バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
8



 ふと、秋菜の視線が、遠くに向かった。体育館のフロアを二分するネットの向こう、今、試合中のコートのほうだ。
 ボールを追いかけて走る生徒たちの中に、話題の涼子の姿もあった。涼子の専門はバレーだが、バスケットでも、その存在感は際立っている。ディフェンスで相手に張りつく姿など、まるで鬼神のようだ。
「はいっ!」
 涼子の声が響く。
 味方からパスを貰った涼子は、相手を蹴散らすような勢いでゴール下に攻め込み、レイアップでシュートを決めた。
 秋菜は、そんな涼子の様子を、奇異なものでも見るように眺めている。
 
 次のステップに進むための条件は、クリアしていた。その条件とは、被害者である涼子への同情も、話の中の加害者たちへの義憤も、秋菜が、感じていないこと。いくら嫌いな相手とはいえ、クラスメイトの女の子が、女として最大の屈辱を味わうような思いをさせられたのだ。正義感に燃え、その加害者たちが許せないと言い出しても、なんら不思議ではなかった。だが秋菜に、そんな気配は、さらさらない。
 秋菜に、次のエサをちらつかせる段階に入ったと、香織は判断した。
「あたしたち、その子たちと『仲良く』なっちゃってさ……。二日後、また、同じ場所に、南さんを呼び出すから……、あなたたちも、おいでよって、誘われたんだよね。昨日の二日後……、つまり、明日ね」
 秋菜は、何かを考えるように目をしばたたいた。
 スイッチを入れる時が来た。
「あたし、『面白かった』から、また、見に行こうかと思ってるんだよね。だって、南さん、あたしの顔見ると、同じクラスの子には、こんな姿、見られたくなかった、みたいに、泣きそうな顔になって、逃げだそうとしたんだよ。あれには、『笑っちゃって』さあ……。次、見に行く時には、ほかにも、『誰か誘って』」
 まるで悪魔の人格が表面に出てきたかのように、香織は、おどろおどろしい内容の言葉を吐き出していく。
 さすがの秋菜も、大きく息を吸い込んだような顔をしていた。だが、ほどなく、秋菜は、何か言いたそうに、そわそわとし始めた。毛嫌いしている女の悲劇。それに対する強い好奇心で、クールな仮面が、剥がれていきそうな印象を受ける。
 ほらっ。極上のエサのはずでしょう。言いたいことがあるなら、自分で、はっきりと言わないとダメだよ。香織は、横目でその様子を窺いながら、そんなふうに思っていた。
 言葉が出てこないのは、感情に思考が追いつかないためなのかもしれない。この、頭のいいはずの秋菜が。けど、無理もないか。仕方がない。
「あっ……。滝沢さんも、一緒に見に行く? 大丈夫だよ、その子たちの前だと、南さんなんか、全然怖くないから……」
 その言葉で、秋菜の顔に、ぱっと光が当たったかのようだった。
「わたしも、見に行きたい」
 秋菜の両手は、ガッツポーズ寸前のような状態だった。
 性格最悪。いくら嫌いだからって、南さんの、そんな姿まで見たがるなんてね……。香織は、心の中で毒づいた。むろん、それは賛辞の言葉に他ならなかった。ありがとう、性格の悪い滝沢さん。あなたなら、そう言ってくれると信じてた。
「じゃあ、もうちょっと詳しく話すから、場所、変えない? ここだと、話してる途中で、人が来そうだし……」
 香織は、そう言って腰を浮かせた。
 秋菜も、うん、そうしよう、と素直な子供よろしく付いてくる。ポニーテールの髪型のせいもあるのか、こうしていると、秋菜にも可愛げがある。
 
 体育の教師は、授業の初めと終わりしか顔を出さないようないい加減さだったので、体育館内なら、どこへ移動しようと問題はなかった。
 香織は、バレー部やバスケット部の部室の前を通り過ぎ、階段で二階に上がると、フロアを見下ろすギャラリーのそばで、足を止めた。秋菜も、うきうきとした様子で止まる。
 最後に、大仕事が残っていた。だが、ここまで来て失敗に終わるとは、正直思っていない。
「ごめん、滝沢さん。あたし……、嘘、ついてたんだ」
 香織は、そう切り出した。
 秋菜の顔色が変わった。これまでの話が、全部、嘘だったということ……? そんな静かな怒りが、腹の底から湧き上がってきているのだろう。秋菜の眉間に、しわが刻まれるのが見えた。
 すごい迫力だった。さすがは滝沢秋菜。このまま黙っていれば、胸ぐらをつかまれそうだった。でも大丈夫。あなたの期待を裏切るようなことは、しませんから。
「実は……、南さんを、取り囲んでた三人っていうのは、商業科の子なんかじゃなく、あたし自身と、あたしの友達なんだ……。つまり、あたしは、偶然、その場に来た野次馬なんかじゃなく、実行犯? みたいな」
 香織は、へへっと苦笑して見せ、上目遣いで秋菜の顔色を窺った。
「えっえへえ……? 吉永さんと、吉永さんの友達が、南さんの服、脱がしたりしてた、ってことなの……?」
 秋菜は、優しいお姉さんのように態度が崩れていた。
「そう。だから……、南さんの弱味握ってるのも、体育倉庫の地下に呼び出してるのも、全部、あたしたち……」
 さすがの秋菜も、度肝を抜かれたらしい。秋菜は、すがるように香織の腕にちょこんと触れた。
「なんでなんで……? 吉永さんは、なんで、南さんに、そんなことするようになったの……?」
 嘘をついていた理由より、話の細かい部分より、まず、それが知りたいらしい。
 だが、本当のことは、口が裂けても言えない。涼子への憧れの思いが強すぎて、ふとしたきっかけで、それが屈折し、歪んだ悪意に変わったなどとは。
「だって……、南さんって、もう、なんて言うか、やることなすこと、全部、吐き気がするほど、気持ち悪くない? ムカつくってレベルじゃないんだよね。だから、思いっきり痛めつけてやりたくなって。で、一度やったら、面白すぎて、やめられなくなっちゃってさ……」
 あたしたちは、同志なんだよ、滝沢さん。いや、あたしは、あなたの師に当たるのかな。
 秋菜は、偉人を見るような眼差しで、香織を見つめていた。
 
 香織は、真実をかいつまんで語り始めた。バレー部のマネージャーである明日香と、後輩のさゆりという、二人の仲間がいること。バレー部の合宿費を盗み、それを利用して涼子をハメたこと。涼子の全裸の写真をすでに撮っており、涼子は、きっと次も、言いなりになるしかないだろう、ということも。
 だが、この話をする相手として、秋菜を選んだ経緯や理由については、話をねつ造した。以前、涼子が、友達に、秋菜との関係が巧くいかないと、真剣に相談しているところを、偶然聞いてしまったということにした。本当のことを話したら、ドン引きされるに決まっている。どうしても涼子と秋菜の関係が知りたくて、二人のそばに張りついて監視していたなんて。
 香織が話し終えると、秋菜は、柄にもなく少し照れながら、自分からこう言った。
「ねえ、吉永さん。わたしも……、そのメンバーに交ぜてよ」
 
 天は、香織に味方してくれた。いや、味方したのは、天にいるものではなく、悪魔だったのかもしれないが。どちらでもいい。体育の授業が終わり、体育館を出て、雲のかかった空を見上げると、香織は、涙が出そうになった。それほどの悦びだったのだ。逆に、南涼子という人間は、どこまで運から見放されているのだろう……。同情しちゃうよ、南さん。
 滝沢秋菜獲得で味を占めた香織は、欲が出てきて、もう一人くらい、仲間に引き入れたいと思うようになった。涼子に対して、絶望という名の外壁を、もう一枚、築くように。
 誰が適任だろう……? それを考える時、涼子の視点に立つ、ということを忘れてはならない。涼子は、どんな子が目の前に立っていたら、嫌なのか、恐怖を感じるのか、そして、恥ずかしいのか。すぐには思いつかなかったので、明日香とさゆりに相談することに決めた。
 もう止まらない……。あたしは、おまえのことだけを考えて、高校生活を送ってるんだからね……。南涼子。



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