第八章〜密室


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第八章〜密室




 ふと、囁くような話し声と複数の足音が聞こえてきた。それは、だんだんと、この教室に近づいてくる。
 鼓動が速まる。とうとう来たのか……。時間的にも、あいつら以外にありえない。
 覚悟は十二分に決まっていたはずなのに、いざとなると、あの三人と対峙するという現実が信じられない思いがする。
 南涼子は、教室の真ん中らへんの席に着いていた。中央に陣取ったほうが、心理的に有利だという判断だった。
 教室の前のドアが開く音に、全身が痺れるような緊張を感じた。
 案の定、吉永香織の姿が現れた。香織は、涼子のことを認めると、あからさまな侮蔑のこもった視線を向けてくる。普段は、同じ教室内でも無関係な者同士として振る舞いながらも、突然、その偽りのベールが取り去られるおどろおどろしさ。
 続いて、石野さゆりと竹内明日香も入ってきた。三人とも、涼子とは対照的に、緊張感など微塵もない顔つきだった。自分たちの絶対的優位を、少しも疑っていないようだ。つまり、再び、涼子を辱める『遊び』ができると、胸を躍らせているのだ。
 涼子は、完全に舐められていることを再認識し、激しい怒りと共に、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
 例によって不快な薄笑いをしている後輩に、香織が指示をした。さゆりは、入ってきた前のドアに鍵を掛け、後ろのドアに向かった。
 施錠の冷たい音が鳴る。ここは、密室となったのだ。その事実は、この場で打ち勝たなければ、またしても、先日と同様、果てしのない恥辱を味わわされるという現実を、否応なく突きつけてくる。

「ねえー、南さん。なんか勘違いしてるでしょ。まだ自分の立場が理解できないんだ?」
 香織の第一声がそれだった。初っ端から、予想以上に攻撃的である。
「明日香のことは、もうマネージャーとして認めないつもりらしいじゃん? よく、そんな強気な態度になれるよね」
「りょーちん、あたしはぁ、なんで部活に出ちゃいけないのぉー? 納得できないんですけどー」
 まともに反論するのは馬鹿らしいが、香織たちは、涼子の出方を待っている様子だった。それならば、と腹式呼吸で息を整えてから、努めて平静な声を出す。
「ふざけないで……。竹内さん、あんた、まだ部活に出るとか、くだらない冗談はやめてよね」
 涼子は、斜めに明日香を睨む。明日香は、一瞬きょとんとしたが、敵意を露わに、冷たい眼差しを返してくる。
「まあ、明日香、そんなに本気で怒る必要ないよ。もう一度、自分の立場をわからせてやればいいんだからさっ」
 香織が、取りなすように口を挟んだ。
「あたしたちが来るの、わかってたんだからさ、前もって着てるものを全部脱いで、裸になって待ってろよって話だよねえ」
 香織は、気の利いた台詞だと自賛したように得意気な表情になり、明日香とさゆりが、揃ってせせら笑う。
 涼子にとっては、はらわたのちぎれるような屈辱だった。吉永香織に、本気で殺意を覚える。
「勝手に言ってろよ……。もう脱ぐわけないでしょっ」
 怒り心頭に発して、かすかに声が震えた。
 だが、香織は、憎々しい含み笑いを漏らし、むしろ口論を愉しんでいる風情である。
「なに、この南さんの態度……。なんか逆ギレしてんだけど……? ねえ、さゆり、せっかく見っけてきたアレ、どうしようか?」
 香織が話を振ると、さゆりは、はにかむように笑いながら小首を傾げる。
 三人は、なにやら、小さな身振り手振りで合図を送り合っていたが、ふいに、香織を先頭にして歩み寄ってきた。体を突き合わせて戦わなければならないのに、二度にわたるトラウマのためか、後ろ脚が後退しそうになる。
 香織は、涼子のそばまで来ると、手近の机にバッグを置いた。バッグから小振りの紙袋を取り出す。
「バレー部の合宿費、一部だと思うけど見つかったよ。さゆりが、体育倉庫のそばに落ちているのを発見してくれたの」
 香織は、傲然と顎を上げて何気ない口調で言った。
「えっ……」
 思わぬ言葉に、涼子は、完全に虚を衝かれていた。むろん、香織の言ったことが白々しいデタラメであるのはわかっている。合宿費は、香織が盗んだのは自明の理である。けれども、どういうわけか、そのお金を返すつもりらしいのが妙だった。
 香織の虚言に突っこむ前に、まず、この目で現金を確認したかった。
「お金、あるなら出して」
 涼子は端的に言ったが、案に相違して、香織は黙って袋に手を突っ込んだ。
 だが、香織の取り出した紙幣の枚数を見て、涼子は失望した。たったの六枚。六万円しかない。
「もっとあるはずでしょ! 全部返してよっ!」
 涼子は、我を忘れて、つかみかからんばかりの怒号を上げた。その気迫に、香織だけでなく、さゆり、それに明日香までもが怯んだのを、気配で悟る。しょせん、この女たちは、卑劣な手段に頼っているだけの小心者の集まりなのだ。
「知らないって……。たまたま、これだけ落ちてただけなんだから。あたしたちが盗んだみたいな言い方、やめてよ」
 香織が、呟くように言った。さっきまでの不敵な笑みは、すっかり影を潜めている。
 前日もそうだった……。香織は、自分たちの優位が脅かされると、とたんに縮こまるのだ。ここは勝負の分岐点だ、と自分を奮い立たせる。一気に片を付けてやる。
 涼子は、右の拳を握りしめた。まずは、主犯のあんたからよ……。反吐が出るほど憎い香織の顔面に、照準を定める。
 と、その時、香織が思い出したように口を開いた。
「あ、待って、南さん。まだ渡すものがあったの……」
 涼子は怪訝に思い、拳を振るうのを躊躇した。香織は、紙幣を机の上に置くと、同じ紙袋の中を、もう一度探り始めた。
 香織が紙幣の横に置いたものを見た瞬間、涼子は息を呑んだ。目の前が暗くなったが、鋭気だけは保とうと努める。だいじょうぶ、落ち着いて……。これは想定内のことじゃない。
 香織は、机に載せた写真の束をトランプみたいに散らすと、涼子の反応を窺うように、両眼を三白眼にした。
 Tシャツにスパッツ姿の涼子の下から、見るもおぞましい写真の数々が現れていた。脳細胞が一つ一つ死滅していくかのように、思考能力が急激に落ちていった。
 茫然として生々しい自分の裸体の写真を眺めていると、香織が声をかけてくる。
「これ、よく撮れてるでしょ? さゆりの腕前もなかなかだと思わない? 全部、南さんにあげるよ。だって、ほかならぬ南さんの体だもんねえ」
 香織の口調は、打って変わって余裕綽々とした揶揄の響きを帯びていた。
 涼子は、粘ついた唾液を飲み込み、今、自分にできる最善の策は何かと、ぼんやりと霞がかった頭の中で考える。
 とりあえず、机の上に載っている現金と写真を回収するべきでは……。でも、写真のほうは、データを消去するとは考えられないので、たとえ、そこにある現物をすべて焼き捨てたとしても、無意味であろう。
 涼子は、あらためて写真の一枚一枚を見ていった。
 ひどい……。こんな格好をさせられてたんだ、わたし……。むろん、あの時のことは忘れようにも忘れられないが、文字通りの客観的証拠である写真を見せつけられ、想像を絶する卑猥さに打ちのめされる思いだった。写っているのは自分自身の体であるが、あまりに穢らわしいものに感じられて、目を疑いたくなる。
 全裸で両手を頭の後ろで組んだポーズ……。真後ろから撮られた臀部のアップ……。
 とたんに、吐き気に似た不快感に襲われ、思わず、そこから目を逸らした。隣の机に両手をつき、乱れた呼吸を整える。ショックのためか、体中から力が抜けており、肌が粟立っていることに気づいた。
「どうしたのー、南さん? なんか気分悪そうだけど、大丈夫?」
 香織が、皮肉たっぷりに言葉を投げ掛ける。
 涼子は、横目で香織の顔を一瞥した。細く小さい吊り目には、気色の悪い光が宿っており、勝ち誇った薄笑いを張りつけていた。
 きもちのわるい顔……、ブス……。顔も性格も最悪な女。
「りょーちーん、ちゃんと写真見なってぇ。セクシーに撮れてるよお。あたし的にはぁ、これが一番のお気に入りかなぁ」
 明日香は、写真の載った机の上で両腕を組み、そこに顎を埋めていた。一枚の写真を、とんとんと指で叩いている。それは、太ももから腹部にかけて、つまり、黒々とはびこった陰毛のクローズアップだった。
 香織とは反対に、どんな否定的なバイアスが掛かっていようと、類いまれな美貌に見えてしまう明日香の鼻先に、不潔極まりない涼子の写真がある。その、なにか両者の対照性を強調するような取り合わせの光景に、涼子は、猛烈な恥辱を覚えた。
 明日香は、涼子の顔を上目遣いに見ており、視線が合うと、あの、笛の音みたいな耳障りな笑い声を上げた。
 
 どうしたらいい。どうしよう。答えの出ない言葉が、頭の中で堂々巡りしている。とりあえず、現金と写真を回収しよう。
 涼子がそっと手を伸ばしかけると、いきなり香織に腕をつかまれた。ぎょっとして、体が硬直した。
「待ちなよっ。その前に、ちゃんと態度を改めたらどうなの?」
 香織が、なにやら怒った口調で迫る。納得できるまで、涼子の腕を放さないという様子である。
 不安や困惑により半ばパニックに陥った頭の中では、今、自分はどう対応すべきなのかという判断がつかなかった。セーラー服の袖から伸びた涼子の腕を、香織がぎりぎりと締め付ける。徐々に痛みを感じ始めた。
 またしても敗北するのか、わたしは……。そんな思いが、脳裏をかすめる。もし、この場で、三人を打ちのめすことが叶わずに屈してしまったら、わたしは、その後どうなるのだろう。
「たい・ど……?」
 涼子は、ほとんど無意識のうちに、低い声で呟いていた。
「そう、態度。あたしたちが南さんのために、お金と写真を渡すんだから、その態度を改めて。まず、さっき、あたしたちに向かって暴言を吐いたこと、謝ってよ」
 なぜ、わたしが謝らなくてはいけないんだ。だめ……。香織の思うつぼになってしまう。涼子は、底無し沼に足を踏み入れぬよう、きわの所で踏ん張っている状態だった。
「べつに、謝りたくないなら無理強いはしないよ。その代わり、お金は、絶対返したくないし、写真は、こっちで好きなように使わせてもらうけどね」
 合宿費のことは、実際、手の打ちようのない問題だった。あれほどの大金は、かりに立て替えようと思っても、用意できるものではない。それに、そろそろ納めなくては、場合によってはバレー部の合宿が中止になってしまうかもしれない。たとえ一部でも、戻ってくるのであれば……。
 そして、なにより、机の上に散らばっている、正視に耐えないほど穢らわしい自分の裸体の写真。
「ごめんなさい……」
 自分でも意外に感じたが、あっけなく、それも落ち着いた声で謝罪していた。だが、すぐに、敗北したという事実を痛感した。意識の隅には、これから待ち受けている運命のイメージが曖昧模糊としてあるのだが、それが急速に具体化されていく。いや、いやだ……。絶対にいや。心の中の自分は、涙を流して首を振り続けている。
 でも、まだ、最悪の事態になると決まったわけじゃない。形勢が不利になってしまっただけだ。涼子は、遠のいていく希望に、必死に縋りつこうとしていた。
 ようやく香織が、涼子の腕を放した。
「うん、いいよ。誠意があるようだから、許してあげる。じゃあ次は、しっかりとした態度を見せて」
 香織の頬の肉がみるみるとせり上がり、なんとも卑しげな顔つきになった。
「南さんの態度しだいで、こっちも考えてあげるよ。プライバシーに関する写真は返してあげるし、それに、バレー部の合宿費も、もっと色々なところを探してあげる」
 極限の緊張で、胸が痛くなるような動悸がしている。
「なに……。どうゆうことよ、それ……」
 絞り出すようにして発した声は、震えていた。
 香織は、横で薄笑いを浮かべている二人と目配せし合っている。そして、両眼に蔑視の色を鈍く光らせ、涼子を見上げた。
「脱いでよ。あたしたちの前では、裸になってるのが礼儀でしょ?」
 薄々予期していた命令だったが、全身が麻痺したように動けなくなった。
 おとなしく従うならば、裸の写真はバラさないし、盗んだ合宿費も少しずつ返してやるということらしい。六万の額には、そんな意味が込められていたのだ。つまるところ、二重の弱みを握られているという現状を思い知り、気が遠くなりそうになる。自分が、恐ろしく計算された奸計に嵌ったことを、ようやく涼子は悟った。
 もはや、ひとひらの希望さえ見いだせない。くそ……。手も足も出ない。わたしは、こいつらに対して完全に無力なのか。

「さっさと脱げよっ!」
 突然、香織が、痛烈な語気で強要してきた。立ち尽くしていた涼子は、脳髄に、何かを打ち込まれた感じがした。
 見通しが甘かった……。こんなところに来ないで、いっそ、逃げればよかった。やり場のない後悔の念を抱えながら、涼子は、おもむろにセーラー服のスカーフに手を掛けた。
 襟から抜き取った青色のスカーフに目を落とすと、出口の見えない絶望感が、じわじわと精神と肉体を覆い始めた。今、この手の中にあるものは皮切りで、もう間もないうちに、脱いだ下着をこんなふうに持つ羽目になるという、悪夢のような想像。
 セーラー服とインナーのタンクトップを脱ぎ、地味な白いブラジャーとスカートという格好になる。そして、感情を押し殺し、スカートのホックを外してファスナーを下げた。
 下着姿を晒すと、涼子の体を眺める三人の表情に、強い好奇の色が浮かぶのを感じた。
「あれぇ……、りょーちん。今日は、珍しく上と下でばらばらじゃーん。どうしたのぉ?」
 目つきを不気味に輝かせた明日香が、嫌味ったらしく訊いてくる。
 涼子は、淡いグリーンのパンツを着けていた。
「白いのは、染みが目立つから嫌だったんでしょ、南さん。前もって、あたしたちに確認される時のことを考えてたみたいじゃん。やっぱり、パンツの汚れをからかわれたこと、けっこう傷ついてたんだ?」
 香織の口から吐かれる言葉の毒々しさに、涼子は、耳朶まで紅潮してしまう。
 普段、下着は、部活で汗を多量に掻くため、目立たない白のブラジャーと、上下セットのパンツを着用することが習慣となっていた。だが、なぜか昨夜は、タンスから色違いの下着を選んだのだった。今思うと、無意識のうちに、手が、白いパンツを忌避していたような気もする。
 ちゃちな予防線。なんだ……、わたしは最初っから、気持ちで負けていたんじゃないか。何があろうと、この三人に打ち勝つという信念は、実際には土台から揺れていたのだ。
 涼子は、ブラジャーを外すと、自分の柔らかな乳房を両腕で押さえた。なんだか、当たり前のことのように衣類を取り去っている自分自身が、救いようのない間抜けな人間に思えてくる。
 とはいえ、最後の脱衣をあっさりと受け入れてしまうほど、自己を喪失したわけではない。半裸の状態でも、恥ずかしさと悔しさで背中の筋肉が引きつりそうだった。
 涼子が動作を止めていると、上履きの足を、ふいに、香織がぐりぐりと踏みつけてきた。
「これも必要ないでしょ……。裸足になんなよ」
 まるで、涼子が身に何かを着けていること自体、目障りだというような物言いである。香織の徹底的なまでの悪意に、涼子は、背筋のうそ寒くなる思いがした。
 足の指を引っ掛け、上履きとハイソックスを脱ぐと、間髪を入れずに香織が、それらを邪険に足で払い除ける。そうして、冷ややかな眼差しを涼子に向ける。
「なにボケっと突っ立ってんの? 早く下も脱ぎなよ。そうゆう中途半端な態度、マジ、むかつくんだけど」
 本気で苛立っているような声でそう言う。
 冷酷非情……。いや、というより、まともな人間じゃない。眼前に立っている小柄な女の体は、まるで悪意の塊だ、と涼子は感じた。そんな底無しの悪意の前では、わたしの女としての恥じらいなど、到底生き残る余地はないのかもしれない。
 涼子は、戦慄すら覚えていたが、やはり次の動作に取りかかるのは不可能だった。身動きの取れない涼子を、冷然とした眼差しで眺めていた香織が、小さく舌打ちをした。
 それを聞いて、涼子の直感が、禍々しい気配を察知したのとほぼ同時に、下着の片側のサイドの部分が、脈絡なく伸びてきた香織の指につままれ、引き下げられた。
「やっ、いやぁ!」
 驚愕のあまり、涼子は野太い悲鳴を上げていた。
 恥部を隠すグリーンの布地が、斜めにずり落ちた状態で、陰毛がはみ出してしまっている。へどもど腰の引けていく涼子の醜態に、さゆりと明日香が失笑する。
「まったく、いい加減、あたしの手を煩わせないでほしいんだけどさあ……。南さぁーん」
 わざとらしい呆れ口調で言いながら、香織がのろくさとしたモーションで体勢を下げていく。瞬時にして、心胆を寒からしめられる体験が想起され、涼子は、条件反射のように両手を下着の中に突っ込んだ。
 
 香織が、微苦笑に口元を歪めた表情で、涼子の身に着けている最後のものを、下腹部から引き下ろしていき、やがて、脚から抜き取られる。
 パンツを脱がされた瞬間から、生きた心地がしなくなる。人間としての最低限のラインを下回った状態。まるで、全身が、恥の塊と化してしまったような感覚なのだった。
 一方、悪意の塊である香織が、さゆりと明日香の手に涼子の下着を持たせ、それぞれが卑しい笑い声を立てる。
 この日も、彼女たちの勝利が確定したのだった。敗北者の涼子は、例のスタイル、重ね合わせた両手で恥部だけを押さえた、非現実的な格好で立たされている。
「ねえねえ、南さん。悔しい? 恥ずかしい?」
 涼子の体からすべてを剥ぎ取ったとたん、香織の仕草の一つ一つには、嬉しくて堪らないという内面が、露骨に表れていた。
 心のない悪魔……。なんで、あんたみたいなのが、この普通の高校に入ってきてんのよ……。
 当然ながら涼子が答えないでいると、香織は、隣の友人たちのほうを向いて、すかした表情を作った。
「さっきの、南さんの真似……。勝手に言ってろよっ、もう脱ぐわけないでしょっ!」
 さゆりと明日香が、腹を抱えて爆笑する。
 やり場のない怒りが、全身を駆け巡る。暴力的な衝動を帯びた力が、涼子の不自由な両腕をこわばらせていた。目の前の三人に躍りかかり、一人ずつ順番に体を押さえつけ、泣き叫んでも容赦せずにボコボコに殴り続けるシチュエーションが、脳裏に浮かぶ。しかし、それは、虚しい願望の空想でしかなかった。
 
 ひとしきり笑った香織が、まだ余韻冷めやらぬ顔つきで、涼子に近づいてきた。
「はい、南さーん。ボディチェック!」
 香織が、涼子の背中に、ぱしっと手を張りつけた。胸のむかつくような生理的な嫌悪感が、頭のてっぺんから足先の神経にまで伝播する。裸の体を、この世でもっとも許せない女に触れられる、なんとも言い様のない感覚。涼子は、その手に背中を押された。
 なにやら、さゆりと明日香が、自分たちの周りの机をどかし始め、三、四メートル四方ほどのスペースを作っている。どうやら香織は、そこへ涼子を引っ張り込もうとしているらしい。その場が、涼子を辱めて遊ぶための舞台であることは、火を見るより明らかだった。
 涼子は、背中を押される力に逆らい、踏み留まった。香織の喜色がたちまち失せる。
「なに立ち止まってんの? こっちきてよ」
「えっ……、やめて待って。ていうより、ちょっと、触らないで!」
 上体を振り、香織の手から離れる。かなり思い切った抵抗だった。
 香織は、わずかに面食らった様子だったが、どうも本気で頭に来たらしく、ひどく険悪な顔つきに変わった。
「マジむかつく……。こっちが口だけだと思って舐めてんでしょ、あんた。あんまりふざけた態度取ってると、あたしもキレるよ?」
 わたしのほうは、そっちの望みどおり、こんな所で裸になっているというのに、なぜ、この女は、そんなに腹を立てる必要があるのか。いったい何が、まだ物足りないというのか。
 涼子が、悲嘆の溜め息をつき、目をそむけた瞬間だった。視界の端から顔へと、香織の掌が迫る。
 頬への衝撃と、乾いた皮膚の音。
「……痛っ」と、一拍置いて、涼子はぽつりと声をこぼした。
 頬が、かすかに熱くなっている。顔を引っぱたかれた……。
 たいして痛みは感じなかったが、香織にビンタを張られたという事実に、気持ちが動揺していた。
「その反抗的な態度、むかつくって言ってんの。謝って」
 香織は、自分の行為に少しも罪悪感を感じていないどころか、まだ不愉快そうに、眉間に皺を寄せている。
 なんでわたしが、ぶたれた上に謝らないといけないの……。こっちのほうが百倍殴りたい状況だというのに。それに、暴力だけは禁止という話ではなかったか。
 しかし、黙っていたり反論しようものなら、二発目、三発目を喰らいそうな空気だった。
「ごめんなさい……」
 涼子は、自尊心を捨て去った心境で、そう言った。
 気を落として立ち尽くす涼子の背中に、再度、香織の手が回る。
「ほら、ぼーっと突っ立ってないで、こっちにきなって」
 背中を手荒く押しやられる。その勢いで脚が前に送り出され、そばにあった机で、腰をしたたかに打った。
 時を移さず、追い打ちの一撃を喰らう。両手で恥部を押さえた、バランスの取れない体勢のため、前のめりになってよろめくと、気づいたら、作られたスペースに足を踏み入れていた。

 耳に付く笑い声を漏らす明日香と、にやにやと薄笑いを浮かべるさゆりとが、涼子の体を挟むように立ち、香織が、いやに勿体ぶった足取りで正面にやって来る。
 ひとり全裸の状態で、三方向を取り囲まれるという、拷問のような圧迫感。震えるような屈辱。
 今、何より悔しく思うのは、パワーには絶対の自信があるというのに、文字通り手を出せないため、自分よりも遥かに弱い香織の暴力を甘受した挙げ句、それによって屈服させられたこと。こんな卑小で貧弱な女の暴力に。
 自分にとっての力のよりどころが、どこにも無くなってしまった感じがする。もはや、気持ちが折れそうだった。
 そんな涼子に、香織の口から、情け容赦のない要求が告げられる。
「まずはボディチェックから始めるよ。言っておいたよね、毛の処理は禁止だって。ちゃんと守ってるか今から調べるから、南さん、両手を頭の後ろで組んで」
 つい今しがた、怒って乱暴な真似までしてきた香織が、そのことはもう忘れ去ったように笑っている。香織の思考回路は滅茶苦茶だ、と涼子は思った。そして、今、口にした、唖然とさせられる命令。
 この女は頭がおかしい……。
「イエーィ」と、明日香がムードメーカーよろしく手を叩いた。
 その反対側のさゆりが、いきなり、初めて耳にするような大声で笑いだした。なにか、惨め極まりない涼子に対する先輩たちの畳みかけに、思わず吹き出してしまったという風情である。
 首謀者の香織は、ねちっこい目つきをして、恥辱にまみれた涼子の姿を眺めている。
 一つわかったことがある。三人の悪意は、体育倉庫の地下での初日、その翌日、そして今日、と確実にエスカレートしているのだった。
 つらい……。もう耐えられそうにない……。涼子は、この日の地獄の入口に立たされていることを、ひしひしと感じ取っていた。
 
 



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