バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
8



 涼子は、たった今、言われた言葉を、頭の中で反復する。聞き間違いであってほしいと思いながら。
 体育倉庫の地下……。
 恐怖が、じわじわと胸一杯に膨れ上がっていく。あの、陰鬱極まりない空間で、着ているものをすべて脱がされ、恥辱に打ち震えていた記憶が、暗黒の世界の出来事のように、脳裏にフラッシュバックする。涼子にとって、体育倉庫の地下は、この学校という監獄の中でも、もっとも怖ろしい、二度と足を踏み入れたくない場所だった。
「いやぁ……。わたし、あんなところ、行きたくない……」
 涼子は、わななく声で拒否する。
「ダメ。これから、来いっ」
 明日香は、涼子を見下ろしながら、冷然と言う。今や、彼女の顔からは、笑いめいたものが、すっかり消え失せており、その眼差しには、無機質なまでの厳しい光が宿っていた。
 
 涼子は、今になって悟った。明日香が、涼子の体をマッサージしたがった、その真の意図を。単純なことである。涼子を足止めし、ほかの三年生の部員たちから引き離すのが狙いだったのだ。自分は、まんまとそれに引っかかり、あまつさえ、この悪魔にも良心が残っていると信じて、苦しい胸の内を語り続けていた。そんな自分のお人好しぶりを思うと、涙が出そうになる。そして、明日香は、こうまでして、涼子のことを、体育倉庫の地下に連れて行こうとしているのだ。ならば、こちらとしては、なおさら、それに従うわけにはいかない。
「わたし……、これ以上、あなたたちに、何か変なことされたら、本当に、心も体も壊れちゃう……。絶対に、絶対に、行かないからっ!」
 涼子は、断固たる意思を込めて言い放った。それこそ、身を引きずられたとしても、この場から動かないつもりだった。
 すると、明日香の口もとに、うっすらとした笑みが浮かんだ。
「りょーちん。実はねえ、りょーちんに、会わせたい子がいるの……」
 思いがけない言葉に、涼子は、眉をひそめた。
「……会わせたい子? それって……、誰なの?」
 そう尋ねずにはいられなかった。
 明日香は、吹き出すのを堪えるような表情をする。
「それは、会った時の、おたのしみぃ……。今、体育倉庫の地下でぇ、その子が待ってんの。りょーちんも、来たほうが、いいと思うよぉーん。だってぇ、その子はぁ、りょーちんの、『な・か・ま』なんだもんっ」
 仲間……。
 涼子の胸の内で、色々な想念が生じて絡み合う。
 明日香は、皮肉っぽく唇を曲げ、言葉を続けた。
「りょーちんにとっては、せっかくできた、『な・か・ま』なのに、会わずに帰っちゃって、いいのかなぁ……。もしかしたら、その『な・か・ま』と、いい関係になれるかもしれないのにぃ」
 
 涼子は、明日香から視線を外し、何もない壁を見つめた。頭の中を整理しようと思う。だが、思考の断片が、とりとめもなく渦を巻いており、論理的に物事を考えようとすればするほど、混乱が増し、頭がくらくらするような状態だった。
 果たして、明日香の言う、涼子の『仲間』とは、誰なのか……? 皆目、見当がつかない、というわけではない。むしろ、脳裏には、ある生徒の顔と名前が、すでに、おぼろげな蜃気楼のように浮かんでいる。もし、今、体育倉庫の地下で、その生徒が待っているのだとしたら、自分は、どうするべきか……?
 会っておきたい……! 胸の内を浮遊する想念のひとつが、そう強く主張する。
 だが、場所が場所である。体育倉庫の地下に降りるなど、まるで、自ら、鉄格子の中に入りにいくようなものだと思う。下手をすると、そこで、両手を鎖でつながれ、身をつるし上げられる事態にもおちいりかねない。そうして抵抗するすべを奪われたら、あとはもう、悪魔たちのなぶり者にされる未来しかないのだ。
 考えただけで、体中に戦りつが走る。
 本能は、体育倉庫の地下に向かうことを、激しく拒絶していた。
 しかし、今、あの場所で待っているという生徒に、会っておきたい、顔を確認しておきたい、という思いを、どうしても捨てきれなかった。もし、このまま帰路に就いたとしても、その生徒のことが頭から離れず、どこかの時点で、自分は、学校へと引き返してくるような気がした。よしんば、家に帰ったとしても、一向に気持ちが落ち着かず、今夜は、布団に入って目を閉じることさえ難しいだろう。それに、涼子の胸の内には、不思議な予感があった。その生徒に会えば、現在、自分を取り巻いている、多くの物事が、よい方向に変わっていきそうな、そんな予感だ。
「ほらっ、立って、りょーちん」
 明日香は、こちらに手を差し伸べてくる。
 その手を握り返すことはしなかったが、彼女に促される形で、涼子は、そろそろと重い腰を上げた。そして、一筋の光が差した明日を目の当たりにしているかのように、前方だけを見つめながら、明日香と並んで歩き出した。



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