バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
4



 体育館の目の前まで来た時だった。
 猛獣か何かが、断末魔の咆哮を上げたかのような音が、館内からとどろいてきたのだ。
「サァッーブウウゥゥゥッ! ミナァーミリョウコニッ、コイオイウオォォォォォォー!」
 突然のことに、ぎょっとした。それまで絶え間なく聞こえていたかけ声の数々とは、けた違いの大音声だった。
 前を歩いていた後輩も、驚きに足を止めている。
 少女の声帯から発せられた音とは、とても思えなかった。が……、間違いない。南涼子の絶叫以外に、何が考えられるというのだろう。
 確かなことがある。現在、バレー部の練習場において、涼子は、すでに狂気に近い精神状態に追い込まれている。それは、すなわち……、筋書きどおりに事が運んでいるということ。さすがは明日香だと、改めて感心する。今頃、現場では、さぞかし悪魔的に立ち回っているに違いない。とはいえ、今の涼子の声は、いくらなんでも破滅的すぎるとも思う。明日香に『声出し』を強要されてのことだろうか。だとしたら、少々やりすぎのような気がしないでもないが……。
 
 さゆりが、こちらを向いて、ひひっと笑う。
「なんか……、南せんぱい、もうだいぶ、イッちゃってません?」
「もしかしたら、なかで、大惨事になってたりして……」
 香織たちは、足早に体育館の玄関を入った。革靴を脱ぎ、持ってきた上履きに履き替える。通路を進み、突き当たりの階段を上がっていく。香織たちの観覧席は、二階のギャラリーにすると、あらかじめ決めておいたのだ。
 どきどきと、胸の鼓動が高まる。涼子の恥辱の舞台を、一刻も早く、この目で確かめなくてはと、期待に気持ちがはやっている。だが反面、それを実際に目にするのが怖いような、そんな境地でもあった。思えば、涼子の下腹部は、決して人の目に触れさせてはならないような有様だったこと。それに、たった今、聞こえてきた、どう考えても尋常ではない涼子の絶叫。ひょっとすると、バレー部の練習場では、すでに、生徒間では収拾のつかない大問題にまで、事態が発展しているのではないか、という懸念も、頭の片隅に浮かんでいたのだ。
 
 香織たちは、二階のギャラリーに到着した。
 バレー部の練習場を見渡すのに適した位置に、移動する。と、そこには、制服姿の後輩が、五人、固まって立っていた。おそらく、と見当がつく。十中八九、憧れのバレー部キャプテン、南涼子を目当てに集まっている後輩たちだ。連日のことだから、すぐにわかる。
 その後輩グループの横で、香織とさゆりは、舞台を見物することにした。
 
 現在、バレー部では、その練習スペースの大半を占めるバレーコートを使って、ゲームが行われていた。三年生対二年生の対戦なのだと、明日香から聞いている。香織たちの位置からだと、そのコートを縦に見下ろす形となる。コートの左手の壁に、ゲームに出ない部員たちが、ずらりと並んでいる。ゲームは、サーブからのプレー再開を待っているところだった。こちらから見て、バレーネットの手前側、つまり背中を向けて立っている六人が、三年生の選手だ。顔を確認せずとも、一目瞭然である。なにしろ、そのなかに、ひとり、異質な格好をした生徒が混じっているのだから。本来、黒のスパッツに覆われているはずの、膝上から腰にかけて、その大部分の肌を、あられもなく露出させている。スパッツの代替物となっているものは、ほんの申し訳程度の面積しかない紺色の布地だった。それが、おしりの中央部と股間という、最小限の部位だけを隠すように、肌に張りついている。ド迫力のヒップであることも災いして、そこは、見るも無惨な有様となっていた。紺色の布地の外側に、わしづかみして有り余るほどあふれ出した肉塊。その、下半身の極限まで露わになった後ろ姿の生徒をよそに、周囲の部員たちは、みな、普段どおりの練習着姿をしているというコントラストは、現実のものとは思えないような残酷さだった。
 香織は、その光景を目にし、一瞬、くらっときた。
 あー、やばい……。やっちゃったかも、という気分だった。
「うっわ、きっつ……」
 隣のさゆりも、そう口にする。
 
 二年生チームのサーブを打つ選手が、もう位置についている。
 ひとり、場違いな格好で異様に浮き立った、その生徒、キャプテンの南涼子は、前衛の中央のポジションに立っていた。サーブに備え、涼子が、後ろに腰を突き出すようにして構える。その姿の見苦しさといったら、直視していると、こちらが恥ずかしくなってくるほどである。後衛の選手たち、とくに、涼子の真後ろの選手は、今頃、目のやり場に困る思いをしているのではないかと想像する。涼子の構えが、いささか不自然に見えるのは、この位置からだとわかりにくいが、両手で引っ張ったTシャツの前すそを、股間に押しつけるようにして、その部分を隠しているせいだろう。しかし、そんな恥じらいの体勢も、あと何秒かという短い時間で崩れるはずだ。
 
 香織たちの横にいる後輩グループの間から、刺々しい声が聞こえてくる。
「なんで……? そもそも、意味がわかんなくないっ? なんで、南せんぱいだけ、水着なんかで、練習に出てるわけ?」
「さあ……?」
 水着、と見えるのも無理はないかもしれない。
「あーっ、なんか……、あんな人にずっと憧れてたとか、うちらみんな、馬鹿みたいだよね」
「ほんとほんと」
 後輩たちを、そこまで失望させるに至った、最大の要因は……。
 もうすぐ、その瞬間を目撃することになるのかと、香織は、心の準備を整えるような気持ちになっていた。
 二年生チームを応援する一年生部員たちが、気負い立って声を張り上げる。
「ナイッサァー、イッポン! 入れてけっ! 入れてけっ! ナイッサァー、イッポンッ!」
 その、どこか必要以上に攻撃性のこもった響きは、まるで、バレー部の異分子となっている南涼子の、葬送曲みたいに聞こえてならなかった。
 
 ボールが、三年生側のコートに飛んできた。
 それに反応して、涼子の体が、こちらに向いた。羞恥の血色に染まった頬。同時に、それまでの恥じらいの体勢が嘘のように大胆に、両の腕が宙に上がった。注目の下腹部は、先ほど、体育倉庫の地下で確認した時と、寸分たがわぬ状態だった。しかしながら、衆人環視の状況にあるバレーコート上でさらけ出された陰毛は、まったくの別物に見えた。その想像を超えた穢らわしさに、香織は、頭の中で何かが弾けたように言葉を失った。
「ぎゃぁぁぁーっ」と、さゆりが愉快げにダミ声を出した。
 香織たちの横の後輩グループが、一層うるさくなる。
「もうっ、勘弁してって感じなんだけど!」
「なに、あの、ちっちゃい水着は!? 馬鹿じゃないの?」
「きったなーい。あそこの毛、あんなにはみ出しちゃってんのに、お構いなしにプレー続けるなんて、どーいう神経してんだろ?」
「だめだ……。どう見ても、露出趣味のある人としか思えない」
「実際、そういう性癖を持ってるんでしょっ。でなきゃ、あんな格好してることの、説明がつかないもん」
「やっぱりそうだよね……? 学校の体育館で、露出プレイするなんて、南せんぱい、キモすぎ」
「うん。キャプテン失格とか以前に、人として終わってる」
 憧憬の人に裏切られたという思いが、彼女たちの怒りの源泉になっているのだろう。
 急激な現実の移り変わりだった。香織たちとは、なんら関係を持たない後輩たちまでもが、涼子のことを、くそみそにこき下ろすようになったのだ。そのことが、にわかに信じられないというか、どうも現実に意識がついて来ない感じがする。
 
 コート上では、ラインの外にボールが出たところだった。三年生側に点が入ったらしい。コート内の三年生たちが、自陣の中央に寄り集まってハイタッチを交わす。だが、涼子だけは、その輪に加わっておらず、ネット前の自分のポジションで、こちらに背を向けて直立していた。あごを苦しげに上向けている様からすると、その視線は、虚空の一点に向けられているようだった。誰とも目を合わそうとしない姿勢である。正面にも背後にも、左右にも、つまり平面上のあらゆる方向に、自分の姿を白眼視する眼差しがあることを、ひりひりと肌で感じ取っているからだろう。針のむしろとは、このことだと香織は思った。そして、ふたたび涼子の両手は、不自然にも、股間の辺りへと突っ張ったように下ろされているのだった。Tシャツの前すそは今、生地が伸びてしまうほど下に引っ張られているに違いない。せめて手が使える間だけでも、自分の体の汚いものを、ほかの生徒たちの目に触れさせたくない、という涼子の情念が、その後ろ姿から、嫌というほど伝わってくる。
 その時、香織は、ぼんやりと思い出していた。一見、野性的ともいえる外見とは裏腹に、その胸の中には、誰よりもナイーブな乙女心が詰まっている……。普段の涼子に対して、常々抱いていた、そんな印象を。
 よく見ると、遠目にも、涼子の体の震えが確認できる。あまりの恥辱に、膝がわなないているのか。それとも、すでに精神に異常を来し始めていて、発作的な全身のけいれんでも起こっている状態なのか。とにかく、涼子が震えていることだけは間違いない。なぜなら、人間の体のなかで、それがとくに顕著に現れる部分、むき出しのおしりの肉の表面が、脚を止めているにもかかわらず、ぶるぶると揺れ続けているのだから。今の涼子は、女の子として、いや人間として、最低限の誇りさえ奪われたような存在に成り果てていた。
 
 香織は、思い描いていた青写真を超えた、地獄絵図を見せられている気分だった。というより、自分のせいで、眼下に、こんな凄惨な光景が展開されていると思うと、どうしても恐怖を禁じ得ないのだ。やはり自分は、気が小さいと感じ入る。調子に乗って悪事を働いて、いざ大事になると、後悔や不安に駆られてしまう。そういう経験が、これまでの人生で、幾度あっただろうか。
 だが、不思議なことに今は、怖ろしさとは真逆の感情も、腹の底が引きつれを起こすようにして湧き上がってきていた。もう、どうにでもなってしまえ……。そんな、やけ気味なおかしさ。
 眼下の涼子の様子を観察すると、今や、失神する一歩手前といったところではないかと推測される。
 自分は、ともすると、涼子のことを、精神的にも肉体的にも常人離れした存在のように思いがちだ。しかし、忘れるべきではないだろう。しょせん涼子は、香織と同じ、高校三年生の女の子なのだ。それを考えれば、今もなお、コート上で踏ん張り続けていること自体、驚異的であり、賞賛に値するといえるかもしれない。その状態が、あと、どのくらい続くか……。ゲームの終了まで、涼子が、自分の脚で立っていられるかどうかは、五分五分だという気がした。もしも、途中で、涼子の肉体が崩れ落ち、倒れ伏したまま起き上がらなくなったとしたら、その後は、どうなるだろう。バレー部の部員たちの間で、先生を呼ぶべき、との声が上がるまでに、時間はかからないはずだ。駆けつけてきた教師たちは、現場を見て、どんなことを思うか。バレー部のキャプテンが、コート内で倒れている。高校の体育館という場には、およそふさわしくない格好で。そこに、事件性を感じるな、というほうが無理な話である。であれば、その後、息を吹き返した涼子に対して、大人たちによる、徹底的な聞き取り調査が行われるのは明白だ。そうなったら、涼子は、望むと望まないとにかかわらず、何もかもを、吐露することに……。
 しかし、どうすればいいのか。その最悪の事態を回避するために、今から何らかの手を打とうとしても、完全に手遅れである。この先のことは、成り行きに任せるしかない。要するに、やってしまったことは仕方がないのだ。それだったら……、今を、この状況を、たのしまなくては損ではないのか。そうだ。だんだん、『前向きな』考えができるようになってきた。
 どうなったっていい……。いっそ、ど派手にぶっ倒れちまえ、南涼子……。
 香織は、そんな開き直った気持ちで、涼子の一挙手一投足に注目した。
 
 サーブからプレーが再開されると、涼子は、人間の尊厳というものをかなぐり捨て、ボールを追い始める。その赤面した顔が、なんとも凶暴な表情に歪んでいることに気づいた。まるで、仁王様が乗り移ったかのような顔貌である。凄絶なのは、それだけではない。脚を止めている間は、倒れる寸前のような雰囲気を漂わせていたというのに、今、その肉体は、猛然たる躍動を見せているのだ。全身全霊でプレーに当たっている……。少なくとも香織の目には、そう映る。二年生チームに一セットでも取られたら、明日の練習も、そのブルマの格好で行わせると、明日香から脅されたせいに違いない。つまり涼子にとっては、生き地獄の恥辱に耐える時間であると同時に、絶対に負けられない戦いの真っただなかということになる。……笑える。すさまじく滑稽な話ではないか。
 
 それにしても、遠目からだと、涼子の着用しているブルマの小ささが、一段と際立って見え、さすがの香織も、それを選んだ自分の判断ミスを認めないわけにはいかなかった。時々、Tシャツのすその下に覗く、ブルマのサイドの部分など、ほとんどヒモも同然に見える。運動用の衣類ですらない、コスプレ用の、しかも、いやらしさを限界まで追求して作られたかのようなアイテム。腰回りには、そんな下品な代物しか身に着けず、そこに収まりきらない陰毛をさらしているのだから、今の涼子の姿は、誰の目にも痴態として映るだろう。それも、陰毛は、もっさりとはみ出しているのだ。硬そうな毛質が、手に取るように伝わってくるほどに。近くで見たら、縮れ毛の一部に、流れ出した汗がしたたっている様子まで、視認できてしまうかもしれない。今この瞬間にも、不特定多数の生徒の視線が、そんな涼子の下腹部に一点集中している……。そのことを考えると、涼子と同じ女として、心胆の寒くなる思いで、香織はなぜか、自分自身の体毛まで、ちりちりと逆立っていくような感覚を覚えた。それに、見る者に与える精神的衝撃の度合いは、おしりの側もいい勝負である。涼子が飛んだり跳ねたりするたびに、二つの爆弾のようなむき出しの肉塊が、ぶるんぶるんと荒々しく波打つ様は、有害そのものという卑猥感を放っていた。
 
 惨劇……。まさに、その言葉がふさわしい。今の涼子は、ただただ、恥辱という種類の苦痛を感じるためだけに、呼吸を繰り返す生命体のようだった。いや、もはや涼子の肉体それ自体が、恥の肉塊ともいうべきものに化しているという印象すら抱く。
 笑える。おかしくてならない。なんていう無様な姿だろう。南さん……、あんた、本当にあの南さん? もう、別人みたい。というか、人間ですらなくなっちゃったみたいに見えるんだけど。



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