バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
10



「なにしてんの、りょーちん。早く入って」
 明日香が、ささやくような声で言う。
 涼子は、軽く息を吸い込み、それを吐き出すと共に覚悟を決め、暗闇の中へと入っていった。
 奥へと進み、地下への階段の降り口に立つ。
 そこから見下ろした地下の空間は、昼のように明るかった。すでに、明日香が言うところの、涼子の『仲間』が待っている、何よりの証左だ。
 涼子は、緊張のせいで、膝が小刻みに震えるのを自覚しながら、階段を降り始めた。
 こんな時間に、こんな場所で待っているのは、いったい誰なの……? 疑問の念が、頭の中をぐるぐると回っている。
 まさか……、あなたなの……? 脳裏に浮かんでいる生徒に対し、胸の内で問いかける。
 しかし、次の瞬間、その彼女の像は、急速に薄れていった。根拠はないのだが、あの彼女が、こんな陰鬱極まりない場所で待っているという状況は、どうも現実味に乏しいような気がしたのだ。では、彼女でないとしたら、誰なのか? もしかしたら、自分とは、まったく面識のない生徒なのではないだろうか? だんだん、そっちの可能性のほうが高いような気がしてきた。けれど、明日香が、涼子の『仲間』と表現したからには、もはや、彼女以外には考えられないような……。
 涼子は、もうすぐ顔を合わせる人物について、自分の予想が当たってほしいような、それでいて外れてほしいような、なんとも複雑な心境で、階段を、一段一段、踏みしめながら、ゆっくりと降りていった。
 
 階段の残りは、あと、四、五段だ。
 地下で待っている生徒と対面する瞬間は、目前に迫っている。
 いったい、誰なの……!?
 涼子は、もう一段、階段を降りると同時に、地下全体を視界に入れた。
 テニスコート一面分ほどの広さのある、地下スペースの、ちょうど中央に、その生徒は、ぽつねんと立っていた。
 
 予想は、的中した。
 クラスメイト。三年に進級してから、この何ヶ月間、涼子は、ずっと、彼女との距離感を縮めたいと願ってきた。しかし、それが一向に叶わず、やがては、彼女に対して、苦手意識を抱くようになった。そして、現在、涼子にとって、彼女は、その顔を見るだけで身がすくんでしまうほど、恐怖を感じる対象だった。その彼女との、衝撃的な対面。
 充分、覚悟はしていたにもかかわらず、実際に滝沢秋菜の姿を見て、涼子は、目をむいた。
 滝沢さん……! やっぱり……、というか、そんな、嘘でしょう……!?
 驚愕したのも、つかの間、自分が、部活の練習の時と同じ格好で、この場に来てしまったことを、猛烈に後悔させられる。今思えば、明日香の腕をねじり上げてでも、着替えの衣類の入ったバッグを取り返すべきだった。いや、今からでも遅くない。すぐに、着替えてこなくては。その衝動に襲われ、涼子は、身をひるがえして階段を駆け上がろうとした。しかし、上を見て、はっとする。
 階段の半ばほどの段で、明日香が、仁王立ちして立ちふさがっていたのである。
「りょーちん。どこ行く気なのっ」
 その声音は、明らかに涼子の行動をとがめていた。見ると、彼女は、バッグを肩に提げていなかった。上に置いてきたのだろう。
「そこ、どいて! わたし、バッグを取りに行く! どうしても邪魔するなら、力ずくでもどいてもらうからっ!」
 涼子は、内に秘めた野性味を全開にして怒鳴った。
「うっさい。いいから、降りてろっ」
 明日香は、しかし、まるで怯んだ様子もなく、尊大に命令してくる。
 その言葉を無視し、涼子は、大股で階段を踏み鳴らしながら昇っていった。
 すると、明日香が、右足を宙に上げた。
「言うこと聞かないと、顔、蹴り飛ばすよ」
 彼女の履いているランニングシューズの裏が、こちらに向けられている。
 そんな脅し、ちっとも怖いとは思わない。
 涼子は、さらに一段、二段と階段を昇り、明日香の足もとまで迫った。このまま、明日香の身を突き飛ばすつもりだった。
 だが、そこで、明日香のシューズの裏が、本当に顔面に飛んできた。すんでのところで、左腕を上げてガードをする。左腕の前腕に、がすっ、という衝撃を受けた。一拍遅れて、その部分に痛みを感じた。
「……いったぁ」
 ぽつりと声を漏らした。蹴られた部分を見てみると、皮膚が赤くなっている。どうやら、明日香は、ひとかけらの躊躇もなく、渾身の力で、涼子の顔を踏みつけようとしたらしい。
 涼子は、怒気を露わに、上にいる明日香の顔をねめつける。
 明日香は、冷たい眼差しで、涼子を見下ろしながら、ふたたび右足を浮かせる。
 涼子が、反撃してくることはない。その確信を持っているから、涼子とパワー比べをしたら、幼子も同然のくせに、そんな強気な行動に出られるのだ。一回、目に物を見せてやる……。そう思い、涼子は、上に向けて突進の構えを取った。
 しかし、その時、斜め後方から、声が届いた。
「南さんっ! 待って。行かないでっ。南さんが、どうしてここに来たのか、その理由を、教えてくれない!?」
 滝沢秋菜が、そう叫んだのだった。その声には、どことなく悲痛な響きがこもっていた。
 涼子は、それを聞いて、当惑させられた。秋菜に話したいことは、それこそ山のようにある。しかし、今のこの格好で、秋菜のそばに寄ることには、耐え難い抵抗を感じるのだ。
「ほらっ。りょーちんの『仲間』が、ああ言ってんだからっ、早く行ってあげなよぉ」
 明日香が、刺々しい声で言う。
 仲間か、と思う。そう。今や、涼子と秋菜は、仲間同士の関係にあるらしい。だが、その本当の意味は、まだわからない。秋菜と話せば、それが解明されることだろう。しかし、今の涼子にとっては、とにかく制服に着替えることが、最優先事項なのだった。
「南さんっ! お願いだから、こっちに来てっ!」
 秋菜が、再度、大声で涼子を呼ばわる。
 涼子は、意味もなく、両手で首の後ろを押さえ、その場で逡巡した。今すぐ、そちらに行ってあげるべきなのか……。
 明日香が、一段、下に降りてきた。
「あんまりぐずぐずしてるとぉ、また、蹴り飛ばすよっ」
 そう恫喝を受ける。苛立たしげな明日香の態度を見るに、あと、何秒もこうしていると、本当に足が飛んでくるに違いない。
 上には、明日香が立ちふさがっており、下からは、秋菜が呼んでいる。もはや、後ろに下がる以外に選択肢のない状況だった。
 涼子は、まさに断腸の思いで、着替えを諦め、階段を降りていった。
 
 地下の地面に降り立つと、改めて滝沢秋菜と対面した。秋菜との距離は、十メートル以上あるだろうか。むろん、涼子のほうから、秋菜に近づく気にはなれない。やや不自然に距離を保ったまま、お互いに見つめ合う。秋菜の表情や仕草を見ていると、これは、本当に、あの滝沢秋菜かと疑いたくなる。何よりもまず、普段のような冷然たる余裕が、微塵も感じられないのだ。そわそわとして落ち着きがなく、その顔には、不安の影が色濃く表れている。秋菜が、何かしら、せっぱつまった立場に置かれていることだけは、間違いないと判断していいだろう。
 
 階段の足音から、明日香も、降りてくるのがわかった。
 涼子は、後ろを振り返る。
 明日香は、地面から一段上の段で足を止めた。涼子たちのことを見ながら、ふふふっ、と笑う。
「お二人さん。『仲間』同士、仲良くしてねっ。色々と話したいこともあるでしょっ? 邪魔者は消えるんでぇ、どうぞ、ごゆっくりぃ」
 そう言い残し、弾むような足音を立てながら階段を昇っていく。
 
 涼子と秋菜が残された。
 お互い、何から話せばいいのかわからず、言葉を探している。そういう状況だった。
 涼子は、つと、周囲を見回す。
 灰色のコンクリートの壁には、あちこち、ひび割れができており、なんとなく、学校側も、校内にこんな場所があることなど、完全に忘れているのではないかとさえ思う。あるものといえば、もはや、十年以上、誰も使っていなさそうな、ほこりかぶった体育用具だけだ。空気は、異様なくらい、じめじめとしており、汗まみれのTシャツとスパッツが、よけい肌に張りついてくる感じがして、不快でたまらない。
 恥辱に満ちた過去の体験を抜きにしても、ここは、地下牢を連想させられるような、なんとも嫌な場所だと思う。
 それは、秋菜にしても同じはずだった。
 今、秋菜は、怯えているようにさえ見える。おそらくは、この空間の環境も、彼女の心理に大きな影響を与えているに違いない。



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