バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
2



 登校途中、ふと、これまでの高校生活の記憶がよみがえる。
 南せんぱーいっ!
 思えば、毎日毎日、後輩たちから黄色い声援を浴びてきた。
 学校内において、自分は、それなりに有名な人間である。うぬぼれるわけではないが、そのことは、前々から自覚していた。もしかしたら、バレー部のキャプテン、南涼子を知らない生徒のほうが、むしろ少数派であるのかもしれない。普通であれば、名誉な話である。しかし、現在に至っては、そのネームバリューが完全に裏目に出ていた。
 衝撃のニュース。なんと、あ・の・南涼子が、体育館のバレーコート上という、不特定多数の生徒が見ている場で、『吐き気がするような』痴態を演じた。南涼子は、変態的な性癖を持っている。その情報は、またたく間に、学校中を駆け巡ったのである。
 学校の最寄り駅に降り立ってから間もなく、涼子は、その暗澹たる現実を突きつけられることとなる。
 駅構内に散見される、自分と同じ制服を着た生徒たち。なかでも、数人で連れ立って歩く後輩グループは、涼子の姿を目にしたとたん、露骨な反応を示した。おのおのが、互いに顔を寄せ合い、こちらを見ながら、何事かささやき交わし始める。嫌なのは、彼女たちの眼差しだった。涼子のことを、好奇と侮蔑の入り混じった目で見ている。そのことが、一発でわかるのだ。
 わたし、人にどう思われても気にしないから。涼子は、かねてから、周りの友人たちにそう豪語してきた。しかし、そんなのは、物事がうまくいっている間だけの、ただの強がりでしかなかった。今では、後輩たちから白い目を向けられることに、ひどく敏感になっている自分がいる。
 
 バスの中は、当然ながら、同校の生徒たちがひしめき合っている状態だ。そのため、涼子は、早くも、息の詰まるような思いがしていた。
 右から左から、おのずと聞こえてくる、ひそひそ声。
「あ、いたいた。噂の変態さんが……。なんか、しれっとした顔で登校してきてるのが、ウケる」
「部員の子が言ってたんだけど、もう、見てるほうが恥ずかしくてたまらなかったって」
「え? え? 具体的に、どんな格好だったの? 下は、きわどい水着みたいな?」
「今までずっと、部活一辺倒の生活を続けてきたせいで、案外、色々と欲求不満が溜まってたんじゃないの? それが、一気に爆発しちゃった、とか」
「でもさ……、羞恥プレイっていっても、学校内だから、女子しか見てないわけじゃん? 女子しか見てないのに、興奮とかできるものなの?」
 それらの言葉が、涼子のことを指しているのは、もはや疑う余地もなかった。
 涼子は、歯を食いしばるようにして、つり革につかまっていた。
 その時である。
「うそぉ。その動画、実際に見た子いるの?」
「隣のクラスの子が見たって。めっちゃ汚くて、本当に、オエってなったって」
 耳に飛び込んできた言葉を、頭の中で反復する。
 次の瞬間、心臓の凍りつくような感覚を覚えた。
 動画……?
 まさか、あの日、バレーコート上で起きていた出来事を、体育館にいた生徒の誰かが、なんらかの形で撮影していたとでもいうのか。そして、撮影者は、その動画を、ほかの生徒たちにも見せて回っている……。もしも、それが真実だとしたら、この先、どのような事態が起こるだろうか。
 涼子の脳裏に、暗黒の情景が浮かんだ。
 学校内を、涼子は移動する。教室、廊下、食堂、トイレ……。どうも妙だと感じる。涼子の持っていない携帯電話やスマートフォンを、これ見よがしに手にしている生徒の姿が、やたら目に留まるのだ。なにやら、生徒たちの間で、ある動画が大流行しているらしい。そう。彼女たちの手にある携帯端末の液晶画面には、涼子の体の汚いものが映し出されている……。
 涼子は、その場に崩れ落ちそうになった。身を支える脚が震える。
 いや、そんなの、絶対にいや……。そんなことになったら、わたし、耐えられない……。
 おそらく、現状としては、ほぼ全校生徒が所持しているのであろう、携帯電話やスマートフォンが、今や、涼子の人生をめちゃくちゃにする凶器に思えてならなかった。
 だが、あくまでも単なる想像でしかない。もう少し、冷静になってみよう。自分は、悪いほうに物事を考えすぎではないだろうか? なにも、どこからか聞こえてきた、『めっちゃ汚い』という言葉が、涼子の姿を指していたとは限らないのだ。そうだ。同校の生徒たちの声を、すべて自分の悪口だと捉えるのは、被害妄想以外の何物でもない。たぶん、その言葉を発した生徒も、涼子とは関係のない、何か別の話をしていたのだろう。そうに決まっている。だから、だいじょうぶ。自分の動画など、撮られているはずがない。だいじょうぶ。
 涼子は、必死の思いで、自分自身にそう言い聞かせた。
 しかし……、もしも、自分の痴態を撮影した動画が存在していて、最悪の未来が到来したとしたら……。
 答えは、すぐに出る。
 もう我慢できない。そんな学校、辞めてやる。
 
 校門の前で、涼子は、ひとり足を止める。
 涼子の目には、校舎が、まるで監獄のように映っていた。一度、校門の中に入ったら、出てくるのは、十年先か、二十年先か……、と錯覚を覚えるほどに、果てしなく長い、拷問のような時間が始まるのだ。もしかすると、もう、まともな体では出てこられないのではないか。そんな不吉な予感さえ、頭の片隅をよぎる。
 できるなら、逃げ出したい。だが、バレー部の合宿費を奪われている自分には、それが許されないのだ。
 たっぷり三十秒ほど、その場で立ち止まっていた後、涼子は、ゆっくりと歩き出し、校門を通った。
 南涼子、監獄に収監。
 そして、あの竹内明日香が、部活の練習後、涼子を引き留めてきたのは、その日のことだった。



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