バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十七章
部活の練習に関すること
3



 体育倉庫の地下。灰色のコンクリートに囲まれた、この陰鬱な空間から、涼子は監獄を連想する。それに、空気はじめじめとしていて、汗をかいたTシャツとスパッツが、肌に張りつく感じがして、気持ちが悪い。
 だが、陰湿で性根の腐りきった人間にとって、ここは、それなりに居心地がよいらしい。吉永香織と石野さゆりは、校舎にいる時より、むしろ活き活きとしているように見えた。

「ごめーん、南さん。練習中なのに、来てもらっちゃって……。でも、それだけ大事な話だったんだよね。南さんの、部活の練習に関することだから、さ」
 香織は、涼子が来たことが、嬉しくて堪らないような様子で喋る。
 部活の練習に関すること……? もしかすると、香織たちが盗んだ、バレー部の合宿費のことだろうか。だが今は、その前に、先ほどの滝沢秋菜の件で、香織に訊いておきたいことがある。あの時、涼子が、逃げるように教室を出た後も、香織は、秋菜と二人で、その場に残っていたのだ。秋菜は、涼子について、何か言っていたのではないか。
 涼子は、先手を打つ思いで口を開いた。
「あの、さっきの、滝沢さんのことなんだけど……。結局、どうなったの……?」
 ストレートに尋ねることはできず、探りを入れるような言い方になった。
 だが、香織の顔には、抑えられないような笑みが浮かんだ。
「ああ……。南さん、滝沢さんの前で、顔、真っ赤になってたでしょ? 滝沢さんに、写真に写ってる裸のこと、『大人っぽい』って言われたのが、そんなに恥ずかしかったの?」
 涼子は、凍りついた。赤面していたことは、やはり気づかれていたのだ。香織が気づいていたということは、おそらく秋菜も……。
 香織は、愉快そうに話す。
「南さんが、教室を出て行った後、滝沢さんも、言ってたよ。『南さんの顔、すごい赤くなってなかった? なんか、この写真のこと、自分のことみたいに恥ずかしがってたよね?』って。そんで、滝沢さん、疑わしそうに、じーっと、あの写真を見てたよ」
 それを聞いて、涼子は震かんした。
「あの滝沢さんの様子だと、南さんのことを疑ってる可能性が、大だね。写真に写ってる裸の女は、南さんじゃないかってね。そのことは、もう、覚悟しておいたほうがいいよ」
 やっぱり、疑われているのか……。恐怖と絶望で、目の前が暗くなる。
 明日っから、教室では、秋菜の疑惑の眼差しが、涼子を待ち受けているということ。『南さん、あの裸の写真は、あなたを写したものなんじゃないの……?』と。もはや、秋菜と、目を合わせることすら、怖ろしいと感じる。彼女の前では、いったい、どんなふうに振る舞えばいいというのか。これから先、自分は、そうして秋菜に怯えながら、高校生活を送っていくことに……。それを思うと、絶望感で、気が遠くなってくる。
 涼子は、思わず、両手で顔を覆ってしまった。
 後輩のさゆりが、そんな涼子の姿を見て、くっくっ、と笑った。
「うっわ、南先輩……。すんごい打ちのめされてる」
 香織は、追い打ちを掛けるように続けた。
「それと、気をつけたほうがいいよ……。滝沢さん、あの写真を剥がして捨てないで、保健の教科書、そのままバッグに入れてたから。もしかしたら、今日、家に帰って、あの写真を、徹底的に調べるつもりなのかもね。南さんであることを示す証拠が、どこかに写ってないかって」
 その光景が、脳裏に思い浮かぶ。
 秋菜の自室。秋菜は、机の上に、例の保健の教科書を広げ、そこに貼られた全裸の女の写真を、じっと睨んでいる。乳首も陰毛も隠されていない、その裸体を。これは、南涼子の体ではないのか、という疑念を抱きながら……。
 それ以上考えていると、この場で、髪を掻きむしってしまいそうだった。
「まあ……、その滝沢さんだって、もうすぐ、南さんの『仲間』になるんだけどね」
 香織は、そう言って、不気味な笑みを浮かべる。
 仲間……。涼子は、香織のつり上がり気味の目を、真っ直ぐに見下ろした。
「南さんが、滝沢さんに渡した、あの、『メッセージ』のとおりになるってことだよ」
 秋菜の保健の教科書に貼られた、全裸の涼子の写真。ただし、その写真の顔の部分は、秋菜の顔にすげ替えられていた。あたかも、秋菜が、ヘアヌードをさらしているかのように。そして、その上に書き殴られた、『滝沢 おまえも、こうなる!!』の文字。それが、秋菜への『メッセージ』だった。
 そう……。あの滝沢秋菜も、香織たちの標的となっているのだ。
 滝沢さんも、わたしと同じように……。
「でも……、南さんにとっては、そっちのほうが、ほっとするでしょ?」
 香織は、意味ありげに言った。
 心臓が、どきりと動いた気がした。
「どうゆうこと?」
 涼子は、眉をひそめて訊く。
「だからさ……、いっそのこと、南さんも滝沢さんも、二人一緒に、仲良く素っ裸になっちゃえば、もう、あの写真のことなんて、どうでもよくなるじゃん。なんたって、滝沢さんも、南さんの『仲間』なんだから。そっちのほうが、南さんにとっては、気が楽でしょう?」
 二人一緒に……。互いに同じ格好とはいえ、滝沢秋菜にも、体を見られる羽目になるのか……。その状況を想像し、涼子は、激しい生理的嫌悪感を覚えた。
 だが……。先ほど、逃げるように教室を出てから、この、よこしまな思いが、幾度、頭に浮かんだことだろう……。
 滝沢さんも、わたしのところまで、堕ちてきてくれたら……。
 そうなれば、もう、例の写真のことで、滝沢秋菜に怯えるようなことも、なくなるのだ。なにしろ、同じ立場同士なのだから。
 胸の内では、感情が、複雑に入り乱れる。
「そんな、やだ……。あの……、滝沢さんに、何かしようって考えるの、もう、やめなよ……。やっぱり、可哀相だよ」
 自分の声は、弱々しかった。本心から言っているのか、自分でもよくわからなかった。
「そんなこと、本当は、思ってないくせに」
 香織は、ぼそりと言った。
 涼子は、息を呑んだ。
「本当は……、滝沢さんも、裸にさせられて、恥ずかしい目に遭えばいいのにって、思ってるくせに」
 香織は、十五センチほど背の高い涼子のことを、斜めに見上げるようにしている。
 涼子は、ひどく落ち着かない気持ちになる。
「なっ……。そんな、滝沢さんの、不幸を願うようなことなんて……」
「南さんの、本音」
 香織は、涼子の口真似のような、低い声で言い始める。
「あの写真の裸、わたしだってこと、滝沢さんにバレてるかも……。こわい。滝沢さんのことが、こわい。いつまで、こうやって、滝沢さんに怯えないといけないの……? 早く、一日も早く、滝沢さんも、わたしの『仲間』になってくれればいいのにぃ」
「あっ。南先輩、絶対そう思ってますよ……。滝沢先輩のことも、安全なところから、引きずり下ろしたい、みたいに……」
 さゆりは、汚物を見るような目を、涼子に向ける。
「やだー。りょーちん、なんか、ドロドロしてるぅ。こわーい。悪魔みたーい」
 明日香が、大げさに顔をしかめて、悲しげな声で言う。
 自分の内心の、醜くて汚い部分を覗き込まれているような気がし、涼子は、狼狽した。
「いっ……、いい加減にしてよ……! そんな……、滝沢さんの不幸を願うようなこと、思ってるわけないでしょ!?」
 つい、語気が激しくなる。目の縁には、涙まで滲んできそうだった。
 すると香織は、口もとに手を当て、薄笑いを浮かべた。
「あっ。なんかムキになってるし……。やっぱり図星なんだ。滝沢さんも、早く、自分の『仲間』になってほしいって、思ってるんだ……。ずるいね、南さん。自分が楽になりたいからって、同じクラスの子の、不幸を願うなんて」
 屈辱と怒りで、全身が熱くなる。この女の顔を、張り倒さないで耐えている自分が、不思議にすら思えてくる。
「まっ……。南さんの期待に応えて、滝沢さんにも、しっかりと、恥ずかしい思いをさせなくっちゃね。滝沢さんをハメる計画は、完璧だから、大丈夫だよ。確実に、滝沢さんも、南さんの『仲間』になるからね」
 香織は、横目で涼子を見ながら言った。
 もう、相手にするのも馬鹿らしい、というふうに、涼子は、そっぽを向いた。
 だが、それにしても、香織の口ぶりには、どうも違和感を覚える。何か、涼子を騙すために、話を作っているような、そんな不自然さを感じるのだ。
 その時、ふと、涼子は思った。頭の片隅に、ずっと、薄ぼんやりと浮かんでいた疑問。本当に、香織たちは、滝沢秋菜を標的として狙っているのだろうか……。



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