バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
12



 お互いに目と目を見合わせていた。普段は、あれほど冷ややかな光を湛えていた、秋菜の眼差しが、今では、湿り気すら帯びているように感じられる。涼子は、そんな秋菜に、視線で言葉を送る。わたしのことを、信頼して……。
 やがて、秋菜は、観念したように目を伏せ、おもむろに語り始めた。
「わたしには、どうしても行きたい大学があって、三年に上がった頃からは、もう、昼も夜もなく勉強をしてきた。毎日の睡眠時間は、三、四時間くらいで、まさにカフェイン漬けの状態。そんな生活を続けてきたから、最近は、だいぶ体にガタが来てたんだよね。勉強の時も、集中力が続かなくなってたし、頭の働き自体が鈍ってるのを、自分でも痛感してた。だからって、休んでいたら、その分だけ、志望大学の合格率が、じりじり下がっていく感じがして、気が変になりそうで、わたしは、空回りしてるってわかっていても、勉強し続けるしかなかった。そんな時、学校で、あの吉永香織が、わたしに言ってきたの。ものすごく勉強の能率が上がる、薬があるんだよっ、て」
「くすり……?」
 涼子は、思わず、その単語を口にした。
 秋菜は、うなだれるように、ゆっくりとうなずいた。
「吉永香織から、その薬を一錠、もらった。わたしは、なんとなく、やばいもののような気がしたし、それに、本当に効果があるのかも疑わしかったから、飲もうかどうか迷ったんだけど……、夜、勉強の前に、試しに飲んでみた。そうしたら……、びっくりしちゃった。まさに目が覚めるっていう感じ。溜まってた疲れは吹っ飛ぶし、勉強に取りかかったら、どんどん知識を吸収していくのを実感できるし、何より、集中力が、朝まで途切れることはないの。わたし、涙が出るくらい感動しちゃった。だから、その翌日、吉永香織に、同じ薬をちょうだい、って頼み込んだ。そうしたら、吉永香織は、薬を売ってくれる店を紹介してあげる、って答えた。それを聞いて嬉しくなって、放課後、わたしは、吉永香織と一緒に、駅のそばにある、地下の、喫茶店みたいなところに入った。その店が、いかにも怪しげでさ。それで、店員の男に言われて、わたしたちは、一番奥のテーブルに着いた。そのテーブルには、錠剤だけでなく、何種類かの粉も置いてあってさ、それを見て、わたしも、ああ、やっぱり、違法な薬だったんだ、って思ったんだけど……」
 涼子は、秋菜の話の深刻さに、どくどくと動悸を感じ始めていた。
 秋菜は、悔恨の念に満ちた表情をする。
「志望大学に行くためなら、どんな手でも使うつもりだった。だから、たとえ覚醒剤だとしても、構わないって思った。それで、わたしは、財布の中に、一万、持ってたから、そのお金を出して、薬を下さいって、店員の男にお願いした。そうしたら、店員の男は、受験生にはぴったりの薬があるから、それを、この場で試してみるといい、って言って、わたしの前に、白い粉を置いたの。わたしは、その男に言われるままに、ストローで、その粉を吸引した。受験生にぴったり、なんて言葉は、大嘘だった。わたしは、粉を吸引した直後、頭の中が、ぐちゃぐちゃになるような感覚に襲われた。ただ……、その代わり、例えようもない、快感が、体を突き抜けてったの。快感のあまり、わたし、しばらくの間、失神しかかってた。どんな快感かっていうのは、なんか、下品な言葉でしか表現できなそうだから、説明はやめておくけど……。それで、わたしは、店員の男に騙されたことに気づいたんだけど、まだ、快感の余韻に浸ってたこともあって、怒る気にもなれなかった。そのあと、結局、一万払って、吉永香織がくれたのと同じ薬を、二十錠、買ったんだ。だから、その日は、なんていうか、こういう世界もあるんだな、って気分で、薬も買えたことだし、吉永香織に、お礼を言って、家に帰った。でも……、今日になって……、すべてが、仕組まれた罠だったことが、わかったの……」
 涼子は、この世の深い闇を見せられている気分だった。
 秋菜は、どこか虚ろな目で、地面を見つめている。
「今日、吉永香織に、保健室前のトイレに呼び出されたの。わたしは、また、薬を譲ってくれるんだと思って、胸を弾ませてトイレに行った。でも、違った。そこで、吉永香織は、わたしに、何枚かの写真を見せてきた。それを見て、わたしは、頭の中が真っ白になった。だって、写真には、わたしが……、ストローを使って、白い粉を吸引してるところが写ってたの。また、別の写真には、覚醒剤を吸った後の、わたしの、浅ましく乱れた姿が写ってた。写真の中のわたしは、ほとんど白目をむいてて、だらしなく口を開けて、その口から、よだれを垂らしてた。要するに、あの店には隠しカメラが設置されてて、わたしは、それで撮影されてたってこと。どうやら、吉永香織と、あの店員の男は、わたしを罠にハメるための、グルだったみたい。わたしは、ほとんどパニック状態で、吉永香織に、どういうつもりか問いただした。そうしたら、あの女は、わたしが、覚醒剤を使用してる、その証拠の写真を、匿名で学校に届けて、わたしを、退学にしてやるって言い始めたの。それで、もし、退学になりたくなかったら、今日の七時に、体育倉庫の地下で待ってろ、って言われて。わたしは、その指示に従うしかなくて、ここで、待ってた……」
 
 怖ろしい……。
 涼子は、震えおののかされた。
 吉永香織という女が、腐った人間であることは、充分すぎるほどわかっていた。しかし、香織の外道ぶりは、涼子の想像以上だった。まさか、標的とした生徒の弱みを握るために、その生徒に、覚醒剤を使用させることまでするなんて。あの女は、人の皮をかぶった悪魔だ。改めて、吉永香織への憎しみを覚える。
 そして、明日香の言う『仲間』の意味が、はっきりした。予想していたとおり、致命的な弱みを握られた者同士、ということだ。
 そう……。とうとう、滝沢秋菜も、涼子と同じ立ち位置にまで堕ちてきたのだ……。涼子にとって、あれほど脅威だった、あの滝沢秋菜が。それは、すなわち、どういうことか。
 
 涼子は、奇妙な感覚を抱き始めていた。
 たしかに、秋菜の話の内容は、非常にショッキングだった。しかし、なぜだか、今、自分の体の奥底から、気、のようなものが、じわじわと湧き上がってきているのを感じる。いや、これは、エネルギーだ。いったい、自分の体のどこに、そんなものが残っていたのかと、自分でも不思議でならない。だが、エネルギーが体に満ちてくるのは、確かな事実だった。それだけではない。今まで、頭の芯が、もやに覆われているような状態だったが、一転、まるで別世界を体験しているかのように、意識が鮮明になっていく。
 秋菜の話に出てきた覚醒剤ではないが、まさに、疲労が吹っ飛んでいく感覚である。もう、何日間も、まともな睡眠を取っていないことなど、嘘のようだった。今や、四肢の隅々まで、力がみなぎっている。生きる。それは、こういうことなのだ。
 しかし、どうして、自分の生命力は、このように劇的に復活したのだろう。
 それは、考えるまでもないことだった。
 希望。
 薄ぼんやりとではあるが、その光を、眼前に見たからだ。
 
 滝沢秋菜が握られている弱み。覚醒剤を使用しているところを写した写真となると、涼子が、香織たちに握られている弱みより、断然、破壊力が上だろう。そんな写真を学校側が確認したら、まず間違いなく、秋菜は、退学処分となるからだ。秋菜の今後は、いったいどうなってしまうのか、クラスメイトとして心配である。だが……、秋菜の状況が、絶望的であればあるほど、逆に、自分が救われる可能性は高まっていくような、そんな気がした。
 今まで、涼子は、自分が、秋菜の体操着のシャツを使って、自慰行為をしたという、その『物証』が、秋菜本人の元に届けられることを、何よりも怖れていた。しかし、今や、その秋菜も、涼子と同じ地平に立っているのだ。なので、吐き気がするくらい嫌な話だが、かりに、この先、例の『物証』を、秋菜が手に取ることになったとしても、それが、涼子の高校生活の破滅に直結することはない。秋菜だって、事情を完璧に理解しているのだから。すべては、吉永香織が、涼子に、無理やり行わせたことなのだと。
 そう……。滝沢秋菜も堕ちてきたために、涼子にとっては、最大の脅威が消えたことになる。香織たちは、そのことに気づいていないのだ。
 
 予感は当たった。
 勇気を持って、この場に来れば、自分を取り巻く多くの物事が、よい方向に変わっていくのではないか。そんなふうに感じていたのだ。そうでなければ、竹内明日香に、どれほど脅されようとも、こんな場所には来なかった。
 今、自分の中に、自己保身の権化と化した自分の姿が見える。その自分は、目が血走っていて、さらに、病的なほど青白い顔をしており、実に不気味な印象を受ける。真っ暗な地底で、もがき苦しむばかりの生活を送ってきたために、そんな風貌に変わってしまったのだ。しかし、その自分が、雨の恵みを受けるかのように、両手を挙げて、野太い声で吼える。
 わたしだけは……、助かる……!

「ねえ、南さんっ」
 我を忘れかけていたところで、秋菜に呼ばれる。
 涼子は、びくっとして、そちらに目をやった。
 すると、秋菜は、ふたたび、唐突に駆け寄ってきた。
「吉永香織の目的は、いったい、なんなの!? 南さん、わかる!?」
 ちょっと、来ないで……! 涼子は、先ほどと同様、心の内で悲鳴を発した。秋菜の言葉が終わる前に、さっと体の向きを変え、走るような足取りで、その場を離れていく。奥の壁まで到達すると、秋菜との距離は、十五メートルほどになった。
 秋菜は、今度こそ、本当にショックだったらしく、頬に手を当て、悲しげな素振りを示す。どうして、涼子が、秋菜を避けるように離れてしまうのか、その理由を知りたいはずだ。
 涼子は、両手の指で、髪の毛のサイドの部分を両耳にかける。この仕草は、人前で困惑したり、気まずい思いをしたりした時の、自分のくせであることを、涼子自身も自覚していた。
「うーん、そうだなあ……。吉永香織の、目的は……」
 あやふやな言葉を返して、場を取りつくろう。
 お互いに『仲間』であることを確認し、弱いところをさらけ出し合った。今となっては、秋菜に対して、変に格好を付ける必要はないはずだ。しかし、それでも、自分の体臭に関する部分まで、無防備にするのは、全裸の写真を見られる以上の抵抗を感じる。今まで、ずっと苦手意識を抱いていた相手であるせいか、どうしても、秋菜の前では、プライドを捨て去ることができないと感じる自分がいた。
 
 秋菜としては、今の、涼子との距離感が、もどかしくてたまらないのだろう、またぞろ、彼女は、こちらに駆け寄ろうとする動作を見せた。
 それを瞬時に察知して、涼子は、素知らぬふうで向かいの壁へと歩いていく。
 まるで、今までの涼子と秋菜の関係を、そっくりそのまま逆にしたような状況である。涼子は、高校生活のなかで、秋菜との距離感を、わずかでも縮めたいと、あれこれ試行錯誤をしながら振る舞ってきた。しかし、涼子が歩み寄った分、いつも、秋菜は、そっと離れていったのだった。そのせいで、これまでに何度、やるせない気持ちにさせられたことだろう。ところが、今はどうだ。秋菜が涼子を追い、涼子が秋菜から逃げている。ようやく、秋菜と接近できる時が訪れたというのに、今度は、反対に、こちらが、一定の距離を取り続けているというのは、なんとも皮肉なことだと思う。
 
 秋菜は、もの問いたげな眼差しで、涼子を見つめている。その表情は、こんなふうに語っていた。どうして行っちゃうの……? 南さん、わたし、何か悪いことした……? 
 涼子は、申し訳ないと思いながらも、額に手を当て、絶えず足を動かし続けた。深く物事を考える際には、うろうろ歩き回る性分なのだというように。
「あいつの目的っていうのは……、なんていうか、嫌がらせ、みたいなものじゃないかなあ……」
 口を動かしながらも、頭の中は、別のことで占められていた。
 最大の脅威は消えた。だが、香織たちが、涼子の全裸を写した写真を保持していることに、変わりはない。それに、奪われたバレー部の合宿費は、まだ、半分も取り返せていない。もし、この状況で、涼子が、香織たちへの服従をやめたら、どうなるか。涼子の弱みである写真は、学校中にばらまかれるかもしれないし、合宿費は、もう一円も返ってこなくなるだろう。その二つの問題に、どう対処すべきか、神経を集中して考える。
 
 数秒後、よし、と心に決めた。
 涼子の全裸の写真を、全校生徒が、目にするような事態に発展したら、もう、何もかもを話そう。親しい友達、全員に、また、一番、信頼できる女性教師にも。それでも、出回った写真を一枚残らず処分するのは、まず不可能だし、自分は、毎日、顔を隠したいくらいの恥ずかしさと戦いながら、高校生活を送ることになるだろう。けれど……、その苦痛には耐える。
 それと、合宿費に関しては、まず、家族に相談しよう。だが、それでも、どうにかなる額でないことは、涼子も、充分にわかっている。だったら、この身を動かせばいい。この高校では、アルバイトが、校則で原則的に禁止されているが、涼子には、やむにやまれぬ理由があるのだ。しばらく、部活は休み、どこかで、それも何件も掛け持ちして働くことにしよう。今、自分の体の中には、エネルギーが満ちているのを感じる。しっかりとした休息を取れば、すぐに健康な体に戻るはずだ。体力には自信がある。ぶっ倒れるのも覚悟で働けば、結構なお金を稼げるのではないか。そんな気がしてきた。
 香織たちに反旗をひるがえしたなら、自分には、いばらの道を裸足で歩くような毎日が待っているのかもしれない。しかし、自分は、そちらを選ぶ。これ以上、香織たちから辱めを受けるよりは、ずっとずっとマシだ。
 そう腹をくくると、一段と気分が高揚した。
 
 もう、香織たちを怖れることはない。これから、あの三人が、揃って姿を現すはずだが、自分は、その横を堂々と歩いて通り過ぎ、階段を昇り、この地下牢のような場から出ることができる。
 わたしは、助かる……。
 だが、その一方で、秋菜は、どうなるだろう。
 覚醒剤を使用している証拠の写真。それを、香織に、弱みとして握られているとなると、どう考えても、秋菜には、服従以外の選択肢は残されていない気がする。つまり、おそらくは、これから、この場で、香織たちによって、身に着けているものを、すべて脱がされ、女としての誇りを蹂躙される運命が待っているのだ。考えただけで、心が痛くなる。
 そんな秋菜を見捨てて、自分だけ、この場から抜け出すというのは、いかがなものか。それに、もし、涼子が、そうして帰ってしまったら、香織たちが、その不満をぶつけるように、より激しいやり方で、秋菜に辱めを加えるだろうことは、想像に難くない。それでも、自分が助かるためには、やむを得ないと、開き直ってしまっていいのだろうか……?
 心に手を当てて、自らに問いかける。
 ダメだ。いくらなんでも、それは、冷酷すぎる。
 共闘するべきだ。秋菜と知恵を出し合い、手と手を取り合って、二人が、共に救われる方法を模索するのだ。しかし、その方法を見つけるのは、容易なことではない。
 
 秋菜が、暗い声で言う。
「嫌がらせ……。そのために、わたしに、覚醒剤を使わせることまでしたってことは……、きっと、並大抵じゃない嫌がらせをしてくるよね……。わたし、何されるのか、怖くてしょうがなくなってきた……」
 どうやら、涼子との距離を縮めることは諦めたらしい。
 涼子は、足を止めて秋菜のほうに顔を向けた。いったい、今までの自分は、この子の何を怖れていたんだろう。そう思うくらい、秋菜が、弱々しい存在に見えてならない。
 それにしても、秋菜も、愚かなことをしたものだと思う。いくら志望大学に合格したいからとはいえ、違法な薬物だとわかっていながら、それを服用するなんて。だが、秋菜にしてみれば、わらをもつかむ思いだったのだろう。飛び抜けて学業優秀であると知られている秋菜だが、彼女は、それ相応の苦悩を抱えていたのだ。そして、そんな脆い部分を、あの吉永香織に嗅ぎつけられ、そこに付け込まれてしまった。
 自分もそうだが、秋菜も、なんて哀れな人間なのだろう。わたしたちは、仲間だ、という念が、今になって、ひしひしと身に迫ってくる。もし、今、こんな汗まみれの格好をしていなければ、秋菜の肩を、そっと抱いてあげていたはずだ。



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