バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
7



 明日香は、フロアの出入り口を出てから、十メートルほど歩いたところで、足を止めた。
 涼子は、肘と膝に着けているサポーターを外すと、明日香の足もとに、力なくへたり込んだ。そのまま、身を反転させ、両腕を枕代わりにする形で、うつ伏せに寝る。奇妙な感覚だった。なにしろ、自分は今、憎くてたまらない女の前で、無防備に横たわっているのだ。まるで、煮るなり焼くなり好きにして、と自分の身を差し出しているかのような状況である。そう考えると、なんとも心もとない気持ちになる。
 明日香は、ふわりと腰を落とし、床に膝をついた。
 彼女の両手が、涼子の肩に当てられる。その瞬間、涼子は、明日香に体を触られる不快感に、思わず顔をしかめた。
 マッサージが始まった。
 涼子の着ている白いTシャツは、汗でびしょ濡れの状態であり、その生地が肌に張りついているため、下に着用している、同じく白い色のブラジャーが、完全に透けており、また、肩甲骨の出っ張りや、背筋のラインに至るまで、はっきりと視認できる有様だった。きっと、こんな汗まみれの涼子の体には、親しい友達でさえ、触れることを躊躇するはずだ。しかし、明日香は、ちっとも気にならないらしい手つきで、涼子の肩の筋肉を、ぎゅっぎゅっ、と揉みほぐす。
 
 涼子は、それから一分ほど、黙ってされるがままになっていた。
 どうも妙だと思う。涼子のことを侮辱するのが大好きなはずの明日香が、何も言ってこないのである。今なら、格好のネタがあるというのに。この、見苦しいことこの上ない、大量の汗のこと。また、その汗の、ひどい臭いのこと。
 明日香は、ただ黙々と涼子の体をマッサージしている。
 涼子は、明日香に体を触られていることによる精神的苦痛が、だんだんと薄らいでいくのを感じ始めた。いや、そればかりか、この竹内明日香という女だって、やはり、血の通った人間であり、きっと、話せばわかってくれるはず、という思いをも抱く。その思いに突き動かされ、意を決して口を開いた。
「あの……、聞いて、明日香」
 地の底から届いたような、恐ろしく低い声だった。
「うーん?」
 明日香は、やんわりとした声を出した。
 涼子は、薄目を開けた状態で、目の前の床を見るともなく見ながら、とつとつと話し始めた。
「わたしさ……、高校に入学してから、ずっと、部活に明け暮れる生活を送ってきた……。あなたも、知ってると思うけど、うちの高校のバレー部、強豪校としての伝統を受け継いでるからさ、もう、遊ぶ時間なんて、全然ないの。彼氏を作るとか、そんなこと、考えられもしなかった。……練習は、過酷そのものだし、なんで、わたしは、こんな苦しいことに、耐えないといけないんだろう、って思ったことも、一度や二度じゃない。わたし、みんなが思ってるような、強い人間じゃないから……」
 明日香は、両手の位置をずらし、涼子の肩甲骨の下あたりをマッサージし始めた。
 涼子は、話を続ける。
「……でも、自分なりに、練習を、がむしゃらに頑張ってきて、その結果、キャプテンに選ばれた。その時は、すごい誇らしかったけど、同時に、不安でたまらなかったの。わたしなんかが、キャプテンになったせいで、この高校のバレー部の、強豪校という地位が、失われちゃうんじゃないか、って。だから、それからは、本当に、死にもの狂いの気持ちで、バレー部を引っ張ってきたつもり。わたしって、要領が悪いから、散々、空回りもしたけど。それで……、とっても長かったような、でも、なんだか、あっという間だったような、この部活中心の生活も、いよいよ終わりが近づいてきた。やっぱり、自分が必死になってやってきたことだからさ、最後の大会も含めて、なるべく、いい形で終わりたいっていう思いだった。だけど……、最後の最後になって、今まで積み重ねてきたものが、全部、崩れていっちゃった……」
 そこで言葉を止めた。
 明日香は、何も言わず、次は、涼子の腰の上に両手を当てた。体重をかけるようにして、その部分を強くこすってくる。
 
 涼子は、思いを巡らす。果たして、明日香は、涼子の言葉に、きちんと耳を傾けているだろうか。はなはだ疑問ではあるが、明日香の心に訴えかけるなら、今しかないはずだ。
「明日香も、知ってるでしょ? わたしが今、バレー部のなかで、どれだけ悲惨な立場でいるのか。今はもう、部員たちのほとんどが、わたしの言うことを、ろくに聞いてくれない。でも、そんなんでもさ……、わたしは、キャプテンとして、自分のやるべきことを全うしないといけない。だから、まずは、部員たちの信頼を、もう一度、取り戻すためには、どうしたらいいのかって、そのことを、懸命に考えながら行動し続けた……。だけど、全然だめ。なんていうか……、今のわたしは、頑張れば頑張るほど、キャプテンらしく振る舞おうとすればするほど、部員たちに嫌われていく、っていう感じ。それに……、今日は、朋美に言われちゃった。『あんたは、バレー部の恥さらしだ』って。すごい悔しかったけど、言い返す言葉がなかった。だって、本当に、そのとおりなんだろうし。もう、わたし……、苦しくて悲しくて、胸が押し潰されそうだよ……」
 込み上げてきたおえつを抑えられなくなり、えうっ、と声を漏らした。
「……可哀想な、りょーちん」
 明日香は、それだけ言うと、今度は、涼子の下半身へと手を動かした。涼子の両脚の太ももを、黒のスパッツ越しに両手でつかむ。そのまま、左右にぶらぶらと揺すり始めた。太ももの筋肉疲労を取るには、極めて効果的な方法だった。
 
 涼子は、何とはなしに回想する。明日香が、バレー部のマネージャーとしての活動を始めてから、間もない頃のことだ。練習が終わった後は、よく、こうして、明日香に全身のマッサージをしてもらっていた。明日香が素人とはいえ、涼子の体は、どこもかしこも筋肉がぱんぱんに張っている状態だったから、マッサージの間は、極楽気分を味わえた。とくに、酷使し続けた太ももの筋肉を揉みほぐされている時には、あまりの気持ちよさに、思わず声が出てしまうほどだった。だから、明日香の手が、太ももから別の部位に移動してしまうと、涼子は、柄にもなく、甘ったるい声で、『やーん、もうちょっとだけ、今のところやってえ』と、おねだりしていたのを思い出す。まさに、身も心も、明日香の手に委ねていたのである。
 あの頃と同様、今、涼子のたくましい太ももを、明日香は、いたわりのこもった手つきでマッサージしている。
 涼子は、体の緊張が、最初に比べると、驚くほどほぐれていることを感じ、両脚を、軽く開いた。自分でも不思議なことに、今一度、明日香に対して、心を開いてもいいような気さえしてくる。そして、ふたたび口を開いた。
「あの……、何が言いたいかっていうとさ……、わたしは、もう、自分の守りたかったものを、ほとんどすべて失っちゃったってことなの……。本当だよ? 部活内だけのことじゃない。明日香は、知らないかもしれないけど、わたし、今は、クラスで、ひとりぼっちになることが多いの。わたしが、変態だっていう噂が、クラスにも広まったことで、いつも、周りにいた子たちが、わたしから、どんどん離れていった。そのなかには、一年の頃から、ずっと仲がよかった子もいるんだけどさ……、今日なんて、わたしが、近づいただけで、露骨に嫌な顔をされちゃった……。結局、わたしには、本当の友達なんて、指で数えるくらいしか、いなかった、ってことなんだよね……。でも、それは、わたし自身のせいだって、自覚してる。わたしって、生意気だし、周りから、ちやほやされると、すぐ調子に乗っちゃうし、それに、結構、自分のことしか考えられないところがあるし……、短所を挙げると切りがない。そういう部分を、周りの子たちは、ちゃんと見てたんだろうなあ……、って思う。あの……、明日香たちもさ、これまでの高校生活で、わたしの嫌な面を、色々と目にしてきたんでしょ? それで、そんなわたしのことを、たっぷり痛めつけてやろう、っていうふうに思ったんだよね? だから、今、わたしが、こうして苦しんでるのは、完全に自業自得……。うん、本当に、そう思う。でも……、だけどさ……」
 涼子は、一呼吸、間を置き、それから話を続けた。
「もういいでしょ……? もう気が済んだでしょ……? だってさ、今までに、明日香は、ここまで惨めな女を、実際に見たことがある……? ないよね? 今……、わたしは、大げさでもなんでもなく、地獄の底で這いずり回るような学校生活を送ってる。はっきり言って、そのうち、気がおかしくなりそうなくらい、つらくてしょうがない。それに、体のほうは、とっくに壊れ始めてる。今日は、ちょっとしたことがきっかけで、手の震えが止まらなくなっちゃった。もう、わたしは、そんな状態なの……。ねえ、だから、これ以上、わたしを痛めつけようとするのは、やめて……。それで、お願いだから、バレー部の合宿費を返して……。もし、返してくれたなら、わたし、あなたたちから、散々、恥ずかしい思いをさせられたこと、全部、忘れる。あなたたちに、何らかの形で復讐しようなんて、絶対に考えない。そうして、今までの自分の悪い部分を、徹底的に反省して、それからは、目立たない生徒として、ひっそりと残りの高校生活を送っていく。約束する。だから、お願い……」
 言うべきことは言い終えた。明日香から、どんな反応が返ってくるかと待つ。
「……りょーちん、変なこと言わないでっ。あたしはぁ、バレー部の合宿費を取ってなんて、ないもん」
「えっ……」
 涼子の胸の底に、黒いしずくが落ちた。
 その直後、涼子の両脚の太ももをマッサージしていた、明日香の両手が、ずずっとせり上がってきた。太ももの付け根の上をも通り過ぎ、そのまま、おしりの肉をぎゅうっと押し上げてくる。
 突然、おしりを触られたことで、涼子は、たちまち体中に緊張が走るのを感じた。
 明日香は、まるでヒップアップマッサージをするかのように、同じ動作を繰り返し始めた。着衣の状態でも、というより、スパッツを着用している状態だからこそ、その密着性ゆえに、涼子のおしりは、ことさらボリュームが強調されて見える。それは、涼子自身も、正直、わかっていることだった。そんな豊満なおしりの肉が、明日香の手の圧力によって、下から上に、下から上にと盛り上げられ、そのたびに、黒のスパッツからは、生地に染み込んでいる涼子の汗が、じゅわっと滲み出る。
 
 涼子は、強い戸惑いを覚えていた。
 いくら、練習を終えた直後ということで、体中の筋肉が張っている状態であろうと、おしりまでマッサージされる理由はない。ここは、学校の体育館であり、エステではないのだ。当惑の念は、だんだんと激しい不快感に変わっていく。ついさっきまでの、リラックスした気分は、すっかり吹き飛んでおり、今や、体のあらゆる部分が、がちがちにこわばっていた。
 やだ……。そんなところ、触らないで……。
 同性の手だとしても受け入れたくない。学校内では、生徒たちが、女の子同士ということで、気軽に胸を触り合うなどして、スキンシップを図っている場面を、たびたび目の当たりにするが、涼子は、そういうのが大の苦手だった。だから、過去、ふざけて胸を揉んできた生徒に対しては、はっきりと、『やめて!』と拒絶の意思を示してきた。それなのに、今は、延々とおしりを撫で回されながら、身じろぎもせず、無防備に横たわっているのだ。しかも、相手は、涼子に対して、これまでに数え切れないくらい、変態的行為を繰り返してきた女である。
 涼子は、ぞわぞわと悪寒を感じ始めた。
「やっ……。やっ……。い……、や……」
 かすかに声が漏れる。断固とした拒絶の言葉を、すんでのところで呑み込んでいる状態だった。もう少しだけ、明日香に対して、和やかな雰囲気のなかで語りかけたい。そういう思いを抱いていたのである。
 しかし、それから間もなく、そんな涼子の思いは、完全に打ち砕かれた。
 明日香は、ヒップアップマッサージのような動作をやめたかと思うと、今度は、涼子のおしりの、もっとも盛り上がった部分に、両の手のひらを張りつけ、その部分の肉を、ぐにぐにと揉みだしたのである。それは、どう善意に解釈しても、涼子のおしりの肉の感触を愉しむ、性的意味合いのこもった手つきだった。
 涼子は、全身が総毛立つ感覚に襲われた。
「んんー?」
 明日香は、挑発するような声を出した。
 それを聞いて、遅まきながら認識する。今、自分は、侮辱されているのだ。いや、辱めを受けているのだ。
 もう、我慢ならない。
「明日香、変なところ触るの、やめて!」
 涼子は、きっぱりとした口調で訴えた。
 それにより、ようやく、明日香の手が止まった。
「りょーちん、おしり、きもちくないのぉ……?」
 明日香は、残念そうな声で訊いてくる。
「気持ちいいわけないでしょっ!」
 涼子は、枕代わりの両腕に向かって吐き捨てた。
 すると、明日香が、何事か考えるような沈黙が流れた。
「それじゃあ、りょーちん……。ここは、どうぅ?」
 明日香は、わずかに開かれた涼子の股の間に、そっと右手を差し入れた。そうして、ぷっくりとした性器の部分に触れると、その肉をこねるように指先でいじり始める。
 涼子は、頭の中に紅蓮の炎を見た気がした。がばっと上体を起こし、明日香のほうに身を反転させる。
「変なところ触るの、やめてって言ってんの!」
 言葉を発し終えたと同時に、明日香の両手が顔面に飛んできて、ぱしっと頬を包まれた。両頬を押され、唇が前に突き出る。
 意外にも、明日香の顔は、笑っていなかった。
 今、自分が何をされているのかも理解できない心境で、困惑していると、次に、嗅覚が刺激された。涼子の汗で濡れているせいだろう、明日香の手のひらから、生ゴミの腐ったような臭いが、ぷーんと鼻腔に流れ込んできたのである。自分の汗の臭いだというのに、涼子は、思わずむせ返りそうになった。
 明日香は、あくまでも真顔のまま、さらに涼子のほうに顔を近づけてくる。
 恐ろしく美しい女の顔が、涼子の視界を占める。涼子は、またぞろ、明日香の美貌ぶりに圧倒され、対する自分は今、唇を前に突き出した、見るに堪えない間抜け面をさらしているのだろう、という劣等意識を抱かされる。ほどなくして、明日香の息が、顔にかかるのを感じた。思い出したくもないが、以前、彼女のその唇が、突然、涼子の唇に押し当てられたことがある。女同士の行為、しかも、その相手が、穢らわしい存在としか思えない女だったせいもあり、あの一瞬、唇に受けた、ぞっとするほど柔らかい感触は、忘れたくても忘れられなかった。今、また、それが再現されるのではないかという警戒心を抱き、涼子は、唇を引き結ぶようにして引っ込める。
 
 明日香の口が開かれた。
「りょーちん。これから、体育倉庫の地下に来いっ。いいなっ?」
 彼女にしては珍しい、有無を言わせぬ口調だった。
 そうして、明日香は、涼子の頬から手を離し、さっと立ち上がった。



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