バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十三章
ジレンマ
9



 やっぱり、神様なんて、いなかった……。
 暗い海に落ち、荒れ狂う海流に、押し流されていくかのごとき恐慌。
 自律神経が、体内の機能を調節する能力を失ったのか、体全体の表皮細胞が、熱く煮えたぎっているような感覚があり、体中の毛穴という毛穴から、あぶら汗が、これまでにない勢いで、どろどろと噴き出してくる。もはや、涼子の肉体は、まるで、頭から油を引っ被ったように、汗みどろの状態になっていた。
 わたし……、体は、もう立派な大人で、人並み以上にパワーもあるけど、まだ、未成年の女の子なのに……。どうして、社会的にか弱い存在である、わたしが、こんなふうに、むざむざと、なぶり者にされないといけないの……? こんな狂った世の中なら、もう、生きている意味などない。いっそ、地球ごと、爆発してしまえばいいのに。そうすれば、わたしだけではなく、この場にいる女たちも、それに、この世で、今この瞬間、当たり前のように、幸福な時間を過ごしている者たちも、みーんな消し飛ぶ。それが、今のわたしにとっての、一番の願い……。
 涼子の魂は、どんどん暗黒面に墜ちていく。
 人間は、極限状態に追い詰められると、生きとし生けるものすべてを憎む、醜い怪物に変わるのだと知る。しかし、それでいて、恥部を、圧迫するように押さえているためか、自分は、女である、という意識だけは、むしろ強まる一方だ。
 やがて、ひとつの結論に達した。いくら、まっすぐな心は失っても、女としての誇りまでは捨てられない。
 涼子は、奮い立つような思いで、両の手のひらに全神経を注いだ。今や、明日香の両手の指先は、涼子の陰毛に触れるか触れないかという、極めて際どい位置にある。だが、単純な腕力という点で比べるなら、涼子にとって明日香など、幼子も同然なのだ。だから、涼子が、気を抜くことさえしなければ、このガードを外される可能性は、まずあり得ない。このまま、膠着状態が続けば、先に、気力も体力も尽きるのは、明日香のほうだ。それまで、ひたすら耐え忍んでやる……。
 しかし、そう考えていた矢先、恐るべき誤算が生じた。
「よいしょっと」
 それまで、涼子の背中に抱きついている格好だった明日香が、本腰を入れるように、両手の位置は変えぬまま、出し抜けにしゃがみ込んだのだ。
 後ろを見て確認するまでもなく、今、ちょうど、涼子のおしりと同じ高さに、明日香の顔がある。それも、伝わってくる気配からすると、その間隔は、親指と人差し指で測れるほどしか開いていない。つい数分前まで、お互いの息遣いを感じる距離で、顔と顔を見合わせていた、涼子と明日香の二人。しかし、今は、明日香のあの、きらびやかなガラス細工のごとき美しい顔が、涼子の、あぶら汗のしたたり落ちんばかりの、おしりに、それこそ息がかかるほど接近しているのだ。
 現在のその、ありうべからざる状況を認識したとたん、涼子の脳は、一時的に、機能不全の状態におちいった。
 やだやだ、やだやだ……。
 超至近距離で、むき出しのおしりを見られている、という屈辱感もさることながら、ひとりの女の子として、何より気になること。
 そして、その直後、涼子の不安は、最悪の形で的中した。
「りょーちんのおしり、くっさぁぁぁ! なにこの臭いっ! くっさぁぁぁ! マジで、くっさぁぁぁぁぁっ!」
 明日香の放つ一語一語が、ずどんずどん、という物理的衝撃のごとく、脳天まで突き上げてくる感覚だった。まさしく言葉の暴力である。しかも、明日香は、そう叫びつつも、涼子のおしりの割れ目に、さらに鼻を寄せ、鼻水をすするような大きな音を立てながら、思いっ切り、その臭気を吸い込んできた。
「いやあああああああああああああああああああああ!」
 涼子は、絶世の美少女に、自分の便臭を嗅がれているという、死の恐怖にも似た恥ずかしさに襲われ、天まで届くような絶叫を発した。
 明日香は、そんな涼子の反応を見て、ころころと笑い声を立てる。
 もはや、涼子としては、恥部を守ることのみに、神経を集中していられる状況ではなくなった。
 おしりの筋肉を、力一杯、引き締める。むろん、肛門の臭いが、おしりの割れ目から外に漏れ出るのを、最小限に抑えるためだ。しかし、それでも、十センチかそこらしか離れていない、明日香の鼻には、腐った生ゴミよりひどい悪臭が、絶え間なく流れ込んでいるものと思われる。
 今では、意識の大部分が、むしろ、おしりの側に向けられていた。

「りょーちーん。いつまでも、そうやって、強情に、両手をどかさないでいるとぉ、あたし、りょーちんの、おしりの割れ目の中に、鼻、突っ込むよぉ。そんでぇ、おしりの穴にぃ、鼻、くっつけてぇ、りょーちんが、拭き残した、うんこの臭い、直接、嗅い・じゃう・ぞっ」
 明日香は、歌うような調子で、その狂気に満ちたセリフを吐く。
 涼子は、髪の毛の全体が、強風に煽られるような感覚を覚えた。
 自分の体のあらゆる臭いが、とかく気になる、年頃の女の子にとって、明日香のその脅しは、生命の危機の、その次くらいに怖ろしい内容だという気がする。
 それだけは、いや……。それだけは……。
 いったい、わたしは、どうしたらいいんだろう……?
 涼子の心に、迷いが生じた。そして、その迷いは、肉体的にも、隙、として現れた。
 明日香は、それを、敏感に察知したらしかった。その両手の指は、チャンスとばかりに、凶暴な勢いで、涼子のガードの下に攻め入ってきたのである。
 やや意表を突かれた形となり、涼子は、両手に力を入れ直すと同時に、脊髄反射で腰を引きそうになる。が、すんでのところで、両脚を突っ張るようにして、下半身の動作にブレーキをかけられた。危うく、清潔さとは、ほど遠い状態の、自分のおしりを、明日香の顔面に押しつけるという、大惨事に至るところだった。
 しかし、今の、一瞬の隙が、致命的な結果を招いたことに変わりはない。
 涼子のガードの、一番、外側、つまり両手の小指側の、その下に、明日香の左右の親指が、わずかに潜り込んでいる。すでに、陰毛の茂みの端に、明日香の指が被さっている状態である。要するに、とうとう、ガードをこじ開けられてしまったのだ。
 明日香の左右の手は、それにより、勢いづいたかのように、両の親指を、涼子の手のひらの下に、ずっぽりと入れると、続いて、人差し指をも、強引にねじ込んできた。蒸れに蒸れた下腹部の上で、涼子の陰毛が、明日香の指に擦られ、ぞりぞりという音がする。
「うっ、うっ、えうっ……、うえうぅ……」
 涼子は、溢れそうになる涙を堪えながら、明日香のその、蝋のように白い両手を、穴のあくほど凝視した。
 一思いに、その指をへし折ることができたら、どんなにいいだろう。
 たとえ、それは、叶わぬ願望だとしても、せめて、明日香の手を、自分のデリケートゾーンの外側に、力ずくで押し出したい。だが、そのような、強引なやり方で抵抗したがために、もしも、明日香の指をひねるなどして、怪我を負わせてしまったら、どうなるか……。わかりきったことである。自分の高校生活が、終焉を迎える、そのカウントダウンが始まるのだ。どんなに苦しくても、いや、かりに、この心と体が壊れても、自分の人生、それだけは奪われたくないと、切実に思う。要するに、涼子にできるのは、これ以上、明日香の手に侵入されるのを阻止するべく、ひたすら守りを固めることだけなのだ。
 しかし、涼子の守備は、すでに半壊しており、せめぎ合いの趨勢は、ほぼ決しているも同然だった。
 明日香の左右の手の、その中指までもが、涼子の手のひらの下に、ずずっと潜り込んでくる。
 それにしても、と涼子は思う。
 この女は、同性の陰毛なんかに、じかに触れて、汚い、とは思わないのだろうか……?
 涼子としては、明日香のその神経が、心底、不思議でならなかった。
 だが、明日香は、衛生面のことなど、まったく気にしていないらしく、その左右の手は、非力ながらも、うねるような荒々しさで、涼子の、べたべたの陰毛を押しつけながら、下腹部の中心へと突き進んでくる。まるで、人間の手というより、なにか、グロテスクな生き物の触手が、涼子の体内に入るべく、恥部の奥にある穴を目指して、蠕動しているかのようである。
 涼子は、その、あまりに現実離れした、おぞましい光景を見下ろしながら、脳裏で、希望の光が、目くるめく花火のごとく弾け飛ぶのを、まざまざと目の当たりにした。そして、光の最後の一粒まで消えると、自分の内なる世界は、漆黒の闇に閉ざされた。
 その後は、もはや、あっけないものだった。
 明日香の左右の手が、涼子の陰裂部に差しかかり、そこで、見る間に重なり合っていく。
「あっ、あっ、あわわ、あわわわわぁっ、あっはあああぁーん……」
 まさに、真の絶望に至った人間の声が、涼子の口から出る。
 かくして、涼子の死守していた、Vゾーンの陰毛部分は、明日香に、文字通り掌握されたのだった。
 涼子は、右手の指先で、明日香の手の甲を、ぺしぺしと叩く。むろん、明日香に、決して痛みを与えない程度の強さで。果たして、その行為に、なんの意味があるのか、自分自身にもわからなかった。
 両の手のひらの下で、明日香の両手は、なおも、もぞもぞと動き続ける。なにやら、涼子のVゾーンの、逆三角状に広く茂った陰毛全体を、可能な限り覆い隠すべく、手の位置を微調整しているらしい。ほどなくして、その手の動きが止まった。
「よし! りょーちん、準備は、オッケーッ! もう、両手を離して、だいじょーぶ、だよーん。さ、あたしが、こうして押さえてるうちに、腋毛の検査を受けるんだぁ!」
 明日香が、陽気な声で言ってくる。
 今や、涼子の両手は、なんら役目を果たしていない状態だった。手に力を入れれば入れるほど、明日香の手のひらを、自分の恥丘に、ぎゅうっと強く押しつけることになり、その結果、陰裂の内側に秘められた性感帯までもが、圧迫による刺激を受ける。逆効果でしかないのだ。
 だが、それを理解してはいても、自分の両手を、そこから離すことはできなかった。どう表現すればいいのか、感情の問題を通り越して、脳が、腕を上げるという動作を行うための、その指令の発し方を忘れているような、そんな感覚なのである。
 香織が、愉快さに酔いしれた表情で、こちらに、右手の人差し指を向けた。
「南さーん。それ、それ……、あんた、自分から、明日香の手に、ま○こ、こすり付けたがってるようにしか、見えないからっ。そんな、レズの淫乱みたいなことしてないで、早く、両手を、頭の後ろで組んで。じゃないと、いつまで経っても、終わらないんだよ? まあ……、明日香の手で、ま○こが、濡れ濡れになるくらい、感じていたい、っていうなら、ずっと、そうしててもいいけど」
 終わらない……。
 そうなのだ。
 自力で、明日香の手を、恥部から引き剥がせない以上、この状況から解放されるには、もはや、香織の要求に従うほかないのだ。
 まるで、世界で、一番、苦手な生物の肉を、無理やり喉に流し込むかのような思いで、どうにか、その、自分の置かれている現状を受け入れる。が、すると今度は、頭の片隅に、薄ぼんやりと疑問の念が浮かんだ。
 本当に、明日香は、しっかりと隠していてくれるのだろうか……?
 いや、断じて、明日香に、恥部を押さえていてほしいと、そう願っているわけではない。むしろ、それとは真逆で、自分の体の性的な部分を、他人に、触れられているのと、見られているのとでは、後者のほうが、よっぽどマシだと思っている。きっと、誰もが同じ答えだろう。当たり前のことだ。しかし、滝沢秋菜と足立舞の、二人の目を意識すると、どういうわけか、その普遍的な観念が、根底から揺らぐような感じがするのだった。
 そこで、つと思う。
 そもそも、現時点で、ちゃんと隠れている、といえる状態なのだろうか……?
 涼子は、無用の長物となっている、自分の両手を、こわごわ、そこから、わずかばかり離し、下腹部に目を落とした。
 すると、明日香の両手からはみ出た、数え切れないほどの量の陰毛が、目に飛び込んできた。逆三角状に広く茂った陰毛部分の、上辺に沿ったラインである。だが、明日香のその、手の置き所が、理想の位置から大きくズレている、というふうにも見えない。つまり、明日香の手の大きさに、問題があるのだ。涼子の手に比べると、指にしろ甲にしろ、とにかく、ほっそりとしている。そのため、涼子のコンプレックスである、岩礁に着生した海藻のように広範囲にわたった、Vゾーンの陰毛部分を、完全に覆い隠すのは、まず不可能に近い模様である。
 陰毛のはみ出た下腹部を、この場でさらけ出すことを思うと、背筋に、ぞわぞわとしたものが走る。
 しかし、こうして、羞恥心に縮こまっていても、明日香の手に、恥部を押さえつけられている時間を、いたずらに長引かせるだけなのだ。このままだと、自分は、それこそ本当に、心身崩壊してしまいそうだと、危機感が募ってくる。この状況から解放されるなら、なんだってやる……。
 今すぐ、両腕を、上げるんだ。
 頭に血を昇らせるような感覚で、脳が、自分の体に指令を発するよう、エネルギーを総動員する。
 両腕が、そろそろと上に動き始めた。あたかも、腰が砕けるほど重いものを、持ち上げている最中みたいに、激しく震えながら。
 なんとか、肩の高さまで、両腕を上げたところで、ふと、自分への情けなさが、胸の底から込み上げてきて、中途半端な姿勢のまま動けなくなった。
 いったい、なにやってるんだろう、わたし……。
 だが、そんな自分のプライドを、自分で踏みつけるようにして、涼子は、両手を、頭の後ろで組んだ。そのポーズの意味どおり、香織たちに対して、全面的な服従を示したのだ。

「はい、りょーちん、よく、できまちたぁ……。がんばったでちゅねー」
 明日香は、悪趣味な赤ちゃん言葉を用い、涼子に対して、ここぞとばかりに、さらなる辱めを加えてきた。右手の、親指と人差し指を、閉じたり開いたりして動かし、涼子の恥丘の肉を、つまんでは押し広げる、という行為を繰り返し始めたのである。
 もし、自分のおしりの真後ろに、明日香の顔がなければ、今この瞬間、涼子は、堪らず腰を引いているところだった。だが、その動作を行うことだけは、絶対厳禁であると、肝に銘じていたので、涼子の体は、それとは反対の方向に動いた。できるなら、明日香の手から、自分の恥部を遠ざけたいという意識が、強烈に働いたせいか、無駄なことだと、頭では理解していながらも、腰を前にせり出し、両手を頭の後ろで組んだまま、伸び上がるような姿勢になる。



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