バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十六章
二年前
9



 そして……。
香織と秋菜の前で、涼子が、ラブレターを手渡して走り去る女子生徒のような雰囲気を漂わせながら、教室を出て行き、その後、静かな時が刻まれていた。
 秋菜の机の上には、『メッセージ』である保健の教科書が載せられている。そこに貼りつけてあるのは、涼子の全裸の体に、秋菜の顔という、アイコラ的組み合わせの写真だ。あたかも、秋菜が、ヘアヌードを晒しているかのような絵となっている。
 秋菜は、それをじっと見つめている。
 その時、秋菜の口から、ふふっ、というかすかな笑い声が漏れた。その笑いは、痙攣を起こしたように続き、たちまち品のない大笑いに変わった。秋菜は、腹を抱え、机に頬をこすり付けるようにして笑っている。
 香織は、思わず顔をしかめた。もし、涼子の耳に届いたら、どうするというのだ。
「吉永さん、見た……? あの、南さんの、顔。わたしが、この裸のこと、『これ、大人っぽくない?』って言ったとたん、真っ赤になってんの。ゆでだこみたいだった」
 秋菜は、興奮気味に言うと、気だるそうに体を起こした。
「南さん、よっぽど恥ずかしかったんだろうね……。ただ、滝沢さんが、打ち合わせと違うこと、いきなり言い出したからさ、あたし、アレって思っちゃったよ。まあ、結果的には、面白かったから、よかったけど」
 涼子には、こういうセリフを言わせるから、それに対して秋菜側は、こんなふうに返す……。秋菜とは、そんな感じで、事前に、話の大まかな流れについて、打ち合わせをしておいたのだ。涼子を突き刺した、秋菜のその発言は、完全にアドリブだった。
「だってさあ、ちょっとこれ……」
 秋菜は、苦笑いを浮かべながら、写真を指差す。一緒に見てよ、と誘っているらしい。
 香織は、座っていた椅子ごと、秋菜の隣へ移動する。
「わたし……、最初に見た時、ぎょっとしちゃったぁ。なによ、この、からだ」
 秋菜は、信じられないとでもいう口調で言った。
 もう、香織は見慣れた写真だが、秋菜は、涼子の全裸姿の写真を目にすること自体、これが初めてだったのだ。そして、目の前にあるのは、中でも、もっともどぎつい一枚だった。
 全裸で、囚人のように両手を頭の後ろで組んでいる、涼子の肉体。背景は、じめじめとした体育倉庫の地下だ。顔がくり抜かれているせいで、何か不吉なイメージを喚起し、顔がそこにあるより、よけいに陰惨な雰囲気が漂っている。
 その写真は、万人に見せるために本として出版される、アイドルのヘアヌードのような、一種の美しさを表現したものとは、根本的に別物だった。そこにあるのは、一人の女の、剥き出しの不潔さや、恥といったものだ。裸体のアクセントとなっている、逆三角状の黒い炎のような陰毛もそう。容赦のない写し方のため、よく見ると、腋の下の、ざらりとした剃り跡まで確認できてしまう。上腕や肩、太ももなどに顕著な、女子高生離れした筋肉美も、部活の練習後だったせいか、うっすらと汗ばんで見え、発汗量のすごさを物語っていて、汗臭さが容易に想像できるようだった。
 唯一、悪意ある撮影にもかかわらず、みずみずしい果実のような、形の整った乳房だけは、女性としての美しさを湛えているといえるのが、せめてもの救いかもしれない。
 秋菜が毛嫌いしている女の、正視に耐えないような無惨な姿。今、秋菜の目には、それが、どんなふうに映っているのだろうかと、香織は興味を覚える。

「なによ、この、まん毛は……。ここまで生えてると、この中に、昆虫の一匹か二匹、棲み着いてるんじゃないの……?」
 やはり秋菜も、まずそこを指摘し、涼子の下腹部を、指でぴんと弾いた。さすがの香織も、うなじの毛がちりちりするような比喩だった。
「写真より、実物のほうが、ずっとすごく見えるよ。南さんのそこ、初めて見た時は、あたしたち三人とも、馬鹿にする言葉すら、出てこなかったもん……」
 いずれ秋菜も、写真ではなく、実物のそれを確認する時が、来るだろう。
「それに、なに、この、筋肉は……? オリンピック選手でも、目指してるわけ? こんなのに襲いかかられたら、わたし、ひとったまりもないんですけど」
 涼子の血の滲むような鍛錬の賜物を、秋菜は、さげすむように言う。
「まあ、そのパワーは、あたしたちが、もう、完全に使えないようにしてあるから、心配することはないよ。反抗されてムカついたら、ビンタ張ってやったって、平気だから」
 香織と秋菜は、目を見合わせた。まったく、吉永さんは、悪い子なんだから……。 秋菜の涼しげな眼差しは、そんなふうに語っていた。
「ああーもう、この写真見てると、なんか、臭ってきそう……」
 秋菜は、鼻を押さえ、冗談めかして手を振った。
「滝沢さんに、そんなこと言われてたって、知ったら、南さん、ショックで、気、失うかもよ」
 香織は、くくくっと笑った。

「吉永さん。今頃、南さんが考えてることを、わたし、当ててあげるよ」
 秋菜は、なにやら、目を細めて口を半開きにし、切なそうな表情を作って、言い始めた。
「どうしよう、顔が真っ赤になっちゃったから、もしかしたら、あの裸が、わたしの体だって、滝沢さんにバレたかも……。恥ずかしい。怖い。明日っから、顔を合わせられない。こんなことなら、いっそ、滝沢さんも、わたしみたいに、服、脱がされちゃえばいいのに……。って」
 秋菜は、舌をちょろりと出しそうな表情をした。
「本当だよ。間違いないよ。わたしには、わかる。今頃、南さんは絶対、こう思ってるから」
 そう言われて、香織は、涼子の心理を想像してみた。たしかに、そんなふうに考えているかもしれないな、と思う。いや、きっとそうだ。涼子は、だんだん、自分本位、自分のことしか考えないような、人間として醜い部分が、目立ち始めてきている。
「あっ……、ありえる!」
 香織は、勢いよく同意した。そんな自分勝手な考え、許せない。まさに幻滅ものではないか。そして、そういうのは、面白くて仕方がない。
 秋菜は、身を乗り出し、人差し指を振って、饒舌に喋る。
「さっきもさ、あの……、南さんが、『もし、滝沢さんが、この写真の人みたいな目に遭わされたら、どうする?』って、わたしに言った時、あるでしょう?」
 香織が涼子に言わせた、最後のセリフのことだ。
「その質問に、わたしが、『人前で服を脱ぐなんて、そんな気持ち悪いこと、わたしは、まかり間違っても、しない』って、突き放すように答えたの。そうしたら、南さん……、なんか、ちょっと寂しそうな顔してんの」
 秋菜は、肌寒そうに両手をさすり、涼子への嫌悪感を示した。
 なるほど、と香織は思う。
「ああつまり、南さんは、滝沢さんのことを、『仲間』みたいに思ってたのに、なんだか、自分ひとりだけ、取り残されるような気がしたんだろうね。滝沢さんもハメられて、脱がされちゃえばいいのに、みたいな?」
 香織は、自分なりの分析を口にした。
 秋菜は、腋をくすぐられているかのように、全身で快感を表現した。
「そうそうそう……! 滝沢さんは、こんな目には遭わないのかな、もしかして、滝沢さんは、助かるのかな、仲間だと思ってたけど、なんだか、距離が離れていくように感じる……、っていうような、寂しそうな顔、見せてたから……。わたし、見てて、へどが出そうになった」
 秋菜は、吐き捨てるように言うと、無惨な涼子の写真が貼られた教科書を持ち上げ、そこに語りかける。
「残念、南さん……。こんな惨めな目に遭うのは、あんただけなの。わたしが、こんな恥ずかしい格好、するわけないでしょう? わたしは、あんたとは違うの。ひとりで頑張ってね。……今度、わたしも、その姿、見に行ってあげるから」
 ふふっと秋菜は笑う。二年前、秋菜が、芝田さんのスケッチブックにいたずら書きをしていた時、彼女の顔に浮かんでいた、あのサディスティックな薄笑い。今、香織は、なぜかそれを思い出していた。



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