バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二十四章
乙女の叫び
3



 香織が、つまらなそうな顔で、こちらに戻ってくる。
「あーあっ。よかれと思って、カミソリを買ってきたのに、南さんったら、感謝するどころか、キレだすんだもんなあ。おまけに、何様のつもりなのか、カミソリをしまえ、とか、あたしに、命令までしてくるし……。ああ、あたし、胸くそが悪い。それに、この場の空気も、すっかり白けちゃったよ……。滝沢さんさあ、あなたって、はっきり言って、役立たずだよね。やっぱり、あなたに、南さんを躾けるっていう、大役は、荷が重かったってことかな?」
「……あっ、申し訳ありません。わたし、責任を、痛感しています。今後、もし、この女が、吉永さんに対して、無礼な口を利いたら、わたしが、さっきと同じように、手加減なしでぶっ叩いて、奴隷としての立場を、わからせてやります」
 秋菜は、揉み手をするように恐縮する。
「ふーん。責任を、痛感してるわけね……。だったらさ、この場を盛り上げるために、滝沢さんに、何かやってもらおうかなあ……。そうだ、いいこと、思いついた。南さんが、これだけ腋毛を伸ばした、その記念品として、南さんの腋毛を、何本か抜いて、採取してくれる?」
 香織は、またしても、悪趣味な冗談としか思えない発言をした。
 むろん、香織に従順な秋菜といえど、そんなことを受け入れるはずはないと、涼子は信じたかった。
「えええーっ。ごめんなさいっ。無理です。わたし、この女の腋なんて、絶対、触りたくない」
 秋菜は、涼子の腋の下、太い毛の密生した様を見ながら、渋い顔をしている。
 汚い腋、と秋菜に思われるのは、恥そのものだったが、涼子は、半面、ほっとした。
 だが、そんな秋菜に対して、香織は、居丈高に言う。
「ダメ。これは、命令。従えないっていうなら、南さんのことを、きちんと躾けておかなかった、その責任を取ってもらうよ。責任を取るっていうのは、どういうことを意味するのか、もちろん、忘れたわけじゃないよねえ?」
「わかりましたっ。やります、やります」
 秋菜は、妙にあっさりと応じ、こちらに急ぎ足で歩いてきた。
 涼子としては、人生を捨ててでも逃げ出したくなるような事態だった。
 やだ……。
 とうとう、脅威に耐えられなくなり、素早く両腕を下ろした。自分の肩を抱くようにして、きつく両腋を締める。
「やめてよっ、滝沢さん……。変なこと、考えないでっ」
 目の前に立った秋菜に対し、涼子は、切実に訴える。
 すると、秋菜の顔つきが、見る間に険しくなった。
「しょうがないでしょう!? 吉永さんの命令なんだから。わたしだってねえ、あんたの、見るからに雑菌まみれの腋なんて、触りたくないわよっ。それとも、なに? あんた、わたしが、責任を取らされて、最悪、退学に追い込まれようが、自分には関係ない、って思ってるわけ? まったく、とことん自分勝手な女ねえ」
 秋菜は、ヒステリーを起こしたようにまくし立てる。
 自分勝手な女は、どっちよ、と反論したかったが、今の涼子に、それだけの気概はなかった。
「ほらっ。腕を上げなさいよ。吉永さんから、許可が出るまで、腕を下ろすんじゃないわよ」
 秋菜は、両手を伸ばし、涼子の両腕の前腕をつかんできた。
 そうして、両腕を、強引に引っ張り上げられる。
 涼子は、やむなく、ふたたび両手を頭の後ろで組み、服従のポーズを取った。これから行われることを考えると、むせび泣きそうな思いに襲われ、横隔膜が、ひくひくとけいれんするのを感じる。
 
 それから、秋菜は、はたと動きを止めると、なにやら、今一度、涼子の姿を観察するような目つきをした。涼子の体の、頭のてっぺんから足の爪先まで、しげしげと眺め回している。
「それにしても……、南さん、あんたの体の筋肉美は、本当に圧巻ねえ。そういえば、うちの学校のバレー部って、それなりの強豪校だったっけか。さすが、そのバレー部のキャプテンを務めてるだけあって、これぞ、アスリートボディって感じ……。やだっ、わたし、不覚にも、見とれちゃったわ。あ、わたし、実は、こう見えて、筋肉フェチなのよ。だから、少し触らせてくれる?」
 涼子が身構える間もなく、秋菜の左右の手が伸びてきた。
 頭の後ろに持ち上げている、左腕の上腕部を、秋菜に、むんずと両手で握られる。
 涼子は、その瞬間、強烈な拒絶反応のために、全身の筋肉が、がちがちに硬直する感覚を抱いた。
「あらっ、すっごい力こぶじゃない! 想像してた以上に、ばっきばき! 同じ女の腕とは思えないくらい……。ねえねえ、バレー部の筋トレのメニューって、どんなものなの? もしかして、腕立てと腹筋、百回なんて、当たり前? それと、やっぱり、バレーだと、背筋も重要になってくるよねえ。あ、そういえば、ずっと前、学校のトレーニングルームを見に行ったんだけど、結構、設備が充実してたね。バレー部の子たちは、みんな、ベンチプレスを持ち上げたりもするのかな? まあ、とにかく、強くなるために、毎日、血の滲むような思いで、肉体作りに励んでるってことよね? 感心、感心」
 この異常極まりない状況下において、いったい、秋菜は、なんのつもりで、そんな日常に関する話題を振ってくるのか。まるで、今の涼子とは対照的に、安泰な身分に舞い戻ったことを、得意げに示されているようで、妬ましいという感情が、一段と激しく渦巻く。
 向こうから、香織が、おおおおっ、と驚いたような声を上げた。
「よかったじゃーん、南さーん。日頃は、南さんに対して、あれだけ、つんつんしてた滝沢さんが、なんと、南さんのその、自慢の体に、興味を持ち始めてくれたんだよ? 南さんにとっては、涙が出るくらい嬉しい話でしょう?」
「もちろん、こーんな立派な肉体を持ってるんだから、取っ組み合いの喧嘩なら、吉永さんたちが、束になってかかってきても、あんたは、簡単にねじ伏せられるわよねえ? それなのに……、後輩たちも見てる前で、素っ裸にさせられようが、自分の大事な体を、性的にもてあそばれようが、吉永さんたちには、一切、抵抗することができないなんて……、あんた、悔しくて悔しくてたまらないでしょう? わたしも、今のあんたの境遇には、心の底から同情しちゃうわーん」
 秋菜は、悲しげな眼差しを作ってみせるが、その口もとは、薄笑いに歪んでいた。まさに、嫌味を絵に描いたような表情である。
 涼子は、胸のむかつきを覚え、そっぽに顔を向けた。
「ねえ、正直に教えて? あんた、わたしのことを……、もう、敵対グループの吉永さんたちと同じくらい、憎いと思ってるでしょ? もしも、の話よお? あんたが、この場で、自由に行動することを許可されたとしたら、まず、何をしたい? 決まってるわよねえ? わたしに、襲いかかりたいんでしょ? 隠そうとしても、無駄よお? だって、あんたの顔に、はっきりと書いてあるもん。『滝沢秋菜の着てるものを、一枚残らず、びりびりに引き裂いて、自分と同じように、素っ裸にさせてやりたい。それから、さっき、殴られた仕返しに、滝沢秋菜の顔面に拳を叩き込んで、泣き叫ばせてやりたい』ってね……。ダメじゃなーい。あの、天使のような優等生だった、南さんが、そんな、邪悪なオーラを、むんむんと放ってたらぁ」
 必要以上にねちねちとした、その物言いからして、滝沢秋菜の意図は、もはや明白だった。香織たちと、完全に同化することこそ、自らの身を、安全圏に置いておくための、最適な手段。そのような考えから、涼子を愚弄する姿勢を、ここぞとばかりに、香織にアピールしているのだ。人間というものは、危機的状況に瀕すると、様々な形で、醜い自己保身に走りがちだが、そのなかでも、滝沢秋菜のやり方は、最悪の部類に入るであろう。
 涼子は、そんな秋菜に、軽蔑の言葉を浴びせてやりたくなった。が、かろうじて、それを自制した。今や、胸の内では、秋菜に対する憎悪の念が、嵐のごとく吹き荒れている。だから、もし、ひとたび口を開いたら、自分でも、びっくりするくらい汚い言葉が、次々と飛び出してしまうに違いないと思ったのだ。
「あらあら、ずいぶんと殺気立ってきちゃって……。わたしには、指一本、触れられたくない? そりゃあそうよねえ……。でも、もう少し我慢してね。だって、なにしろ目を奪われるのは……」
 秋菜は、そう言いながら、涼子の二の腕から両手を離すと、おもむろに身をかがめた。
 そして、次の瞬間、涼子は、左脚の太ももを、罠が獲物を捕らえるかのごとく、秋菜の両手でわしづかみされた。その精神的衝撃により、びくんと体が跳ね上がる。
「この、馬の脚みたいな、たくましい太もも……! あ、でも……、意外と、頑強さだけじゃなく、しなやかさも伝わってきて、筋肉フェチとしては、極上の触り心地だわぁ……。基本的には、スクワットで足腰を鍛え上げてるんでしょう? 聞きたいんだけど、あんたは、スクワット、何回くらいできるのお?」
 秋菜は、涼子の太ももを、ぎゅっぎゅっ、と両手で締め上げてくる。
 涼子の体を、直接、手でもてあそぶという、性的辱め以外の何物でもない行為。それは、まさしく香織たちの手法である。いくら、今の秋菜が、自己保身の本能のままに行動しているにしても、そうしたことまで模倣してみせるとは、どういう精神構造をしているのか。ここまでくると、滝沢秋菜とは、元来、人格の歪んだ生徒だったとしか思えなくなってくる。
 涼子は、過去、秋菜との距離感を縮めようと、懸命に振る舞っていた自分を、記憶から消し去りたい気持ちだった。
 滝沢秋菜……。この女の本性を見抜けず、ずっと仲良くなりたがっていた、大馬鹿者の、わたし……。結局のところ、わたしって、人を見る目が、全然なかった、ってことなのか……。
「質問してるんだから、答えなさいよっ。答えないとお、わたし、あんたの体の、変なところまで、触っちゃうわよお?」
 秋菜の右手が、後方、つまり、涼子の太ももの裏側に、じりじりと回っていく。続いて、その手は、汗まみれの涼子の肌の上を、ぬるぬると上方へと滑っていき、ちょうど、おしりの肉の下に達した。意味ありげに、手の動きが、その際どい位置で止まる。
 しかし、まもなく、秋菜の右手は、あぶら汗に濡れ光る涼子のおしりの肉を、すくい上げるように持ち上げ始めたのである。
 涼子は、全身に静電気が走ったように、体毛という体毛が、ぞぞぞっと逆立っていく感覚に襲われた。
「ふっ、ふざっ……! やめてえぇぇぇぇぇ!」
 体を激しく左右に揺すりながら、怒号を放つ。
 秋菜は、ふんっ、と笑い、涼子の太ももと臀部から両手を離した。
「なによ……。後ろの竹内さんには、あんた、『とんでもないところ』を押さえられていながらも、大人しく耐え続けていられるっていうのに、わたしが、ちょっとだけ、おしりに触れた程度で、そんなに激高しちゃって。要するに、わたしから、性的な嫌がらせを受けることだけは、女としてのプライドが許さない、って言いたいわけね? あんたって、本当にわかりやすい女」
 そのように涼子を冷やかしながら、ゆっくりと立ち上がる。
 涼子は、バレーの試合でサーブを打つ前、心を落ち着けるように、すーはーすーはー、と深呼吸を繰り返していた。そうでもしていないと、衝動に駆られるままに、秋菜のその、ふてぶてしい笑い顔に、つばを吐きかけてしまいそうだったのだ。
 いや、というより、今となっては、滝沢秋菜の、それこそ何もかもが、生理的に受け付けなくなっていた。
 クールなお姉さん風の印象を形作る、見るからに怜悧そうな目鼻立ちも。中分けのストレートヘアを、胸もとで内側にハネさせた、お洒落な髪型も。髪の毛をふわりとかき上げたりする、余裕に満ちた一つ一つの所作も。しっとりとした響きを帯びた声も。どことなく艶めかしさを感じさせるような、喋り口調も。

「あのね、わたし……、あんたの体のことについて、思い当たったことがあるのよ。ためになる話だと思うから、是非、ちゃんと聞いてね。あんたってさあ、プロのバレー選手みたいにパワフルになりたくて、毎日、肉ばっかり食べて、それで、体をいじめ抜くように、筋トレに打ち込んでるんでしょう? あんたの、女子高生離れした屈強な肉体が、それを、何より物語ってるわ。でもね、そんな生活をしてると、男性ホルモンが、過剰なくらい増えていっちゃうのよ。男性ホルモンが増えると、筋肉の付きやすい体になるから、あんたからすれば、嬉しいことかもしれないけど、その反面、年頃の女の子にとっては、深刻なデメリットもあるのよ? それは、何かっていうと、皮脂、つまり、体のあぶらのことなんだけど、その皮脂の分泌量が多くなるの。そうなると、必然的に、体臭も強くなっちゃう。そこで、なんだけど、あんたのこの、むせ返るような、きっつい体臭は、男性ホルモンが増えすぎてることが、一番の原因じゃないかな、っていうのが、わたしの見解ね」
 秋菜の声を聞いているだけで、ますます神経がささくれ立っていく気分である。しかしながら、ひょっとすると、秋菜の指摘は、一理あるのかもしれないと、涼子自身も、薄ぼんやりと思う。
「それとね……、ホルモンバランスの大きな崩れによって、ほかに、どういった問題が引き起こされるかというと、代表的な例が……、そう、体毛が濃くなること。あんたの裸の体を、こうして見ていると、その問題を抱えてることが、もう一目瞭然ねえ……。男性ホルモンが増えすぎた場合、体毛のなかでも、とくに顕著に濃くなるのが……、まず、腋毛」
 秋菜は、右手を、すーっと涼子の上半身に伸ばしてきた。
 その指先で、左の腋の下を、ぬるりと撫でられ、涼子は、屈辱のあまり、つい、低いうめき声をこぼしてしまった。
「あと、なんといっても濃くなるのが……、下の、毛」
 秋菜の右手が、もったいぶるように時間をかけて、しだいに下がっていく。
 涼子は、まさかという思いで、秋菜の手の動きに、意識を吸い寄せられていた。やがて、涼子のへその下、明日香の両手に押さえられているVゾーンの、やや上辺りに、その右の手のひらが、べたりと張りついた。間を置かず、その部分を、ねちっこい手つきで撫で回され始める。今にも、はみ出ている自分の陰毛に、秋菜のその指先が触れそうな感じである。
「いっくら、青春のすべてをバレーに捧げているような、あんただって、ここの毛が、もっさもさに生えてることには、もちろん、コンプレックスを持ってるわよねえ? あんたの体、男性ホルモンの量が、きっと、普通の女子高生の、何倍もある状態なのよ。アスリートとしての肉体作りも、結構なことだけど、でも、このままだと、男性ホルモンの作用が、もっともっと体に現れてきて、今以上に、体臭が強くなる可能性が高いし、それに、腋毛も、下の毛も、手に負えないくらい濃くなっちゃうかもしれない。そうなったら、もはや、女ではなく、完全に獣よお? そんなの、嫌でしょう? あんたも、まだ、曲がりなりにも、十代の女の子なんだから。だったら、今のその、脳みそにまで筋肉を付けるかのような生活を、真剣に見直しなさい……。わたし、意地悪な気持ちで言ってるんじゃないのよお? あんたのためを思って、アドバイスしてあげてるんだからねえ?」
 秋菜は、涼子のへその下に、手をあてがったまま、勝ち誇ったように、あごを反らした。
 果たして、秋菜のこの言動も、やはり、香織へのアピールなのだろうか。しかし、それにしては、度が過ぎると感じる。ひょっとすると、滝沢秋菜は、本当の意味で、香織たちと同化しつつあるのではないだろうか。すなわち……、涼子をなぶり者にすることに、ある種の快感を覚え始めたということ。
 秋菜の口もとに表れた、いかにも残忍そうな薄笑いを見ていると、その推測こそが、真相に近いという思いを抱かずにはいられない。
 だとするならば、秋菜の、涼子に対する嫌がらせ行為が、どんどんエスカレートしていくことは、今から覚悟せねばならないだろう。下手をすると、最終的には、香織たちと同様、涼子のこの、無防備な裸の体に、想像するのもおぞましい、変態的行為を加えてくる、という可能性も……。
 そこまで考えると、絶望感に意識が遠くなり、一瞬、ふっと視界が暗転した。
 目の前が真っ暗になったというより、眼球がひっくり返ったような感覚だった。
「なによ、その、笑える間抜け面は。あんた、ただでさえ、誰にも真似できないほど惨めなんだから、表情くらい、しゃきっと引き締めなさいよ。じゃないと、わたし、人間を相手にしてるっていうより、家畜に話しかけてるような気分になるじゃない……。で、わたし、何をしようとしてたんだっけ? ああ、そうだった、そうだった。いちおう、言っておくけど、わたしは、吉永さんの命令を実行するだけだから、変に思わないでね」
 秋菜は、右手を、涼子の上半身に伸ばしてきた。
 その手で、ふたたび、左の腋の下に触れられる。
「しっかし、あんたの腋汗って、べったべたねえ……。やっぱり、皮脂の分泌量が多すぎる、って断言できるわ。だって、これ、汗っていうより、まさしく油って感じだもん。あんたの体内の、脂肪酸やコレステロールを、たっぷりと含んだ、油。ティッシュで拭き取って、火を点けたら、よく燃えそう……。あっ、触ってたら、毛穴から、みるみる油が出てきったっーん」
 秋菜は、涼子の腋の肌を指先でつまみ、にゅるにゅるとこすっていた。先ほどは、涼子の腋など触りたくないと、あれだけ嫌がっていた秋菜だが、今は、なにやら、人間の体の、物珍しい生理反応を見て、やたらと面白がっている様子である。
 この子にだけは、下に見られたくない……。
 そのように、否が応でもプライドを刺激されていた相手だからこそ、常日頃から、彼女の前では、女の子としての武装を解きたくない、という意識が、心の内に深く根差していた。生身の姿を見せることには、強い抵抗があったし、ましてや、コンプレックスをさらすなど、もってのほかの話だった。だというのに……、今、よりにもよって、その相手に、自分の体の汚い部分を、興味本位でいじくり回されているのだ。
 涼子は、視界いっぱいに、火花が散る様を見ているような、極限的な屈辱のなかで、滝沢秋菜に対する、どす黒い怨念を募らせていた。秋菜に襲いかかり、身に着けているものを、一枚残らず、びりびりに引き裂き、そうした上で、性的に、そう、性的に陵辱されることの苦痛を、その身に味わわせてやりたい、という夢想。
 むろん、自分に、女の子の裸体を、手でもてあそぶような趣味はない。
 しかし、これは、プライドの問題なのだ。
 現在、忌ま忌ましくも、涼しげな雰囲気をまとっている、この滝沢秋菜が、獣のような姿に成り果て、恥ずかしさと惨めさに、顔を歪めているところを、実際に目にすることができたなら、どれだけ胸がすっとするだろう。
 
 まもなく、その秋菜が、小声でつぶやいた。
「それじゃあ、せっかくだし、とくに伸びてる毛を選んで、採取していこうかな……」
 数秒後、腋の肌に、ちくっと痛みが走った。
 見たくはないが、つい、秋菜の右手に、目が行ってしまう。
 その人差し指に載った、一センチを超える長さの毛。
 涼子は、女としてのプライドに、二度と癒えることのない、深い傷を付けられた気持ちだった。
 秋菜は、涼子の腋から抜き取った毛を、自分の左の手のひらにこすり付ける。そうして、再度、右手を、涼子の左腋に伸ばしてきた。あたかも事務的な作業をこなすように、涼子の腋毛を、二本、三本と抜いていく。やがて、四本目を抜き終えると、あっらーっ、と声をこぼした。
「毛根までくっついてる……。やだ、あまりの生々しさに、鳥肌が立っちゃった」
 事実、その毛の片端には、白い粒のようなものが付着しており、涼子としても、自分のものながら、ぷつぷつと肌のあわ立つのを感じた。
 結局、それから、もう一本、腋毛が抜かれた。
「吉永さーん。褒めてください。わたし、心を無にして、この女の腋毛を、これだけ採取しました」
 秋菜は、誇らしげな口調で言い、香織のほうに、左の手のひらを差し向ける。
 その手のひらには、どれも一センチを超える、しかも、黒々とした太い毛が、五本、涼子の腋汗と見られる、少量の液体と共にへばり付いていた。
 涼子は、その恐ろしくまがまがしい光景を見て、堪らず目を逸らした。まるで、インターネット上のグロテスクな画像を、うっかり目にしてしまった直後のような、そんな心地である。
「それ、こっちに持ってきて」
 香織が、秋菜に手招きする。
 秋菜は、そちらに歩いていく。が、その途中で、何を思ったのか、つと、足を止めると、涼子のほうを振り向いた。
 涼子と秋菜は、互いに、目と目を見合わせる。しかし、今、秋菜の、冷ややかな印象を放つ眼差しからは、いかなる感情も読み取ることができない。
 なに……?
 涼子は、秋菜に向かって目で問いかける。
 秋菜は、改めて、自分の左の手のひらに、視線を落とした。そして、その後、予想外の、信じがたい行動を取ったのだった。
 おそらく、涼子に対する当てつけのつもりだろう、左の手のひらを、これ見よがしに、すーっと、自分の顔の前に持っていく。
 涼子にとって、それは、瞳孔が開ききるような瞬間だった。
 やだっ! やめてっ! わたしの、そんな、腋毛の臭いなんて、嗅がないでええええええええええええ……!
 心の内で、声の限りに絶叫している自分がいる。
 秋菜は、左の手のひらで、自分の鼻を覆うようにした。すると、たちまち、秋菜のその、冷然と整った顔が、無残なまでに、しわくちゃに歪んだ。
「ぎいやああああああああああっ!」
 狂ったような秋菜の叫び声が、この空間全体に響き渡った。
「こっ、こっ、こっ、この臭いっ! いくら洗っても落ちなそう! わたし、とんでもないものを、手に付けちゃったわよっ!」
 涼子の胸中には、地鳴りを立てて激震が走る。
 秋菜は、ふたたび、香織のほうに、ぷんぷんと憤った様子で駆けていく。
 涼子は、無意識のうちに、あごが外れるほど、大きく口を開けていた。
 急激に身体感覚が薄れていき、それがゆえに、明日香に、恥部を押さえられていることすら、忘却の彼方に飛び去っていくような境地だった。
 ほどなくして、火山が噴火するかのごとく、心の底から、屈辱、というより、純粋な、恥ずかしい、という感情が突き上がってきた。
 と同時に、またたく間に、顔面に血が昇っていく。
 顔が火照っていることを自覚し、自分の感情を、必死に鎮めようとするが、それは、むしろ逆効果で、ますます顔全体が熱くなる。
「あっ! 見て見て! 南さんの、あの顔っ! 真っ赤っか! ゆでだこみたいになってる!」
 香織が、涼子の赤面ぶりを目ざとく発見し、こちらを指差す。
 それを受けて、さゆりと舞も、おのずと涼子のほうに目を向ける。
 だが、彼女たちの視線は、涼子にとって、さして気になるものではなかった。
 一拍、遅れて、香織に歩み寄っていた秋菜が、こちらを振り返った。秋菜の眼差しが、涼子の顔を、じいっと捉えている。
 涼子は、どこにも目を向けられないほどパニックになり、ついつい、誰もいない右方向に、顔を背けてしまった。顔全体の皮膚の下で、血液が、沸騰しているかのような感覚である。今や、その熱が、耳たぶにまで伝わってきていた。
 香織が、秋菜の横を通り、こちらに歩いてきた。涼子の目の前に立つと、香織の顔が、舌舐めずりでもせんばかりの表情になる。そうして、十五センチほど身長の高い、涼子の顔を、のぞき込むように見上げてくる。
「なになに……? 滝沢さんに、自分の腋毛の臭いを、思いっ切り嗅がれて、憤死するぐらい恥ずかしかったの? 滝沢さんのことを、そこまで強く意識するってことは、やっぱり、南さんは、滝沢さんに対して、特別な感情を持ってる、ってことだよねえ? まったく、こーんな、ほっぺた、真っ赤にしちゃってえ」
 左の頬を、香織の右手の人差し指で、ぷにぷにとつつかれる。
「お願いだから、やめてよっ、もうっ!」
 涼子は、勢いよく頭を横に振った。
「あっ……。なんか、めっちゃムキになってる……。図星なんだ」
 香織は、今度、両手を伸ばし、その親指と人差し指で、涼子の両頬を、軽くつまんできた。
 両頬の肉を、むぎゅむぎゅと上下に引っ張られる。
「あたし、ぶっちゃけ、ずっと前から、見抜いてたんだよね……。南さんが、滝沢さんに、必死こいて、話しかけてるのは、滝沢さんと、友達になりたいっていうより、もっと、それ以上の、深い関係になりたいからだ、ってね。滝沢さんに対する、特別な感情……、要するに、『好……、き』ってことでしょう? もう、この際だから、素直に認めちゃいなさいよ。だって、こーんな、ほっぺた、真っ赤にしてたら、バレバレなのよお? この、見かけによらず、乙女心あふれる、南、涼子っちゃーん」
 その間も、秋菜は、強い疑念のこもった眼差しで、涼子のことを見すえていた。
 涼子としては、そんな秋菜の目線に、なにか、心まで丸裸にされていくような思いである。
 香織は、ふんっ、と笑って、涼子の両頬から手を離すと、また、秋菜のほうに戻っていく。
 秋菜が、涼子を見ながら言う。
「あの女ったら、わたしのことを、本当に、『そういう目』で見てた、ってわけ? やだやだ……。わたし、控えめに言って、ものすごい屈辱なんだけど」
 涼子は、のぼせ上がったように赤面している自分自身を、この世から抹殺したいくらい、ただただ恥じ入っていた。
 香織が、秋菜の左の手のひらに、目を落とす。
「滝沢さんが採取した、その、南さんの腋毛……。せっかくだから、記念品として、永久保存しておこうと思うの。ちょっと待っててね」
 そう言い残すと、香織は、なにやら、またも、自分のバッグのところに向かう。
 バッグを開けると、その中を漁り、ほどなくして、あるものを取り出した。
 縦の長さ、十センチほどの小さなサイズの、チャック付きの透明なビニール袋である。
 それを手に、引き返してくる。
 香織から、その小さなビニール袋が、秋菜の手に渡された。
「その毛、全部、これに入れて」
「はーい」
 秋菜は、作業に取りかかった。自分の左の手のひらに載った、涼子の腋毛を、一本一本、右手の指でつまみ、ビニール袋の内側にこすり付けていく。その手つきを見ていると、まるで、腋毛だけではなく、涼子の微量の腋汗までも、そこに、密閉保存しておこうというような、そんな意図すら伝わってくる。
 ビニール袋の中に、五本の腋毛が入れられ、チャックが閉じられる。
 香織は、それを見ながら、野卑な笑い顔を隠すように、右手で口もとを押さえた。
「滝沢さん、滝沢さん……。その、記念品……、あたしは、要らないから、一番、欲しがりそうな子に、プレゼントしてあげて」
 秋菜は、一瞬の間、思案げな目つきをしたが、まもなく、二度、小さくうなずいた。
「そりゃあ、もちろん、この子よねえ……」
 と口にしながら、悠然と歩いていく。
 そうして、足立舞の前に立った。
 舞は、きょとんとした表情で、秋菜の顔を見上げる。
「はいっ。あなたに、プレゼント。あなたが、恋い焦がれてる、南涼子さんの体の一部だから、一生の宝物にしてね。もちろん、南涼子さんの、刺激的なフェロモンまで、濃厚に詰まった状態よお」
 秋菜は、一度、閉じたビニール袋のチャックを、悪意たっぷりに、わざわざ開けてから、舞の顔の前に差し出した。
 舞は、おずおずと、それを受け取った。
 その後、奇妙な空気が流れる。
 秋菜も、香織も、さゆりも、高校生にしては幼すぎる容姿をした、一年生の生徒が、次に、どのような行動を起こすか、黙って見守っているのだ。
 舞は、先輩たちの、一人ひとりに、もの問いたげな視線を送り始める。
 最後に、ただ一人、全裸姿で、性的な陵辱を受けている真っただ中の、涼子と目が合った。すると、舞の漆黒の瞳に、一転、そこはかとなく大人びた光が宿る。
 その瞳を見て、涼子は、強く確信した。
 案の定、舞は、そのビニール袋の開封口を、自分の鼻に寄せた。すんすんと鼻を鳴らす音が、涼子の耳にも、かすかに届く。
「きゃっ! なにこの臭いっ!」
 舞の小さな体が、文字通り跳ね上がった。それから、顔中に驚愕の表情を浮かべ、目をぱちくりさせる。
 その尋常でない驚きぶりに、香織とさゆりは、二人して、カラスの鳴き声を思わせるような、耳障りなだみ声で高笑いをした。さらには、秋菜までもが、愉快そうに身を揺する。
「舞ちゃん、舞ちゃん。南せんぱいの、その腋毛、舞ちゃんに、記念品としてプレゼントしてあげる……。でもだけど、もし、こんな汚いもの、貰いたくない、って思うんだったら、捨てちゃってもいいよ? どうする?」
 香織は、舞に、選択肢を与えた。
 舞は、涼子の腋毛の納められたビニール袋を、穴のあくほど凝視する。
 十秒は、沈黙が続いた。
 やがて、舞は、おもむろに顔を上げ、香織のほうを見た。
「でも……、捨てるのも、なんか……、もったいない、かも?」
 幼児が喋っているみたいな、たどたどしい口調で、そう答える。
「だったら、バッグにしまっておきなっ。おうちに帰ったら、大事なものを入れるところに、きちんと保管するんだよ? お守りみたいにねっ」
 香織は、この上なく嬉しそうだった。
 舞は、幾分、決まりが悪そうに、もごもごと口もとを動かしながらも、こっくんとうなずいた。そうして、自分のバッグの置いてあるところに、とぼとぼと歩いていく。
 今、涼子の頭の中では、人間のセクシャリティ、それ自体に対する想念が、かつてないほど膨らんでいた。
 あの、足立舞という生徒は、外見からは想像もできないが、特別、異常な性癖の持ち主である。そんな彼女だからこそ、あんなものを欲しがった……。涼子としては、そう信じたいところだった。しかし、その考えは、果たして、本当に正しいのだろうか……? もしも、彼女が、特異な例ではないとしたら……。
 過去、涼子に、同性愛的な好意を寄せ、なんらかの形で告白をしてきた、この学校の生徒たちの存在が、走馬灯のように脳裏をよぎる。まさか、彼女たちの内面の奥深くにも、足立舞の性癖に通ずるものが、密かに隠されていたとでもいうのか……。考えたくもないことであるが。
 舞は、涼子の腋毛の納められたビニール袋を、大事そうにバッグにしまう。
 涼子は、その舞の姿を横目で見ながら、吐き気を催すほどの生理的嫌悪感を覚えていた。
 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……!



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