バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十二章
不気味な響き
7



「まったく、あんたさあ……、わたしのことを、なんだと思ってるわけ? わたしのバッグから写真を盗むわ、その写真を使った、わたしへの嫌がらせに加わるわ……、今日なんて、わたしを見捨てて、自分だけ助かればいい、っていう態度で、帰ろうとするわ……、おまけに、わたしが覚醒剤を使った証拠の写真で、わたしのことを、脅迫しようとするわ……。わたし、人から、ここまでコケにされたの、生まれて初めてよ」
 秋菜の声が、どんどん険を帯びてきた。
 どうやら、秋菜は、本気で怒っているらしい。
 涼子は、そのことを理解し、にわかに恐怖を感じ始めた。

「それに……、あんたは、わたしのことを蔑ろにして、保身に走り続けただけじゃない……。しまいには、吉永さんから命令されたのを、いいことに、わたしの服を、脱がせようとするという、最悪の行為に出た」
 秋菜は、噛み締めるように言った。
 待ってよ……。
 涼子は、開いた口が塞がらない思いだった。
 最悪の行為、だと……? それを言うならば、秋菜だって、涼子に対して、その最悪の行為に及んでいたではないか。しかも、涼子のほうは、秋菜の制服を、脱がせようとしたところで、ストップをかけられ、未遂に終わったが、秋菜は、そうではない。涼子の身に着けているものを、次から次へと、情け容赦なくはぎ取っていったのだ。
 しかし、今の自分の立場を考えると、秋菜に対して、反論する資格などない気がし、涼子は、金魚みたいに、口をぱくぱくさせるばかりの有様だった。
「あんたが、わたしのスカーフを抜き取った後、わたしに言い放った言葉、耳に残って離れないわよ。『あなたも、わたしと同じ気持ちを、味わってみなさいよ!』っていう、あの言葉がね」
 秋菜は、忌ま忌ましげな表情をする。
 当たり前のことだが、涼子だって、ひとりの人間なのだ。嫌なことをやられたら、それと同じことを、やり返してやりたいという思いが、自然と胸の内に生じる。しかしながら、秋菜の制服に、手をかけた時の、自分の言動については、到底、人として褒められたものではないと、今にして思えば、慚愧の念に堪えない。
「あの言葉が、あの時の、あんたの心情を、何もかも物語ってたわね……。あんた、たった今、自分で言ってたけど、わたしに、侮辱され続けて、そんなに悔しかった? あっ、そう……。まあ、そりゃあ、そうよね……。あんたは、わたしのことが、憎くて憎くてたまらなかった。もし、わたしに、高校生活の命運を、握られてる身じゃなかったら、わたしの顔に、拳を叩き込みたいくらい、憎悪の炎が燃え上がってた……。でも、あんたの胸の中にあったのは、そんな憎悪だけじゃない……。あんたは、自分が、ブラまで取り上げられた、屈辱的な格好をしてるのに、その一方で、『仲間』のはずの、わたしが、何も脱いでないことを、不公平だ、理不尽だ、と感じた。つまり、嫉妬ね。それも、強烈な嫉妬……。要するに、あんたは、わたしに対する、憎悪と嫉妬で、気も狂わんばかりの精神状態だった」
 秋菜は、凄むように、さらに半歩、こちらに寄ってきた。それから、やにわに、右手を、涼子の首もとに伸ばしてくる。
 その指先で、鎖骨の部分に触れられ、涼子は、頭頂まで電気が走ったかのように、びくっとした。
 人差し指から薬指にかけての、秋菜の三本の指が、涼子の、あぶら汗に濡れ光る肌の上を、ずずっと下降していく。まもなく、その指先は、左の乳房のふくらみに差しかかった。しかし、性的な嫌がらせの意図は、不思議と伝わってこない。この肋骨の奥に、どす黒いハートがある……。そう言いたげな手つきだった。
「わたしに対する、憎悪と嫉妬……。あの時の、あんたは、まさに、復讐の鬼と化してた。だから、わたしのスカーフを抜き取った後なんて、ようやく、わたしにも、恥をかかせることができると、体中の血が煮えたぎるほど、気持ちが昂ぶってた……。そのとおりよね? 今さら、いい子ぶったって、あんたの腐りきった本性は、もう、隠しようがないんだから、正直に、認めなさいよ」
 秋菜の三本の指に、力が入り、涼子の胸を突くようにしてくる。
 人間失格という烙印を、秋菜から押されたようなものである。
 涼子は、ごくりと生つばを飲み込む。秋菜の発言を全否定すべきところだったが、図星を指された、その心理的動揺のために、首を横に振ることすらできない。もはや、自ら、自分は、人間以下の存在だと認めたも同然だった。
 わたしは、理性を失って、女の子のセーラー服を、無理やり脱がせようとした、恥ずべき生き物……。ブタだ……。わたしは、醜いブタなんだ……。
「そして……、あんたは、そんな、復讐の欲望に突き動かされるままに、わたしの制服を、乱暴に引っ張り上げた……」
 秋菜の眼光が、猛禽類のように鋭くなる。
 涼子は、その目を見て、心身ともにすくみ上がった。
 怖い……。滝沢さんが、怖い……。
 今すぐ、この場で、土下座して謝ろうかという思いが、脳裏をよぎった。だが、涼子の、あるかなきかのプライドが、その行為を止めた。
「フザケンナヨ」
 それは、ロボットが発したような、無機質な声音だった。
 涼子は、ぞっとさせられた。体全体が、がたがたと震え始める。いや、というより、全身のけいれん発作が起きているような感覚だった。裸出しているおしりの割れ目の中、肛門周りの筋肉まで、ぴくぴくと動いているのを感じる。
 その後……、涼子を襲ったのは、この、十七年間の人生において、間違いなく、もっとも悲惨な出来事だった。
 
 秋菜は、涼子の胸から手を引くと、突然、野球のピッチャーが、全力投球するような動きを見せた。振りかぶられた右腕。怒気に満ちた秋菜の顔。そして、秋菜の右の手のひらが、見る間に、涼子の顔面に迫ってくる。
 涼子は、棒立ちのまま、それを眺めていた。
 えっ、うそ、待って……。
 左の頬に、手のひらを、恐ろしい勢いで打ちつけられる。その衝撃で、涼子の首は、吹っ飛ぶかのごとくひん曲がった。同時に、秋菜の手のひらに、自分の唾液が付着する、嫌な感触を覚えた。あまりのことに、脳から、動作に関する指令が、体に伝わってこなくなり、涼子の首は、あらぬ方向を見上げる角度のまま硬直した。やや遅れて、左の頬が、ひりひりと痛み始めた。いや、というより、頬骨が、打撲により、重いダメージを受けている、という感じである。それに、軽い脳しんとうを起こしている状態らしく、ぐらぐらと目まいがする。
 両手で恥部を押さえているため、ガードもできない涼子の顔を、秋菜は、非情にも、張り倒すように平手打ちしてきたのである。
「サイィィッッテイな女だよね、あんたって」
 秋菜は、吐き捨てるように、そう口にした。それから、自分の右の手のひらに、つと目を落とすと、聞こえよがしに舌打ちする。
「きったない……。つば、付けられちゃった」
 その手のひらを、涼子の左肩に、何度もこすり付けてくる。
 涼子は、その手に、肩を揺らされながらも、呆けたように口を開けたまま、天井の、青白い光を放つ蛍光灯に、意味もなく目を向けていた。自分は、今、絵に描いたような間抜け面をさらしているのだろうが、もはや、表情を整えるだけの気力すらなかった。
 そして、まもなく、頭の中の、思考や、感情や、記憶、といったものを司る部分が、ぐにゃぐにゃと乱れていくような感覚を覚えた。

「ヴッ、ヴッ、ヴッ……。ヴ、ヴヴヴヴ……。アヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……。ヴヴヴ、ヴヴヴヴヴヴヴ……」
 秋菜の顔に、ぱっと喜色が浮かぶ。彼女は、くるりときびすを返し、香織たちのところへ駆けていった。
「ねえねえ、吉永さんっ。聞いてよ聞いてよ、あの人の、あの声……!」
 珍しく興奮した口調で言う。
 香織たち三人と、それに、舞も、涼子のほうを見つめ、みな、聞き耳を立てるような仕草をする。
「えっ、やだ……、なに、この、変な声は。ちょっとちょっと、南さん、だいじょうぶ? セクシーショーは、まだ、始まってもいないんだよ? それなのに、あなたに壊れられると、あたしたち、困っちゃうんだけど」
 秋菜とは違い、香織は、幾分、慌てている様子である。
 網膜に映っていても、鼓膜に届いていても、涼子の脳は、それらの情報を取り込む能力を失っていた。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴァァァ……。ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴル、グヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴェェ……」
 少女たちの間にも、当惑の雰囲気が漂っている。
 この状況に、ただ一人、浮かれているのが、滝沢秋菜だった。
「やっぱり、人間って、惨めな感情が、耐えられる限界を超えると、こんな声を出し始めるのねえ……。きっと、南さんは、今、脳の大脳皮質とか、そのあたりに、器質的な異常をきたしてる状態なのよっ。もしかしたら、脳細胞が、不可逆的に萎縮してる可能性もありそう……。わあ……、なんか、想像しただけで、ぞくぞくしてきちゃう」
 秋菜は、目を輝かせながら喋り、快楽の波に身を委ねるかのように、自分の両肩を抱いた。



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