バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十一章
邪悪な罠
3



「さてさて。じゃあ、おしくらまんじゅうを始めたいんだけど、ちょっと、問題あり、かもね。南さんの、この、汗まみれの体と、猛烈な汗の臭い。滝沢さんは、密着状態で、それに耐えないといけないから、かなり苦しいっていうか、不利だね」
 香織は、涼子と秋菜を見比べた。
「そうよっ! どう考えても、わたしのほうが、不利じゃないっ。それに、この変態女、わたしのことを、性的対象として見てるのよ? わたしと密着したら、これ幸いとばかりに、わたしの体に、何か変なことをしてくるかもしれない。わたし、そんなの、我慢できない! ねえ、吉永さん。だから、おしくらまんじゅうの勝負は、中止にして。それで……、さっき、吉永さん、こう言ってたよね? この女が、あの、一年生の子の、すぐ目の前で、裸になるなら、わたしは、脱がなくてもいい、って。もう一度、そのチャンスをくれない? わたし、この女に、今度こそ、それを、必ずやらせてみせる!」
 秋菜は、そうまくし立てると、恐ろしく険しい表情で、こちらを向いた。
「わたしから、あんたへの命令。今すぐ、あの、一年生の子の前に移動して、着てるものを脱ぎ始めて。従わないっていうなら、学校から、あんたを、抹殺するわよ」
 涼子は、目の前が、真っ白になるような心地がした。
 もう、ここで、わたしの運命は、闇に閉ざされるの……?

「待ちなよ、滝沢さん」
 香織が、横から口を入れた。
「勝手に話を進めないで。さっき、あたしが言ったのは、南さんが、自分の意思で、滝沢さんを守るために、自己犠牲の精神を見せられるかどうか、ってことなのよ。でも、南さんは、それをしなかった。滝沢さん、あなたが、南さんに、無理やり、同じことをやらせても、それじゃあ、美しい自己犠牲とは認められない。もう、あなたたち二人とも、脱ぐことは、決定してるの。滝沢さんも、いい加減、往生際が悪いね。あなたが、今、できることは、ただ一つ。南さんとの、おしくらまんじゅうの勝負に勝って、脱ぐ順番が、あとになるよう、頑張ることだけ。あなたが、不利なのは、あたしも、理解してる。だけど、不利は不利でも、どうしたら勝てるのか、その、優秀な頭で、なんとか考えなさい……。いい? わかった?」
 秋菜は、両手の十本の指で、脳を刺激するかのように頭部を押さえた。何かに取り憑かれたような目つきをしている。おそらく、希望を失いかけているが、着ているものを脱ぐなど、決して受け入れられないという、彼女のプライドが、絶望の底に沈むことを許さないのだろう。
 涼子は、そんな秋菜の様子を見て、強く確信した。きっと、秋菜は、これから先も、まだまだ、自己保身の本能に突き動かされるままに、涼子のことを、口汚く侮辱し続けるに違いない。

「滝沢さんっ。おしくらまんじゅうを始めるから、バッグを下に置いて……。あと、さゆりっ、あんたは、南さんの後ろに回って」
 香織は、秋菜とさゆりに指示した。
 秋菜は、観念したようにバッグを地面に置く。
 だが、さゆりは、難色を示した。
「えっ……。あたしが、南せんぱいの側ですか? あたし、その、汗まみれの体に触るの、すごい抵抗があるんですけど」
 本当に抵抗を感じているらしく、顔全体をしかめている。
「いいから、南さんの後ろに回って。だって、あんた、滝沢さんに対しては、遠慮しちゃいそうだし」
 香織は、涼子のほうに、あごをしゃくった。
「あっ、はあ……」
 さゆりは、しぶしぶとした様子で、こちらに歩いてきて、涼子の背後に回った。その直後、涼子の背中に顔を近づけ、露骨に体臭を嗅いでくる。
「うっ……。くっせぇ」
 吐き捨てるように言う。
 それから、涼子の肩甲骨のあたりに、ぺたぺたと触れてきた。
「なに、この汗……。あたしが、もし、こんな体になったら、もう、生きていけなくなりそう」
 思えば、石野さゆりという後輩は、涼子の、これまでの常識を、根底から覆すような存在だった。誰しもが、遅くとも中学に入学したら、先輩に対しては、最低限の礼儀を守って接するようになる。そういうものだと考えてきた。ところが、それを平気で無視する人格の持ち主が、こんな身近なところにもいることを、涼子は、身をもって思い知らされたのである。
 
 さゆりは、涼子の両肩をつかむと、信じられないくらい、荒っぽい手つきで、秋菜のほうに、体の向きを変えさせてきた。
 反対側では、香織が、秋菜の背中に手を回し、涼子のほうを向かせる。
 涼子と秋菜は、二、三メートルほどの距離で向かい合う形となった。これ以上、一歩たりとも相手に近寄りたくない。お互いが、そう感じているのだ。自分の体の大量の汗を、相手に付着させる涼子と、その汗を体に付着させられる秋菜。自分でも閉口する汗の臭いを、密着状態で嗅がれる涼子と、その臭気に苦しめられる秋菜。いったい、どちらのほうが、精神的な苦痛が大きいか。お互い、はち切れんばかりに恥じらいを抱えた、思春期の女の子なのだ。どう考えても、わたしのほうが、絶対につらい。涼子には、そう思えてならなかった。
 また、この『勝負』が、いかに馬鹿げたものであるかは、充分にわかっている。どちらが勝つにしても、いずれは、涼子も秋菜も、着ているものを、すべて脱がなくてはならないという既定なのだから。しかし、涼子は、秘策を練るための、時間稼ぎがしたかった。一方、秋菜のほうは、涼子を攻撃する姿勢を見せ続けることで、あわよくば、香織の手下のような存在になれたらいいと、そんなふうに考えているのだろう。つまり、お互いが、自分だけは助かるのではないか、という希望を抱いているがゆえに、これから、香織の考えた悪趣味極まりない『勝負』を始めようとしているのだ。
 
 ふと、涼子は、竹内明日香と並んで立っている、一年生の足立舞のほうに、視線を飛ばした。
 うきうきしているような舞の表情が、目に入る。が、舞は、目が合ったとたん、気まずい思いがしたのだろう、さっと視線を地面に落とした。南涼子と滝沢秋菜。その三年生同士の、醜い戦いを見られるのが、それほど嬉しいのか。
「あのさあ、きみ……。一言だけ、言わせてもらうんだけど、きみって、嫌な趣味してるよねっ」
 涼子としては、これだけでも言ってやらないと、どうしても気が済まない思いだったのだ。
 しかし、舞は、とっくに、涼子には嫌われていると開き直っているのか、悲しげな顔を見せるわけではなかった。そればかりか、すねたように唇を曲げている。
 そこで、涼子は、いきなり後頭部を、ぱんっとはたかれた。
「うっせえんだよ、おめーは」とさゆり。
 一年生には舐められ、二年生からは手を出される。いったい、どこの高校に、これほど情けない最上級生がいるだろうか。そんな暗澹たる気持ちになり、涼子は、震えるため息を吐き出した。

「それじゃあ、おしくらまんじゅう、開始するよっ!」
 香織が、その言葉と共に、秋菜の背中を押す。
 続いて、涼子も、さゆりに、どんっと肩を邪険に突かれ、前に進み始めた。
 二人の距離が、一メートルを切ろうかというところで、秋菜は、後ろに身を引くようにして足を止めた。
「うっわっ、くっさーいっ! ちょっと、ちょっと待って、吉永さんっ。この人の汗の臭い、わたし、耐えられそうにない!」
 涼子のほうも、背筋の引きつるような羞恥感情から、思わず立ち止まった。
「先に脱ぐのが嫌だったら、ごちゃごちゃ言ってないで、ほらっ、早く行って」
 香織は、秋菜の身を、さらに、こちらへと押しやる。
 涼子も、さゆりに、ぐいぐいと肩を押され、一歩、二歩、と脚を前に動かす。
 いよいよ、お互いの体が密着し合う瞬間だった。
 涼子は、ガードを固めるように両腕を上げて、体全体で秋菜と密着するのを防ごうとした。
 秋菜のほうも、涼子と同様に構えた。
 二人の腕と腕がぶつかる。
 身長は、涼子のほうが、四、五センチ高いくらいだ。そのため、もし、二人とも腕を下ろしたら、お互いの唇が、相手の顔にくっついてしまいそうである。そんな最悪の事態だけは、絶対にあってはならないという思いから、涼子と秋菜は、両腕で押し合いをしている状態だった。
「おっしくらまんじゅうっ、押されて、泣くなっ」
 香織が、愉快そうに、かけ声を出す。
「おしくらまんじゅう、押されて、泣くな」
 さゆりも、涼子の体を、もっと秋菜に密着させようと、後ろから圧力を加えながら、香織に声を合わせる。
 玉のように汗が浮いている涼子の腕にこすられ、秋菜の前腕も、すっかり濡れ光っていた。涼子の汗が潤滑油となり、二人の腕と腕が、ぬるぬると滑る。
「やだ! この汗、気持ち悪いっ! もうっ! どうして、わたしが、こんな目に遭わないといけないのよ!」
 秋菜は、いかにも、自分が一方的な被害者だとでもいうように、大声でわめき散らす。
 
 涼子は、この、苦痛に満ちた状況下で、懸命に頭を働かせていた。
 秘策。その道筋を立てるために。
 滝沢秋菜の呪縛から逃れるには、こちらも、彼女に対抗することが必要である。秋菜は、涼子の変態行為を写した、例の三枚の写真と、それに、涼子の体液で汚れた体操着のシャツを、手中に収めている。そして、さらに、南涼子から、同性愛的な好意を寄せられていたという、嘘のストーリーを作り上げた。それらを複合させる形で、涼子のことを脅迫している。そのため、現在、涼子は、見えない首輪で拘束されており、この地獄から抜け出せないのと同時に、秋菜の命令には服従せざるを得ない。しかし、もし、こちら側も、秋菜を脅迫することが可能になったら。そう。秋菜が、覚醒剤を使用している証拠の写真を、手に入れることに、成功したなら……。
 秋菜に向かって、こう言ってやることができる。
『わたしを、学校から、抹殺する? そう。それなら、そうすればいい。わたし、学校に通えないような状況に追い込まれたら、滝沢さん、あなたのことを、絶対に許さない……』
 それから続ける言葉は、香織が、秋菜に対して言ったという脅し文句と、ほぼ同じである。
『……あなたが、覚醒剤を使った証拠である、この写真を、匿名で学校に届けて、あなたが、退学になるようにしてやるから』
 こちらも、秋菜に、見えない首輪をはめるのだ。その首輪で、秋菜の首を、ぎりぎりと締めつけてやる。秋菜が、その苦しみから解放されたいという一心で、涼子を拘束している、この首輪を外すまで。
 しかし、一番の問題は、どうしたら、秋菜の致命的な弱みである、その写真を、香織から入手できるか、という点である。

「ちょっと、南さんも滝沢さんも、その両腕を下ろして、ちゃんと体と体で密着し合いなさいよ」
 香織は、今のままだと面白くないと思ったらしく、さらなる要求を突きつけてきた。
 だが、涼子は、それに従う気になれなかった。
 秋菜も、涼子と、体全体で密着するなど、とても耐えられないと感じるのだろう、両腕の前腕を、こちらに押しつけたままである。
「はいっ。いつまでも、そうやってると、負けにするよ。滝沢さん、腕を下ろしなさい。……さゆり、南さんの腕を、下ろさせて」
 香織は、秋菜の両腕を後ろからつかんで、無理やり下げさせ、後輩に指示した。
 さゆりは、涼子の前腕の部分を引っつかむと、まるで、犯罪者を逮捕するかのように、後ろ手にさせてきた。
 それから、香織とさゆりは、それぞれ、目の前の背中を勢いよく押した。
 涼子は、秋菜の顔面に、唇を押し当てることにならないよう、とっさに、顔を右側に向けた。
 秋菜のほうも、涼子から見て左側に、思いっ切り顔をそらす。
 最初に、お互いの胸と胸が当たった。続いて、肩同士がぶつかり合い、また、自分の腹部を、相手の上半身に押しつける形になる。涼子と秋菜は、文字通り、べったりとくっつき合ったのだった。二人とも、後ろから背中を押されるままに、体と体をこすり付け合う。
「いいよいいよ。おしくらまんじゅうらしくなってきた……。おっしくらまんじゅう、押っされて、泣くなっ」
 香織は、これぞ求めていたものだと満足したらしく、ふたたび、かけ声を出した。
「おしくらまんじゅう、押されて泣くなっ」
 さゆりも、笑い混じりに口にした。
 
 密着している秋菜の体からは、ふんわりといい匂いがする。今の涼子とは対照的な、女の子らしい、綺麗で清潔な秋菜の体。だが、その秋菜のセーラー服も、涼子のTシャツに染み込んでいる汗が付着し、うっすらと濡れてきているのが見て取れる。まるで、うら若き少女の身を、ケダモノが穢しているかのよう。その思考に頭の中が占拠され、涼子は、羞恥心というより、劣等感と屈辱感が、どろどろに混じり合ったような感情を抱かされた。それにより、苦痛が増大し、思わず声を漏らしてしまう。
「あああ、いやあ……」
 喉の焼けたような、がらがら声だった。
「なにが嫌よっ! あんたの、こんな汗まみれの体とくっつかされてる、わたしの身にもなってみなさいよ! わたしのほうが、あんたの何十倍も苦痛なんだから!」
 秋菜が、涼子の耳もとで、憤慨したように怒鳴った。
 そのやかましさに、頭の神経がずきずきする。

「ねえ、南さん。あたし、知ってるの。南さんが、今まで、滝沢さんとの距離感に悩んでいたことを。滝沢さんと接近したいって、ずっと思ってたんでしょう? で……、どう? ようやく、滝沢さんと、こんなにくっつき合うことができた気分は。もう、すっかり親友の関係になった距離感じゃない。っていうか、この距離感は、親友なんて、完全に通り越して、滝沢さんと、まさに、恋人同士になったって感じだよね。嬉しい? 幸せ?」
 香織は、秋菜の背後から顔を出し、こちらを見ながら、ひひひっ、と笑う。
 滝沢秋菜との距離感に悩んでいた……。それは、否定しようのない事実だ。今日に至るまでの高校生活のなかで、滝沢秋菜に、距離を置かれている、と感じさせられたことが、どれだけあっただろうか。涼子が、話の輪に加わると、その場にいた秋菜は、すっと離れていく。それが、判で押したように繰り返されてきたのだ。そのたびに、涼子は、やるせない気持ちで胸が苦しくなった。
 あるいはまた、しばしば、こんな場面を経験した。
 教室前の廊下で、涼子は、六、七人のクラスメイトたちとお喋りをしていた。その輪の中には、滝沢秋菜の姿もある。秋菜は、積極的に会話に加わっているわけではないが、涼子がいるからといって、すぐに立ち去る気もないようだった。これは、秋菜との距離を縮めるチャンスだ。涼子は、そう思った。秋菜とコミュニケーションを試みるのは、少しばかり勇気がいることだった。けれど、思い切って、秋菜に話を振ってみた。と同時に、とびっきりの笑顔を浮かべてみせる。だが、秋菜からは、気のない返事しか返ってこなかった。涼子は、失意を感じながら、気まずさをごまかすように、曖昧な言葉を口にし、もじもじと指をいじる……。
 そうした出来事の後、たいてい、秋菜との距離感に対する思いが、胸中に渦巻くのだった。もしかしたら、滝沢さんに、嫌われてるのかな……。だとしたら、きっと、わたしが悪い。わたしの、生意気な性格が、原因なんだろうな……。でも、できれば、滝沢さんと親しくなりたい。下の名前で呼び合えたらいい。『涼子、秋菜』って。滝沢さん、お願いだから、もっと、あなたに近づかせて……。
 まさか、その滝沢秋菜の体を、こうして、自分の体液で汚す日が来るなんて、想像だにしなかった。目くるめく非現実感に、身も心も押し潰されそうである。悪夢のようだった。

「滝沢さん、南さんの、体臭責めは、どう? きつい? もう限界?」
 香織が、今度は、秋菜に尋ねる。
「とっくに限界を超えてるわよ! この臭い、鼻がおかしくなるどころか、もう、気が狂いそう!」
 秋菜は、苦しさを訴えるというより、涼子を罵るように叫んだ。
 今の言葉が、あの、滝沢秋菜の口から、自分の体のことに対して発せられたものだと思うと、より一層、この現実が信じられなくなってくる。



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