バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十九章
しんしんと
6



 その時だった。バレーコート内から、空気を裂くような鋭い怒声が上がったのだ。
「ブロックが遅れてるって、何度、言わせんのよっ!」
 声の主は、三年生、香織も知っている、副キャプテンの高塚朋美という生徒だった。長身の彼女が、つかつかと涼子のそばに歩み寄る。どうやら、怒られているのは涼子のようだ。
 だが、涼子も負けない勢いで応戦する。
「わたしだって、加奈子のマークに引っ張られてるんだからっ、しょうがないでしょっ!」
 体格のいい二人が、間近でにらみ合う。けれども、涼子のほうは、両手でTシャツの前すそを引っ張った、情けない格好なので、迫力には大きな差があった。
 ほかの三年生の選手たちが、二人の間に割って入る。そうして、それぞれが、かろうじて自分のコートポジションに戻るも、三年生チームは、完全に空中分解しているといえた。キャプテンの南涼子のせいで……。
 
 涼子の顔が、おもむろに真上に向けられた。表情を見ると、その両目は、泣いているようにぎゅっと閉じられていた。気力を振り絞って、遠のく意識を懸命につなぎ止めている、という感じに見受けられる。精神的にも肉体的にも、とっくに限界を超えてしまっているのだろう。もう、いつ、前のめりに崩れ落ちても、不思議ではないように思う。
 だが、そんな涼子の身に、さらなるムチが飛んでくるのだった。
「りょーちん! こーえっ、こーえっ」
 明日香の、後先考えない暴走ぶりに、香織も、頭を抱えたくなる。あんた、やりすぎだって……。ほんとうに、南さんが、ぶっ倒れちゃうじゃない……。
 突然、ゾウの鳴き声に似た、なんとも奇妙な音が耳に入ってきたので、一瞬、何事かと驚いた。それは、涼子の口から吐き出された、地獄の悲嘆だった。続いて、けたたましい奇声がほとばしる。
「カァァァァァァァットバシテ、イゴォォォゼェ! ヨォォッ! ヨォォッ! ヨォォーッ!」
 声の拍子に合わせて、その恥まみれの肉体が、びくんびくんと伸び上がる。もう、見ていて怖くなるような狂態ぶりである。
 その煽りを、もっとも受けるのは、ほかの三年生の選手たちだった。彼女たちは、チームの仲間として恥を感じるのか、ひどく肩身の狭そうな様子を見せる。
 香織は、涼子の姿に、本物の狂気を見た気がした。もし涼子が、まだ、正気を保っているとしたら、それこそ人間として不自然だと思う。
 
 香織たちの横の後輩グループから、涼子の口真似をする者が出る。
「ヨォッ、ヨォッ、ヨォーッ」
「ちょっと、声、大きいって……」
「いいじゃん。誰も南せんぱいに、声、合わそうとしないから、あたしが言ってあげてんの」
 そこで、彼女たちの間から、ぼそりと聞こえた。
「ねー、あのマネージャーの先輩、ちょっと、おかしくない?」
 香織は、どきっとした。
「マネージャー? ああ、竹内先輩でしょ? どこが?」
「だって、さ……。こんな状況で、なんで、さっきから楽しそうにしてるわけ? あたしには理解できないんだけど」
「言われてみれば……」
「たしかに、南せんぱいの毛のことは、とっくに知ってるはずなのに、ね……」
「ひょっとして、だけど……。あのマネージャーの先輩が、南せんぱいに、あんな格好で練習やらせてる、なんてことはないよね?」
 まずい……。香織は、血の気の引く思いがした。
「まさか」
「なんのために?」
「いや、ただなんとなく、そんなふうに思っただけ……」
「なんとなく、って……、いくらなんでも、竹内先輩のこと、悪く考えすぎでしょっ」
「そうだよーっ。竹内先輩って、チャラい感じもするけど、一、二年の部員にも、すっごく優しくしてるの見るし、絶対、性格いいってー」
「えっ、うん……。ごめん、あたしの言ったこと、気にしないでいいから。忘れて」
 しょせん、愚か者の集まりだったと、香織は、ほっとする。けれども、普通に考えて、明日香の言動が、恐ろしく周囲から浮いていることは確かだ。あれでは、疑念の目を向けられるのも、当然といえるかもしれない。心の中で、明日香をしかりつける。あんまり調子に乗るの、やめなさいよ……。ほかの子たちに、勘づかれるでしょ……! 
 
 後輩グループの会話は続いている。
「それはそうとさ……、今日ここに、マドカがいたら、大変なことになってたと思わない?」
「ああ、そりゃあもう……」
「マドカが、あの南せんぱいの姿を見たら、その場で泣き崩れてたかも」
「ありうる……。あの子、『夏休みに入る前に、絶対に南せんぱいに告る』って決意表明してたもんね。『もし告らなかったら、夏休み中、ずっと後悔し続けそうで、それだけは耐えられない』とか言って思い詰めてたし」
「あの子、最近、よく言ってるよ。『南せんぱいのことは、男にも女にも渡したくない』って」
「それ、あたしも聞いた」
 なにやら、ファンのなかでも、図抜けて涼子に夢中な生徒がいるらしい。
「でも……、今回のこと、マドカに、はな……す?」
「はな……す」
「うん、話さざるをえない。っていうより、話すべきでしょっ。南せんぱいは、露出狂の危ない人間だったってことが、判明したんだから」
「だけどさ……、あのマドカが、信じるかな? こんな話」
「うーん……」
「マドカに話しても、うちら、嘘つき呼ばわりされるだけじゃない?」
「たぶん……。『はー!? なに言ってんの? やばいのは、南せんぱいじゃなくって、あんたたちの頭のほうでしょ!』みたいに返されると思う」
「だよね? 想像がつくもん」
「下手すると、キレられるかもよ、あたしたち」
「マドカに、そういうふうにされるのも、なんかシャクだよね……」
「だったらさ……、証拠、残しておけばよくない?」
「証拠?」
「南せんぱいの、あの姿、ムービーで撮っておくとか」
 香織もさゆりも、思わずそちらに目をやっていた。
 後輩グループは、すでに、ほの暗い、よこしまな空気に包まれているように見える。
「そう……、しよっか」
「名案かも」
「えっ……。そこまでする……?」
「だって、南せんぱいの本性は、マドカにも教えてあげないと、じゃん?」
「うん、そのとおり。あんな危険人物に告ったりしたら、はっきりいって何されるか、わかったもんじゃないしね」
「そっ。マドカのため」
「うちら、友達思いだからね」
 彼女たちは、がさごそと携帯端末を取り出す。
「あ、待って……。バレー部の人たちに、撮ってるのがバレると、もしかしたら怒られるかもよ」
「怪しまれないように、誰かひとりが、代表で撮ることにしよっか?」
「じゃあ、誰が?」
「一番、新しい機種を持ってる人」
「もしかして……、なるべく高画質で撮れるように、ってこと?」
「イエス」
「それならエリじゃん? 先月、買い換えたばっかだから」
「あたし? 構わないけど」
「よし、エリが代表で撮るんで決まり」
「なるべく、スマホが目立たないようにね」
「あたしのバッグで、こうして、隠すようにするといいかも」
 撮影係となった生徒は、バレー部の部員たちに悟られないように、友人のバッグの陰でスマートフォンを操る。横向きになったスマートフォンが、バッグの上に少し突き出る形で、ギャラリーの鉄柵の間から、バレー部の練習場へと向けられる。無情にも、そのカメラが捉えようとしているのは……。時代遅れの校則を守り、それらの携帯電話の類は、未だに持っていないという、純朴を絵に描いたような生徒、南涼子の、コンプレックスでもあろう陰毛なのだ。
 えらいことになっている……。香織も、笑うに笑えない事態だった。
「南せんぱい、大ピーンチ」
 隣のさゆりが、そうつぶやく。
 
 後輩グループの面々は、そろって嫌な薄笑いを浮かべていた。涼子の熱狂的ファンだったというだけで、彼女たちの精神構造自体は、香織やさゆりとさして変わらないのかもしれない。
「それっ」と、撮影係の生徒が口にする。
 ぴこっ、という録画開始の音が鳴る。
「どう? 撮れそう?」
「あっ、だいじょうぶ。今あの、きっしょい後ろ姿が、画面に入ってる……。もうすぐ……」
「来るよ来るよ」
「こっち向いたっ」
「撮れてる?」
「ばっちり……。南せんぱいの顔はもちろん、あそこの毛も、なんていうか、ごわごわっぷりが見て取れるくらい、しっかりと写ってる」
「やだっ。超、生々しい映像になりそう」
「最低でも、二分は撮っておいてね」
「りょーかい。……誰か、コメントして」
「学校の体育館に、露出狂を発見! 激写しました!」
「マドカー、見てるー? コートのなかに、変な格好の人が混じってるでしょ? 誰かなぁ? あんな人には、くれぐれも近づかないように」
「完全に、マドカ宛てになってるし……」
「だって、違うの……?」
「マドカのほかにも、目を覚ます必要のある人、たとえばさ……、モエ、ミンミン、ココノ、タチバナさんあたりには、この動画、見せたほうがいいじゃん。……あ、あと、商業科の、あの、ちょっとオタクっぽいグループもいたね」
「もういっそ、全校生徒向け、にしちゃう?」
 聞いていて、涼子のことながら空恐ろしくなる。
 もとより、香織も、ある程度のことは想定していたのだ。この日、バレー部の練習場で起こった出来事は、明日になったら、学校中に噂として広まるのではないか、と。だが、噂ではなく、決定的な場面を捉えた映像が、後輩たちの悪意によって拡散されるとしたら……。いったい、涼子の高校生活は、どうなってしまうのだろう。
 それにしても、だ。涼子の救いようのない運のなさには、ある意味、感心させられる。香織たち三人に加え、滝沢秋菜にも包囲網を形成されたのみならず、今度は、別の後輩グループからも、害意を向けられるという始末である。南涼子という人間には、超ド級の不運が、何重にも重なっているのだ。そんな涼子の哀れさが、無性におかしくなってきて、腹がひくひくとし始める。
 香織は、込み上げる笑いを抑えながら、初めてこんなことを思ってしまった。南涼子にだけは、生まれなくてよかった……。



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