バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十章
地獄からの脱出口
14



 やがて、上から、話し声が聞こえてきた。
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ。全然、怖がらなくていいから」
 さゆりの声だ。
「……えっ。でも、本当に、いいんですか? なんか、あたし……、緊張してきちゃった」
 ひどく子供っぽい声だ。その声に、聞き覚えはなかった。
「……へいき、へいき。さっ、降りて降りて」
 それから間もなくして、階段から、足音が鳴り始めた。
 涼子は、にらむように階段を注視する。
 いったい、誰が、こんな場所に来るのか……?
 
 数秒後、二人の生徒の姿が、ほぼ同時に視界に入った。
 先に降りてきたのは、小学生のように小柄な生徒だった。
 涼子は、その彼女の顔を見て、あっ、とかすかに声をこぼした。
 続いて、二年の石野さゆりが、階段を降りてくる。相変わらず、見ていて、胸のむかむかするような薄笑いを浮かべて。
 その二人が、地面に降り立った。
 小柄な生徒は、両手を胸に当て、どぎまぎした様子で、涼子のことを見てくる。
「あっ、あっ、南先輩だ……」
 涼子との対面に、感激しているような口ぶりである。
 そんな彼女の肩を、後ろから、さゆりが押して歩き、二人が、香織たちの陣営に加わる。
 これで、涼子と秋菜は、十メートルほどの距離を空け、四人と対峙する形となった。
 すると、それまで黙っていた明日香が、小柄な生徒の背後に近づき、さゆりと入れ替わって、その子の両肩に手を置いた。
「りょーちん。この子のこと、憶えてるぅ?」
 明日香の顔には、かつて見たことのないくらい、狡猾そうな含み笑いが浮かんでいる。
 悪魔の微笑みだ。
 
 ああ、そうきたか……。
 涼子は、香織たちの意図を把握した。
 今、明日香の前にいる、思春期を迎えたばかりのように幼い容姿の彼女のことは、鮮明に記憶に残っている。
 
 あれは、一週間ほど前のことだ。
 放課後、部室に向かって、体育館の館内通路を歩いていると、突然、その彼女が、涼子に接触してきた。香織たちからの言伝を、涼子に伝える、という形だった。そのやりとりは、すぐに終わった。それから部室に入り、ほどなくして、涼子は、自分と、その彼女との間に、接点があることを思い出した。彼女は、さかのぼること、一ヶ月以内に、直接、涼子にファンレターを手渡してきた生徒だったのだ。
 この一ヶ月以内。そのことが、やたらと意識に引っかかった。なぜなら、それは、竹内明日香が、バレー部のマネージャーとして、活動を始めた以降、ということでもあるからだ。それに、その彼女から、ファンレターを受け取った場所は、ほかでもない体育館である。もしかすると……、その場面は、明日香に目撃されていたのかもしれない。そして、明日香は、涼子を辱める目的で、その彼女を利用するという、悪魔も真っ青の奸計を思いついた。だから、香織たちが、涼子への伝言役に、彼女を選んだのには、深いわけがあった。涼子に対して、こんなメーセージを送りつけるような。こっちは、その子を仲間に引き入れるために、すでに動き始めているから、せいぜい、気をつけるんだね……、と。
 そういう可能性もある気がして、あの時、自分は、ものすごく不吉な胸騒ぎを感じたことまで、昨日のことのように、よく憶えている。
 
 そして……、どうやら、それは、現実のものとなったらしい。
 だが、今ならまだ、その現実を覆すことは可能だろう。
 涼子は、その彼女の顔を、真っ直ぐに見つめ、それから、さらに記憶をたぐり寄せた。
「あの、きみ……。たしか、一年生の、足立さん、だったよね?」
 一年C組。足立舞。間違っていないはずだ。
 彼女は、はっとした顔をする。その表情は、いかにも純真無垢な感じである。
「はっ、はい……」
 消え入りそうな声で答える。
「きみ……、そこにいる先輩たちに、どんな話を聞かされてるのか知らないけど……、ここは、きみが、いるような場所じゃないんだよね。だから、申し訳ないんだけど、今すぐ帰ってもらえるかな? それでさ、今度、いつでもいいから、三年E組の教室まで来てくれる? そうしたら、わたし、きみと話す時間を作る。その時に、二人で、お話しようっ。ねっ?」
 涼子は、やんわりと首を傾け、小さな子供に向けるような笑顔を浮かべてみせた。
 舞は、丸っこい大きな目を、ぱちくりさせながら、涼子のことを見返してくる。だが、ちょっとすると、そばにいる三人の先輩たちの、一人ひとりに、意見を求めるような視線を投げかけ始めた。
 香織も、明日香も、さゆりも、その舞の視線を、横目で受け止める。しかし、誰も言葉を口にしない。
 すると、舞は、とぼとぼと、香織のそばに寄った。
「香織先輩……。あたし、帰ったほうが、いいですかぁ……?」
 不安げな表情で、香織に、そう尋ねた。
 香織は、舞の肩を抱き寄せる。
「帰らなくて、いいの。舞ちゃんは、スペシャルゲストなんだから……。南せんぱいったら、見かけによらず、ものすごく照れちゃってるみたい。いくら、舞ちゃんから、告白の手紙をもらってるからって、そんなに照れなくてもいいのにね」 
「えっ……、あっ、えっ……」
 舞は、慌てふためいた。その、お餅のように柔らかそうな頬が、見る見るうちに桜色に染まっていく。告白の手紙、と言葉に出されたことで、羞恥心を強く刺激されてしまったようだ。
 
 そう……。
 涼子は、舞から受け取った手紙の内容についても、だいたい思い出すことができる。あれを、ファンレターと表現するのは、正確性に欠けるだろう。回りくどいことが、色々と書いてあったけれど、その最後のほうには、紛れもない涼子への告白の言葉がつづられていたのだ。
 女同士ではあるが、舞は、涼子に対して、恋心のようなものを抱いている。それは、男の子が女の子を好きになったり、また逆に、女の子が男の子を好きになったりするのと、さほど変わらない感情なのかもしれなかった。
 現在は、そんな舞が、香織たちの側に立っている。涼子にとっては、この状況それ自体が、屈辱感を抱かされるものだった。こんな時間は、一秒でも早く終わらせねばならない。
「ねえ、きみ……。実を言うとさ……、わたしと、そこにいる先輩たちは、ちょっと揉めてて、これから、言い争いになりそうなの。もしかしたら、すごい喧嘩になるかもしれない。そんな時に、きみみたいな一年生の子がいると、わたし、やりにくいんだよねえ……。だから、わたしからの、お願い。申し訳ないけど、今すぐ帰ってくれるかな? ごめんねえ、こんなこと言っちゃって。でも、近いうち、きみと、ゆっくり話したいって思ってる」
 涼子は、舞に向かって、にっこりと笑いかけた。
 舞は、ぼんやりとした目で、涼子のことを見返してくる。だが、ほどなくして、また、香織のほうに顔を向けた。
「香織先輩……、あたし、どうしたらいいんですかぁ……?」
 その舞の行動に、涼子は、イラッときた。
「いいのいいの。南せんぱいは、あんなふうに偉そうなこと言ってるけど、本当は、あたしたちのほうが、断然、強い立場なんだから。……で、南さんさあ、いい加減、しらばっくれるのは、やめてくれる? なに、いつまでも、立場をわきまえず、服を着てんのよ……。あたし、舞ちゃんに、約束しちゃったんだから。南せんぱいの、過激なセクシーショーを見せてあげるって。だから、早く、服を脱いで。でも……、もしかしてだけど……、自分のことを好きな女の子の前では、絶対、服を脱ぎたくないって思っちゃってるぅ?」
 香織の、つり上がり気味の目が、ぎらぎらと光る。
 
 涼子だって、ほかの年頃の女の子たちと同様、デリケートな心を持っている。相手が同性とはいえ、自分に対して好意を抱いている生徒の前で、格好悪いところを見せるのは、プライドが深く傷つく。ましてや、この場で、着ているものを脱ぐなど、もってのほかである。そんな、人間として当たり前の心理を、香織は、もてあそぶように、舞を、この場に留まらせているのだ。とことん下劣さを極めたサディストである。
 涼子は、香織に対して、殺意に近い感情を抱き、両手の拳を、ぎゅっと握り締めた。それから、目力を込め、舞の顔を見すえる。
「あのさあ、きみ。今の話、聞いてたでしょ? その先輩が言ってること、どう考えても、おかしいって思わない? 思うよね? この人の言ってることは、正しい。この人の言ってることは、間違ってる。そういう判断は、もう、高校生なんだから、自分でできるよね? わたしは、きみに、帰ってって言ってるの。それでもまだ、この場に残るつもり? きみも、その先輩と同類? 違うよね?」
 もう、笑顔を向けることもしなかったし、優しく語りかける口調でもなかった。どちらかというと、叱っているような物言いだった。
 だが、舞は、またしても、香織のほうに顔を向ける。香織に救いを求めるように。
 涼子は、それを見て、苛立たしさのあまり、思わず、右足で地面を踏みつけるような動作を行っていた。
「南さんさあ……、往生際が悪すぎて、見苦しいよ。舞ちゃんの見てる前では、服を脱ぎたくないって思ってるんなら、そんな、くだらないプライドは、捨てちゃえばいいの。言っておくけど、南さんが、セクシーショーをやり終えるまでは、たとえ、舞ちゃんが帰るって言っても、あたしが、絶対に帰らせないからね」
 香織は、舞と腕を組んだ。
 舞は、困惑した様子を示しているものの、帰る素振りは少しも見せず、その場に留まっている。後ろめたい思いがあるためか、もはや、涼子とは、目を合わせようとしない。
 
 涼子は、そんな舞を眺めながら、色々なことを思い始めた。
 舞は、涼子に対して、恋心のようなものを抱いている。それは、動かぬ事実だ。しかし、だからといって、同性愛者と捉えるのは、早計に過ぎるだろう。思春期の女の子が、同性を好きになるのは、たいてい一過性のものであり、特別、珍しいことではないのだと聞く。それに、かりに、舞には、第二次性徴期に入った頃から、すでにレズビアンの傾向があったのだとしても、現在、好意の対象である涼子のことを、性的な目で見ているとは考えにくいし、また、考えたくもなかった。涼子にとっては、女の子が女の子を、性の対象として見るという心理が、どうにも想像しづらいのだった。
 しかし、果たして、断言できるだろうか……。
 舞の、ぷーっと頬を膨らませたような、その表情を見つめる。なんとなく、その顔には、密かな期待の思いが表れているような、そんな感じを受けないでもない。
 ひょっとすると、舞は、涼子に対して、恋心のようなものを抱いているだけではなく、性的好奇心をも持っているのではないか。だから、仕方なく香織に従っているフリをしてはいるが、本当は、涼子の生脱ぎを見たくて、うずうずしているのではないか。そうして、衣類をすべて脱ぎ去った後に現れる、涼子の裸の肉体を、目に焼きつけたいという欲求で、胸が一杯の状態なのではないか……。
 そこまで思い、涼子は、ぞっとしてしまった。
 もし、そのような心理状態の女の子の前で、裸をさらすとしたら、それは、考えうる限り最大級の屈辱だという気がする。そんな屈辱には、とても耐えられない。秋菜には申し訳ないが、自分だけでも、この場から抜け出したいという思いが、ふつふつと胸に込み上げてくる。



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