バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十三章
ジレンマ
3



 今、涼子の正面、七、八メートルほど離れた位置に、香織を背にした、舞が立っている。
「さあ、舞ちゃん。準備は整ったよ。進んで進んで」
 香織は、舞の肩を、両手で優しく押す。
「えっ、えっ……、だけど……」
 舞は、不安げな面持ちで、おたおたと尻込みした。
「だいじょうぶ。今はもう、南せんぱいなんて、ちっとも怖くないんだから。そのことは、たった今、滝沢先輩が、証明してみせてくれたでしょ? 南せんぱいったら、顔を、思いっ切りぶっ叩かれたっていうのに、手も足も出せない有様だったじゃない。南せんぱいは、絶対、暴れたりしないから、安心して……。舞ちゃんは、完全無抵抗状態の、南せんぱいの体を、好きにできるんだよ」
 見るからに精神的に未熟な、一年生の生徒の耳もとで、香織は、真っ赤な口紅を塗った悪女よろしく、低い声でささやきかける。そして、ふたたび、舞の肩を押しやった。
 すると、その力で、舞の脚が、一歩、二歩と前に出た。
 涼子の脳裏に、警報が、大音量で鳴り響いた。
 どうやら、舞の心は、香織の誘惑に、大きく傾いたらしい。その二本の脚が、川の流れに押し流されるかのように、こちらに、ぎこちない動作ながらも進んでくる。
 もはや、涼子としては、黙っていられなかった。
「きみっ! きみさあ、いったい、どこまで調子に乗るつもりなの!? その先輩が、いいって言ったことなら、何をやっても、自分に罪はないって、そんなふうに思ってるわけ!? 言っておくけど、もし、きみが、わたしの体に、指一本でも触れてきたら、わたしは、きみのことを、今度こそ、絶対に、許さないからっ!」
 語気が荒くなり、あっという間に、息が、ぜいぜい上がっていた。
 それを聞いた舞の表情が、やるせなさそうに、くしゃりとなる。
「えっ、でも……、あたし……、後ろから押されてて……」
 舞は、蚊の鳴くような声で抗弁し、背後の香織を振り返るように、顔を右へ左へと巡らせた。
 むろん、涼子には、舞のその言葉など、ただの言い訳にしか聞こえなかった。思いっ切り、突っ込みを入れてやりたくなる。だったら、今すぐ、そこから離れればいいじゃない……!
 舞は、亀のように遅々とした足取りではあるが、着実に、涼子との距離を縮めてくる。
 
 このままだと、自分は、耐え難い辱めを受けることになる……。
 涼子は、そのことを確信し、この場から離れなくては、という思いに駆られた。
「やっ、わたし、いやぁっ……」
 自分の両肩を押さえている、後輩の両手から逃れるべく、勢いを付けて身をよじった。
「動くんじゃねえよ」
 だが、そのとたん、さゆりの右手が、頭部に飛んできて、後ろ髪を、がしっとつかまれた。
 頭を激しく左右に振って、抵抗を試みる。
 しかし、さゆりの手は、とても振りほどけそうになく、首を動かすたびに、髪の毛根が、めりめりと引っ張られるだけだ。
「離してぇ……! もうっ! 離せってばぁ!」
 涼子は、きぬを裂くような声で怒鳴った。
「離せ、じゃねえよ。むかつくんだよ、その口の利き方」
 さゆりは、手を離さないどころか、先輩である涼子に対し、あたかも、目下の者の言葉遣いを咎めるような物言いをする。まさに、常識を突き抜けた無礼さである。
 いったい、自分は、どこまで落ちぶれるのかと、涼子は、頭部を殴られたような心理状態におちいった。
 
 その間も、舞と香織の前進が止まることはなかった。
 舞からすれば、告白の手紙を手渡した相手である、先輩が、今、網にかかった魚のごとく、目の前で苦しみもがいているのだ。その様は、舞の目に、どのように映っているのか。普通であれば、心を痛めるのが、人情ではないのかと思う。
 涼子は、舞の顔を真っ直ぐに見つめ、今度は、自分の胸中を吐露することに決めた。
「ねえ、きみ……。わたし、率直に言って、きみに、自分の裸なんて、何があろうと見られたくなかった。今でも、すっごくつらい……。なのに、その上、きみに、その……、性的な嫌がらせみたいなこと、されるなんて、涙が出そう。わたしは、きみより、二つ年上だけど、きみと同じ、普通の女の子なんだよ? わたしの、この気持ちが、少しでも理解できるなら、きみだけは、もう、帰って……。それでさ、もし、きみが、今すぐ帰ってくれるなら、わたし、きみから貰った手紙の返事を書いて、それを、きみに届ける……。それだけは、ちゃんと約束する。だから、お願い……」
 すっかり涙声になっているのを自覚しながらも、どうにか、最後まで言葉を絞り出した。
 舞は、足を止めて、涼子の話を聞いていた。そして、ちょこんと首を傾げ、もの悲しげな眼差しをする。どうやら、心が揺れ動いているらしい。
 だが、その舞に、香織が、またしてもささやいた。
「遠慮することはないよ、舞ちゃん。思い出してごらん。さっき、南せんぱいに、なんて言われたか……。舞ちゃんのこと、大嫌いだとか、舞ちゃんの顔を、見たくないだとか、あんな暴言を吐いた女が、今さら泣き言を言ったって、聞く耳を持つ必要はないの。舞ちゃんは、恋心を、ぐちゃぐちゃに踏みにじられた、被害者なんだよ。腹が立つでしょう? だったら、その悔しい気持ちを、南せんぱいに、ぶつけてやらないと。それとも、舞ちゃんは、やられっぱなしで、泣き寝入りしちゃうほど、弱っちい子なの? 違うでしょ?」
 舞の顔つきが、見る見るうちに、ふくれっつらに変わっていく。
 まさか、涼子に対する、憤りのような感情が、ふつふつと込み上げてきたのだろうか。
 それから、香織が、舞の肩を押しやった。
 すると、舞は、さして抗うふうもなく、ふたたび、こちらに歩を進め始めた。
 涼子は、奈落の底に落ちていくような失意を味わい、幾度も、おえつを漏らしていた。



次へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.