バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十八章
醜い心
5



 フロアの隅に、避難する。
 思ったとおり、明日香が、涼子を追って来る。
 明日香は、涼子の前で、腹立たしげに腰に手を当てた。
「りょーちん、すぐにゲーム始める、約束でしょーう? なんで逃げてんのよっ」
 もはや、この悪魔には、どう懇願しても無駄なのかもしれない。
 だが、せめて……。
「明日香、本当にお願い……。ゲームは、……たっ、滝沢さんが、帰ってからにさせてっ。これだけは、お願いっ!」
 あの、滝沢秋菜にだけは、自分の変態みたいな姿を見られたくないという、焼けるような思い。
「だめだめっ。あたしさっき、滝沢さんにぃ、ゲームやるって、言っちゃったんだからっ」
にべもなく突っぱねられる。
「いやっ。わたし、滝沢さんの見てる前では、いやっ……」
 滝沢秋菜の目を、特別、意識してしまうということは、もう隠しようがなかった。
 明日香は、いかにも意地の悪そうな目つきになる。
「なに、りょーちん……。滝沢さんのこと、そんなに気にしちゃって。恥ずかしいとこ、滝沢さんに見られるのがぁ、そんなに嫌なのっ?」
 はい、と答えれば、自分の最大のウィークポイントは、滝沢秋菜であると、明日香に教えるようなものである。だが、それを否定すれば、だったら秋菜が見ていてもいいだろう、という話になるに違いない。
 涼子は、下唇を丸め込むようにして、こくりとうなずいた。
 すると、明日香の顔に、にたりとした笑みが浮かんだ。
「りょーちんの気持ちはぁ、よーくわかった。……でも、ダーメっ。すぐに、ゲーム始めることっ」
 腹の底が、痙攣するような感覚を覚える。
「ひどいよ、明日香……。わたしっ、滝沢さんまで見に来るなんて、聞いてないもん……」
 今、両手でTシャツを押さえていなかったら、明日香の体にすがりつくところだった。その動作の代わりに、涼子は頭を垂れ、明日香の肩に、額をもたせかけた。そうして、泣いているように、鼻をすすり上げる。この光景を、部員たちが目にしたら、変に思うだろうが、そんなことは構っていられなかった。
「諦めなさい、りょーちん」
 耳もとで、冷酷に言われる。
「いやぁ……」
 明日香の華奢な肩に、額をこすりつけるようにする。ジャージの生地越しに、彼女の体温を、かすかに感じる。この女にだって、人間の血が通っているはずなのに……。
「……今から十秒以内に、ゲーム始めないとぉ、あたし、香織に、言い付けるよ。りょーちんが、約束、守らなかったって。香織を怒らせたらぁ、りょーちん、やばいんじゃないのぉ? 滝沢さんにぃ、ストーカーしてるってことが、バレてさぁ……」
 悪魔……。人間じゃない……。
 涼子は、おもむろに宙を仰いだ。体育館の天井に備え付けられたライトの光を、まともに目に浴びる。
 まぶたを閉じた。
 何も考えられなかった。わからない。数分後、自分が、どうなっているかも……。
 
 目を開け、ふらふらと、部員たちのほうに少し歩いた。すうっと息を吸い込み、声を張り上げる。
「しゅーごーう!」
 普段より頼りない声だったが、バレー部のフロアには、充分に響き渡った。
 それを聞いた部員たちが、どっと涼子の前に集まってくる。
 バレー部のフロアから、喧噪が消える。
 三十人を超える部員たち。彼女たちの顔を見れば、明らかだった。今、ほとんどの部員の目線が、涼子の腰より下に向けられている。本来なら、スパッツに覆われているはずの部分、なぜか肌の露出している太ももに。
「ちょっと、りょーこー。なんで、下、何もはいてないわけ?」
 副キャプテンの高塚朋美が、詰問するような口調で問うてきた。
「えっ、はいてるよ……。ブルマ……」
 部員全員の前でそう答え、涼子は、ぼっと頬が紅潮するのを感じた。
「ブルマぁ? ……って、なんであんた、ブルマなんて、はいてんの?」
 朋美は、まるで、それが不愉快なものであるかのように言う。
「ああ……。動きやすいんじゃないかと、思ってさ……」
 涼子は、意味もなく、両脚の太ももをこすり合わせるような動作を行っていた。
 だが、朋美はなおも、合点のいかない様子を見せている。
 それ以上、追求されたくなくて、涼子は、ゲームの指示に入った。
「今から、三年対二年で、ゲーム始めるから。三年のスタメンは、わたし、朋美、咲子、さくら、まりまり、美紀、絵理子。で、二年は……」
 二年生の部員の名前を挙げていく。喋りながらも、部員たちから、不可解な目で見られているのが、嫌というほどわかる。彼女たちは、思っているのだ。ブルマをはいているなら、それはそれでいいが、なぜ、恥ずかしそうに、Tシャツのすそを引っ張って、隠しているのだろう、と。
 涼子は、不安に押し潰されそうだった。
 今、Tシャツで隠れている、陰毛のはみ出た下腹部。この部分を、外にさらした時、みんなは、どんな反応を示すだろうか……。副キャプテンの高塚朋美などは、かんかんに怒りだすかもしれない。ここのところ、朋美は、涼子に対して不信感を抱き始めている。涼子が、以前とは別人のように、キャプテンらしからぬ、集中力の欠けたプレーを繰り返しているからだ。むろん、涼子の不調の原因は、あの吉永香織たちとのことにある。だが、朋美にも、ほかの誰にも、その事情は、打ち明けられない。そういえば、先ほども、練習に身が入っていないことを、朋美から叱責されたばかりだった。そんな朋美が、涼子の、正気とは思えないような姿を、目にしたら……。
 涼子は、完全に上の空の状態で、口を動かしていた。
「……で、先に、二セット先制したほうの勝ち。一年生は、いつものように、三年を応援する側と、二年を応援する側に分かれて、声出しね」
「はいっ!」
 一年生たちが、しゃきっと返事する。
「じゃあ……、ゲームの、準備」
 涼子の言葉に、部員たちが、小走りに散らばっていく。



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