそう、できなそうなのに、と言いたげだったので、香織は、わずかに気分を害される。ただ、今は、そんなことはどうでもいい。
「それで、昨日も、友達と二人で、体育倉庫の地下に降りて、吸おうとしたんだけど……、そうしたら、すごい怒鳴り声と、笑い声が聞こえてきたのね。で、なんだろうって見たら、あの、南さんがいてさ……、三人の子に、取り囲まれてたの。で……」
 香織は、意味ありげに言葉を切った。そこまで話して、緊張と不安は、ピークに達していた。
「で……、南さん、何されてたの……?」
 秋菜の瞳に、期待の光があるように見えるのは、気のせいだろうか。
「南さん、服……、脱がされてたんだよね……」
 香織は、声を落として言った。食いついてきてくれ……、と祈りながら。
 秋菜の目が、かすかに見開かれた。
「ええっ? 待って……。脱がされてたって、どこまで?」
 それが、クラスメイトを心配するような口調でないことだけは、確かだった。
 悪くない反応だ。
「全部。ブラも、パンツも、全部……」
 香織は、自分の胸、次に腰のあたりと、手で触れてみせた。
「うっそぉ……、それ、本当なのぉ? 嘘でしょう?」
 言外に、本当なら、面白いけど、という響きがあるような気がした。秋菜は、半信半疑の様子だった。
 話を信じさせるために、少々リスクを負う必要があった。
「ホントホント。じゃああとで、南さん本人に、確かめてみ? 昨日の放課後、体育倉庫の地下で、何をされたか」
 香織は、強気に言ってやった。涼子を避けている秋菜が、涼子本人に、いきなりそんなことを尋ねるような行動には、出ないだろう、という計算があったのだ。昨日の放課後、涼子が、体育倉庫の地下にいたという点は、事実であるが。
 秋菜は、戸惑うように口もとに手を当てた。香織が、冗談で言っているのではないことが、どうやら伝わったようだ。しかし、ショックを受けているふうではなかった。
「その、三人の子って、誰なの……? 吉永さん、知ってる人?」
 犯人の名が知りたいのは、当然だろう。
「みんな、商業科の子だったから、名前は知らなかったんだけど……」
 商業科の生徒は、三年間、A組かB組と決まっており、普通科の生徒と同じクラスになることはなかった。
「ひとりの子が、名前、あたしたちに『教えてくれて』、山本さんって子だった」
 聞いていた秋菜の顔に、強い違和感の表情が浮かんだ。
「ちょっとちょっと待って。吉永さんたちは、その、三人の子と、『普通に』喋ってたの?」
 秋菜は、親指の爪をかじりそうな仕草を見せている。涼子の服を脱がしてしまうような生徒たちと、涼子を尻目に、コミュニケーションを取っていたのかという意味だ。
「ああ、うんっ。その子たちが、あたしと友達の二人を見て、『こっちおいでよ』って言ったの。だから、そのとおりにして……、一緒に、『見物』してた」
 香織は、のんきな口調で言ったが、ここは、一つの山場だった。
 今、秋菜の頭の中では、その場面の、香織たちの位置関係が、修正されているだろう。秋菜は、思っていたはずだ。香織たちは、物陰からこっそり覗いていたか、あるいは、その陰惨な光景を目に焼きつけた後は、自分たちに害が及ばないよう、すぐに、そこから立ち去ったかしたのだろう、と。だが、あろうことか、香織とその友達は、加害者連中の輪に加わっていたという。それでは、香織たちのスタンスというものは、第三者というより、加害者寄りではないのか……。
「えええ……。一緒になって、南さんのそんな姿を、見物してたの? あっらーん」
 秋菜は、間の抜けた声を出した。どこか愉快そうに。
 香織は、大きな手応えをつかんだ。加害者たちにほとんど同化していたという、香織に対して、秋菜が、怒りもしなければ、不快感を示しもしなかったということ。それは重要なポイントだった。
「話の続きなんだけど……、南さん、その子たちに、弱味、握られてるんだよね。南さん、バレー部のキャプテンじゃん? なのに、学校の外で、何か問題を起こしちゃったらしくってさ、それが、どんなことなのかまでは、その子たちも、教えてくれなかったんだけど、でも、もしそれが、学校に知られると、バレー部自体が、大会に出られなくなるようなことみたいで……」
 秋菜は、しっかりと耳を傾けていて、うんうんと頷き、先を促す。
「だから、その子たちが、『あのこと、学校にチクるよ』って脅すと、南さん、『それだけはやめて』って、なんでも、言いなり状態なんだよね」
 弱味、脅迫……。この、卑劣極まりない加害者たちに対しても、秋菜は、別段、憤りを感じている様子はなかった。
 秋菜は、体育座りした膝に頬杖をつき、しんみりと言う。
「南さんが、何をやらかしたのか、知らないけど……、バレー部全体に迷惑が掛かるとなると、自分を犠牲にせざるをえないかもねえ。でもそれで、人前で、下着まで脱がされるなんて、惨めねえ……」
 かわいそう、ひどい、といった言葉ではなく、『惨め』と表現するのは、秋菜には、涼子を心配する気持ちが、かけらもないことの証拠だと思う。
「ほんっと。すっごい惨めだった。あの南さんが、裸にされてて、あそこだけ、両手で隠して立ってんだもん。恥ずかしいのか、体がぷるぷる震えてるのまで、わかったし……」
 香織の調子も、だんだんと熱を帯びてくる。
「やっだーん。その光景、想像すると、こっちまで恥ずかしくなってきちゃう……」
 秋菜は、しっとりとした声で言った。やだ、なんて言っているが、少しも嫌そうではなく、その口もとは、薄ら笑いに歪んでいるようにしか、見えないのだが。



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