バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十八章
醜い心
6



 いよいよだった。
 覚悟なんて、決まるわけがない。『その時』を、自分は、どう迎えたらいいのか……。
 涼子は、フロアの出入り口に、忌々しい思いで目をやった。そこには、涼子を目当てとした、制服姿の後輩たち、それに、今日に限って、あの滝沢秋菜が、陣取っている。彼女たちのちょうど正面、視線の直線に沿うように、バレーのネットが張られている。彼女たちから、ネットの片側の端まで、三、四メートルほどだろうか。要するに、ゲーム中は、ネットの前で飛んだり跳ねたりする涼子の姿を、秋菜たちが、真横から、それもかなりの近距離で、見ているということ。
 その状況の怖ろしさに、涼子は、改めて戦慄する。
 滝沢さん……。なんで、こんな時に……。
 おかしい。そう。今から思えば、先ほどの秋菜の態度は、おかしかった。そもそも、なぜ、あの、他人には興味のなさそうな秋菜が、もう少しバレー部の練習を見ていくなどと、急に言いだしたのか。何か、特別な意図でもあったのではないか……?
 そんなふうに考えていくと、ふと、香織の言葉が、耳の奥によみがえった。先ほど、体育倉庫の地下で、聞かされた言葉。
『それと、気をつけたほうがいいよ……。滝沢さん、あの写真を剥がして捨てないで、保健の教科書、そのままバッグに入れてたから。もしかしたら、今日、家に帰って、あの写真を、徹底的に調べるつもりなのかもね。南さんであることを示す証拠が、どこかに写ってないかって』
 少し、思いを巡らす。
 その直後、涼子は、ぞくりとした。
 地底から何かが這い出てくるかのように、どす黒い疑念が、頭をもたげる。
 まさか、滝沢さん……、わたしの、『体』を、見に来たんじゃ……。
 あり得ない話ではない。今、その可能性について、真剣に考えなくてはならない。
 秋菜の真意を、想像する。
 彼女の保健の教科書に貼られた、涼子の全裸に、秋菜の顔という、アイコラみたいな組み合わせの写真。秋菜は、涼子の赤面した顔や狼狽ぶりから、写真に写っている裸の女は、南涼子ではないかと、ほとんど確信に近い疑いを持った。そして、今日のうちに、それを、はっきりさせないと、落ち着かないと思い、涼子のいる体育館へやって来た。
 つまり、涼子の、『身体的特徴』を、確かめるために……。
 体つきでは、判断できないだろう。もしかすると、脚のアザとか、大きなほくろとか、そんなものが、あの写真に写っているのかもしれない。そういったもので、涼子の体と、写真の裸とを、秋菜は、『照合』しようとしてるのでは……。
 だんだん、それが、真相だという気がしてくる。悪いほうに悪いほうに、思考が流れすぎているだけだろうか? いや、そうは思えない。
 秋菜は言っていた。保健の教科書を届けてもらった時に、嫌な態度を取ってしまったことを、涼子に謝っておきたくなったために、帰り道を引き返して学校に戻り、ここへやって来た、と……。まず、その話が、実にうさん臭いではないか。秋菜が、何か裏の意図を隠し持っているのは、間違いないのだ。そして、裏の意図があるとしたら、事の流れからして、例の写真に関することに、決まっている。それに、どう考えても、先ほどの秋菜の態度は、明らかにおかしかった。あの時の、涼子と明日香の、ただならぬやり取り。それを目にすれば、秋菜が練習を見に来るのを、涼子が、嫌がっていることくらい、すぐにわかるはずなのだ。あの頭のいい秋菜に、それが、わからないわけがない。なのに秋菜は、そこで帰ることはしなかった。なぜか。何がなんでも、今日のうちに、あの写真の裸の女が、南涼子であるのかないのかを、はっきりさせたかったからだろう。
 涼子は、確信した。滝沢さんは、わたしのことを、わたしの体を、見てるんだ……。ひどい……!
 どう猛なまでの怒りが、フロアの出入り口のところで、涼しげに佇んでいる秋菜へと向かう。
 そんなに、わたしのことを疑ってるわけ……!? なにも、そこまでしなくったって、いいでしょう……!?
 怒りをぶつけるべきは、自分をこんな状況に追い込んだ、あの吉永香織たちである。しかし、筋違いとわかっていても、秋菜に対する怒りを抑えられない。
 
 待てよ。
 もう少し、考えさせられる。
 今、秋菜は、涼子の体と、あの写真の裸とを、『照合』しようとしている。それは、もはや確実なことだろう。今一度、あの写真の光景を思い浮かべる。写っているのは、全裸の女が、降伏するように、両手を頭の後ろで組んで立っている姿だ。顔の部分は、くり抜かれている。
 そこで思う。あの裸の体の中で、もっとも特徴的な、注意を引くものは、何か。伸びやかな手脚か。筋肉質であるということか。はたまた、それなりに大きな乳房だろうか……。いや、どれも違う。あまり認めたくないことだが、それは……、下腹部から太ももの付け根にかけて、逆三角状に黒々とはびこった、発毛範囲の広い、陰毛……。写真で見ると、自分でも、ぎょっとするほどに。
 問題なのは、その先だ。
 写真と『照合』するために、涼子の姿を観察している秋菜にとっては、『好都合な』ことがある。それは同時に、涼子にとってみれば、どこまでも不運なことだった。今の涼子は……、服を着ていながらも、写真の裸に写っている、もっとも特徴的なものを、外にさらけ出しているのだ。
 ブルマから、もさもさとはみ出た、陰毛……。
 この薄着の格好で、極寒の大地に放り出されたかのように、凄まじい寒気に襲われる。
 秋菜は、現時点でも、写真の裸は、きっと南涼子だろうと、限りなく確信に近い疑いを持っているはずだ。そんな彼女が、涼子の、その下腹部を、目にしたとしたら……。濃くて発毛範囲の広い、陰毛。まさに、その一点が、駄目押しとなって、彼女の中で、涼子の体と写真の裸の二つが、完全に重なり合うのではないか。つまり、涼子に対する疑惑は、確信に変わるのだ。そうなった時、彼女の胸の内には、涼子への冷たく激しい怒りが……。
「……へっ、へえうぅ」
 恐怖のあまり、涼子は、泣き声を漏らしていた。
 そんなことって……、そんなことって……。
 自分の運の悪さは、底無しだと思う。なんだか、自分の人生は、あの香織たちに目を付けられたのと同時に、呪われてしまったのではないか、という気すらしてくる。あるいは、香織たちの行動も含めて、この一連の出来事には、何か裏で糸を引いている者でもいたりして……。そんな思いも、一瞬、頭の片隅をよぎった。
 けれども、とそこで考え直す。こんな小さなブルマをはいていたら、陰毛がはみ出すのは、当たり前ではないか……。何も、自分だから、というわけではないような。
 涼子は、その部分を、もう一度確かめるために、壁ぎわの、部員たちが周囲にいない場所へと、歩いていった。もはや、涼子の頭の中のほとんどは、滝沢秋菜に対する恐怖で占められていた。
 
 バレー部のフロアでは、部員たちが、すでにゲームの準備を終え、それぞれの配置につくところだった。スターティングメンバーの二、三年生が、水分補給をしたり、体の曲げ伸ばしをしたりしている。
『その時』は、すぐそこまで来ている。どうあっても、逃れられない。
 涼子は、壁にぶつかりそうなところで、立ち止まった。
 横から、誰にも下腹部を見られないか確認した後、これまで、ひたすら下に引っ張っていたTシャツの前すそを、そろそろとめくり上げる。
 目に映るのは、身の毛のよだつほど悲惨で汚らしい下腹部。ブルマの布地は、馬鹿みたいに面積が小さいうえ、フロントの部分が、三角に、鋭い角度で切れ上がっている。が……、どうだろう。いくらブルマが小さいとはいえ、それでも、グラビアモデルの着けるビキニくらいの面積は、あるようにも見えてくる。
 涼子は、徐々に思い始めた。『普通』ならば、このブルマにも、陰毛は収まるのではないか……。むろん、人の裸を、じっくり観察したことなどないので、女の子の陰毛の、『平均的な』生え具合など知るよしもない。だが、自分以外、たとえば、バレー部の三年生の仲間たちが、パンツをはかずにこのブルマを着けても(そんなことは、絶対にしないだろうが)、毛穴の位置からして、外に出ているなんていう状態には、誰もならないような気がする。
 自分だから、自分の、濃くて発毛範囲の広い陰毛だから、こうして、ブルマの両脇から、もさもさと汚らしくはみ出るのでは……。そんなふうに思えてならない。というより、自分の陰毛のおびただしさが、面積の小さいブルマによって、強調されているような印象も受ける。
 秋菜が、これを、目にしたとしたら……。間違いない。彼女の中で、涼子に対する疑惑は、激しい怒りと共に、確信に変わる。
 血が凍ってしまったかのように、全身が冷たい。目の前の壁が、何色なのか判別できないほど、視界が暗くなっている。
 涼子は、本物の恐怖と絶望を知った。
 救いの光は、どこにも見えない。明日から、滝沢秋菜のいる教室には、とてもじゃないが入れなくなる。高校生活は、もう続けられない。自分の人生は、どうなってしまうのだろう……?
 その時、心の中から声が聞こえてきた。それは、今まで生きてきた中で、もっとも醜い、自分の心の声だった。
 吉永、竹内、石野の三人は、何をやってんのよ……! 次の標的は、滝沢さんなんでしょう……!? だったら、わたしにこんな嫌がらせしてないで、とっとと、滝沢さんをハメたらいいじゃない……! わたしなんかより、あの、いつも澄ましたような滝沢さんのほうが、よっぽど、いじめがいがあるじゃん……! はやく、滝沢さんのことも、わたしのところまで、堕として……。
 涼子は、はっとした。
 愕然とする。今、クラスメイトの不幸を、本気で願っている自分がいたのだ。薄々感じていたことだが、香織たちからの仕打ちによって、恐怖や恥辱ばかり、味わわされるようになってからというもの、自分の心は、醜く歪み始めている気がする。悲しいことだった。情けなくもある。けれども、こんな状況で、心だけは清く保っていられる少年少女など、世の中にいるのだろうか……。
 それにしても、自分の体のコンプレックスである部分を見られることで、自分に対する疑惑に、確信を与えてしまうなんて、人間として、まっとうに知性を持つ者として、これほど惨めな話はなかった。



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