第十三章〜隔絶された世界


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第十三章〜隔絶された世界




 奇妙な夢の中をさまよっている境地だった。脳に伝わってくる外界の情報のすべてが信じられない。体操着に群がる少女たち。発せられる言葉。そして、鼻孔に流れ込んでくる、臭気。
 気づくと、裸足の足を踏ん張っており、はっとする。よろめいたのだ。
 果たして、立っていなければいけないのだろうか。夢なら、倒れてしまったって、いいじゃない。
 体操着をつまみ上げた吉永香織は、顔をしかめて何事かを言っている。その声に、ぐわんぐわんと耳鳴りがし、眩暈を起こした。
 その隣にいる石野さゆりは、鼻を押さえ、顔の前で手を振っていた。
 とても現実の出来事とは思えないが、かといって夢というわけでもなさそうだ。今、少女たちの言葉が耳から耳へと抜けていくのは、脳の防衛機能のためだろうか。この状態で、次、ショックを与えられたり、恐怖を感じさせられたら、たちまち発狂してしまいそうだ。
 南涼子は、ただひとり全裸で立ち、両手でぎゅっと恥部を押さえつけていた。指先は、ねっとりとした液体に濡れている。三人の女に見られている中で、この部分から、体液が溢れ出したのだ。
 それは、いやらしいこと。事情がどうであれ、涼子自身にも、そういうふうにしか形容できない。
 いやらしい汁を垂れ流した女、という三人の視線に、裸出した肌を舐め回されているように感じる。
 竹内明日香が、何とも言えない半笑いの表情で、涼子を見ていた。もしかしたら、下品で変態的な明日香にさえも、今、わたしは、軽蔑されているのかもしれない。
 涼子は、凍りつくような劣等感に締めつけられ、身じろぎひとつできなかった。
 やだ……。恥ずかしい……。もう、明日からは、この三人のいるこの学校には、とてもじゃないが登校できない……。
 けれども、ふと、違和感を抱いた。いや、ちょっと違う、と思い至る。世の終わりが訪れたかのようなショックに打ちのめされていたが、本当の死活問題は、ここから先にあるのだ。

「やばいでしょっ、南さん……。これ、滝沢さんの着るものなんだよ?」
 香織が口にした言葉に、脳髄を鋭く貫かれる。暗いトンネルの出口を抜けるように、意識が研ぎ澄まされていく。
 それだった。
 高校生活の崩壊、ひいては人生の暗転に直結する問題は、無関係な生徒への波及なのだ。しかも、その波及の脅威は、前とは比べものにならないくらい厳酷なものとなっている。クラスメイトの体操着を、涼子が、文字通り汚してしまったせいで。
 現実逃避の衣は、脱ぎ捨てなくてはならない。考えろ。現実を直視しろ……。わたしは、どう対処するべきなのか。
 物事を考えられる精神状態ではなかったが、何らかの脳内物質が大量に放出されるかのように頭が覚醒していく。ランナーズハイに似た状態かもしれなかった。
「このシャツ、体育の時間、滝沢さんが着るんだけど……。そのことについて、南さん的には、どうなの? 答えなよ。重大な問題でしょ」
 香織の顔は、喜色に満ちていた。
「なんか……、これ着ちゃったら、かゆくなりそう……」
 さゆりが、口もとを押さえて笑いながら言う。
 涼子は、香織が持つ体操着を直視した。赤い丸首の部分から肩口のあたりまで、濡れているのが視認できる。
「え!? 待ってください……。これ、ちょっと、これ! この色って……」
 さゆりが、驚きの声を上げ、一点を指差している。
「うんちぃー!?」
 明日香が、素っ頓狂な声を発した。
「最低……。南さん、マジ、最低。信じらんない……。そういえば、まん汁の臭いだけじゃなくて、なんか、うんこの臭いも漂ってるような気がする……」
 香織は、嫌悪感と歓喜が表裏一体になったような表情で、鼻をひくつかせる。
 さゆりが、だみ声で笑う。
「やっぱりぃ……! あたしの言ったとおり、やっぱり、南せんぱい、おしり、ちゃんと拭いてなかったんだ……! さいあくぅ!」
 体操着の肩口のところに、涼子の目も釘付けになる。そこには、たしかに、ただの汚れとは思えない、黄土色の線が見える。
 さゆりに肛門を擦られていた時の感覚が蘇る。無意識のうちに、剥き出しのおしりに力が入っていた。
 恥ずかしさ。いや、それより、波及に対する恐怖で泣き出したくなる。
「ああー……、この匂い、もう無理……。気持ち悪くなってくる。ちょっと、汚くて申し訳ないけど、置かせてもらおっと……」
 香織は、手近の机に、まだ熱気の立ち上るような体操着を置いた。
 その机は、普段、誰が使っていただろう。だが、今は、余計なことを考える余裕はない。
 体液と大便の残滓で汚れきった体操着が、夕陽に照らされている。否応なく、胸のところに刺繍された苗字が、目に飛び込んでくる。
 滝沢秋菜の涼しげな顔が、まざまざと眼前に浮かぶ。知性の深淵を感じさせる眼差し。ゆったりとしたストレートヘア。そのイメージが動き出し、体育のバスケットの時間、体操着を着た彼女が、軽快なドリブルを見せて走っている。が、次の瞬間、その襟元や肩口には、見るからに臭いそうな汚れが、べったりとこびり付いていた。そこで、ふと、彼女は何かに気づいた。表情が険しくなり、体操着をつまんで鼻を寄せる。そのとたん、彼女の顔が、みるみると歪んでいく……。
 脳裏に、滝沢秋菜の絶叫が聞こえてきそうだった。
 惨めにも、涼子は全裸で恥部を押さえて固まっているが、心の内には、めらめらと炎を立ち上らせ、鬼の形相で奮起している自分がいるのだった。波及だけは絶対に防ぐという、強固な意志がある。
 震える息を吐き出し、涼子は、決死の覚悟で問う。
「こっ、この体操着……、どーするつもりなの……?」
 地獄の底から響くような、恐ろしく低い声が出る。
 少女たちは、それを聞いてどっと笑った。
 香織が、白々しく顎をそらして言う。
「どーするって、そりゃあ……、ロッカーに戻しておくに決まってるでしょう? 滝沢さんのものなんだから……。当然じゃん」
 だめ……。絶対に、絶対に、こんなもの、滝沢さんに着せるわけにはいかない……。
 捨ててしまいたい、と狂おしいまでに思う。しかし、香織たちにしてみれば、汚れた滝沢秋菜の体操着は、絶好のネタに違いないのだ。処分させてほしいと頼んだところで、許されるわけがなく、むしろ逆効果になる可能性が高い。
 やるならば、今日、香織たちが帰ったその後か、それが無理ならば、明日の朝一だ。滝沢秋菜には申し訳ないけれども、盗難に遭ったと思わせることにして、ロッカーから取り出してしまう。そして、家に持ち帰り、ゴミ袋の奥に突っ込む。
「忠告しておくけど、こっそりロッカーからシャツを盗んで、証拠隠滅しようって考えてるなら、やめたほうがいいよ。もしも、滝沢さんのシャツが無くなってるって判明したら、その犯人が、南さんだって証拠、本人に送りつけるからね」
 涼子の思考は、香織に先読みされていた。でも、わたしが、犯人の証拠って……。
「さっき、南さんがシャツを咥えてた、あの写真のことだよ。犯人が南さんだってこと、一目瞭然だよね」
 涼子の魂を袋小路に追い込むように、釘を打たれたのだ。
「あっ、でも、南せんぱい、もしかすると、こっそり洗濯して返すとか、そういう姑息な真似するかもしれませんよ。一応、今日のところは、このシャツ、あたしたちが持って帰って、預かってたほうが、よくないですか? 明日の朝一で、ロッカーに戻すようにすればいいんですよ」
 さゆりが、ここぞとばかりに悪知恵を働かせる。
「ああ、それがいいかもね……。まあ、どっちにしろ、南さんの手には、絶対に渡さないってことよ」
 いずれにせよ、体操着の防御は固く、密かに処分するのは難しそうだった。香織たちが本気だとすると、涼子には打つ手がない。ということは、波及は防げないのだ。
 その時が来たとする。着替えるため、滝沢秋菜が、体操着を取り出す。体操着の『異常』に気づくのは、明白なことのように思われる。いや、それなら、まだいいと言えるかもしれない。最悪、彼女は、首を通してしまうかもしれないのだ。そうなったら、彼女は、どんな行動に出るだろうか。教室中を、おぞましい噂が飛び交う事態にまで、発展するかもしれない。
 その時、張本人である涼子は、罪悪感に苛まれても、恥ずかしさに顔が紅潮しても、頬被りを決め込むしかないではないか。おそらく、香織は、その涼子の姿を観察し、心の中で指差して笑うつもりなのだ。
 想像しているうちに胃液が込み上げてきて、口の中に酸っぱい味が広がった。
「それかさあ……、南さん、もういっそのこと、自分から、まん汁付けちゃいました、ごめんなさい、汚いから着ないでくださいって、滝沢さんに、正直に話したら?」
 香織は、あれこれと愉快な想像を巡らしているらしく、うきうきと喋る。
「あっ、それに賛成。だって、滝沢先輩って人が、体育の時間、このシャツのせいで迷惑したり、もしかしたら、嫌がらせされたと勘違いしちゃって、すごい悲しむかもしれないのに……、南せんぱいが、知らない振りしてるっていうのは、ヒキョウだと思いまーす」
 さゆりも、面白くって仕方がないという風情である。
 ふふっと、明日香が笑う。
「滝沢さんとぉ、どーしても、ともだちになりたくって、パンツ脱いだま○こにぃ、シャツをこすりつけてたら、きもちよくなって、エロいマン汁がでてきちゃったんでーす。……って。言えるかなぁ……? りょーちん」
 明日香は、すっかり機嫌を取り直した様子である。
「ついでに、せんぱい……。うんこした後、綺麗に拭いてなかったから、シャツで、おしりのほうも拭かせてもらいましたぁ、もちゃんと言うべきですよ」
 さゆりが、それを行った自分の手柄を誇るかのように付け加える。
 耳を塞いで、うずくまってしまいたい。しかし、思考を停止するわけにはいけない。
 ぎゅっと瞼を閉じて開け、乱れる呼吸を懸命に整える。なんとか、なんとかしなくっちゃ……。
「ねえ、思うんだけどさ、南さんって、もしかして……、レズなんじゃない?」
 突然、香織の発した言葉に、涼子は、ぴくりとした。こんな時、言い返してやりたい台詞が、意識の片隅にあった気がする。
「あっ……、ありえる! だって、普通、こんなところで感じたりします? もしかして、滝沢先輩のシャツだってことを意識して、興奮してたのかもっ……」
 さゆりは、大袈裟に人差し指を振って言った。
 少女たちは、まだ、どことなく幼い嬌声を発しながら、はしゃぎ始めていた。まるで、生まれたままの姿である涼子が、悪い妖精たちに、周囲を飛び回られているかのような、どこか幻想的ですらある光景だった。

「ねえ、言っておくけど……。滝沢さんが、体育の時間、この、きったないシャツを着ちゃって、そのことで、ものすごい悲しんで、何日経っても、ずっと落ち込んでる様子だとしたら……。あたし、ヒトとして見て見ぬ振りはできないかも……」
 香織は、にやりと笑う。
「もしかしたら……、滝沢さん本人にだけは、こっそり、犯人が南さんだって証拠の写真を、送っちゃうかもしんなーい」
 ううっ……と、涼子は泣き声を漏らしそうになっていた。
 考えうる限り、それは最悪の事態である。もし、そうなったら、涼子が必死になって滝沢秋菜に釈明したところで、彼女は拒絶反応しか示さず、耳を傾けようとはしないだろう。いくら精神的な強さを持つ涼子でも、彼女、あるいはクラス中から、変態、という軽蔑の視線を浴びながら学校生活を送ることなど、到底耐えられない。
「お願い……、ねえ、お願い……。滝沢さんの体操着、お願いだから、ロッカーに戻すのは、やめて……」
 もはや、なりふり構っていられず、涼子は、この場で土下座しようかとも思い始めていた。
 香織の眼差しは、虫けらでも眺めるかのようだった。
「じゃあ、このシャツ、どうするの……? 引き取り手が、いなくなっちゃうんだけど……」
 涼子は、口を噤んでしまう。率直な希望を口にするのは、ためらわれる。さっき香織が、涼子には手渡さないと、はっきり言っていたからだ。
「まあ、あたしたちが持って帰って、処分してあげてもいいけど……。洗って、滝沢さんに返すっていう選択肢は、無しね。こんな汚いシャツ、洗濯機にも入れられないから」
 張りつめていた緊張の糸が、わずかに緩む。
 どういうこと……。香織のほうも、滝沢秋菜に迷惑が掛かるような事態は、本意ではないということなのか。だったら、わたしに処分させて、と言いたいところだが、異議を唱えたために、香織の気が変わってしまう恐れがある。
「あっ……。ごめん……、じゃあ……、おねがい。やっぱり、滝沢さんを巻き込むのは、間違ってると思うから……」
 深く考えず、涼子はそう言った。
 すると、香織は遠い目をした。
「でも、問題なのは……、滝沢さんにとっては、シャツが盗まれたことになるわけだから、相当ショック受けちゃうだろうね。可哀想じゃない……? 南さん、そのことについて、どう思うの?」
 香織のような女が、人の気持ちを心配する資格はないと思うが、その指摘だけは、たしかに正鵠を射ていた。涼子は、ごくごく単純な事実を見過ごしていたのだ。滝沢秋菜の体操着を処分するという時点で、もうすでに、彼女を巻き込んでしまっているではないか。
 涼子にできるのは、せいぜい、彼女が、なるべく心を痛めないようにと、祈ることくらいである。
 だが、心の隅っこから声がする。わたしの味わった苦痛に比べれば、滝沢さんが、体操着一枚失うくらい、なんだっていうのよ……。そう香織に言ってやりたい。いや、ともすると、滝沢秋菜本人にさえも、かもしれなかった……。
「南さん……。どうやら、滝沢さんの気持ちは、全然考えてなかったみたいだねえ? もう今は、自分のことしか頭にないんでしょ? だんだん、南さんの卑怯な本性が、現れてきたって感じ……」
 香織は、蕩けるような喜色を浮かべている。
「ホント、そうですよね……。自分さえ助かれば、ほかの人は、どうでもいい、みたいな……?」
「りょーちぃんも、やっぱりぃ、自分が一番、可愛いってことなのぉ? なーんか、げんめつしたぁ……」
 さゆりと明日香も、好き勝手に揶揄する。
 だが、こればかりは、はっきりと否定もできないのではないか、と自問する。今では、自分本位、自己保身に染まった自分が、心の隅にうずくまっているのを感じるのだ。もしかすると、極限の恥辱や恐怖により、自分の心は、だんだんと歪み始めているのかもしれない。
 なんとなく、裸の体だけでなく、心の中の汚い部分まで覗き込まれている気がして、涼子は狼狽した。
「かっこいいとか、性格がいいとか、南さんは言われてるけど、危なくなったら自分のことしか考えないって、わかったから、もういいや……。じゃあ、このシャツを、あたしたちが処分するっていう方向でいこうか。だけど、今日とか明日とか、すぐには処分しないよ」
 香織は低い声で、そっと付け加える。
「あと、南さんの今後の態度によっては、処分するかどうか、わかんない」
 わたしは馬鹿だ……。なぜ、これほど単純な事柄に気づかなかったのだろう。
 フル回転していると思っていた思考も、実際は空回りしていただけだったのか。
 涼子に対し、絶大な利用価値を誇る代物を、香織が、あっさりと手放すはずがないのだ。
 ようやく、この話の流れが、どこに行き着くのかを悟る。香織の最大の狙いは、依然、涼子への脅迫なのだ。
 気色の悪い話であるが、香織、あるいは、明日香かさゆりが、この体操着を家に持ち帰り、ビニールか何かに保管しておくつもりなのだろう。涼子の体液と大便の残滓で汚れきった、この体操着を。持ち帰った者は、時折、その『状態』を目と鼻で確認したりして……。
 涼子は、吐き気を催しそうな嫌悪感を抱いた。これほどまでにおぞましい話が、他にあるだろうか。
 そして、その伝家の宝刀が抜かれるのを、涼子は、日々、戦々恐々として過ごすことになる。涼子にとっては、学校という場が、この女たちに支配された監獄と化すのだ。
「何か、不満でもあるの? 南さん……。あたしたちが、親切で処分してあげようっていうんだから、ちゃんと頭を下げるのが、礼儀ってもんでしょ?」
 香織は、涼子との心理戦を味わうかのように皮肉を言った。
 考えろ、考えろ、と自分を鼓舞し続ける。考えるのを止めた瞬間、わたしの手足には、鎖が巻きつけられるのだ。
 もう、自分の口から、滝沢秋菜に打ち明けてしまおうかと、涼子は思い始めていた。苦手意識のあるクラスメイトに話すには、はらわたの千切れるような抵抗があるが、事の顛末を、すべてだ。この身で味わった、筆舌に尽くしがたい恥辱の数々を、赤裸々に……。
 そこで、ぶつっと思考の糸が切れてしまった。身ぐるみ剥がれ、極限の恐怖を前にした状況で、落ち着いて思考を巡らすなど、土台無理な話なのだ。
「滝沢さんのシャツの処分、よろしく、お願いします……」
 とうとう言ってしまった。代償は、この体で払いますと、宣言しているようなものだった。しかも、香織たちが処分することは、絶対に有り得ないので、高校卒業まで延々と続くのだ。
 とたんに、猛烈な疲労感に襲われて、この場にへたり込みそうになる。
「しょうがないなあ。この、きったないシャツ、あたしたちが、責任を持って処分してあげる。ただし、今後、あたしたちに口答えしないで。今、この瞬間からね。逆らったら、どうなっても知らないよ」
 小柄で冴えない容姿の香織が、バレー部のキャプテンである涼子を徹底的に威圧する。そのつり上がり気味の目には、これでもかというくらい優越の色があった。
「はい……」
 ぽつりと返事をしつつ、涼子は、ぼんやりと思っていた。まだ、希望が完全に潰えたわけじゃない……。家に帰ったら、落ち着いて考えられる。この女たちの呪縛を破る、良い案も見つかるはずだ。こんな状況だから、まったく頭が働かなかっただけで……。
「それじゃあ、南さん。まず、さっき明日香に暴力を振るったこと、ちゃんと謝りなよ。明日香は、まだ許したわけじゃないんだからね」
 そうだ……。まだ、なんとでもなるんだ。ただ、今日のところは、悔しいけど、何をされても耐えないといけないかも……。耐える。耐えて、そうして、こいつらは、絶対に許さない。退学に追い込むだけじゃ、とてもじゃないが気は収まらない。
「ごめんね、明日香。さっきは、乱暴しちゃって……」
 しおらしく謝りつつも、涼子の意識は、あるかなきかの希望にすがりついていた。
 本当の絶望というものに直面するのが、怖くてならなかった。

「りょーちーん」
 明日香が、あの甘ったるい声を出し、再会を喜ぶかのように駆け寄ってきた。
「りょーちん。あたしもぉ、さっきは、ひどいことしちゃってぇ、ごめんねぇ」
 明日香は、ぽんぽんと涼子の頭を撫で、くすりと笑った。今後もずっと、涼子を好きにできる、という余裕と優越の態度だった。
 どこかぼんやりとしていた目の焦点が、前に立つ女の輪郭を捉えていく。
 セーラー服から伸びた腕は、驚くほど色白だった。ゆるいパーマの掛かった茶色い毛先が、眼前で揺れている。小悪魔めいた目鼻立ちは、どう見ても遊んでいるようにしか見えない。
 なぜ、わたしは、こんな女を信用し、バレー部に迎え入れてしまったのだろう。今更ながらに悔やまれる。すべては、そこから始まったのだから。
 ふいに、股間を押さえる両手に、ぴたっと右手を宛がわれ、涼子は、ぎょっとして体がこわばった。
「ねーえー……。いっぱい、まんじる垂らしちゃってぇ……。まったくぅ、そんなに、気持ちよかったのぉ?」
 涼子の両手越しに性器を刺激するかのように、やんわりと包み込まれる。
 思わず、両手にぎゅっと力が入る。指先には、べとついた陰毛の感触が伝わってくる。パンツを脱がされているという状況を、これまでで、もっとも恥辱に感じた瞬間だった。
 涼子が唇を噛んでいると、明日香は、ちょろりと舌を出した。その右手が、涼子のへその上を滑って離れていく。
「りょーちん、これでナカナオリ……」
 突然、明日香の両腕が、肩に伸びてきた。セーラー服の胸の部分に、乳房がぶつかる。着衣の華奢な体と、筋肉質で肉感的でもある裸の肉体とが密着し、対照的な色合いを見せる。
 またしても抱きつかれたのだ。これで何度目だろう。
「さっきは、乳首つねっちゃって、ごめんねぇ。痛かったでしょっ?」
 明日香は、ささやくように言うと、ふふっと不気味な笑いを漏らした。そして、突然、妙なことを始めた。わずかに体勢を落とすと、伸び上がるようにして、涼子の乳房へと胸をこすりつけてきたのだ。その動作を、くねくねと繰り返しだす。
 いやだ……。何考えてんの……。やめてよ、この、変態……。
 明日香は、挑発的な薄笑いの顔をしているが、時折、背筋の寒くなるような恍惚とした表情をも見せるのだった。
 身長差がそれほどなく、制服に包まれた乳房と、裸出した乳房とが真っ向からこすれ合う。涼子の紫がかった赤色の乳首が、セーラー服の生地にのたうっていた。
 後退しようとする涼子の体には、ほっそりとした色白の腕が絡みつき、それを許さない。
 やめて、と拒絶することすらできないのは、ひとえに、滝沢秋菜の体操着のことが意識にあるからだ。
 股間を押さえる不自由な格好で、背中が弓なりに反り、かかとが浮き始める。いやらしく体をくねらせる明日香の腕の中で、涼子は、恥辱にぶるぶると身悶えた。
「……うーん?」
 どんな感じなの、と問うように、明日香は声を発する。
 ボーイッシュなバレー部のキャプテンの苦悶の顔に、人形めいた美少女の悩ましげな顔が、舌を這わせるかのように迫っていた。
 ぐにゅっと乳房の肉が潰されるたび、セーラー服越しに、明日香の胸の膨らみも体に伝わってくる。まるで、女同士で性行為の真似事をしているかのような感覚に、気の狂いそうな生理的嫌悪を覚える。裸出した乳房には鳥肌が立ち、意思とは裏腹に、つんと乳首が突き出ていた。
「お願い……。明日香……、もうやめて……」
 涼子は、とうとう涙声で言った。拒絶や抵抗ではなく、哀願。それは、涼子に残された最後の権利だった。
 聞き入れたのか、それとも飽きたのか、明日香は、おもむろに体の動きを止めると、今一度、涼子の裸体を抱き込んできた。
 息の詰まるような体の密着。鼻と鼻がぶつかりそうになる。
 吹きだすのを堪えているような明日香の顔が、涼子の視界のすべてとなる。
 トップモデルにも負けない美貌だった。こんな美少女に、自分の顔を覗き込まれること自体が恥ずかしいと、劣等感を抱いてしまうほど……。しかし、それだけの美貌であるがゆえに、なおさら、この行為が不健全で、不気味で、そして許し難かった。
 明日香の吐く息が、まともに顔に掛かかって不快だ。しかし同時に、涼子の息は、それより遙かに激しく、彼女の顔に当たっているはずだった。余裕綽々とした明日香とは真逆に、精神的に極限まで追いつめられている涼子は、喘ぐような荒い息遣いをしていたからだ。口臭を気にするような余裕もない。
 背中を押さえるひんやりとした手が、じわじわと下降していき、あろうことか、ついには、おしりの曲線を撫で回し始める。
 総毛立つ思いがし、涼子が顔を歪めると、明日香のあの、笛の音のような耳障りな笑い声が発せられた。超至近距離ということもあり、いつにも増して忌々しい響きだった。
 自分を騙した憎くて仕方のない女に抱きつかれ、何の抵抗もできないことほど、惨めで悲しいものはない。
 そして、変態的で不潔な行為をしてくるのは相手なのに、実際には、相手は至って清潔で乱れることもなく、自分ばかり下品で汚らしい存在にさせられているような気がして、そのことが、泣き出したいくらい屈辱的だった。
 渇き切り、粘ついた唾液が糸を引くような口の中から、せわしなく吐き出している、熱い息。刺激を受けてしこった剥き出しの乳首が、セーラー服の胸の膨らみを突いている。恥部をきつく押さえた指先には、滲み出した体液でべとべとになった陰毛の感触がある。ひんやりとした指に、おしりの割れ目をなぞられた時には、あの、体操着にこびり付いた大便の残滓を思い出してしまった。
 恥じらいに満ちた思春期の少女とは、かけ離れた姿。わたしだけ、獣か家畜みたい……。
 これでは美女と野獣ではないか。そんな嫌なイメージも脳裏をよぎる。
 惨めだった。惨めで、悲しかった。
 ちゃらちゃらとした明日香だが、ひょっとすると、そういった涼子の心理まで見抜いた上で、こんな真似をしてきているのかもしれなかった。
「……んんー?」
 どんな気持ち、と問う愉悦に満ちた声。
 眼前で蠱惑的な笑みを浮かべる女に、憎悪の炎がたぎる。
 許さない……。よくも、わたしをはめてくれたね……。あんただけは、絶対に許さないから……。しかし、その感情の裏には、高校を卒業するまで、ずっと、こうして辱められ続けるのかという、どろどろの絶望感があった。
 と、その時、突然、唇に柔らかいものがくっついた。嘘のようだが、それは目の前の女の唇だった。
 えっ……。涼子は目を見開き、硬直した。女同士の唇が合わさる優しい感触。薄目で唇を突き出した少女の顔。
 何をされたのか、脳がはっきりと認識した時には、もう、明日香は顎を引き、小悪魔めいた含み笑いを見せていた。
 一拍遅れて、燃え上がるように涼子は取り乱した。
「ちょっと……! いや! やめてよもう!」
 ぼっと顔中が熱くなる。思い切り突き飛ばそうと、両手を股間から離すも、しかし、手の出せない相手であることに気づく。代わりに、両腕で明日香の体を押しやろうとするのと、彼女が自ら離れていくのが、ほぼ同時だった。
 明日香は、照れた素振りもなく、きゃははと、はしたない笑い声を上げる。視界の隅に、香織とさゆりも、唖然とした表情をしているのが映る。
 きたない……。さいあくだ……。
 涼子は堪らず、手の甲で何度も唇を拭った。すると、その右手の指先から、自分の体液の臭いが、つーんと鼻孔に流れ込んできた。惨めだった。もう泣きたかった。
 惨めさや悲しみが、破滅に向かって急速に膨らみ上がっていく。
「もーうぅ! いやぁぁ!」
 涼子は絶叫し、体を揺さぶって教室の床を踏み鳴らした。そばの机に八つ当たりしたいくらいだった。
 そこで、明日香が嬉しそうに言う。
「りょーちんの、ファーストキスの相手はっ、あたしにぃ、なっちゃったんだねえ」
 涼子は、殺意を込めて睨んだ。
 そういえばと、思い出した。途方もない時間が過ぎ去ったように感じられるが、つい一時間半ほど前のことだ。この教室で、衣類をすべて脱がされてからまもなく、話の脈絡は忘れたが、キスの経験の有無を、明日香に訊かれたのだった。小学五年生の時の経験があるが、ない、と涼子は答えた。その直後、明日香の顔に、何か意味ありげな表情が浮かんでいるのを見て、自分は、漠然と嫌な予感を覚えたことまで、頭の片隅に残っている。
 おそらく、あの時、明日香は思いついたのだ。未経験だという涼子の唇に接吻し、消えない記憶を刻みつけてやろうという、悪意に満ちた企みを。そして、それを今、難なく実行した。
 まさに美少女の面を被った悪魔だ。
 ぞっとするほど柔らかい明日香の唇の感触が、唇にこびり付いて離れない。女同士、しかも、自分を騙して地獄へと引きずり込んだ、この世でもっとも憎い女に口づけされたのだ。彼女の言うファーストキスではないとはいえ、この忌まわしい出来事は、終生、何彼につけて思い起こしてしまうような気がする。
 屈辱感と悲しみに、顔を掻き毟りたくなる。
「……もぉうぅ!」
 誰もいない方向に向かって、涼子は再び怒鳴った。しかし、こんな形でしか感情を爆発させられないことを、改めて痛感させられ、よけい惨めな気持ちなる。
 んっ……、くう……と、喉から涙声が漏れる。
 明日香は、愉悦にうるうるした目で、涼子を見つめながら、猫のような笑い声を出していた。
 が、そこで急に、ほとんど傍観者だった香織が、いやに苛立った声を上げた。
「なに、そんなに意識してんの? 明日香は、ちょっと、ふざけてやっただけでしょ? マジでキモいんだけど。なんか、顔も赤くなってるし……。キモ!」
 その毒々しい台詞は、香織の何か仄暗い感情の表れのような気もしたが、赤面していることを指摘され、涼子は、どぎまぎしてしまう。
「これ、もう一回持って。南さん」
 香織は、手近の机に載せておいた滝沢秋菜の体操着を、汚そうに両手でつまむと、涼子の体に突き出した。
「えっ……」
 涼子は、言われるまま受け取る。臭気の元を動かしたために、自分の恥の臭いが、ひときわ、むっと漂っていた。
「さっき、あたしたちがやったように、シャツの首の赤いところを上にして、自分で、ま○こに食い込ませて」
 不機嫌そうな香織が、冷ややかに命令する。
 涼子は、ごくりと生唾を飲み込んだ。もしかして、あの続きを再開しようというのか……。
 しかし、ぐずぐずしていると、香織は、たちまち怒り出しそうな雰囲気である。そうなったら、また、体操着の処分の件について蒸し返し、ねちねちと脅迫してくるだろうことは、目に見えている。
 耐える……。こんなことをするのは、絶対、今日までだから、耐える……。
 なんとか自分を励ましながら、涼子は、赤い丸首の部分が上にくるようにし、左右の袖のところを両手で持つと、左手を前にして、それを跨いだ。股の下で前後に張った体操着を引き上げ、性器に宛がう。自分の体液に濡れた布地が、性器の肉にぴたぴたと触れた。
 これで、どうすればいいの、とおそるおそる、視線を香織に向ける。
「ま○こに食い込ませろって言ったでしょ!? なんで、一度できっちり、やろうとしないわけ? 嫌なことを誤魔化して、逃げようとする態度、すごいムカつくんだけど」
 香織が当たり散らすには、今の無力な涼子ほど都合のいいものはない。
 涼子は怯えさせられ、ためらう余裕もなく、体操着の前方を引っ張り上げた。自分の体液が染み込み、ぬるぬるとする布地が、まだ潤いの残る性器に食い込む。すると不覚にも、脊髄を這う妖しいものを感じてしまった。
 まさか、と涼子は思う。今度は、自分自身で体操着を操って、性器を刺激しろとでも言うのだろうか。つまり、自慰行為の強要である。
 へどもどする涼子の表情と、卑猥な様相を呈する下腹部とを見比べていた、香織の仏頂面が、にやりと歪んだ。
 不吉な予感に、鼓動が速くなる。いったい、何をするつもりなの……。
「さゆりっ……。南さんの、この姿、カメラで撮っておいて」
 血の気が引いた。体操着を取り落としそうになる。
 全裸の涼子が、自慰行為よろしく、クラスメイトの体操着を恥部に食い込ませている姿が、写真に記録されようとしているのだ。
「ちょっと、やだっ……。やめて、お願い……。お願いだからぁ……」
 理性を失った人間のような声が、涼子の口から出ていた。
 しかし、香織もさゆりも、耳を傾ける素振りすら見せない。さゆりは嬉々として、机に置いてあるデジタルカメラを手に持つと、無遠慮にこちらに向けて構える。
「撮りますよー、せんぱい」
 いやだ……。涼子は、悲鳴を発しそうになった。思わず体操着を取り落とし、顔を背ける。
 シャッターの音が鳴ったのは、その直後だった。さゆりは不満そうな声を出し、香織は舌打ちした。
 心臓が、どくどくと脈打っている。今、まさに、生命線を絶たれるところだったと思う。
「ミ・ナ・ミ……。何やってんの? あんた……」
 香織の呼び捨てが、恐ろしく威圧的に響いた。
「滝沢さんにシャツを返せなくなったのは、あんたが、ま○こにシャツをこすり付けて、オナニーしたせいでしょ? その事実を証拠に残すことの、何がいけないわけ? まさか、後で言い逃れしようとか、考えてるんじゃないでしょうね。そんなこと、許さないからね。……ほら、とっとと、シャツをま○こに食い込ませなよ」
 何者かの体液にまみれて臭気を放つ、滝沢秋菜の体操着。そして、その体液が、南涼子の体から排出されたものであると、一目でわかる写真。そのセットが、香織たちの手中に握られることになるのだ。
 いや……。そんな写真を撮られたら、本当に、それこそ本当に、高校生活が終わってしまう……。
 涼子は、両手で頬を包み込み、首を横に振り続けた。
「ミ・ナ・ミ……。あんたが協力できないっていうのなら、その、きったないシャツ、処分するのは止めにするよ。……体育の時間、滝沢さんが、そのシャツを着ちゃうようなことになっても、いいのかなあ?」
 ふっと体の力が抜けていく。
 滝沢秋菜が、この体操着を手に取るような事態だけは、何を犠牲にしてでも防がなくてはならない。今、涼子の頭で導きだせる答えは、その一点だけだった。後のことは、何も考えられない。
 わなわなと震える手で、落とした体操着をつかむ。赤い丸首の部分を上にして跨ぎ、もう一度、ぐいっと性器に食い込ませる。
 涼子は、教室の天井を仰ぎ見た。喘ぐような自分の荒い息遣いが、耳に付く。
 恥辱に耐えるのも、今日までなんだと、これまで自分に言い聞かせてきたが、もはや、そんな儚い希望すら、心から消え去ろうとしている。
 きっと、高校を卒業するまで、この地獄から逃れられないんだ……。どうなっちゃうんだろう、わたし……。
 香織にとって、自分の力で涼子を服従させることが、何よりの薬らしい。さっきまでの不機嫌な表情とは別人のように、そのつり上がり気味の双眸は、ぎらぎらとした愉悦で光っていた。
「南さーん……。写真撮るんだから、そんな引きつった顔してちゃあ、だめでしょう」
「そうですよね……。今のせんぱいの顔だと、知らない人が写真を見たら、なんだか、無理やり、やらされたんじゃないかって、誤解しちゃうかもしれないですしぃ」
 香織とさゆりは、寄り添うようにしてせせら笑っている。
「そうだっ、南さん。あのさ……、かわいこぶった顔してみせてよ。ちょっとだけ、ぷーって、ほっぺたを膨らませる感じで……。それで写真撮るから。ほらっ、やってよ」
 もはや、横隔膜が痙攣するような悲しみが湧き起こってくる。
「頑張って、南さん……。写真撮り終わったら、今日のところは終わりにしてあげる……。あっ、もちろん、さゆりが拾ってきたお金、六万と、体育倉庫の地下で撮った、南さんの恥ずかしい写真も、持って帰っていいからね……。だから、やって。かわいこぶった顔。ほっぺた膨らませて。はやく」
 香織に言われて、今日、自分が、服を脱ぐことになった訳を思い出す。先日撮られた、全裸の写真による脅迫と、そして、盗んだ合宿費の一部を返すという餌だった。
 今思えば、服を脱ぐ以外の選択肢が、あったのではないかという気がしてならない。
 しかし、もう何もかもが遅かった。
 心の内では、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちている。だというのに、涼子は、ぷっくりと頬を膨らませ、気持ちとは真逆の表情を作るのだった。人間として、もっとも情けなく、卑しいことをやっている気がする。いや、もう人間ですらないのかも……。
「いいよー、いいよー、南さーん……。じゃあ、少し顎を引いて……。そう、そう。そんで、ちょっと上目遣いにして……。うん、うん。そんで、もっとま○こにシャツ食い込ませて……」
 香織の悪趣味な注文にも、もはや、涼子は唯々諾々と従うほかなかった。左手、つまり前の手で引っ張り上げた体操着の布地が、恥部の鋭敏な部分を、ぎりぎりと圧迫する。またも、膣から生温かいものが滲み出してくるような感覚に苛まれるが、それでも涼子は、作った表情を崩さずに踏ん張っていた。
「超ウケるんだけど……。これ、やばくない……? 滝沢さんのシャツでオナニーしながら、かわいこぶってる、変態、ミナミリョウコ」
 香織は、興奮気味に涼子を指差した。
「きもちわるーい……。これ、もろに、ストーカーの決定的瞬間ですよね」
 さゆりは、いよいよ、涼子の狂気的な姿にカメラを向けた。
「やーん、りょーちぃん……。見てるこっちがぁ、恥ずかしくなってくるぅ」
 明日香が、細身の肩を抱いてしなを作った。
 少女たちの嘲笑が降り注ぐ中、涼子は、カメラ目線を維持し続けた。
 目の縁に、涙が滲んだ。一筋の腋汗が、つーっと横腹を伝う。
 媚びるような眼差しを向け、嬉し恥ずかしそうに頬を膨らませた、ショートカットのボーイッシュな少女。一糸まとわぬ姿で、その恥部には、逆三角状に茂る陰毛の領域を二つに割るように、他人の体操着を食い込ませている。
 後輩の手で、シャッターのボタンが押される。涼子の高校生活の光が、完全に潰えた瞬間だった。
「あと……、南さんは、シャツにうんこも付けちゃったから、後ろからも写真、撮るよ。滝沢さんのシャツで、けつの穴まで拭いたっていう、証拠の写真をね……」
 野卑な笑みを浮かべる香織を見下ろし、涼子は思う。救いようのないほど品がないのは、この女なのか、それとも、わたしなのだろうか。
 声も出せない涼子の背後へ、少女たちは、はしゃぎながら移動した。
「南さーん。今度は、シャツを後ろに思いっきり引き上げて、けつに食い込ませて。それで、かわいこぶった顔のまま、顔だけ、カメラのほうに向けて。あたしたちをイライラさせないように、一度で、きちっとやってね」
 命令された通り、右手、つまり後ろの手で体操着を引っ張り上げる。自分の体液の染み込んだ布地が、肛門の粘膜をも濡らし、その汚辱感に背中の筋肉が引きつりそうになる。にもかかわらず、おどけるように頬を膨らませた表情で、そろそろと顔を後ろに向けていく。
 少女たちは、互いの体をつつき合うように笑う。
「せんぱーい……。うんこした後に、トイレでちゃんとおしり拭かないで、滝沢先輩のシャツで拭いたってことが、これで確定しましたからねえ」
 年上に対し、そんな台詞を吐く後輩が構えるカメラに、じっと目線を合わせる。
 本当の絶望というものを、涼子は、ついに知った。目を開いていても、何も見えていなかった。だから、少女たちのくすくすと笑う声は聞こえていても、その表情はわからない。
 ふと、脳裏に、薄ぼんやりとした情景が瞬いた。小学五年生の時、団地の公園の片隅で、一つ上の男の子と口づけを交わした、あの甘い思い出。それが、今、なぜか想起された。
 なんだか、ずいぶん、遠いところへ来てしまったという感じがする。
 今、自分は、同世代の少年少女たちが生きる青春の道とは、隔絶された世界に、ひとり全裸で立たされている。セーラー服を着て、普通の女子高生を装った、悪魔ですら青ざめるような女たちに、まとわりつかれて。






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