バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
5



 コートからボールが出る。
 涼子は、すぐさま、Tシャツの前すそを両手で下に引っ張る。涙ぐましくも、まだ、女の子であることをやめたくないらしい。
 その時、左手の壁に並んだバレー部員たちの、一番向こうの端から、素っ頓狂な声が発せられた。
「りょーちん! どうしたっ、またぁ、声が止まってるぞっ! 気合い入れろっ!」
 ひとりだけ紺色のジャージを着込んだマネージャー、我らの竹内明日香である。
 どこまで怖いもの知らずなのかと、香織も、半ば呆れさせられる。
 非情な追い打ちをかけられた、涼子のほうは……。
「あーっ、ちょっと待ってーっ」
 なにやら、抗議めいた返事をすると、コートの左手へと向かった。ゲームを見学する部員たちの前で足を止めると、いきり立った様子で言葉を投げかける。
「ねえっ、三年側(三年生を応援する側)の一年生、ぜんっぜん声出ししてないよね!? さっきも注意したのに、どーいうこと!?」
 みな、無言だった。
 涼子は、大声で怒鳴りつける。
「三年側の一年生っ! スクワットひゃっかいっ!」
 そうして身をひるがえし、どたどたと自分のコートポジションに戻っていく。
 ほとんど一年生部員への八つ当たりである。涼子が、そのような醜い行動に走ったということに、香織は、愉快さと失望の念の入り交じった、微妙な気持ちにさせられた。なーんだ。南さんも、やっぱり、ただの人なんだね……。
 涼子に命じられた一年生部員たちは、ためらうように互いに視線を交わし合っていたが、やがて、いかにもやる気なさそうにスクワットを始めた。
 香織たちの横の後輩グループが、憤りを示す。
「はー!? ありえないしっ!」
「一年生、かわいそーっ。目の前に、あんな格好でプレーする人がいたら、気持ち悪くなっちゃって、いつもどおりの声出しなんて、できるはずないじゃんねえ?」
「ねーっ」
「ああいうのを、パワハラって言うんだろうね」
「もう無理……。あたし、南せんぱいの何から何まで、生理的に受けつけなくなってきた」
 聞いていて、痛快である。
 
 香織は、バレーネットの真横、フロアの出入り口に目をやった。そこにも、制服姿の後輩たちが固まっているのが見える。寒さに身を寄せ合うような彼女たちの風情からするに、会話の内容は、香織たちの横の後輩グループと大同小異だろう。むろん、二階とは違って、そばにいるバレー部員たちに聞こえないよう、声をひそめているはずだが。そして、フロアの出入り口には、もう一人、生徒が立っていた。ほかでもない、滝沢秋菜である。
 いささか戸惑いを覚えるほど、何もかも筋書きどおりに現実化している。
 
 今から、一時間半くらい前だろうか。秋菜の保健の教科書を用いて作成した、『メッセージ』。涼子の手で、それを秋菜に渡すイベントが、終わった後のことである。香織と秋菜は、段取りを話し合った。まず、香織たちが、体育館にいる涼子を呼び出し、体育倉庫の地下で、下はブルマ一枚の格好に着替えさせる。そうして涼子が、明日香と共に体育倉庫を出たら、香織は、頃合いを見て、別の場所で待機している秋菜に、メールを送る。メールを受け取った秋菜は、体育館内に移動し、戻ってきた涼子に声をかけ、バレー部の練習を見学する旨を告げる、と。
 
 香織は、涼子心理の専門家である。だから、涼子の心のデリケートな部分にこそ、探究の目を光らせているのだ。日頃から涼子は、苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜との『距離感』を、とかく気にしがちだった。遠くもなく近くもない。二人の間の距離は、常に一定であり、涼子が歩み寄ると、その分、秋菜のほうは離れてしまう。涼子にしてみれば、もどかしくてやるせない、そんな感覚である。
 この舞台の特等席に、その秋菜を座らせることが肝要だった。舞台に立つ涼子の側にも、秋菜の顔が、否が応でも確認できるように。要するに、涼子の身を恥辱で焼くには、秋菜の視線というものが、何よりの油となるのだ。涼子は、館内で、秋菜の姿を発見した瞬間、目玉が飛び出るほど驚愕したに違いない。後で、明日香が、話して聞かせてくれるだろう。涼子が、どのように泣きついてきたのか。『滝沢さんの、見てる前でだけは、いや……!』。涼子の口から、そんな言葉が出たのだとしたら、香織のもくろみは大成功といえる。
 陰毛を人目にさらしながらも、汗まみれになってプレーを続けるしかない涼子と、その姿を、涼しげに鑑賞する秋菜の、過激な近接。まるで、涼子の肉の焦げる臭いが、ここまで漂ってきそうな光景だった。
 
 そして、何より愉快なのは、未だに涼子が、その秋菜の存在を、自身の『致命的な弱点』だと思い込んでいることだ。本当は、涼子に、そんな弱点などありはしないのに。なにしろ、すでに秋菜は、香織たちの側に取り込まれているのだから。涼子にとって、秋菜とは、事情を知らない(だからこそ脅威の)第三者、ではなく、単なる敵対者であって、それ以上でも以下でもないのだ。そんな裏の相関図が出来上がっているとは、夢にも思わないらしく、涼子は、香織たちの『切り札』が、秋菜の手元に届くことを、ひたすら怖れている。そうなったら、高校生活の破滅だ……、と。
 言うなれば、涼子は、実体のない幻影に怯えているようなものだった。そうして怯え続けた挙げ句が、眼下のあの、醜悪な成れの果ての姿である。
 世の中に、これほどまでの馬鹿が、ほかにいるだろうか。やはり、あの女の頭の中には、粗悪な脳みそが詰まっているとしか思えない。ちょっとばかり、残念な話ではあるけれど……。
 だがそこで、違うな、と考え直す。涼子の頭脳に問題があるのではなく、きっと、香織のアイディアが、素晴らしすぎるのだ。芸術的なまでに。仲間に引き入れた滝沢秋菜を、ただちに、涼子を責めるコマとして使用するのではなく、機が熟すまでは、第三者のポジションにすえ置くという、その発想が。人や物事を、真っ直ぐに見つめながら生きている涼子の思考回路では、察知できないのも無理はない。いや、よく思い起こせば、この案は、香織の単独ではなく、秋菜と共同で考え出したものだったかもしれない。まあ、それはどちらでもいいか。
 
 そういえば、その秋菜は、先ほど、段取りを話し終えた後に、こんなことを言っていた。そばに立って見物する秋菜に対して、涼子は、恥ずかしさを感じるだけでなく、ある種の恐怖さえ抱くはずである。そういった感情は、いずれ、秋菜への憎しみに変わっていくことだろう。涼子が、その憎しみの思いを、秋菜自身に向けて露わにする様子、それが見たいのだ……、と。
 香織には今ひとつ、ぴんとこない話だった。簡単にいえば、秋菜は秋菜で、何か求めるものがあるということなのだろう。

「りょーこーっ! あんた、練習のしすぎで、気が、変になってんじゃないの!?」
 その笑いまじりの声は、バレーコートの右手、一階のフロア全体を真ん中で二分する、ネットの向こうから聞こえた。三年生のバスケット部の部員だ。彼女を含めて十人近くが、野次馬となって、涼子の姿に目を向けている。
 バレー部側のゲームは、サーブからのプレー再開を待っているところだった。
「みーなくってっ、いいからぁぁぁ!」
 涼子は、憤まんやるかたない様子で、そう叫んだ。バレー部の部員たちとは違い、部外者であるバスケット部の生徒たちは、露骨なあざけりの態度を示している。そのことに相当、いらいらとさせられているのだろう。
 香織たちの横の後輩グループから、突っ込みが入る。
「なに言ってんだか。注目されるのが嫌なら、あんたが、今すぐ、普通の格好に着替えてくればいいんでしょって」
「そうだそうだ」
 ついに、あんた呼ばわりされるまでに至った。
「いい加減、バレー部の誰かさあ……、あのキャプテンのこと、一発、本気でぶったたいて、目、覚まさせたほうが、いいんじゃないのかなあ」
「ぶったたくって、顔を?」
「いや……、たとえばあの、水着から思いっ切りはみ出てる、でっかいケツとか」
 失笑が漏れる。
「やだっ。なんか、めっちゃ汗ばんでそうだし、あんなところ、誰も触りたくないでしょ」
「あたしが、バレー部員だったら、むかついて、絶対、やってるなあ……。『ここ、海やプールじゃないんだから、水着なんかで練習するの、やめてくださいよ!』って言って、あのケツ、ばちーんて平手打ちする」
「で、そのあと、どうすんの?」
「えっ……。半殺しにされそうで怖いから、ダッシュで逃げる。そんで……、いちおう、手、消毒しておく」
「消毒する、とかいって……。南せんぱいのおしり、ばい菌だらけ、みたいな扱いじゃん」
 今や、涼子の存在は、嫌悪の対象であるがゆえに、ただでさえ、綺麗とは言い難い体の部分が、よけい不潔に見えてしまうのだろう。
「あっ、ようやく謎が解けた……。南せんぱいのあの格好は、機能性、だけを重視した、究極の練習スタイルなんだよ」
「……ははーん、なるほど。下半身の動かしやすさとか、服装の軽量化とかを、徹底的に追求した結果ってことか」
「そういうこと。最後の大会が近づいてきたから、南せんぱいが、いよいよ本気モードに突入したみたい」
「うっわぁ……。ますます、かっこよく見えてきちゃったあ」
 冗談の応酬である。
「まあ、百歩譲ってさ……、かりに、そういう正当な理由があるにしても、あんな水着で練習に出るなら、その生地の面積に合わせて、事前に、毛の処理くらい、しておけよって話」
「そっか……。やっぱり、今の南せんぱいを擁護するのは、無理か」
「擁護する気なんて、全然ないくせに」
「残念ながら、あの人は、どっからどう見ても、露出狂です」
「ねーねー。っていうかさ……、あの、まん毛、どう見ても、量、多すぎじゃない?」
「あたしも! 実は、最初に見た時から、ずーっと、それ思ってた」
「だよね、だよね。強烈なインパクトだよね?」
「なんか、ケダモノって感じがする」
 怒りを通り越したのか、彼女たちのなかでも、涼子の姿は、物笑いの種でしかなくなりつつあるようだった。
 ちょっと前までは、夢想すらできなかった事態である。連日、後輩たちの黄色い歓声を浴び、時には、ファンレターともラブレターともつかぬものを受け取ることもあったという、あのバレー部キャプテン、南涼子が、だ。その後輩たちから、嘲笑の的にされる時が訪れるなんて……。
 隣のさゆりが、やたらと面白がっている。
「天下の南せんぱいが、年下から、ぐっちゃぐちゃに言われまくってる……」



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