第十七章〜部活の練習に関すること


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第十七章〜部活の練習に関すること




 練習に集中しろ。余計なことは、もう考えるな。心の中で自分を叱りつける。しかし、先ほどの教室での出来事は、頭にこびり付いて離れない。滝沢さん……。あの子に、どう思われているだろう。その不安で、胸がはち切れそうなほど苦しかった。
 体育館のフロアは、真ん中で二分され、いつものように、バレー部とバスケット部が半分ずつ使用している。出入り口側がバレー部だ。白いTシャツに黒のスパッツ姿の部員たち。今は、二、三年生が、サーブを打つ側と、そのボールをレシーブする側とに分かれて、練習を行っている。コートが一面しか取れないため、一年生は、外でランニングや筋トレなどの基礎体力作りで、それが終わった部員から、二、三年生の練習の球拾いとなる。
「カット一本!」
「おう!」
 レシーブ役の部員が、気勢を上げる。
 サーブは、自分の番だった。滝沢秋菜の顔が、脳裏にちらついている。ボールを宙に放る。助走をつけてジャンプし、空中でボールを叩き落とす。しかしボールは、ネットに当たってこちら側のコートに落ちた。得意のジャンプサーブなのに、立て続けのミスだった。
 南涼子は、溜め息をついた。やはり、どうしても集中できない。
「おーい、リョーコー。ダメダメじゃんよお。しっかりしろよお」
 後ろから言われてしまう。常にテンションの高い、浜野麻理の声だ。
 そちらを見やると、麻理は、持ったボールを額に押しつけて笑っていた。丸っこい顔に、ややぽっちゃりとした体型。その外見のためか、何をしていても愛嬌がある。
 涼子も、意識して笑顔を作った。そして、言い返す代わりに、麻理の肩に、ビシッと声に出してチョップを喰らわしてやる。実は、不安なことがあって……、とは誰にも言えない。
 涼子は、一年生からボールを受け取るも、サーブの列には並ばず、壁にもたれた。ぼんやりと、仲間たちの練習を眺める。
 脚を止めていると、意識は、徐々にコートから離れてしまう。滝沢さん……。顔のくり抜かれた、全裸の女の写真。自分の顔は真っ赤になり、滝沢秋菜は、怪訝そうにこちらを見つめていた……。彼女に疑われていても、おかしくない。この写真は、南涼子の体を写したものではないか、と。いや、疑いというより、もはや確信に近いものを持っているかもしれない。やだ、どうしよう……。こんな状態で、明日からどうやって、あの子と顔を合わせればいいのか……。
「ちょっとリョーコ、ちょっと……」
 副キャプテンの高塚朋美に声を掛けられ、涼子は、はっとした。
 涼子よりも背が高く、髪をベリーショートに切っていて、少年に間違えられそうな外見の朋美が、眉間にしわを寄せて立っている。
「なにぼーっとしてんの? 今日は、ずっとそんな感じだよね? 上の空っていうかさ」
 朋美は、責めるような口調で言う。副キャプテンだけあって、部員たちのことをちゃんと見ているようだ。
 涼子は、返す言葉が見つからなかった。
「この前、うちらがゲームで負けた後に話したこと、忘れたわけじゃないでしょ? 今、うちら三年にとって、すごい大事な時期なんだよ? キャプテンがそんなんで、大会、どうやって勝てっていうの?」
 数日前のことだった。その日の練習の最後に、三年対二年のゲームを行った。二セットを先制したほうが勝ちだった。二年の中にも、レギュラーが二人いるとはいえ、実力的には、三年のチームが大きく上回っているはずだった。ところが、あろうことか涼子たち三年は、一対二で、二年に敗れてしまったのだ。敗因は主に、エースアタッカーであり、チームの大黒柱でもある涼子の不調にあった。そのせいで、チーム全体のリズムが狂ったのだ。ゲームの後、涼子は、集中力の無さを朋美に責められた。軽い口論にもなった。だが最終的には、これからは気持ちを入れ替えて練習に臨み、最後の大会までに、それぞれの悪い点を修正していこうということで、話は落ち着いたのだった。
「ごめん……。今も、サーブのコースとか、フォーメーションのこととか、色々考えてて……」
 涼子は、そう言ってごまかすしかなかった。
 むろん、朋美に納得のいった様子はない。
「体調でも悪いのか、それとも、手に負えない悩み事でも抱えてるのか知らないけど……、集中してできないなら、今日のゲームは、見学してて。キャプテンがやる気がないと、みんなの士気が下がっちゃうから」
 朋美は、ぴしゃりと言って離れていく。
 彼女の言うことは、もっともだと、涼子も思う。だから、腹が立ちはしなかった。むしろ、責任感のある朋美が副キャプテンで、よかったとさえ思う。
 だが……。涼子の抱えている問題。それは誰も知らない。誰にも話せない。涼子の不調の原因は、むろん、あの吉永香織たちのことにある。すでに身も心も限界を超えていた。学校に通ってくること自体が、血を吐くような思いなのだ。立っているのも、しんどいくらいだった。さらには、あの竹内明日香が、何を考えているのか、マネージャーとして相も変わらず練習に参加してくる。自分をとことんまで辱めた女に、練習中は、常に監視されているのだ。当然、集中力は散漫になる。ミスも多くなる。そのせいで、数日前のゲームでは、涼子たち三年が二年に敗れるという、以前ではあり得ないような事態を招いてしまった。
 だが、今日の練習に、明日香の姿はない。それは、涼子にとって救いである。しかし今は、先ほどの教室での出来事が、頭にこびり付いていて、集中力がかき消されてしまう。あの写真のことについて、滝沢秋菜が、どう思っているのか……。不安でたまらなかった。
 けれども、このままではいけない。これ以上、仲間たちに迷惑は掛けられない。
 涼子は、フロアの出入り口に向かった。
 出入り口のところには、一年生と思われる制服姿の生徒が、数人固まっていた。涼子が近づくと、彼女たちは、寄り添うようにして、どぎまぎした様子を見せる。そこを通った時、小さく聞こえた。
「南先輩……。かっこいい……」
 涼子に憧れる後輩たちが、フロアの出入り口や二階のギャラリーに集まっているのは、いつものことである。涼子は、もはや何とも思わなくなっていた。
 体育館は、フロアの出入り口と玄関との間に、通路がある。通路には、バレー部やバスケット部の部室、手洗い場、トイレなどが並んでいて、その先が、二階への階段になっていた。
 涼子は、手洗い場で、蛇口をひねった。冷たい水を、ばしゃばしゃと顔に掛ける。練習に集中しろ。考えても仕方のないことは、もう考えるな。そうして、滝沢秋菜のイメージを脳裏から追い払う。しかし、もう一つ、どうしても気になることがあった。
 今日、あの三人に強要され、自分のやったことが、思い出される。滝沢秋菜のバッグから、写真を盗んだ。そして、香織たちの作った『メッセージ』を、彼女に渡した。
 どうも引っ掛かるのだ。香織たちは、本当に、秋菜の写真が必要だったのだろうか……。あのメッセージは、本当に、秋菜に向けられたものだったのだろうか……。
 そう考えていくと、今日、香織たちとの間に起こった出来事のすべてが、なんだか、微妙に『ズレて』いるというような、そんな感じがしてくるのだ。まるで、ピースの合わないパズルが、無理やり、くっつけられていたかのように。ひどく不気味で、不吉な感覚だった。ひょっとすると自分は、何かとんでもない思い違いをしているのではないだろうか。それに気づかないでいると、想像もしないような惨事が、自分を待ち受けている、なんてことも……。
 そこで涼子は、ぶんぶんと頭を振った。
 もう終わりによう。こんなことを考え続けるのは。考えたところで、問題は、何一つ解決しないのだから。そう。たとえ泣きたいほどの悩みや不安を抱えていても、前を向き、今、自分のやるべきことに全力を尽くす。バレー部の練習では、そういった『心』も、学んできたはずではないか。いつから、わたしは、こんなに弱くなったのだろう。
 よし、と気持ちを奮い立たせ、涼子はフロアに戻った。
 コートでは、サーブとレシーブの練習が続けられている。
「さあこーい!」
「ナイスカット!」
 あちこちから活気に満ちた声が上がっている。
 だが、声出しをしていない部員も多い。とくに、球拾いに当たっている一年生に。
 涼子は、手を叩いて怒鳴った。
「ほら! もっと声出して! 一年生! 声が出ないなら、また外でダッシュ行ってこい!」
「おう!」
 一年生部員たちが、絞り出すように返事する。
 だが、その直後、涼子は思った。今、自分が怒鳴ったのは、極度の不安からくるストレスを、後輩たちにぶつけていただけではないのか……。そんな気がしないでもなく、なんだか、自分のことが、よけい嫌になりそうだった。
 その時、後ろから聞こえた。
「りょーちん。相変わらず厳しいねえ……」
 背筋に寒気が走る。
 振り向くと、竹内明日香が立っていた。紺のジャージの上下に着替えている。練習に出る気のようだった。
「なんで……。もう帰ったんじゃ、なかったの……?」
 涼子は、つぶやくように言った。
 明日香は、口もとに微笑を浮かべる。
「あたしはぁ、ここのマネージャーだよお? 練習に出るに、決まってんじゃーん?」
 失望感が、胸一杯に広がっていく。今日も、この女に監視されることになるのか……。練習の最後には、また、三年対二年のゲームも行われるというのに。
「でも、その前にぃ、りょーちんに、ちょっと話があるからぁ、来てほしいの」
 明日香の眼差しに、悪意の光が宿った気がした。
「なに、話って……?」
 嫌な予感が、胸の内で渦巻く。
「大事な話ぃ。りょーちんのぉ、練習に関することぉ。香織たちもぉ、今、待ってるから」
 いったい、この女たちは、どれだけ自分にまとわりつけば、気が済むというのか……。それにしても、香織が待っているのなら、話というのは、滝沢秋菜の件ではないのか……?
「どこで……?」
 場所が気になる。
 明日香は、うふふと笑って言った。
「いつものぉ……、体育倉庫のぉ、地下」
 涼子は、全身がこわばるのを感じた。あの場所では、二度に渡って、服をすべて脱がされたのだ。悪夢のような記憶が、フラッシュバックする。話、と明日香は言うが、あそこに連れて行かれたとしたら、話だけで終わるとは思えない。
「ねえ明日香……。やめてよ、わたし、練習中なのに……」
 周りに部員たちがいる中、涼子は、涙声になっていた。
「んううん……。今じゃないとぉ、ダメなのお。すぐに、終わるから、すぐに。十分か、十五分くらい。そんで、また、あたしと一緒にぃ、練習に、戻ってくる」
 本当だろうか……。ジャージに着替えているところからすると、練習時間内には、ここに戻ってくるつもりのようではあるが。
「でも……」
 涼子は、口ごもる。体育倉庫の地下で、この女たちに取り囲まれることだけは、なんとしても避けたかった。
「りょーちん、わかってんでしょう?」
 明日香は、上目遣いの視線を向けてくる。言うことを聞かないと、どうなっても知らないよ、という脅迫の眼差しだ。
 結局のところ、逆らうことはできない。自分が、周囲とは隔絶された世界にいることを、痛感する。
 涼子は、歩きながら思った。本当に、すぐに終わるのだろうか。コートに戻って来ても、もう、まともに練習のできる精神状態ではないかもしれない。また朋美に、怒られるかもな……。

 体育倉庫の地下。灰色のコンクリートに囲まれた、この陰鬱な空間から、涼子は監獄を連想する。それに、空気はじめじめとしていて、汗をかいたTシャツとスパッツが、肌に張りつく感じがして、気持ちが悪い。
 だが、陰湿で性根の腐りきった人間にとって、ここは、それなりに居心地がよいらしい。吉永香織と石野さゆりは、校舎にいる時より、むしろ活き活きとしているように見えた。
「ごめーん、南さん。練習中なのに、来てもらっちゃって……。でも、それだけ大事な話だったんだよね。南さんの、部活の練習に関することだから、さ」
 香織は、涼子が来たことが、嬉しくて堪らないような様子で喋る。
 部活の練習に関すること……? もしかすると、香織たちが盗んだ、バレー部の合宿費のことだろうか。だが今は、その前に、先ほどの滝沢秋菜の件で、香織に訊いておきたいことがある。あの時、涼子が、逃げるように教室を出た後も、香織は、秋菜と二人で、その場に残っていたのだ。秋菜は、涼子について、何か言っていたのではないか。
 涼子は、先手を打つ思いで口を開いた。
「あの、さっきの、滝沢さんのことなんだけど……。結局、どうなったの……?」
 ストレートに尋ねることはできず、探りを入れるような言い方になった。
 だが、香織の顔には、抑えられないような笑みが浮かんだ。
「ああ……。南さん、滝沢さんの前で、顔、真っ赤になってたでしょ? 滝沢さんに、写真に写ってる裸のこと、『大人っぽい』って言われたのが、そんなに恥ずかしかったの?」
 涼子は、凍りついた。赤面していたことは、やはり気づかれていたのだ。香織が気づいていたということは、おそらく秋菜も……。
 香織は、愉快そうに話す。
「南さんが、教室を出て行った後、滝沢さんも、言ってたよ。『南さんの顔、すごい赤くなってなかった? なんか、この写真のこと、自分のことみたいに恥ずかしがってたよね?』って。そんで、滝沢さん、疑わしそうに、じーっと、あの写真を見てたよ」
 それを聞いて、涼子は震かんした。
「あの滝沢さんの様子だと、南さんのことを疑ってる可能性が、大だね。写真に写ってる裸の女は、南さんじゃないかってね。そのことは、もう、覚悟しておいたほうがいいよ」
 やっぱり、疑われているのか……。恐怖と絶望で、目の前が暗くなる。
 明日っから、教室では、秋菜の疑惑の眼差しが、涼子を待ち受けているということ。『南さん、あの裸の写真は、あなたを写したものなんじゃないの……?』と。もはや、秋菜と、目を合わせることすら、怖ろしいと感じる。彼女の前では、いったい、どんなふうに振る舞えばいいというのか。これから先、自分は、そうして秋菜に怯えながら、高校生活を送っていくことに……。それを思うと、絶望感で、気が遠くなってくる。
 涼子は、思わず、両手で顔を覆ってしまった。
 後輩のさゆりが、そんな涼子の姿を見て、くっくっ、と笑った。
「うっわ、南先輩……。すんごい打ちのめされてる」
 香織は、追い打ちを掛けるように続けた。
「それと、気をつけたほうがいいよ……。滝沢さん、あの写真を剥がして捨てないで、保健の教科書、そのままバッグに入れてたから。もしかしたら、今日、家に帰って、あの写真を、徹底的に調べるつもりなのかもね。南さんであることを示す証拠が、どこかに写ってないかって」
 その光景が、脳裏に思い浮かぶ。
 秋菜の自室。秋菜は、机の上に、例の保健の教科書を広げ、そこに貼られた全裸の女の写真を、じっと睨んでいる。乳首も陰毛も隠されていない、その裸体を。これは、南涼子の体ではないのか、という疑念を抱きながら……。
 それ以上考えていると、この場で、髪を掻きむしってしまいそうだった。
「まあ……、その滝沢さんだって、もうすぐ、南さんの『仲間』になるんだけどね」
 香織は、そう言って、不気味な笑みを浮かべる。
 仲間……。涼子は、香織のつり上がり気味の目を、真っ直ぐに見下ろした。
「南さんが、滝沢さんに渡した、あの、『メッセージ』のとおりになるってことだよ」
 秋菜の保健の教科書に貼られた、全裸の涼子の写真。ただし、その写真の顔の部分は、秋菜の顔にすげ替えられていた。あたかも、秋菜が、ヘアヌードをさらしているかのように。そして、その上に書き殴られた、『滝沢 おまえも、こうなる!!』の文字。それが、秋菜への『メッセージ』だった。
 そう……。あの滝沢秋菜も、香織たちの標的となっているのだ。
 滝沢さんも、わたしと同じように……。
「でも……、南さんにとっては、そっちのほうが、ほっとするでしょ?」
 香織は、意味ありげに言った。
 心臓が、どきりと動いた気がした。
「どうゆうこと?」
 涼子は、眉をひそめて訊く。
「だからさ……、いっそのこと、南さんも滝沢さんも、二人一緒に、仲良く素っ裸になっちゃえば、もう、あの写真のことなんて、どうでもよくなるじゃん。なんたって、滝沢さんも、南さんの『仲間』なんだから。そっちのほうが、南さんにとっては、気が楽でしょう?」
 二人一緒に……。互いに同じ格好とはいえ、滝沢秋菜にも、体を見られる羽目になるのか……。その状況を想像し、涼子は、激しい生理的嫌悪感を覚えた。
 だが……。先ほど、逃げるように教室を出てから、この、よこしまな思いが、幾度、頭に浮かんだことだろう……。
 滝沢さんも、わたしのところまで、堕ちてきてくれたら……。
 そうなれば、もう、例の写真のことで、滝沢秋菜に怯えるようなことも、なくなるのだ。なにしろ、同じ立場同士なのだから。
 胸の内では、感情が、複雑に入り乱れる。
「そんな、やだ……。あの……、滝沢さんに、何かしようって考えるの、もう、やめなよ……。やっぱり、可哀相だよ」
 自分の声は、弱々しかった。本心から言っているのか、自分でもよくわからなかった。
「そんなこと、本当は、思ってないくせに」
 香織は、ぼそりと言った。
 涼子は、息を呑んだ。
「本当は……、滝沢さんも、裸にさせられて、恥ずかしい目に遭えばいいのにって、思ってるくせに」
 香織は、十五センチほど背の高い涼子のことを、斜めに見上げるようにしている。
 涼子は、ひどく落ち着かない気持ちになる。
「なっ……。そんな、滝沢さんの、不幸を願うようなことなんて……」
「南さんの、本音」
 香織は、涼子の口真似のような、低い声で言い始める。
「あの写真の裸、わたしだってこと、滝沢さんにバレてるかも……。こわい。滝沢さんのことが、こわい。いつまで、こうやって、滝沢さんに怯えないといけないの……? 早く、一日も早く、滝沢さんも、わたしの『仲間』になってくれればいいのにぃ」
「あっ。南先輩、絶対そう思ってますよ……。滝沢先輩のことも、安全なところから、引きずり下ろしたい、みたいに……」
 さゆりは、汚物を見るような目を、涼子に向ける。
「やだー。りょーちん、なんか、ドロドロしてるぅ。こわーい。悪魔みたーい」
 明日香が、大げさに顔をしかめて、悲しげな声で言う。
 自分の内心の、醜くて汚い部分を覗き込まれているような気がし、涼子は、狼狽した。
「いっ……、いい加減にしてよ……! そんな……、滝沢さんの不幸を願うようなこと、思ってるわけないでしょ!?」
 つい、語気が激しくなる。目の縁には、涙まで滲んできそうだった。
 すると香織は、口もとに手を当て、薄笑いを浮かべた。
「あっ。なんかムキになってるし……。やっぱり図星なんだ。滝沢さんも、早く、自分の『仲間』になってほしいって、思ってるんだ……。ずるいね、南さん。自分が楽になりたいからって、同じクラスの子の、不幸を願うなんて」
 屈辱と怒りで、全身が熱くなる。この女の顔を、張り倒さないで耐えている自分が、不思議にすら思えてくる。
「まっ……。南さんの期待に応えて、滝沢さんにも、しっかりと、恥ずかしい思いをさせなくっちゃね。滝沢さんをハメる計画は、完璧だから、大丈夫だよ。確実に、滝沢さんも、南さんの『仲間』になるからね」
 香織は、横目で涼子を見ながら言った。
 もう、相手にするのも馬鹿らしい、というふうに、涼子は、そっぽを向いた。
 だが、それにしても、香織の口ぶりには、どうも違和感を覚える。何か、涼子を騙すために、話を作っているような、そんな不自然さを感じるのだ。
 その時、ふと、涼子は思った。頭の片隅に、ずっと、薄ぼんやりと浮かんでいた疑問。本当に、香織たちは、滝沢秋菜を標的として狙っているのだろうか……。

「それはそうと、南さん……。腋毛、剃ったり抜いたりするのは、禁止っていう約束、守ってんだろうね? あと、まん毛と、きったない、けつ毛も、そのままにしてある? 今から、ボディチェックするよ」
 香織は、いきなり話を変えた。
 毛……。涼子は、目を見開いた。
 今、香織が口に出した、決して人には見せられない種類の、体毛。あろうことか、涼子は、その処理を禁止されているのだ。そして、四日前、放課後の教室でのこと。全裸にさせられた後、『約束』を守っているかどうか、ボディチェックと称して、陰毛の状態まで調べられた。あの、身を焼かれるような恥辱の記憶が、鮮烈によみがえってくる。
 そんな、いや……。今から、また、あんな思いをさせられるなんて……。
「ねえ、お願い……。わたし、もうそろそろ、練習に、戻らないといけないの……。だから、今日はやめて。お願いだから……」
 むろん、今日も、明日も、明後日も、やめてほしい。しかし今は、なんとかこの場を切り抜けることしか、考えられない。
「練習かあ……。そうだねえ……」
 少々意外なことに、香織は、人差し指を頬に当て、考える仕草を見せた。
「じゃあ、わかった……。服、脱がなくていいから、まず、腋毛の検査する。ちゃんと、約束守って、腋毛を、処理してないってことが、見てわかったら、まん毛とけつ毛の検査は、免除してあげる。これで嫌とは、言わせないよ」
 珍しいことだった。香織が、大幅に譲歩したのだ。そして、香織の言う『約束』は、『ほぼ』守っている状態だった。これならば、腋を見せるだけで……。
「わかり……、ました……」
 情けなくも、涼子は、少し有り難いような気持ちになって、小声ながらも敬語を使っていた。
 香織は、優越感に満ちた表情を浮かべる。
「それじゃあ……、ほらっ、検査するんだから、シャツの袖をまくって、両手を頭の後ろで組んで」
 その命令に、涼子は、ほとんど躊躇の素振りを見せず、従った。白いTシャツの袖を、肩までたくし上げ、降伏するようなポーズを取る。
「明日香、明日香、いつものように、反対側、調べて」
 香織は、こちらに歩み寄りながら、手招きする。
「オッケーイ」
 明日香も、嬉しそうに返事をして、動きだす。
 涼子の右腕側に、香織が、左腕側に、明日香が立った。涼子の腋を調べる時は、前回も、その前も、この二人の組み合わせだった。
 シャツの袖口に、香織は、興味津々の表情で、指を突っ込んできた。
「どれどれぇ……」
 袖口が、わずかに下に広げられる。
 反対側を、明日香が、同様にした。
 前回、つまり四日前。涼子が、命令を無視し、腋の処理を行っていたことに、香織は、理不尽にも激怒した。次、同じことを繰り返したら、もう、何をされるかわからない。そう思い、あの日から昨夜まで、まったく手を付けられなかった。昨夜、どうしても気になり、かみそりを手に取ったが、ざっと何度か撫でただけの、不十分な状態で終えている。
 今回は、大丈夫のはずだ、と涼子は思う。こんなふざけた命令に従っている自分の、情けなさ、惨めさで、涙がこぼれそうではあるが。
「うわぁ……」
 香織が、そう声を漏らした。引いているような、それでいて喜んでいるような、そんな声だった。
「約束……、守って、剃ったりしなかったんだ?」
 香織は、ささやくように言った。その顔に、薄気味の悪い笑みを浮かべて。
 屈辱を押し殺し、涼子は、唇を噛んだまま、小さくあごを引いてみせた。
 明日香は、そんな涼子を見て、ううーん、と猫のような声を出した。そして、涼子の頭を、ぽんぽんと撫でる。
「りょーちん、いい子、いい子……」
 彼女たちが満足している様子に、ほっとしている自分がいた。これで、パンツに隠れている部分は、確かめられずに済みそうだ……、と。
 しかし、その時、左腋に、明日香の指がぺたりと触れたことで、全身の筋肉が、ぐっとこわばった。
「えっ……。ちょっと、やだ、なに……」
 二人に文句を言われないよう、両手は頭の後ろで組んでいたが、涼子は、腋を触られる嫌悪感に、もぞもぞと体を動かした。
 だが、明日香は、それでもお構いなしに、数本の指で、そこの皮膚をこすり始めたのだった。この数日間、まともに処理をしていないうえ、部活の練習でかいた汗で、じっとりと湿っている、涼子の腋を。
 涼子は、身の毛のよだつ思いだった。
「りょーちんのワキ、すごーいじょりじょりするぅ」
 明日香は、そう言って、あの、笛の音のような笑い声を立てる。
 その後の彼女の行動は、涼子が、薄々予想したとおりだった。
 明日香は、涼子の腋汗で、ほんのりと濡れた指先を、鼻の前へ持っていったのだ。くんくんと鼻を鳴らす音。
 気持ち悪い。変態。涼子は、心の中でそう毒突く。
 そして、明日香は、吹き出すのをこらえるような顔で、一言。
「なんかぁ、ワキゲ伸ばすとぉ、臭いが、きつくなんのかもぉ」
 その言葉に、涼子は、腹の底から、何かが込み上げてくるのを感じた。
「えっ? マジで?」
 香織は、小躍りせんばかりに反応し、明日香と同様に、涼子の腋に、手を伸ばしてきた。
 腋の下に、手の平をべたりと張りつけられる。その手は、ざらざらとした腋毛の感触を確かめるようにした後、皮膚を、一度、ぎゅっとつかんでから、離れていった。
 香織は、その手で鼻を覆い、すーっと息を吸い込んだ。
 変態。涼子は、もう一度、心の中で毒突いた。同じ行為でも、明日香より、香織のほうが、なぜかよけい気持ち悪く感じる。
「うっわ、くっさーい。たしかに、明日香の言うとおりかも……」
 香織は、おどろおどろしい声で言うも、その顔は、喜色に満ちていた。
 いったい、何がそんなに嬉しいのか、涼子にとっては、理解不能としか言い様がない。
「ほらっ、南さん。ちょっと、自分でも嗅いでごらんよ」
 香織は、その手を、涼子の顔に近づけてくる。
 涼子は、両手を頭の後ろで組んだまま、顔を背けることもせず、じっとしていた。鼻先に当てられた手の平から、苦いような刺激臭が、鼻孔に流れ込んでくる。こんな臭いを、二人に嗅がれたのかという思いが、一瞬、脳裏をよぎる。
 香織は、調子に乗って、その手を、涼子の顔に、べったりとこすり付けてきた。
「うっ……、やっ……」
 涼子は、反射的に、ぶんっと顔を振った。怒りが燃え上がり、いい加減にして、という視線を、香織に向ける。
 それでも香織は、澄ました顔で、こちらを見返している。
「なに? 腋毛の検査だけで、許してあげようっていうのに、そうゆう態度、取るんだ?」
 そう言われて、涼子は、うつむいた。反省の態度を示したつもりだった。今、香織の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
 すると間もなく、再び、顔に手をこすり付けられる。鼻の下、唇、頬、と満遍なく。涼子にできるのは、固く唇を閉じていることだけだった。
 香織は、涼子の鼻と唇に、手を当てたまま、言った。
「あのさあ、南さん。南さんの腋の臭いで、手、臭くなっちゃったからさあ……、ちょっと、舐めて、臭い、落としてくんない?」
 さすがに、冗談だろう……。涼子は、そう思った。
「南さんのつばも、汚いかもだけど、腋の臭いより、マシかもしんないから。だから、ほらっ、やって」
 この女は、本気で言っているのか……?
 香織は、手をどけようとはしない。
 どくどくと、動悸が全身に伝わってくる。どうやら、本気で言っているようだ、と涼子は悟る。だが、どうして、香織の手を舐めることなどできようか。
「ほらっ。どうしたの? やれないってわけ? ……だったら、やっぱり、まん毛とけつ毛の検査も、することにしようかなあ……」
 それだけは、いや……。
 自分のプライドを捨てるというのは、こういうことなのだろう。
 涼子は、口の中から、舌を出していった。香織の手の平に、舌先がくっつく。そのまま、ちょろちょろと舌を動かし始める。
 香織は、ひひひっと低く笑い、明日香に視線を送った。
 明日香は、くしゃりと顔を歪めて言う。
「ええー、やだぁ……。りょーちん、ほんとーに、舐めてるわけぇ?」
 香織は、うん、うん、と愉快そうにうなずく。
 他人の手を、舐める。それも、世の中で、もっとも憎い女の手を。涼子は、泣きたい思いで、目の前の手に、舌を這わせ続けた。舌先に、手の平のしょっぱい味を、かすかに感じる。しかし、何より嫌だったのは、香織の手に、自分の唾液を付けているということだった。
「ちゃんと、全体的に舐めてよね。南さんの腋の臭いが、完全に消えるように」
 そう命じられ、涼子は、舌を伸ばし、指の付け根のほうまで舐め上げていく。屈辱のあまり、吐き出す息に、おえつが交じる。下の毛を調べられたくないからとはいえ、こんなことまでしている自分は、いったい、何者なのだろうかと思う。
 たっぷり十秒以上、それを続けさせられた。香織の手が、ようやく顔の前から離れる。
 香織は、涼子の唾液で、てらてらと光る手の平を、まじまじと見つめる。
 なんとも忌まわしい光景だった。
「きったねぇ……」
 香織は、その手を、涼子のTシャツでごしごしと拭った。それから、また、手の平を鼻へ寄せる。
 どうせまた、その臭いについて、何か言うのだろう。涼子は、そんなふうに思っていた。
 だが、香織の口から、そういった言葉は出てこなかった。その手で鼻を覆い、恐ろしく野卑な顔をして、嫌がる涼子の顔を、じっと見上げてはいるが。
 気持ち悪い……。お願いだから、あんた、この世から消えて……。
「ああ、もういいよ、腕、下ろして。腋の検査は、終わったから。それで……、まん毛もけつ毛も、処理は、してないんだね?」
 香織は、自分の制服のスカートでも手を拭いながら、そう言った。
「はい……」
 涼子は、屈辱的なポーズを解き、小さく返事をした。
「それじゃあ、ちゃんと、自分の口から、それを宣誓して。わたし、南涼子は……って」
 宣誓……? 香織が、何を言いたいのか、いまいちよくわからなかった。
「えっ……。わたし、南涼子は……、処理とか、してません……」
 涼子は、もじもじと口にする。
 だが、香織は、つまらなそうな表情を見せる。
「だ・か・らぁ、どことどこを、処理してないのか、はっきり言いなさいよ。それに、宣誓なんだから、もっと大きな声で。部活の時みたいに」
 ようやく、香織のくだらない意図を理解した。言いたくないが、言葉を濁しても、香織を苛立たせるだけだと諦める。涼子は、腹から声を絞り出した。
「わたし、南涼子は……! まん毛も、けつ毛も、処理は、しておりませんっ!」
 気品を大事に生きてきたわけではないが、『まん毛』はともかく、『けつ毛』などという言葉は、これまでの人生で、一度も口に出したことはなかった。
 少女たちは、面白おかしそうに笑った。まさに幼稚としか、言い様がない。
「わかった。南さんの言葉を、信用してあげる。これで、南さんのボディチェックは、終わりってことで……。今回みたいに、ちゃんと、『約束』を守っていれば、何も問題はないから。これからも、そうするんだよ」
 香織は、話を切り上げた。香織と明日香が、涼子のそばから離れていく。
 下の毛まで調べられることにならなくて、よかった、という安堵の思い。
 けれど……。
「あっ、ねえ、あの……」
 涼子は、遠慮がちに声をかけた。
「なーに?」
 香織は、優しげに小首を傾げる。
 ごくりとつばを飲み込み、涼子は言った。
「あの……、腋……。もう、今日あたりには、処理したくて……」
 こんなことに、いちいち許可を貰おうとする自分が、惨めでならない。
 香織は、にいっと笑った。
「気になるわけ?」
 同情を引きたい思いで、涼子は、しおらしく、こっくりとうなずいてみせた。さらに、少し目を潤ませ、香織を見つめる。
「だめ。もうちょっと我慢して。もうちょっとしたら……、あたしたちが、剃ってあげるから」
 涼子は、絶句した。なんというおぞましい話だろう。人のむだ毛を、剃りたがるなんて。もう、勝手に処理をしてしまおうかと思う。しかし、香織を怒らせると、どういうことになるかわからない。どうするべきか……。いや、今、そのことを考えても仕方がない。家に帰ってから、考えればいいことだ。

「よし、じゃあ……、そろそろ本題に入ろっか。南さんに、来てもらったのはさ、南さんの、部活の練習に関することなんだよね」
 部活の練習のこと……。それならば、まず、盗んだ合宿費を、全額返せ、と涼子は思う。
「南さんさあ……、なんか、ここんところ、調子、悪いらしいじゃん? 明日香、そうなんでしょ?」
「そー。この前なんかぁ、りょーちんのせいで、三年がぁ、二年に、ゲームで負けちゃったのぉ」
 明日香は、ふがいない涼子を責めるように、膨れっ面を見せている。
「どうゆうことなの? 南さん。二年に負けるなんて……。もう、最後の大会だって、近いんでしょ? やる気、あんの?」
 なぜ、部外者の香織に、部活のことで、そんな口出しをされないといけないのかと、涼子は、胸がむかむかした。そもそも、自分の不調は、完全に、香織たちが原因なのだ。香織たちから、度重なる辱めを受け、もう、精神的にも肉体的にも、限界を超えていた。さらには、明日香が、未だに毎日、何食わぬ顔をして、練習に参加してくるということ。そんな状況で、以前のようなプレーができるはずがなかった。
「明日香は、バレー部のマネージャーだから、南さんの調子が悪いことに、すごい悩んじゃってるんだよ? 可哀相だと思わない?」
「そーだよー」と明日香は、唇を尖らせる。
 だったら、せめて、部活の練習にだけは、出てこないで。涼子は、よっぽど、そう言ってやりたかった。
「それで、明日香が、南さんの問題で悩んでるから、あたしたちも放っておけなくて、三人で、話し合ったってわけ。どうしたら、南さんの調子がよくなるかって……」
 そこで、少女たちは、なにやら意味ありげに、目を見合わせる。
 涼子は、嫌な予感を覚えた。
「一つ、南さんに訊きたいんだけどさ……、その、スパッツって、動きやすいわけ?」
 香織は、妙なことを言う。
「えっ……。これ……?」
 涼子は、自分のはいている黒のスパッツに触れた。
「そう。それ。……動きにくいんじゃない?」
 いったい、香織は、何が言いたいんだ……?
「そんなこと、ないんだけど……」
 実際、はいていて、体を動かすのに、不便を感じたことはなかった。
「うーん、でも、やっぱり動きにくそうだよ、それは……。明日香、あれ、出して」
 香織は、勝手に話を進める。
 明日香は、待ってましたと言わんばかりに、置いてある自分のバッグを、ごそごそとあさった。
 彼女が、バッグから取り出したもの。それは……、紺色のパンツだった。
 香織は、そのパンツを受け取り、涼子に突き出した。
「はい、南さんにプレゼント。今から、これに、はき替えて。スパッツより、ずっと動きやすいはずだから。今日の残りの練習は、これで、やってみて」
 そう言われて、涼子は、ようやく、その紺色のはき物が、下着などではないことに気づいた。それは、ブルマと呼ばれるものだった。以前、昔の高校バレーの映像を観た時に、女子選手たちが着用しているのを、目にしたことがある。しかし、今、そんなものをはいて練習を行えば、時代錯誤も甚だしく、部員たちから、間違いなく、奇異の目で見られてしまうだろう。それに、何より問題なのは、香織の手にあるものは、下着と見まがうほど、布地の面積が、極めて小さいことである。
 涼子は、ぴくぴくと頬が引きつるのを感じた。
「やっ……、むり……。そんなのはいて、練習やってたら……、絶対、みんなから、変に思われちゃう……」
「変に思われる? どうして? 昔は、みんな、普通にこれをはいて、部活とかやってたんだよ? 全然、変じゃないよ?」
 香織は、とぼけたことを言う。
 涼子は、首を横に振り続けた。
「南さんのためなんだよ? もう、最後の大会も近いのに、いつまでも、調子が悪いままじゃあ、困るでしょ? でも、これをはいて練習すれば、動きやすくて、きっと、調子も、よくなってくるはずだから……。取りあえず、今日一日だけでもいいから、これで、やってみなよ」
「いやっ、できない……」
 そんなもの、受け取れるはずがない。
「できない、じゃないでしょ? 南さんの調子が悪いせいで、二年にも負けたっていうのに、このままでいい、なんて、キャプテンとして、責任感が足りないんじゃない? ほらっ……、これに、はき替えて」
 香織は、なおも、ブルマを突き出してくる。
 見れば見るほど、そのブルマの小ささが、際立って見える。今、自分が身に着けているパンツよりも、小さいだろう。
「待ってよ……。そんなのはいたら、パンツが、思いっ切りはみ出しちゃうから……」
「まず、はいてみないと、わからないじゃん」
 香織は、言下に言った。
「いや、わかるよ……。絶対、はみ出しちゃう……」
 そうなるのは、目に見えている。
「だ・から、一度、はいてみなって」
 香織は、苛立った声を出した。
 涼子は、確信していた。ブルマをはいたら最後、下着の収まりきらないような状態でも、香織たちは、その格好で練習に戻れと言うだろう。
「やだっ、やめて。本当に、むりだから」
 涼子は、口調を強めていた。
「どうゆうこと? 南さんのために、明日香が、せっかく買ってくれたんだよ? 明日香の好意を、台無しにするわけ?」
 香織の機嫌が、悪くなる。
「りょーちんっ、がっかりさせないでよっ」
 明日香も、怒ったような声を出した。
「せんぱーい。それの、どこが嫌なんですかあ? べつに、かっこ悪くなんか、ないですよお」
 後輩までもが、そんなことを言い始める。
「ほら? さゆりだって、変じゃないって、言ってるじゃん? 南さんだけだよ、変だって思ってるのは……。取りあえず、はいてみなって」
 香織は、どこまでもしつこい。
 涼子は、首を横に振る動作を繰り返す。
「いいから、はけって言ってんの。ほらぁ」
 香織は、涼子の体に、ブルマを押しつけてきた。
 もう、香織たちの機嫌を気にするのも、限界だった。涼子は、香織の手を横に押しのけて言う。
「ねえ、いい加減にして。これ以上、わたしの部活の、邪魔するようなことだけは、やめて。わたし、もうそろそろ、練習に戻るから……」
 このまま、ここを立ち去ったほうが、いいかもしれない。
 涼子の断固とした拒絶に、冷ややかな沈黙が流れた。
 香織は、ブルマを引っ込める。
「あーそう……。どうしても、はかないって言うんだ? それだったら、それでもいいけど……。でも、なんか、ムカつくから……」
 香織の口もとが、にやりと歪んだ。
「今度……、滝沢さんの机の中に、あの『メッセージ』に貼ったのと同じ、南さんの裸の写真を、入れておくことにしよおっと。もちろん、その時は、南さんの顔の部分を、切り取ったりはしないで。『メッセージ』に写ってた裸は、南さんだってことを、滝沢さんに、教えてあげなくっちゃ」
 顔の部分が切り抜かれた、全裸の被写体。その正体が、南涼子であることを示す決定的証拠が、滝沢秋菜の元に……。
 それを見た秋菜は、こう思うだろう。『やっぱり、あの裸は、南さんだったのね』と。その時、彼女の胸の内に生じるのは、涼子に対する怒りや嫌悪感、そして軽蔑の念だ。
 彼女のそんな視線が、自分に突き刺さってくることを想像すると、恐怖に、背筋を貫かれる思いがした。
「あー、あと、ついでに……、南さんの、まん汁で汚れた、滝沢さんのシャツと、南さんが、滝沢さんのシャツで、オナニーしてるのを写した写真も、一緒に、滝沢さんの机の中に、入れておくよ。南さんが、変態のストーカーだってことも、滝沢さんに、知ってもらわないとね……。いいんだね? 南さん」
 香織たちの握っている、切り札だった。
 もしも、それが、現実のものとなったら、どう考えても、涼子の高校生活は、破滅する。とてもじゃないが、もう、教室にはいられなくなる。学校に通い続けることは、不可能としか思えない。つまり、そこで、涼子の人生は、一気に暗転することとなるのだ。
 涼子は、頭の中が、ぐわんぐわんと揺れるような感覚に襲われた。
「やめて……。それは、やめて……」
 わたしの人生を奪わないで、という、余裕のかけらもない声が出ていた。
「やめてって言われてもねえ……。南さん、どうしても、これをはいて、練習は、したくないんでしょう? あたしたちが、南さんのためを思って、用意してあげたのに。それだと、こっちも、ムカつくし……」
 香織は、指でつまんだ小さなブルマを、ひらひらとさせる。
 これまで、こうして香織たちに脅迫され、自分は、女としての、そして人間としての誇りを捨て、涙を呑んできた。あの、一生忘れられない恥辱の数々。しかし、今回は、これまでとは決定的に異なる点がある。裸にさせられるようなことはないとはいえ、現場は、涼子と香織たちだけという、密室的な場ではないのだ。体育館のフロア。そこには、何の事情も知らないバレー部の部員たちがいる。部員たちの中で、自分ひとり、時代錯誤のブルマをはき、さらには、そのブルマからパンツのはみ出た格好で、練習を行うなど、想像もしなくない。
 しかし、このまま、それを拒絶し続けると……。香織たちの切り札が炸裂し、自分は、すべてを失ってしまうかもしれないのだ。
 どうしよう……。どうしたらいいんだろう……。涼子は、途方に暮れていた。
「それとも、南さん、気が変わった? やっぱり、これをはいて、練習してみる気になった?」
 一転、香織は、陽気な声で言った。すでに勝ち誇った顔をしている。
 将来の夢。
 人生の希望。
 自分の輝き。
 そういったものを、ここで、手放したくない……。
 涼子は、小さく首を縦に振った。
「オオーゥ」と明日香が声を上げ、ぱちぱちと手を叩く。
 香織とさゆりも、揃って拍手する。
「そうだよね。さすがは、南さん、キャプテンだね。じゃあ、すぐに、これにはき替えて。すぐに。早く、練習に戻らなくっちゃ」
 涼子の目の前に、香織は、ブルマをぶら下げた。
 ついに、涼子は、それを受け取ることとなった。
 自分の両手で持ってみて、改めて愕然とさせられる。布地の面積の、なんとも小さいこと。股上が、パンツと変わらないくらい浅いうえに、フロントの部分は、V字に鋭く切り込まれている。サイドの部分の縦幅は、指、二本分ほどしかない。まるで、グラビアモデルが身に着けるビキニのようだ。一昔前でも、こんな小さなものをはいている生徒は、どこにもいなかっただろう。いや、そもそもこれは、スポーツ用として着用するものですらないように思う。ふと気になって、布地の内側に縫いつけられたタグを見てみた。サイズはMだった。Lサイズのパンツでも、物によっては窮屈になるくらいの、涼子の大きなおしりは、入るかどうかも怪しい。
「どうしたの? なんで、ぼーっと突っ立ってるわけ? こんなさあ……、動きにくいスパッツなんか、はいてるから……」
 香織は、言いながら、涼子のスパッツの縁に、右手をかけた。
「調子が、悪くなんのっ!」
 スパッツが、勢いよく斜めにずり下げられる。
「いやっ!」
 涼子は、思わず悲鳴を上げた。もう、グレーのパンツのサイドが、露わになっている。
「いや、とか言ってないで、とっとと、スパッツ脱ぎなさいよ。往生際が、悪いよ?」
 涼子は、呆然としていた。言葉も出てこない。
 この、馬鹿みたいに小さなブルマをはいて、体育館に戻るしかないというのか……。そうなのだ。選択肢は、ほかにないのだ。パンツは、どれくらいはみ出るだろう。まず、ブルマをはいて、それを確認するべきか。
 涼子は、両手でスパッツの縁をつかみ、ゆっくりと引き下ろした。香織たちにパンツを見られるのを、気にしている余裕はない。ランニングシューズをいったん脱ぎ、脚からスパッツを抜く。スパッツを地面に放り、その代替物としては、あまりにみすぼらしいブルマに、脚を通そうとした。
 が、そこで、香織は口を開いた。
「あっ、ちょっと待って……。たしかに、南さんのそのパンツだと、ブルマからはみ出しちゃいそうだねえ」
 その言葉に、涼子も、黙ってうなずいた。
「いくらなんでも、パンツのはみ出た格好で、練習するのは、かっこ悪いしねえ……。明日香、マネージャーとして、どう思う?」
「うーんうん。あたしぃ、キャプテンのりょーちんが、そんなみっともない格好で、練習してるのはぁ、見たくないなあ」
 明日香は、やんわりと微笑して答えた。
 香織は、納得したような表情を見せる。そして、言った。
「じゃあ、仕方ないね。南さん、今回は、ノーパンでやって」
「はっ?」
 涼子は、喧嘩腰の声を出していた。
「はっ、てなに?」
 香織は、ひきつけを起こしたような笑いを漏らしながら話す。
「だって、しょうがないでしょう? あんた、バレー部のみんなにパンツ見せながら、練習したいわけ? みんな、練習中に、そんなの見せられてたら、迷惑するよ? 一、二年生たちだっているのに、恥ずかしくないの?」
 ノーパン……。じかにブルマをはいて、体育館のフロアを走り回るなんて、気持ち悪すぎる。それに……。今一度、極小のブルマを見つめる。まず、頭に思い浮かぶのは、まったく手入れをしていない、陰毛のことだ。濃くて発毛範囲の広い、自分の陰毛。パンツの代わりに、その陰毛がはみ出てしまう。まさに、一、二年生たちもいるのに、だ。
 冗談じゃない……。
「ふざけるのも、ほどほどにしてよ……」
 怒りで、腹部が痙攣するかのようだった。
「ふざけてまっせーん。……とにかく、マネージャーの明日香が、パンツのはみ出た格好で、練習するのは、許せないって言ってるんだから、そのパンツは脱いでもらうよ。はいっ、早く、パンツも脱いで」
 香織のふてぶてしい口調に、さらに、神経を逆撫でされる。
 自分の喉もとから、うなり声が出るのを感じた。
「……あんたの頭の中は、どうなってんのよおぉ!」
 涼子は、怒号を発した。
「おー、こわっ……。そんなに怒るんなら、もういいです……。あたし、滝沢さんの机の中に、入れておくから。南さんが、滝沢さんのストーカーだってことがわかるもの、一式をね」
 香織は、涼子の剣幕に肩をすくめつつも、脅迫の言葉を口にする。
 怒りのあまり、ぴきっと、こめかみの血管の切れるような思いがした。理性が飛んでしまいそうだった。が、その怒りは急速に減退し、代わって、意識の中心から、恐怖が膨れ上がってくる。高校生活の破滅に対する、恐怖が。全身から、力が抜けていくのを感じる。
 だめだ……。やっぱり、逆らえない……。
 滝沢秋菜の存在が、今の自分にとって、最大の弱点となっていることを、つくづく実感する。こうなると、またぞろ、あの、よこしまな思いが、どうしても頭の片隅に浮かんでしまう。滝沢さんも、わたしのところまで、堕ちてきてくれたら……。そうすれば、こんなふうに、香織たちに脅迫されることも、なくなるのに……。
 泣きそうな顔で立ちすくむ涼子を見て、香織たちは、勝ちを確信したようだった。
「あっ、ごめーん。もしかして、南さんが、腹を立てたのは、あたしたちの前で、パンツを脱ぐのが、嫌だったからなの? そうだよね……。せっかく、腋毛を剃らないできて、ボディチェックに合格したっていうのに、まん毛とか見られるのは、嫌だよね? あー、あっちのほう行って、はき替えてきて、いいよ」
 香織は、遠くを指差す。
 涼子は、深い嘆息を漏らした。まずは、このブルマをはいてみて、それから、色々と考えよう……。その後のことは、またその時に、考えるしかないじゃないか……。そう自分を励ますような、あるいは、現実から逃避しているような、そんな心境だった。
 どんな時だろうと、香織たちの前で下着を脱ぐことは、したくない。シューズを履き直した。きびすを返し、香織の言うとおりに、その場を離れる。コンクリートの壁ぎわに、ほこりかぶった飛び箱が置かれている。あの陰で、ブルマにはき替えようと決める。
 涼子は、Tシャツにパンツという格好で、そこへ歩を進めた。
 ふわふわとした、夢うつつの状態だった。なにやってんだろう、わたし……。こんな小さなブルマを、じかにはいたら、どんな状態になるのか、自分で、わかってんのかな……。
 飛び箱の裏に回り、香織たちの死角に入っていることを、確認する。
 涼子は、シューズを脱ぐと、意を決して、パンツを引き下げた。パンツを脚から抜く。そして、それよりも明らかに小さいブルマに、脚を通した。太もものところまでブルマを引き上げて、痛烈に感じた。
 きつい。入るのだろうか。
 思いっ切り引っ張り上げると、なんとか、腰まで上がった。
 待ち受けていた現実は、目のくらむほど悲惨だった。フロントの逆三角状の部分の、両脇から、陰毛が、見事にはみ出してしまっている。布地をどう引っ張ってみても、陰毛は、収まりそうにない。それもそのはず。毛穴の位置からして、一センチほど、ラインを引くように、布地の外側に出ているのだから。なんだか、自分の陰毛の、生えている範囲の広さが、強調されているようにも見えてくる。
 それに、きつすぎる。Mサイズでは、自分の大きなおしりに、合うはずもないのだ。体感として、一回りどころか、二回りくらい、サイズも小さいと感じる。そのため、限界まで張り詰めた布地が、腰回りの肉という肉に、みちみちとめり込んでくる。股間の部分など、肉の丘と中に詰まった陰毛によって、布地が、こんもりと盛り上がっているうえに、性器の割れ目への食い込みによって、ぷっくりと二つに割れていた。
 ブルマを身に着けた下腹部は、浅ましいことこの上ない外見を呈していた。
 おしりの露出も気になって、手で触ってみる。すると、おしりの肉の半分以上が、布地に収まらず、あふれ出してしまっているらしいことが、手に伝わる感触からわかった。この後ろ姿とて、部員たちに見せられるものではない。
 シャツで、どこまで隠せるだろう……。そう思い、着ているTシャツを、下まで垂らしてみる。だが、Tシャツは、それほど丈の長いものではないので、ぎりぎりのところで、股間が見えてしまう。
 涼子は、左腕を飛び箱について、ふらつく体を支え、右手の指で眉間を押さえた。
 ありえない……。こんな格好で、練習に戻るなんて、ありえない……。部員たちから、南涼子は、頭がおかしくなったと思われるに、決まっている。
 その時、遠くにいる香織の声が、聞こえた。
「ミ・ナ・ミ・さーん。もう、はき替えたんでしょーう? そうやって、時間稼ぎして、練習が終わるまで待とうったって、無駄だよー。そっち、行くからねえ」
 香織たちは、ステップするような足取りで、こちらに向かってくる。
 あの女たちは、果たして、悪魔だろうか……。わたしの、この下半身を見ても、それで練習に戻れと、言うだろうか……。いや、同じ人間でしょう……?
 脱いだパンツを握りしめ、涼子は、そんなことを思っていた。
 三人は、涼子の姿が見えるところまで来て止まった。
 香織は、んふふっ、と嬉しそうに笑う。
「ちゃんと、はき替えたのね、南さん……」
 涼子は、無意識のうちに、Tシャツのすそを下に引っ張り、股間を隠していた。
「吉永さん……。だめ……。こんなんで、練習するなんて、絶対にむり……」
 自分の声は、かすかに震えていた。
「むりって、どんな状態なの? ちゃんと、シャツをまくって、見せてごらんよ」
 はみ出た陰毛を見られたくないが、隠していても、どうにもならない。
 これで、許されなかったら、どうしよう……。涼子は、おずおずと、Tシャツをへそのあたりまでめくり上げた。
 三人の視線が、股間に集中する。
 後輩のさゆりが、口もとを手で押さえた。笑いを隠している。
 明日香は、ひゅーっと口笛を吹くみたいに、唇をすぼめている。
「ああ……。南さん、その格好、よく似合ってるじゃん」
 香織は、含み笑いを浮かべて言った。
 えっ……。涼子は、絶望に、どっと襲われた。
「似合ってるよね? どう思う? さゆり」
「あっ、はーい。南せんぱい、かっこいいですよ。なんか、一流のバレー選手って感じで」
 後輩は、ふししと笑い声を漏らす。
「だよね? ……南さん、後ろも見せて」
「ねぇ、吉永さん、お願いだから、許してぇ……」
 涼子は、涙声になっていた。
「いいから、後ろも、見せなさいよ」
 香織は、冷然と命じてくる。
 涼子は、ぎくしゃくと彼女たちに背を向けた。
「あー、いいじゃーん。後ろ姿も、すがすがしくって」と香織。
「いい眺め……」と後輩。
 やはり、おしりのほうも、見るも無惨な状態をさらしているのだろう。
「ああ、いいよ、こっち向いて」
 涼子は、言われるままに前に向き直る。
「うん。それで、結論を言うとね……、だいじょーぶ、全然、変じゃないから。スパッツなんかより、よっぽど似合ってて、かっこいい。だから、その格好で堂々と、練習、行っておいで」
 それが、香織の答えだった。
 悪魔……。
「吉永さんっ、こんな格好で、練習できるわけないでしょっ! わたしっ、バレー部の子たちの前で、恥かくくらいだったらっ、家に帰るっ!」
 泣きじゃくる小学生の女の子みたいに、涼子は、わめき散らした。
「キャプテンが、練習サボって、どうすんのよ。そんなこと、許せない……。とにかく、試合で、二年にも負けちゃったんだから、その責任を取る意味でも、今日は、その格好で、練習するべきだよ」
「いやぁ! もう、帰る!」
 涼子は、激しくかぶりを振って叫んだ。
「帰る? そっか。逃げるんだ? まあ、今日、逃げてもいいけど……、あとあと、大変なことになるからね。……滝沢さん、南さんに、ストーカー行為をされてるって知ったら、どうするだろうねえ?」
 この女には、人間としての心が、ないのだ……。涼子は、そう確信した。
「滝沢さん、間違いなく、周りの友達に、そのこと話すと思うよ。そうしたら、教室中に、噂が広まるからね。南さんが、実はレズで、さらに、とんでもない変態で、大好きな滝沢さんのシャツ使って、オナニーまでしてたってことがね……。南さん、もう、教室には、いられなくなるよ」
 事実、香織たちの切り札が、滝沢秋菜の元に届いたら、そのような事態に発展するだろう。
 涼子は、両手を膝についた。はらわたの千切れるような思いで、うううっ、とうめき声がこぼれる。
「どっちにすんのお? その格好で、練習に行くか、それとも、逃げるのか」
 かがみ込んだ涼子を見下ろし、香織は、冷酷に言った。
 涼子は、ぎゅっと目をつぶった。
 地獄か、破滅か。そのどちらかしか、選べないとは……。この悪魔たちに目を付けられた、自分の運命を、呪う。
「これで……、練習に、行きます……」
 下を向いたまま、低い声で、ぽつりと答える。
 少女たちの、にんまりと笑う気配が、伝わってくるようだった。
「それだったら、早く、練習に戻らなくっちゃあ……。南さん、いつまでも、休んでる場合じゃないよお?」
 香織は、すこぶる上機嫌になっていた。
 涼子は、泥に沈んだように重たい体を起こす。
「あっ、あと……、明日香から、言っておくことが、あったんだよね?」
 それまで黙って見ていた明日香が、意気揚々と口を開く。
「うん……。りょーちん、練習に戻ったらぁ、すぐに、三年対二年のぉ、ゲームを始めて。もちろん、りょーちんも、ゲームに出るんだからねっ。そんでぇ、また、二年に負けるようなことがあったら、許さない。一セットでも取られたら、明日の練習も、そのブルマで、やらせるからね」
 明日香も、香織と、なんら変わらない冷血なサディストだった。部員全員が見守る三年対二年のゲームの中で、この恥ずかしい姿をさらしながらも、勝つことだけを考えて、プレーを行わなくてはならないなんて……。想像するだけで、頭がくらくらとしてくる。
「もうひとぉつ……。ゲームの時はぁ、ちゃんと、誰よりもぉ、大きな声で、声出ししていくこと。りょーちん、いつも、『いちねん、声だせぇー』とか言って、威張ってんだから……。いいね? りょーちん?」
 もはや、自分は、部員全員の前で、狂ったピエロを演じさせられるらしい。
「はい……」
 涼子は、消え入るような声で、返事をした。
 先のことは、何もわからない……。今から五分後、自分がどうなっているのかも……。
「じゃあ、南さんも、すべて納得してくれたみたいだし、そろそろ、練習に戻らないとね……。あっ、その前に、南さんに、渡すものがあったんだ。ちょっと、来てくれる?」 
 香織たちは、バッグが置かれているほうへと、歩き出した。
 涼子は、その後を、ふらふらと付いていく。
 そこへ着くと、香織は、バッグを開けた。中から、一枚の封筒を取り出す。
「これ、校舎の裏に落ちてたのを、さゆりが、また、見つけて拾ってきてくれたの。たぶん、無くなっちゃった、バレー部の合宿費だと思う。六万入ってるから」
 香織たちが盗んだ合宿費の一部だ。どんなにつらくても、休まず、学校に通って来い。そして、命令に従い続けるなら、合宿費を、少しずつ返してやる……。そういった意味の込められた金。どこまでも性根の腐った女たちだ。
「そうだ。このお金は、明日香に預けておこうかな。明日香が、南さんの、今日これからの練習ぶりを見て、オーケーを出したら、練習後に、明日香から、お金を受け取るってことで」
 香織は、その封筒を、明日香に手渡した。
「りょーちん。今日はぁ、最後まで、がんばろーねー。途中で、練習放棄したりしたらぁ、このお金、渡さないかんねえ。それとぉ、二年に、一セットも取らさないで勝って、バレー部のみんなの中でぇ、一番大きな声で、声出しするんだよぉ」
 明日香は、そうして自分のバッグの中に、封筒をしまった。
「南さんさあ……、ついでに、そのスパッツとパンツも、明日香に、預けておきなよ。練習が終わるまで、必要ないでしょ?」 
 香織は、あごをしゃくって言った。
 地面に脱ぎ捨ててあるスパッツと、今、自分が握っているパンツ。先ほどまで、自分がはいていたものを、明日香などに預けるのは、心理的に抵抗を感じる。しかし、それに異議を唱えるだけの気力は、もはや残っていなかった。
 涼子は、投げやりに二度うなずいた。
「だったら、明日香のバッグに入れるから、それ、寄越して」
 香織は、こちらに歩いてきて、スパッツを拾い上げ、左手を突き出した。
 その手に、涼子は、丸めたパンツを載せる。
「南さん……。このスパッツをはいて、練習、したーい?」
 香織は、見せつけるように、手に持ったスパッツを、ぶらぶらとさせた。
 本来、バレー部員として、はくはずの黒のスパッツを、涼子は、やるせない思いで見つめていた。
「でも、だーめぇ。調子が悪くて、二年にも負けちゃう、南さんが悪いの。じごーじとく」
 これでもかというほど憎らしく言い、香織は、涼子から離れていった。
 涼子のスパッツとパンツが、明日香に渡される。
「やーん……。りょーちんの、汗臭いスパッツとぉ、変な染みの付いたパンツ、バッグに入れるの、やだなぁーん」
 明日香は、渋々といった表情で、それらをバッグに突っ込んだ。
「よし……。これで用件は済んだから、南さん、練習、頑張って。あたしとさゆりは、もう少ししたら、体育館に見に行くから、南さんは、先に、明日香と一緒に、練習に戻って。あたしたち四人、連れ立って、体育館に向かうっていうのも、なんか、変だしね」
 香織は、一仕事終えて満足するかのように、ふう、と息を吐き出した。
「りょーちん、それでは、行きまっしょう……」
 明日香が、歩き始めた。
 涼子も、どうにか足を踏み出す。だが、一歩一歩の歩幅は、すり足のように小さかった。
 本当に、わたしは、行くのだろうか……。押し流されるように、歩き始めたけれど……。
 体育館のフロア。練習に励んでいる部員たちの姿が、眼前に浮かぶ。その中へと、この見苦しい、いや、もはや変態的ともいうべき姿で、入っていく自分。同じ三年の部員から投げかけられる、言葉。一、二年生たちから向けられる、視線。
 怖い……。前に送り出す脚の膝が、かたかたと震え始めた。
「歩くたびに、でっかいケツの、肉が、ぶるぶる揺れてる……」と、香織が低く笑う。
「せんぱーい。なに、へっぴり腰で、歩いてるんですかあ?」
 背後に、後輩が近づいてくるのを感じた。
「キャプテンなんだから、しゃきっと、してくださいっよっ」
 次の瞬間、おしりのむき出しになっている部分に、衝撃が走った。
「はぁう!」
 驚愕のあまり、涼子は、無様な声を発して飛び上がった。
 後輩に、そこを平手打ちされたのだ。叩かれた部分を、そっと撫でる。信じられない……。
 涼子は、目を見開き、ゆっくりと後ろを振り返った。
 視線が合うと、後輩は、ごまかすような笑いを見せる。
「あっ。すいません。調子に乗りすぎました……。せんぱい、練習、がんばってください」
 怒りを通り越して、不思議でならなかった。なぜ、この女は、年上の生徒に対して、こんな真似ができるのだろう……。
 その思いで、涼子は、じっと後輩を凝視していた。
「ほらっ、いいから。りょーちん、早く行くよっ」
 明日香が、腕を絡めてくる。
 引きずられるようにして、涼子は、また歩き出した。
 腕を引っ張られながら歩いていると、体育館、地獄の炎に焼かれるような現実が、もうすぐそこまで迫ってきていることを、実感させられる。
「うっ、ううっ……」
 胸の内を猛然と吹き荒れる恐怖と不安に、涼子は、おえつを漏らしていた。
 帰りたい……。家に……。






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