バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
1



 いつしか、ラブソングが大嫌いになっていた。だから、自分から聴くことはしないが、たとえば学校からの帰り道、街中を歩いていると、どこからともなく流れてくる。
 あなたに、会いたいだけなのに……。
 もう、絶対に離れることはないよね……。
 二人、永遠に……。
 別れの時が、こんなにつらいなんて……。
 そういったフレーズを耳にするたび、無性にイライラさせられる。たかが恋愛のことで、そんなふうに深く思い悩んでいられたら、どれだけ幸せだろうか。
 
 このところ、電車に乗っている間は、無意識のうちに人間観察をしていることが多い。その対象は、たいていの場合、自分と同じ女子高生である。スマートフォンをいじっている子。友人のお喋りを聞きながら、面白くもなさそうに相づちを打っている子。座席でウトウトしている子。そんな彼女らを横目で眺めながら、決まって考えるのだ。この子は、今、どんな悩みを抱えているのだろう? 友達関係。勉強。部活。家族のこと。恋。色々とあるかもしれない。しかし、これだけは断言できる。どれも、深刻じゃない。なぜ、それがわかるか。その表情を見れば、一目瞭然である。言葉で言い表せないほどの苦悩を背負っている女の子は、そんな平然とした顔をしていられない。
 彼女らは、心にゆとりを持っている。ただそれだけのことが、どうしようもなく羨ましくて仕方なかった。というより、この感情は、ほとんど妬みに近いような気もする。
 いや、同年代の少女たちだけではない。
 電車を降りたところで、駅構内を見回してみる。
 疲れた表情で歩くサラリーマンも。階段を急ぎ足で降りてくるOL風のお姉さんも。忙しく立ち回る駅員も。
 誰も彼もが、自分とは比べようもないほど、安楽に生きているように思えてならない。
 なんで、わたしばっかり、こんなに苦しまないといけないの……!?
 南涼子は、もう数え切れないくらい、心の中でそう叫んでいた。
 
 無間地獄。
 一時たりとも、安息の時は訪れない。一日、二十四時間、地獄の苦しみに耐え続ける。誇張ではなく、それが涼子の生活だった。
 あの、バレー部の練習場における、思い出すのも忌まわしい体験から、三度目の夜。
 涼子は、部屋の電気を消すと、倒れ込むようにベッドに横たわり、布団をかぶった。
 それから、一時間、二時間と、時間が過ぎていく。意識は、相変わらず覚醒したままだ。前夜も、また、その前の夜も、こうだった。泥沼に沈み込んでいるかのように、心身ともに疲れ果てているというのに、睡眠らしい睡眠を取ることができないのだ。ようやく、浅い眠りにつけたとしても、十分と経たないうちに、びくりと飛び起きてしまう。極度のストレスのせいで、自律神経が、がたがたになっているのは間違いない。だが、眠れぬ理由として、それ以上に大きいのは、明日への恐怖だった。震えて眠る、という言葉があるが、涼子の場合は、もっと悲惨である。一晩中、震えながら丸まっている。そういう状態なのだ。
 しかし、それでも、布団の中にいられる間は、比較的、平穏な時間だといえた。
 
 やがて、窓の外が白み始め、朝が来る。そして、とうとう、目覚まし時計の音が鳴った。
 その瞬間から、自分自身との過酷な戦いが始まる。
 すぐに体を起こすことは、不可能に等しい。布団のぬくもりに包まれている限りは、いつまでも現実逃避を続けてしまうのだ。だから、涼子は、寝たまま、ベッドから床に転がり落ちた。それが、起床の第一歩である。しかし、そうすると今度は、カーペットの床が、この世の何より恋しくてたまらなくなる。とてもじゃないが、身を引き離せそうにない。そういう時は、まず、おしりから持ち上げることを、涼子は学んでいた。もぞもぞと下半身を動かし、おしりを上に突き出す。イモムシのような格好になるわけである。しばらく、その無様な態勢を維持していると、徐々に足腰が痛くなってくる。もう痛くて無理だ、と感じたら、二つに一つだ。上体を起こすか、それとも、腰を床に落とすか。後戻りはしない。思い切って両腕を突っ張る。それから、雄叫びを発するくらい気力を振り絞り、勢いをつけて立ち上がる。そのようにして、涼子の一日は始まるのだった。



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