第二十二章〜不気味な響き


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第二十二章〜不気味な響き




 世にも理不尽な状況だった。
 滝沢秋菜は、歓喜に満ちた声を響かせる。
「嬉っしい! わたし、ストリップさせられるって聞いた時には、本当に、泣きそうになったもん。でも、今は、違う意味で涙がこぼれそう。なんかもう、生き返ったような気分よ!」
 すでに、秋菜のセーラー服は、すっかり整え直されていた。青色のスカーフも、ちゃんと巻き直してある。
「感謝しなさいよ、あなた」
 吉永香織は、尊大な態度で言う。
「はいっ。わたしにとって、吉永さんは、女神のような存在です。本当に、ありがとうございます!」
 秋菜は、恋する乙女のように、胸の前で、両手を組み合わせた。
 南涼子は、その秋菜の姿を、妬ましい思いで凝視する。つい今しがたまで、身に着けていたものを取り返すために、性悪の後輩を、延々と追い回してきた。だが、頭の中の混乱が、徐々に鎮まってくると、自分が、麻酔でもかけられたかのように、平衡感覚を失っていることに気づき、やむなく足を止めたのだった。
 少女たちの狂騒も、いつの間にか収まっていた。
 ここで、涼子としては、今一度、尋ねずにいられなかった。
「えっ、どういうこと!? 滝沢さんは、なにも脱がなくていいの!?」
 嫉妬心を表に出さないよう意識する。
「だから、そうだってば」
 香織は、何度も言わせないで、というふうに答える。
 その直後、秋菜は、にかっと笑った。
「ああ、よかった……。あんなふうに、ならずに済んで」
 愚弄するような秋菜の眼差しが、半裸の涼子に向けられる。
 涼子は、乳首を覆い隠している両腕を、きつく乳房に押し当てる形で、自分の両肩を抱いた。香織に、重ねて問う。
「なんで!? なんで、吉永さんは、急に、気が変わったの!?」
 すると、香織は、心地よさそうな表情をする。
「うーん。だって……、滝沢さんって、面白すぎるんだもん。ほんっと、自分のことしか考えてなくて。ここまで身勝手な女、ドラマや映画の中でも、なかなか見られない。それで、なんか、逆に、気に入っちゃってねえ。っていうか……、身勝手とか通り越して、この人、悪女だよね、悪女」
 涼子は、それを聞いて、言葉を失った。
 自分のことしか考えない、身勝手さ。秋菜のそんなところを、香織は、気に入っただと……? それゆえ、覚醒剤を使った証拠の写真を、弱みとして握っておきながら、秋菜には、なんら辱めを与えないだと……?
「えええっ……、わたしって、悪女かな? 自分では、結構、性格のいい人間だと思ってるんだけど。まあ、結果的に助かったから、オッケーか」
 秋菜は、胸もとまで垂らした髪の毛先を、両手でふわりとかき上げる。今や、普段の彼女らしさを、完全に取り戻したように、いかにも涼しげな雰囲気をまとっている。
 あの子は、助かったのか……?
 まだ信じられない思いだが、どうやら、そのようだ。
 つまり、秋菜は、今の涼子みたいに、パンツ一枚という、屈辱的な格好をさせられることもない。いや、そればかりか、結局、下着を見られることすらなかった。
 では……。
「えっと、だったら……、わたしは、どうなるの……?」
 涼子からすれば、恐ろしく勇気のいる質問だった。
「あなた……? うーん、そうだねえ。舞ちゃんが、スペシャルゲストとして来てるわけだし、南さんには……、予定どおり……、セクシーショーを、演じてもらおうと思うんだよね」
 香織は、思案げに、上方に目をやりながら、そう返答した。
 頭の中が、吹雪に覆われたように真っ白になる。
「おかしいっ! そんなの、おかしいじゃないっ! どうして、わたしだけ、そんな目に遭わないといけないのよっ! 狂ってる!」
 涼子は、体を左右に激しく揺らしながら、大声を上げて抗議した。
 誰も言葉を返さない。
 わずかの間、沈黙が流れた。
「えっ……。なに、南さん。ひょっとして……、南さんは、不満、なわけ?」
 香織は、とぼけるような表情で、目をしばたたきながら、こちらを見返している。
「……不満、って、そりゃあ」
 涼子は、言いよどんだ。
「喜びなさいよお!」
 香織は、素っ頓狂な声を発する。
「同じクラスの子が、脱がないで済むことになったんだよ? これは、喜ぶべきじゃないの? たとえ、自分は脱ぐことになろうと、ほかの子には、自分と同じ思いをしてほしくない。それが、人としての思いやりってもんでしょう? 南さんは、そういう優しい心を、持ってないわけ?」
 めちゃくちゃなことを言われている。だが、その一方で、正論めいたところもあるような気がする。そのため、涼子としては、どう反論するのが正しいのか、判断がつきかねた。
「……そんなっ」
 ぽつりと声をこぼす。
 香織は、にやっとした。
「そういう優しい心は、持ってなかったってわけね……? それどころか、滝沢さんだけ、脱がずに済むなんて、ものすごく、ずるいって思ってる? もう、滝沢さんのことが、妬ましくて妬ましくてしょうがない?」
 涼子は、心の醜い部分をまさぐられている感じがし、つい狼狽してしまった。
「あっ、その顔は、図星なんだ……。いけないねえ、南さん。そんなふうに、ほかの子を道連れにしたがるなんて。なんか、南さんの化けの皮が、どんどん剥がれてきたって感じ。苦しい時にこそ、その人の本性が現れるっていうからね……。南さんって、案外、陰険な性格の、いやーな女だったんだね」
 香織は、ほの暗い悦びの表情で言う。
 すると、ほかの者たちも、香織の意見に同感の意を表すように、小さくうなずいたり、侮蔑の眼差しを、涼子に投げかけてきたりした。
 この場において、涼子は、無理やり半裸にさせられているという、完全なる被害者の立場であり、その状況を愉しんでいる香織たちは、鬼畜としか言い様がない。だから、人間性について非難されるべきは、どう考えても、香織たちのほうのはずである。しかしながら、今は、加害者側の香織たちより、むしろ、南涼子こそが、性根の腐った人間だというような、そんな倒錯した空気が流れているのだ。
 涼子は、唇を引き結び、香織の、つり上がり気味の目を、じっと見すえていた。下を向いているよりは、まだ、そうしているほうが、自分の矜持を保てるという思いだったのだ。だが、そんな涼子の顔つきも、周りの目には、さぞかし、浅ましいものとして映っているのだろう。涼子にとっては、心を裂かれるほど惨めな状況だった。
「あ、それと、滝沢さん。念のために言っておくけど、あくまでも、あなたは、南さんの『仲間』だからね。それを、忘れないように。だから、南さんに、セクシーショーを演じさせるのは、あなたの義務だよ。もし、その義務を果たせなかったら、あなたには、責任を取ってもらうからね。責任を取るっていうのは、言うまでもなく、覚醒剤の件で、退学ってことだよ」
 香織は、秋菜を脅迫する。
「はい、了解しました。この女のことは、わたしに任せてください。この女が、恥ずかしさのあまり、泣き叫ぼうが、恐怖のあまり、失禁しようが、わたしは、一切、容赦しません。わたしが、髪の毛をつかんで引きずってでも、この女に、ショーを演じさせてやります」
 秋菜は、魔物の微笑みを浮かべた。
 現在の涼子は、秋菜によって、見えない首輪で拘束されている身である。秋菜に逆らえないのは、すなわち、香織の要求に従うほかないことを意味する。ただ、その構図自体は、先ほどから、ずっと続いてきたことでもある。一変したのは、香織の気まぐれにより、涼子の『仲間』でありながら、秋菜だけは、助かった、という点だ。それゆえ、涼子は、香織たちによる性的な辱めを、この一身に受け止めることになったのだ。考えれば考えるほど、訳がわからなくなってくるような、理不尽極まりない話だった。
「さてと、南さん。セクシーショーが、滝沢さんとの共演じゃなく、一人舞台に変わったことで、心細くなっちゃったかな? まあ、なんとか、根性で乗り切ってよ。その、最後のそれは、自分で脱いでくれる? それを、無理やり誰かに脱がされるなんて、屈辱でしょ?」
 香織は、涼子の体を指差した。
 その指が示しているほうに、涼子は、おそるおそる視線を落としていく。
 恥部を覆う、逆三角形をした白い綿の布地が、網膜に映る。
 それから、顔を上げて、周りを見回した。
 吉永香織。竹内明日香。石野さゆり。以前から、散々、涼子を辱めてきた加虐趣味者たち、三人の姿がある。だが、今回は、それだけではない。滝沢秋菜と足立舞という、涼子としては、否が応でもプライドを刺激される、二人の生徒からも、視線が注がれているのだ。
 この状況下で、涼子だけ、身に着けている最後の衣類をも、脱げ、と……?
「……くっ、狂ってるっ! ……こんなの、絶対、狂ってるぅっ! 何もかも狂ってるぅぅぅっ!」
 涼子は、香織に抗議するというより、自分の運命に対して訴えるように、何もない宙を見上げながら、涙声でわめき散らした。
「狂ってる? 今さら、なに言ってんのよ、南さん。この前なんて、あたしと、さゆりと、明日香の前で、あなた、着てるものを、全部、脱いで、大好きな滝沢さんのシャツを使った、オナニーショーを見せてくれたじゃない。あの時の大胆さは、どこへ行っちゃったのよ? それともなに? その滝沢さん本人が、実際に、目の前にいると、気まずいやら恥ずかしいやらで、パンツを脱ぐなんて、考えただけでも、精神崩壊しそうなの?」
 香織は、涼子のことなら、何もかも知っている、とでも言いたげな風情である。
 それを聞いた秋菜が、せせら笑って言う。
「南さん。わたしのことを、なにか、変に意識してるわけ? まさかとは思うけど……、あなた、本当に、わたしに対して、特別な感情みたいなものを、持ってるんじゃないでしょうね? いやよ、わたし。そういうの」
 悪魔たちの享楽の、生贄となる運命にある者同士。自分と秋菜は、そのような同等の関係なのだと信じきっていた。だからこそ、つい先ほどまでは、秋菜と接する上で、格好を付ける必要はない、という気持ちでいられた。しかし、秋菜は、まだ、香織から脅迫を受けている身とはいえ、脱ぐことを免れたのだから、平穏を取り戻したも同然である。もはや、涼子の『仲間』などではないのだ。その現実を認識させられたことにより、涼子の心中では、秋菜に対する苦手意識が、猛然とぶり返してきていた。そして、それに伴い、常日頃から、秋菜と接触する際には、どのような心理が働いていたか、そのことが思い起こされた。苦手な相手であるがゆえに、同性とはいえ、滝沢秋菜の前では、女の子としての武装を解きたくない、生身の姿は見せられない。そのような、極めてデリケートな心理である。ところが、今のこの状況はどうだ。秋菜もいる場で、自分は、パンツ一枚の半裸姿をさらしている。あまつさえ、先ほどなんて、汗で濡れそぼった、自分のTシャツやスパッツの臭いを、秋菜に嗅がれるという、ありうべからざる事態が生じた。それを思い出すだけで、顔から火の出るような気持ちになる。要するに、『仲間』ではない、他人としての秋菜を前にすると、涼子の、乙女心ともいうべきものが、ずきずきと疼いてしまうのだった。それは、ある意味、気になる異性を意識した時の心理に、よく似ているかもしれなかった。
 今、その秋菜が、冷ややかな光を湛えた眼差しで、追い詰められた涼子の姿を眺めている。
 涼子は、機械のように首を横に振り続けた。
「舞ちゃん、舞ちゃん。南せんぱいったら、どうも、恥ずかしくてパンツを脱げないらしいの。でも、それって、どうなのって感じだよねえ? パンツをはいた状態で、セクシーショーを演じられても、そんなの、味気なくない? 南せんぱいの、あのパンツなんて、邪魔なものでしかないでしょ? 舞ちゃんも、そう思うよねえ?」
 思春期を迎えたばかりのような、幼い容姿の一年生に対して、香織は、愉快げに尋ねる。
 舞は、甘いデザートでも口に含んだような表情で、香織の顔を見つめ返した。香織の言葉に、全面的な賛同を示している……。その表情にしか見えなかった。
 涼子への憧憬や恋心。いや、舞の胸の内にあるのは、そんな綺麗な思いばかりではない。もっと、薄汚れたもの。もはや、舞が、涼子のことを、性的対象として見ているのは、否定できない事実であると捉えるべきなのかもしれない。だとすると、今、舞は、涼子の恥部を覆っている布地が、引き下げられる、その時を、今か今かと待ち焦がれている。そう考えるのが自然であろう。舞のその心理を想像しただけで、涼子は、くらりと立ちくらみを起こした。
「ほらっ。舞ちゃんも、そう思うってよ。南さんは、まず、完全な裸になるべきってことで、あたしたちの意見は、一致してるの。誰も、異論はないの。おかしいって思ってるのは、南さん、あなただけ。だから、ほらっ。早く、そのパンツを脱ぎなさいよ」
 香織は、いよいよ居丈高になって、涼子に、最後の脱衣を要求してくる。
 希望の光は、どこにも見えない。結局のところ、香織の言いなりになる以外に、選択肢は残されていないのかもしれない。そのことには、薄々、気づき始めていた。だが、目の前に迫った現実を受け入れることは、不可能に等しかった。
 滝沢秋菜と足立舞を含めた、五人の視線を、この一身に浴びながら、自分ひとり、一糸まとわぬ裸体をさらけ出し……。
 脳裏に映し出された、その情景は、惨劇以外の何物でもなかった。
「いやあああ……」
 涼子は、声を絞り出して拒絶する。
 香織は、呆れたような顔になり、秋菜のほうを向いた。
「滝沢さん。セクシーショーを演じる人が、パンツをはいてたら、何も始まらないの。あたしたち、困ってるんだけど。南さんを躾けるのは、『仲間』である、あなたの義務でしょう? あなたのほうから、南さんに、なんとか言いなさいよ」
 秋菜は、重く受け止めた様子で、こくりと首肯した。そして、こちらを見やると、皮肉っぽく口もとを曲げた。
「南さーん。吉永さんには、絶対服従だって、教えておいたでしょう? なに、いつまでも、そんな格好してんのよ? あんたみたいな女は、吉永さんから、脱ぐように命じられたら、秒速で素っ裸になるべきなの。それが、礼儀ってものなのよお? 礼儀正しい人間であることを、今すぐ、行動で示しなさいっ。それとも……、ここで、わたしの顔に、泥を塗る気なの? もしも、わたしに恥をかかせたら、あんた、ただじゃ済まさないわよ」
 自分を拘束している、見えない首輪の鎖を、秋菜に、勢いよく引っ張られたのだった。
 胃それ自体が、徐々に喉もとまでせり上がってくるような恐怖。
 地中深くの牢獄に押し込められ、目の前の、重い鉄格子を下ろされたような絶望。
 涼子の体内の自律神経が、にわかに暴走し始めた。
 体温が、急激に上昇していく感覚がある。
 まるで、サウナにでも入ったかのようだ。明らかに、四十度を超える高熱が出ている、という感じがした。だが、それでいて、今すぐ部厚いコートで身を包みたいくらい、猛烈に寒くもある。自分の体は、熱くなっているのか、それとも冷たくなっているのか。それが、自分自身にもわからなかった。ただ、確かなのは、体のありとあらゆる部分から、あぶら汗が、より一層、噴き出してきているということだ。腋汗に至っては、そのうち、ぽたぽたと地面にしたたり落ちそうである。
「ああああうぅぅぅ……」
 涼子は、言葉にもならない、野犬が寂しげに吼えているような声を出していた。
 頭の中では、思考が、幾何学的な模様のごとく入り乱れており、だんだんと、意識までも混濁し始める。しかし、途方もない精神的苦痛は、いや増す一方だった。
 そこで、ぼんやりと思う。
 いったい、なぜ、わたしは、こんなにも苦しいのに、踏ん張るようにして、自分の脚で立ち続けているのだろう……? いっそのこと、重力に逆らうのを、やめてしまえばいいのではないか? そうしたら、どうなるか……。疲弊しきった自分の体は、たちまち仰向けにぶっ倒れる。地面に頭を打ったなら、その衝撃で、あっさりと意識を失うような気がする。つまり、この苦しみから解放されるのだ。悪い話ではない。よし、そうしよう。気持ちのスイッチを切るようにして、全身から力を抜く。簡単なことだ。さあ、早く、楽になろう。早く。早く……。
 しかし、自分の体は、一向に倒れそうにない。わたしは、何をためらっているのだろう……? ああ、そうか。自分の未来図を、嫌でもイメージしてしまうせいだ。パンツ一枚の格好で、壊れた人形のように、コンクリートの地面に転がっている、南涼子……。格好悪い。できるなら、そんな無様な姿は、誰にも見られたくない。要するに、プライドが邪魔しているのだ。
 プライド……。あはは。今のわたしにとって、一番、いらないものだね……。
 そうして、どのくらい時間が過ぎただろうか。
「やっぱり、自分じゃあ、どうしても脱げないみたいだねえ」
 香織の言葉が、遥か遠くの声音のように耳に入ってきた。
「まったく、困った人だねえ、南さん。しょうがないなあ。最後のそれは、あたしが、じきじきに脱がしてあげる」
 気づいた時には、つり上がり気味の目をした、小柄な女が、野卑な笑みを浮かべながら、こちらに歩いてきていた。
 涼子は、茫然と突っ立ったまま、自分のほうに向かってくる、その女の動きを、他人事のように見つめる。
 二人の距離は、もう、あと十歩ほどしかない。
 眠気すら覚えるような、諦めの境地。
 が、次の瞬間、涼子の体の細胞という細胞が、本能的な恐怖に貫かれた。
「いやああああ!」
 涼子は、大音声で叫び、その場から離れた。
「こらこら、なに逃げてんの、南さん。待ちなさいって」
 香織は、そう言いながら涼子を追ってくる。
「やだっ! こっちに来ないでぇぇぇ!」
 涼子は、怒鳴り声を張り上げ、両腕で乳首を押さえたまま、全力で駆け出した。
 だが、愕然とすることに、香織のほうも、その直後から駆け足になり、涼子を捕まえようとしてきたのである。
 あっちへ行っても、こっちへ戻っても、香織が、執拗に迫ってくる。涼子にとっては、まさに命がけともいえる鬼ごっこだった。
 ほどなくして、香織は、うんざりしたように宙を仰ぎ、はあーっと、大きなため息を吐いた。それから、秋菜のほうに首を回した。
「滝沢さん。どうなってんの? 南さんが、こうやって逃げ回ってるのに、あなたは、何も思わないわけ? なんで、黙って見てんのよ!? あなた、南さんのことを、全然、躾けられてないじゃない! これ以上、セクシーショーの開始が遅れるようだったら、あなたの責任問題になるからね」
「はいっ。気が利かなくて、申し訳ありません」
 秋菜は、もの柔らかな口調で謝罪する。そして、こちらに、凍てついたような眼差しを向けてきた。
「南さーん。あんたのせいで、わたしが、怒られちゃったじゃなーい。わたし、あんたに、本気で腹が立ってきたんだけど。あんた、わたしに対して、ちょっとは、申し訳ないって思わないわけ? わたしが、責任を取らされることになろうと、あんたとしては、知ったことじゃないってわけ? まったく、自分勝手な女ねえ……。でも、まあ、いいわよ。あんたが、そういう心積もりなら、わたしにだって、考えがあるから……。もし、あんたが、わたしの迷惑を顧みずに、次、少しでも、吉永さんから逃げたら、わたしは、あんたのことを、断じて許さない。それが、何を意味するか、あんたも、わかってんでしょう? わたしが、チリを吹き飛ばすように、あんたのことを、この学校から、綺麗さっぱり抹殺してあげる。単なる脅しじゃなく、わたしは、本当に、実行に移すつもりよお? 要するに、あんたに残された道は、二つに一つ。今、その場で、女としての恥じらいを捨てるか、それとも、自分の人生そのものを捨てるか、ね」
 少し前までは、『仲間』であった涼子に対し、眉一つ動かすことなく、その、残酷極まりない選択肢を突きつけてくる。涼子にとっては、そのことが、何より許せない思いだった。
「滝沢さん……。あなたって人は……。同じ女でしょう? それなのに、それなのに……」
 涼子は、どこまでも冷然とした秋菜を、きっ、と見すえながら、ひとり言のように口にしていた。それからまもなく、裸足の足の裏を付けている、ひんやりとしたコンクリートの地面が、どういうわけか揺れ動き始めた。いや、そうではない。自分の体が、胴震いしているのだと気づく。
「さてさて、南さん。涼子ちゃーん。どっちを選ぶか、心は決まった? まだ、逃げ回る気かな……? まあ、それでもいいけど、ただ、その場合は、滝沢さんの言ったとおり、あなたは……、この先、どうやって生きていくか、一から考え直さないといけなくなるねえ」
 香織は、余裕たっぷりの様子で、こちらに、ゆっくりと歩いてくる。
 涼子の二本の脚は、じりじりと後ずさりした。その場から動かず、悲惨な運命に屈するのを、自分の肉体が、不可抗力的に拒絶していた。しかし、だからといって、全力で逃げるだけの勇気はなかったのだ。
 香織は、もはや、苛立ちの素振りを見せず、むしろ、涼子を追い詰める過程を、じっくりと味わっているかのように、一歩、また一歩と、地面を踏みしめながら、こちらに歩み寄ってくる。
 ぶるぶると震え続ける涼子の両脚は、また、さらに後ろに下がる。自らの意思で、香織から遠ざかっているというより、なにか、故障した乗り物に、自分の体が動かされているような感覚だった。
 後退を繰り返す涼子と、前進し続ける香織の間合いは、かろうじて一定に保たれている。
「ここには、女しかいないんだから、全裸になることを、そんなに怖がる必要はないんだよ、南さん……。なんだか、異様に怖がってる様子に見えるけど、その原因は、なんなの……? もしかして、だけど……、滝沢さんと舞ちゃんも見てるから? 滝沢さんと舞ちゃんに、あそことか、おしりとか、体の汚いところまで見られるなんて、南さんにとっては、悪夢のような事態なの?」
 香織は、涼子の恐怖を、一層、煽り立てるように言う。
 涼子の身は、目に見えない手に引っ張られるがごとく、後方に移動した。が、その時、背中が、どんっ、とコンクリートの壁にぶつかった。二本の脚は、それでも後退したがって、虚しくも、地面を蹴る動作を行う。しかし、むろん、ずりずりと背中を壁にこすり付けるばかりでしかない。
 香織が、その間に、すんなりと間合いを詰めてきて、涼子の目の前に立った。
 二人は、まるで、無二の親友同士のような距離で、お互いに、目と目を見合わせる。涼子の顔を、まじまじと見上げてくる香織と、その顔を、虚ろに見下ろす涼子。やがて、香織の唇が、みるみる挑発的な形に歪んでいった。かと思っていると、香織の身が、すーっと下がっていく。
 これから、香織が、何を行おうとしているのか。
 涼子は、その答えを知っている。忘れもしない。計、三度だ。過去、三度、香織は、涼子の身に着けているパンツに、手をかけ、それをはぎ取っていった。あたかも、その行為を、この上ない生きがいとしているかのように。
 今、香織の顔が、涼子の股の位置と、同じ高さにある。香織は、今一度、上目遣いに、涼子の顔をうかがい、そして、目線を落とした。強烈な既視感。それが、今から脱がすよ、という宣告なのだった。
 涼子の脳裏に、あの、人間としての最低限の尊厳まで奪われる瞬間が、闇夜を裂く閃光のようにフラッシュバックする。今や、文字通り、体全体が震えていた。両脚だけではなく、乳首を覆い隠している両腕さえも。そればかりか、唇まで、重篤な神経障害を起こしたように震え始める。
 ついに、香織の両手が、涼子の腰へと伸びてきた。その何本かの指先が、涼子の白いパンツの上縁に触れる。
「ぎぃあああああああ!」
 実際に、この現場を見ていない者だったら、かりに、それを耳にしたとしても、女子生徒の叫び声だとは、つゆほども思わなかったに違いない。たった今、陰鬱な地下の空間に響いたのは、カラスの断末魔じみた声音だった。
 パンツだけは脱がされたくない、という絶対的かつ根源的な一念。
 涼子は、乳首を隠すのを放棄し、電光石火の勢いで両手を下げ、パンツを押さえた。ちょうど、香織が、それを下に引っ張り始めたところだった。薄い布地を巡って、涼子と香織がせめぎ合う。まもなく、香織の両手が、涼子の腰の後ろに回った。無防備なパンツの後ろ側を、ずるりと引き下げられる。おしりの肌が、外気にさらされたことにより、涙が出るほどの絶望感が押し寄せてきた。
 だが、涼子は、それでも抵抗することを諦めなかった。ふいごのような荒い息を吐きながら、死にもの狂いでパンツを恥部に押し当て続ける。
 女の子の、それも、クラスメイトのパンツを、無理やり脱がせる。悪鬼の所業であるにもかかわらず、香織は、罪悪感のかけらも持っていないらしく、完全にやっきになっていた。
 まさに紙一重で、涼子の恥部は、パンツに隠されている状態である。
 今、その薄い布地は、編み目の中が透けるほど、ぴんと引っ張られている。
 こちらに、勝ち目はない。それは、自明のことだった。香織のほうは、涼子のパンツの生地が、伸びたり千切れたりして、下着として使い物にならなくなろうと、なんら問題は生じないのだから。
 涼子は、とっさの判断で、最後の自己防衛に動いた。パンツの中に、両手を滑り込ませる形で、恥部をきつく押さえたのだ。間を置かず、陰毛がはみ出ないように、手の位置を微調整する。
 パンツは、瞬時のうちに、涼子の太ももの中ほどまで、無残に引きずり下ろされた。
 涼子は、その股布の部分を見て、目玉の飛び出るような気分を味わった。危惧していたとおり、この日、白いパンツを身に着けていた自分を、心の底から恨めしく思うこととなった。目に痛いくらい、くっきりと浮かんだ、黄色い染み。その上、湯気が立つほど蒸れた、その涼子のパンツからは、獣の肉を思わせるような臭気が、むわっと立ち上ってくるのだった。
 耐え難い恥ずかしさに襲われ、涼子は、自分が自分ではなくなるような感覚すら抱いた。
 パンツは、涼子の足首の部分まで引き下げられ、下着というより、みすぼらしいボロ布のように、くしゃりと丸まって地面に落ちた。
「脚、上げて」
 香織が、例のごとく、冷淡に命じてくる。
 過去、これとまったく同じ状況で、涼子は、香織の命令に大人しく従ってきた。一秒でも早く、自分の股の前から離れてほしい。その一心から、屈辱に震えながら、片脚ずつ自分で上げ、香織に、パンツを抜き取られてきたのだ。
 しかし、今回は……。
 滝沢秋菜と足立舞の存在の影響から、涼子のプライドは、鉄壁の守備を固めており、足の裏は、一ミリたりとも地面から離れなかった。
「聞こえなかった? 脚、上げてって言ってんの」
 香織の語気が強まる。
 涼子は、足もとで丸まっている自分のパンツを、狂おしい思いで見つめた。
 今なら、まだ間に合う。パンツを、完全にはぎ取られる前に、上に引っ張り戻すのだ……。そう思い直すと同時に、そろそろと腰をかがめた。左手は恥部に押し当てたまま、右腕の肘のあたりで、陰毛を隠すようにした、不格好な体勢で、右手を、白い布地へと差し向ける。
 だが、その右手は、香織に、あっさりと払いのけられた。
「なんなの? その手は……。もうさあ、ここまで脱いじゃってんだから、馬鹿みたいに、未練たらしいことしてないで、脚、早く上げなさいよ」
 香織は、苛立たしげに言うと、涼子の左すねを両手でつかみ、強引に持ち上げようとしてきた。
 しかし、涼子は、反射的に、左脚にぐっと体重をかけた。
 数秒の間、二人の力比べが続いた。
 香織は、よほど業を煮やしたのか、涼子の左ふくらはぎに、めりめりと爪を立ててきた。
 しかし、今の涼子にとって、その程度の痛みなど、苦痛のうちにも入らなかった。最後の衣類であるパンツは、自分の生命線だといえる。それを取り戻すためなら、いかなる痛みにも耐えられる気がした。たとえ、ふくらはぎの肉を、刃物で切り刻まれようとも、脚を上げることはしないだろう。
「これだけはぁ……、これだけはぁ……」
 涼子は、うわごとのようにつぶやきながら、再度、右手を、自分のパンツへと伸ばしていった。
 香織は、舌打ちし、目障りなもののように、涼子の右手を、邪険に振り払う。それから、おもむろに、顔を後ろに向けた。
「滝沢さーん。南さんが、強情なことに、パンツをちゃんと脱ごうとしないの。あなたも、こっちに来て、南さんのパンツを取り上げるの、手伝ってくれない?」
「はーい」
 秋菜は、のんきな返事をし、こちらに向かって歩き始めた。
 涼子は、はっと息を呑んで、秋菜のほうに目をやった。
 目の焦点が、その秋菜に合うまでに、やや時間がかかった。
 秋菜は、気だるげに歩きながら言う。
「南さんさあ……、あんまり、わたしの手を、焼かせないでくれないかな?」
 涼子は、激しく動揺していた。
 もうまもなく、秋菜が、この場にやって来る……。
 すなわち、それは、こういうことだ。ひとりの女の子として、絶対に人に見られたくない、股布の部分の、黄色い染みを、秋菜に見られることになる。いや、それだけではなく、同時に、自分の蒸れたパンツが発する臭気を、秋菜に嗅がれることになるのかもしれない。
 その状況を想像すると、涼子の頭の中は、たちまちパニック状態におちいった。
 次の刹那、涼子は、飛びのくようにして、その場から、つまり自分のパンツから、自発的に距離を取った。
 香織は、そんな涼子の行動を見て、にたっと笑い、こちらに、意味ありげな目を向けてきた。なにか、涼子の意図を感じ取ったような、そんな顔つきである。
 涼子が、唐突に抵抗を止めたことで、秋菜は、途中でストップした。
 しかし、いずれにせよ、涼子は、最後の衣類であるパンツをも、香織に奪われることになったのだった。
 香織は、涼子のパンツを拾い上げると、明日香たちのほうに戻っていった。右手で、そのパンツを高く掲げながら、嬉々として声を張り上げる。
「はい、戦利ひーん。戦利品を、持ってきましたー」
 竹内明日香と石野さゆりが、待ってましたとばかりに、香織のところに駆け寄る。
 涼子は、両の手のひらを、恥部に、ぴたっと押し当てたまま、その場で、石化したように立ち尽くしていた。自分のコンプレックスである、毛深い陰毛の、そのごわごわとした感触に、否が応でも意識が集中する。
 わたし……、とうとう、パンツまで脱がされちゃった……。
 苦手なクラスメイトの、滝沢さんだって見てるのに……。それに、わたしのことが好きな、一年生の子まで見てるのに……。
 こんなの、嘘でしょう……!?
 人前で、全裸になる、ということ。
 二週間ほど前、バレー部の合宿費が消えたことに関して、『身の潔白』を証明するよう、香織たちに迫られ、涼子は、生まれて初めて、強制的に全裸にさせられるという、その屈辱に満ちた体験をした。あの時は、ショックのあまり、自分の置かれている状況を、到底、受け入れられない気持ちだった。しかし、今は、あの時以上に、この場で起きていることを、現実として認識できない心境である。もしも、これが本当に現実ならば、南涼子という、これほど惨めな女など、この世から、存在ごと消し去ってしまいたい、とさえ思う。
 案の定、下劣なことが大好きな三人の女は、涼子の身に着けていたパンツに、あからさまな興味を示していた。それぞれが、代わる代わる、白いパンツを手に持ち、その汚れ具合や臭気などを確かめ始める。
 涼子は、目に映る光景も、耳に入ってくる声音も、自分の脳に伝わる前に、すべてシャットアウトしようと努めた。しかし、それは、繁華街のど真ん中で、ひとり、座禅を組んで瞑想にふけるような、それくらいの精神性を要することだった。
 明日香が響かせる、はしたない嬌声。
 性悪の後輩が発する、涼子への侮辱の言葉。
 三人の女は、涼子のパンツをネタに、きゃあきゃあと、ちょっとした宴のような盛り上がりを見せていた。
 神様なんて、いなかった……。
 涼子は、心の中で、ぽつりとこぼす。
 あれは、三十分ほど前のことだろうか。涼子の脳裏に、最悪の事態として、ある情景が浮かんだ。『仲間』同士、一糸まとわぬ姿にさせられた、涼子と秋菜。裸の少女が二人。香織の変態性を考えれば、涼子と秋菜が、どのような行為を強要されるのかは、なんとなく想像が付いた。そのため、涼子は、すがる思いで神に祈ったのだった。そんな最悪なことにだけは、なりませんように……、と。
 しかし、涼子にとって、今のこの現実は、その、想定した最悪の事態ですら生ぬるく思えるほどに、惨憺たるものだった。
 一時は、『仲間』であった滝沢秋菜さえも、きちんとセーラー服を身に着けているということ。その一方で、涼子は、パンツまでもはぎ取られ、まごうことなき全裸にさせられたのだ。二人の運命は、まさに天国と地獄に分かれたというほかない。その対照性により、涼子は、自分の惨めさが、格段に際立たされていると、そう自覚していた。
 そして、今や、滝沢秋菜は、傍観者の風情というより、涼子と同じ運命を辿ることなく助かったという、その安堵感、優越感を噛み締め、悦に入っている様子である。要は、地獄に取り残された涼子を、高みから見下しているのだ。
 女としての誇りを最大限に傷つけられている、その自分の姿を、苦手意識を抱いている相手からも、嘲りの目で見られる。それは、はらわたの千切れるような屈辱だった。
 こんなことなら、滝沢秋菜と、二人ともに裸にされていたほうが、どれだけよかったかと思う。いや、今からでも遅くない。ふたたび、香織の気が変わり、最初の予定どおり、秋菜も、性的な辱めの対象とならないだろうか。そうなることを、望まずにはいられなかった。
 これまでに、涼子の胸の内で、数え切れないくらい浮かんだ情念が、またしても噴出する。
 滝沢さん、あなたも、わたしと同じ思いを味わいなさいよ……!
「あっ、そうだ……。滝沢さん、滝沢さん。ちょっと、こっちに来てくれない?」
 涼子のパンツを手にしている香織が、秋菜を呼ぶ。
 秋菜は、香織たちのほうに移動し始める。
 事のなりゆきから、涼子は、とてつもなく嫌なものを感じ、そちらに意識を引きつけられた。
 秋菜が近づいていくと、香織は、声を低くして言う。
「南さんったら、パンツだけは取られまいと、あれだけ強情に、脚を上げようとしなかったのに、あたしが、滝沢さんを呼んだとたん、慌てふためいたように逃げ出したじゃない? どうもねえ……、滝沢さんにだけは、このパンツの染みを、絶対に、見られたくないっていう思いだったみたいなの」
 香織が、ねっとりとした視線を、こちらに送ってくる。
 涼子は、心臓の鼓動が、大きく乱れていくのを感じていた。
「ねえ、滝沢さんは、南さんのこのパンツ、どう思う? あなたの、率直な意見を聞かせて」
 香織は、涼子の白いパンツを、秋菜に差し出す。
 秋菜は、ためらう素振りも見せず、そちらに両手を伸ばした。
 涼子の目は、秋菜の動向に釘付けになる。
 秋菜は、香織たちとは違い、面白くもなさそうに、蒸れた白いパンツの、サイドの部分を、両手でつまんで持った。
 その時、涼子は、心の中で絶叫していた。
 滝沢さん、やだっ、やめてぇぇぇ……! わたしのパンツの、汚い染みなんて、あなたは、見ないでぇぇぇ……!
 しかし、涼子の願いは、秋菜に届かなかった。
 秋菜は、あくまでも無表情のまま、腹の高さにある、その白いパンツの内側を覗き込んだ。
「あっらぁーん……。見事なまでの、頑固な染みねえ……」
 その言葉は、涼子の羞恥心を、電撃のように刺激した。
 さらに、それから、秋菜は、およそ信じがたい行動を見せたのである。
 秋菜の顔が、じわじわと、だが確実に、涼子の蒸れた白いパンツに迫っていく……。
 股布の部分の汚れ具合を、もっと、よく観察してやろう。秋菜には、そういう意図があるように見えてならなかった。
 涼子にとって、その光景は、目を疑うほど衝撃的だった。
 滝沢さん、なにしてるの……!? なんで、そんなに、わたしのパンツに、顔を近づけるわけ……!? その近さじゃあ、臭いまで……! やだっ! わたしの汚れたパンツの臭いなんて、嗅がないでぇぇぇ……!
 秋菜は、中分けのストレートヘアの毛先が、涼子のパンツに触れるほど顔を寄せると、何かを吟味するかのように、三白眼の目をした。そして、その直後、ぶるりと身を震わせた。
「あっわあっ。びっくりしたあ……。なによ、この、脳天まで突き刺さってくるような激臭は……! 危ない危ない。もう少しで、わたし、意識を失うところだった」
 涼子は、目をむき、口を半開きにし、我知らず、驚愕の表情をさらしていた。その後、まもなく、恥ずかしい、という感情が、極限に達した。顔全体が、炎に炙られているかのように火照っていく。
 涼子のパンツは、秋菜の手から香織に返された。
 そこで、香織が、涼子のほうを見やった。
「ねえねえ、見て見て、あの、南さんの顔……! 超、赤くなってる! それに、なに、あの表情。なんか、この世の終わりを、目の当たりにしてる、って感じの表情じゃない?」
 明日香とさゆり、それに、秋菜も、涼子に注目した。
 涼子は、この場から、走って逃げ出したい思いに襲われ、おろおろと狼狽してしまった。
「あたしたちが、このパンツの染みをからかったり、臭いを確かめたりしても、南さん、見て見ないフリしてる様子だったじゃん? でも……、滝沢さんに、同じことされると、南さん、超絶に動揺しちゃうみたい。どうしてなんだろう?」
 香織の顔に浮かんだ、とろけるような笑み。
 ふと、気になって、涼子は、秋菜の様子をうかがった。
 秋菜は、ほんの少し首を傾げ、じいっとこちらを見すえていた。
 涼子は、慌てて秋菜から目を逸らす。顔面が、一層、熱くなるのを感じた。
「南さんの、ナイーブな乙女心が、悲鳴を上げちゃうのかな……。南さんって、キモカワイイね」
 香織は、そう言って、向こうに行った。
 明日香とさゆりも、香織に続く。
 だが、秋菜は、その場で立ち止まったまま、まだ、こちらに、目線を向けているようである。涼子に対して、なにか、不審の念を持っている。そんな気配が、秋菜から、ひしひしと伝わってくる。
 涼子は、とてもじゃないが、秋菜のほうを見ることができず、ただただ下を向いていた。呼吸すらままならないくらい、気まずくてならなかった。普段からのクセで、髪の毛のサイドの部分を、耳にかける動作を行いたくなる。だが、今は、片手とて、恥部から離すわけにはいかない。だから、なんとか、気持ちを紛らわせたくて、意味もなく、もぞもぞと両脚を動かした。それから、秋菜の目線から逃れるように、香織たちのほうに目をやった。
 気づくと、涼子の身に着けていたものは、全部、地面に捨て置かれていた。
 香織は、その山に、白いパンツを載せると、方向を変え、一年生の足立舞のところに歩いていった。
「舞ちゃん。南せんぱいが、完全な裸になったから、これで、いよいよセクシーショーの始まりだよ。わくわくする?」
 そちらを見ると、なにやら、舞の顔も、今の涼子と同様、りんごのように紅潮していた。
 女同士とはいえ、告白の手紙を渡した相手である、先輩の裸体を、実際に目にする。もしかしたら、それは、中学を卒業したばかりの一年生にとって、血の沸騰するような体験なのかもしれない。
「えっ、えっ……。南先輩が……、パ、パンツまで脱いで、本当に、裸になって……、なんだか、あたし……、まだ、信じられない気持ち……」
 嬉し涙がこぼれそうなのか、舞のその声音は、潤んだ響きを帯びていた。
 パンツまで、『脱いで』……?
 まるで、涼子が、自ら好き好んで、ストリップショーを披露しているかのような物言いである。人を馬鹿にするのも、いい加減にしろ、と言ってやりたい。涼子は、意思に反して、すべての衣類を『脱がされた』のだ。これは、紛れもない性暴力である。あの一年生は、今や、自分自身が、その加害者側の一人になっていることを、まったくもって理解していないのだろうか。
 涼子は、その神経を疑う思いで、舞の表情を、見るともなく横目で見つめた。
 しかし、舞は、悪びれたふうもなく、赤面した顔の熱を冷ますように、小さな両の手のひらで、ほっぺたを包み込み、涼子の姿に見入っている。異様なのは、その目の光だった。嵐のような性的興奮の作用なのか、瞳孔が、大きく開いているように見える。その表情を見て、今の舞に、理性的な思考を求めるのは、土台、無理であることを悟らされた。
 涼子は、諦観の念を抱き、一度、軽く目を閉じると、その後は、舞から目を逸らした。自分の裸体を見て、劣情を催している、同性の後輩の顔など、視界の隅にも入れたくなかった。
 だが、そうしていても、舞が、目の焦点を、どこに合わせているのかは、じりじりと肌を焦がされるかのように、嫌でもわかってしまうのだった。紫がかった赤い色の乳首。大きくも小さくもない乳輪。すっかり大人の女性の体になっていることを示す、成熟した乳房全体。それらを、舐め回すように観察されている。
 やがて、舞の視線が、ゆっくりと下降していき、涼子が、両手を押し当てている部分に定まった。陰毛の一本たりともはみ出ないよう、ぴったりと手で覆っているにもかかわらず、どうやら、舞の関心は、涼子の体の、その一点に集約しつつあるらしかった。いや、もしかしたら、逆なのかもしれない。むしろ、涼子が、恥じらいを全開に、頑なに恥部を隠しているからこそ、舞としては、淫らな想像を、よけい、かき立てられて仕方がないのではないだろうか。
 今、舞の胸の内に渦巻いている、薄汚い欲望の念が、まるで、テレパシーのごとく伝わってくる感じがした。
 南先輩の、そこ……。ついさっき、写真で見た時、衝撃を受けちゃった。なんか、ものすごい毛深くて、ジャングルみたいだった。それが、もう、目に焼きついてる……。でも、あたし、やっぱり、生で見たい……。もじゃもじゃに毛の生えてる、そこ……、見たい見たい見たい見たい見たい……! 手をどけて、見せて見せて見せて見せて見せて……!
 恥部を押さえる両手の指が、引きつれを起こすほどこわばる。
 涼子は、思考を追い払うために、ぶんぶんと頭を左右に振った。これ以上、舞の心理に思いを巡らせていると、喉の奥から、絶叫がほとばしりそうだった。今、自分が、全裸姿をさらしていることで、あの、いかにも乳臭い一年生が、少なからぬ性的満足感を覚えているという、その事実は曲げようがない。だが、そのことは、頭の中から消し去るべきだろう。さもないと、この先、自分は、正気を保っていられなくなるに違いない。
 しかし、そんな涼子の内心を嘲笑うかのように、香織が、悪魔の提案をする。
「せっかくだから、舞ちゃん。南せんぱいの体に、いたずらしちゃおうか?」
 その言葉を聞いたとたん、涼子は、視界が暗転するような気分になった。
 だが、その時、秋菜が、横から口を挟んだ。
「待って、吉永さん。その前に、ちょっとだけ時間をくれないかな? わたし、どうしても、南さんに、話したいことがあって」
 話したいこと……?
「ああ、別に構わないよ」
 香織は、すんなりと了承する。
「ありがとう」
 秋菜は、微笑みを返し、それから、こちらに悠然と歩いてきた。
 涼子は、なんとも言い様のない、不吉な予感を抱き、近づいてくる秋菜に対し、心理的に警戒態勢を取った。
 二人の間の距離が、一メートルほどになる。
 秋菜は、涼子の目の前で、ぴたりと足を止めた。
 互いに、視線を合わせる。秋菜の目には、冷笑的な光が宿っているように見えた。
 全裸の涼子と、セーラー服を身に着けている秋菜。しかも、たった今、自分が、丸一日、着用していたパンツの臭いまで、秋菜に嗅がれてしまったということ。その秋菜と、こうして間近で対面することになり、涼子は、劣等意識の塊となっていた。
「それにしても、南さん、後輩たちも見てる前で、素っ裸にさせられるなんて、あなた、ほんっとうに惨めねえ。わたし、あなたみたいにならずに済んで、心の底から、ほっとしてるわ」
 秋菜は、開口一番、そう口にした。
 涼子は、秋菜の目を見たまま、あごを引き、半ば無意識のうちに、唇を突き出していた。秋菜の発言に対して、反発する意思を示しているのではない。むしろ、同情を欲する気持ちを、前面に出した表情なのだった。自分のことを見下す相手を前に、こんな表情を作っている情けなさ。
 秋菜は、つと、視線を落とした。涼子の両手が重なっている部分を、冷ややかな目で眺める。そして、ふっと笑った。
「おっぱいのほうは、隠さないでいいんだ? 下だけは、徹底して両手で隠しておきたいんだ? まあ、南さんの場合、その気持ちは、わからないでもないけど……。この前、体育館で、南さんが、犯罪そのものの痴態をさらしてた時、わたしも、見ちゃったもん。南さん、下の毛……、もっさもさだよね。正直、コンプレックスなんでしょ?」
 そう訊いてくる秋菜の顔は、実に嫌味ったらしかった。
 涼子は、突き出した唇に、きゅっと力を入れ、自分のことを侮辱する、秋菜の目を見続ける。もしかすると、世界中の誰一人として、今の涼子の顔つきを見て、いい印象を抱く者はいないかもしれない。逆に、胸のむかむかするような気分になる人が、圧倒的多数なのではないか。そんな思いも、涼子の脳裏に去来した。
「まあいいや。話っていうのはね、ほかでもない……、南さん、あなたの、醜い自己保身についてよ」
 秋菜は、両目を細めて言った。
 自己保身……。
 それは、涼子ではなく、秋菜の、これまでの言動を指す言葉であろう。
「まず、一点目。さっき、あなた、白状したよね。わたしのバッグから、写真を盗んだこと。いくら、吉永さんから、脅迫されたとはいえ、クラスメイトのものを、ほいほい盗むのって、どうなの?」
 秋菜から、そのように指摘を受け、涼子は、戸惑いを覚えた。どうやら、秋菜は、その件について、まだ、涼子のことを許してなどいないらしい。
「あ、あのっ、ごめん……。わたし、吉永……、いや、吉永さん、から、脅されてたことは、さっき、滝沢さんに話したんだけど……、そ、そのこと……、もうちょっと、その、詳しく話させてくれる? さっきは、言いづらかったことも、今度は、全部、隠さずに話すから。ねっ?」
 恥にまみれた今、一語一語、声を発するだけでも、刺すような精神的苦痛が伴う。だが、それでも、最大限の誠意を込めた姿勢で、秋菜と向き合わねばならないと思った。
「いちおう、聞いてあげるわよ」
 秋菜は、素っ気なく答える。
「ありがとう……。あの、実は……、わたしが、吉永さんに、握られてた弱みっていうのは、滝沢さんが、さっき受け取った、三枚の写真、つまり、その、わたしが、変態みたいな行為をしてる姿を写した、三枚の写真ね、それと……、わたしが、まあ、なんていうか……、汚しちゃった、あの、滝沢さんの体操着のことだったんだよね……。それで、もし、滝沢さんの写ってる写真を、盗ってこなかったら、わたしの弱みである、三枚の写真と体操着のセットを、滝沢さん本人に届けるよって、吉永さんに脅されたの。その時、わたし……、このままだと、自分の高校生活が、終わっちゃうっていう恐怖に、心も体も押し潰されそうになって……、だから、どうしても、逆らうことができなかった……」
 涼子は、どもりながらも、懸命に事情を説明する。
「ふーん……。でも、そういう理由だったなら、写真を盗むんじゃなく、わたしに、何もかも打ち明けてくれたらよかったじゃない。吉永さんたちから、嫌がらせを受けてることも、わたしに関するもので、脅迫されてることも、全部ね。そうしていたら、南さんの抱えてた問題の多くが、解決したんじゃないのかな? どうして、そうしなかったの?」
 秋菜の口調は、あくまでも静かだった。
「えっと、わたし……、吉永さんたちから、何度も、こんなふうに、裸にさせられたり、もう、気が変になるような、恥ずかしい目に、遭わされたりしてたんだけど、そのことを、何も知らない滝沢さんに、全部、打ち明けるのが、な、なんていうか……、怖かったっていうか、あ、あと、あまりに……、普通じゃない内容だから、とても信じてもらえない気がしちゃって、だから……」
 あの時の苦しい心境を、ありのままに語る。
「だから、あなたは、わたしの写真が、わたしへの嫌がらせに使われることを、知っていながらも、盗むことを決意した、ってわけね……。ああー、わたしさ、本音を言うと、自分の写真が、保健の教科書に、あんなふうに貼りつけられてるのを見て、ものすごい傷ついたんだよなあ……」
 秋菜は、遠い目をして、はあっ、とため息を吐いた。
 涼子は、返す言葉も思い当たらなかった。
「自分が助かるためなら、クラスメイトが、どれだけ傷つこうが、最悪、地獄に引きずり込まれようが、どうでもいい、か……。これを、醜い自己保身と言わずして、なんて言うんだろうねえ」
 秋菜は、涼子に対する軽蔑心を、語尾に滲ませた。
 涼子としては、ぐうの音も出ない。
 たしかに、秋菜の言うとおりだ。
「う、うん……。滝沢さんの写真を盗んだことは、もちろん……、立派な、犯罪。その時点で、わたしは、人の道を踏み外してた。なのに、それだけじゃなく、その写真を使った、滝沢さんへの嫌がらせに、わたし自身が加わってたんだから、滝沢さんにとって、わたしは、もう、完全に、加害者側の人間だよね……。わたしって……、臆病者で、卑怯者だって、つくづく思う。でも、信じて……。わたし、あの日から、ずっと、滝沢さんに対する罪悪感で、胸がいっぱいだった。今は、心から反省してます。滝沢さん、本当に、ごめんなさいっ!」
 涼子は、両手で恥部を押さえたまま、秋菜に向かって、九十度近く腰を折り、深々と頭を下げた。その体勢のまま、秋菜の足もとを見つめる。秋菜から、何かを言われるまで、顔を上げないつもりだった。むろん、全裸で平身低頭しているのは、ひとりの人間として、これ以上ないくらい、惨めな気持ちである。だが、今は、とにかく、秋菜に、自分の過ちを許してもらいたかったのだ。
 しばらくの間、沈黙が続いた。
「でも……、あなたは、今日、ここへ来てからも、また、わたしのことを蔑ろにして、保身に走ったよね」
 秋菜が、抑揚のない声で言った。
 涼子は、おそるおそる上体を起こしていく。
「とりあえず、聞きたいんだけどさ……、あなたは、どうして、さっき、自分一人でショーを行うことを拒んだの?」
 意味がよくわからなかった。
「えっ、どういうこと……?」
 涼子は、真摯に尋ねる。
「吉永さんが、一度だけ、チャンスをくれたじゃない。もしも、あなたが、あの一年生の子の、すぐ目の前で、自分の意思でもって、身に着けてるものを、全部、脱いだなら、わたしだけは、脱がないでいいって」
 そのことか、と思う。香織は、涼子のことを試してきたのだった。秋菜のために、自分の身を犠牲にできるか、と。あれは、涼子にしてみれば、あまりにも馬鹿らしい話だった。
「合理的に考えてよ。二人とも脱ぐ必要が、どこにあったっていうの? あの時、あなたは、わたしだけでも助かるよう、あの一年生の子の前に、すぐ移動して、自分から、全裸になればよかったでしょ?」
 秋菜は、当たり前のことのように、さらりと口にする。とても同じ女とは思えないような、冷酷な発言だった。
「……そんなっ、ひどい」
 涼子は、かすれる声で抗議した。
「ひどい? でも、あなたは、この前、自分の保身のために、わたしに、とんでもない仕打ちをしたのよ? そのことを、心から反省してるなら、今度は、自分を犠牲にしてでも、わたしのことを助ける。そうするのが、人としての筋、ってものじゃないかな?」
 その発言には、妙な説得力があった。
 涼子は、反論の言葉を探す。
 そこで、秋菜は、右手の人差し指を頬に当て、視線を斜めに落とした。そして、ぶつぶつとつぶやき始める。
「実のところ……、あの時、あなたが、わたしを助けるために、プライドを捨てて、脱ぐかどうかは、まあ……、わたしのなかでの、あなたに対する、最後の『テスト』みたいなものだったんだけどね。わたしって、情にもろい性格だから、あなたが、そんな自己犠牲の精神を見せてくれたら、わたしだけは、あなたの気持ちを考えて、ここから出て行ってあげるつもりだったんだけど……。でも、あなたは、それを拒否した。やっぱり、あなたって、ダメね。それがわかったから、わたしも、この『イベント』に参加することにしたわ」
 むろん、涼子には、秋菜の言っていることが、まるっきり理解できなかった。
「……とにかく」
 つと、秋菜の黒目が、こちらを向く。
「あなたは、自分を犠牲にして、わたしだけでも助ける、という選択をしなかった。いや、そればかりか……、わたしのことを見捨てて、自分ひとり、帰ろうとしたわよね。つまり、自分さえ助かれば、人が、どうなろうと構わない。それが、あなたの、基本的な考え方でしょ。あなたは、自己犠牲の精神なんて、これっぽっちも持ち合わせてなくて、苦しい状況に立たされたら、脇目も振らず、自己保身に走る性格なのよ」
 いくらなんでも、その言い方はないだろう、という思いだった。
 そもそも、それだったら、秋菜は、どうなのだ。
 自分さえ助かれば、人が、どうなろうと構わない……。その言葉は、そっくりそのまま、秋菜に返してやりたい。
 今から、三十分以上前のことだ。この場で、香織たちと対面してから、ほどなくして、秋菜は、態度を豹変させた。それからは、敵である香織に、恥も外聞もなく媚を売り、逆に、『仲間』のはずの涼子のことを、これでもかというほど侮辱し、自らの保身に狂奔したのだ。涼子が、自分ひとり、帰ることを決めたのは、その秋菜の言動に、堪忍袋の緒が切れたからだった。
 そう抗弁したかったが、涼子の胸の内には、秋菜に対して、大きな過ちを犯したという、後ろめたい思いが、とぐろを巻いていた。そのため、涼子は、ここで、ぐっと自分を抑え込むしかなかった。
「さらに、もう一点ある……」
 秋菜は、口答えをしない涼子に対して、まだ話を続ける。
「正直に答えて……。さっき、あなたは、わたしが覚醒剤を使った証拠の写真を、吉永さんから、手に入れたがってたけど、その本当の意図は、なんだったの?」
 二人の間に、痺れるような緊迫感が走る。
 涼子は、つかの間、どう答えるべきか迷ったが、おもむろに口を開いた。
「滝沢さんに……、その、侮辱され続けてるのが、すごい悔しくて、わたしも……、滝沢さんと、対等の立場になって……、反撃できたら、とか、そんなふうに、考えてた……」
 先ほどと同様、表向きの理由を、消え入りそうな声で述べる。
「嘘……。反撃、じゃなくて、本当は……、わたしに対する、脅迫が、狙いだったんでしょ? あなたは、わたしの束縛から、逃れるための手段として、わたしを脅迫することを、思いついた。わたしが覚醒剤を使った証拠の写真さえ、入手できれば、わたしを、脅迫することが、可能になる。わたしが、その脅迫を受けて、あなたを、束縛から解放すれば、あなたは、晴れて自由の身となる。つまり、わたしを置いて、自分だけは、地獄から抜け出すことができる……。そう考えたんでしょ? そうよね……?」
 秋菜は、確信に満ちた口調で詰問してきた。
 どうやら、涼子の意図は、完全に見透かされていたらしい。今から思えば、たしかに、自分でも呆れるくらい、浅はかな策だった。しかし、あの時は、脱がされることなく助かる可能性が、ほんのわずかでもあるのなら、それに、すべてを賭けるしかなかったのだ。
 涼子は、秋菜の指摘を認めるべきか、しばし逡巡していた。
「わたしに対する脅迫が、狙いだったんでしょ? そうよね?」
 秋菜は、苛立ちを露わに繰り返した。
 言い逃れは、まず不可能だった。
 涼子は、ぎくしゃくと、うなずいてみせる。
 それからは、視線の向けどころもないような心地になった。今ここで、自分は、どのようなリアクションを示すのが、人として最善なのかと、頭の片隅で漠然と考える。だが、すぐに、いかなる振る舞いをしても、自分の立場を、より悪化させるだけだと直感する。そのため、身じろぎ一つせず、ただただ、虚しく呼吸だけを繰り返していた。緊迫した静けさのなかで、そんな自分の呼吸音が、やたらと耳に付く。
「自分が助かるために、人を、脅迫しようとする……。実に、あんたらしい発想よね。あんたってさ……、全身、もうそれこそ、上は、髪の毛から、下は、つま先に至るまで、薄汚い自己保身の欲でできてる、って感じ……。あんた、そんな生き方してて、自分で、恥ずかしくないの?」
 秋菜は、まるで、性犯罪者を軽蔑するかのような目つきで、涼子のことを見てくる。
 涼子にとって、今のこの現実は、骨まで凍えるような無情さだった。
 五人の生徒の前で、涼子ひとり、全裸姿をさらしているという、想像だにしなかった惨状。そして、今、そんな涼子の、すぐ目の前に立っている生徒は、常日頃から苦手意識を抱いていた相手、滝沢秋菜なのだ。しかも、その秋菜は、同情を寄せてくれるどころか、それとは真逆に、涼子の人間性について、仮借なき非難を浴びせてくる。
 要するに、涼子は、普通の女の子なら、泣き崩れるような惨めさを、二重三重に味わっているのだった。もはや、魂は、この肉体から離脱したがっていた。南涼子などという、最下等の人間として生きることは、今すぐにでも終わりにしたい思いである。
「まったく、あんたさあ……、わたしのことを、なんだと思ってるわけ? わたしのバッグから写真を盗むわ、その写真を使った、わたしへの嫌がらせに加わるわ……、今日なんて、わたしを見捨てて、自分だけ助かればいい、っていう態度で、帰ろうとするわ……、おまけに、わたしが覚醒剤を使った証拠の写真で、わたしのことを、脅迫しようとするわ……。わたし、人から、ここまでコケにされたの、生まれて初めてよ」
 秋菜の声が、どんどん険を帯びてきた。
 どうやら、秋菜は、本気で怒っているらしい。
 涼子は、そのことを理解し、にわかに恐怖を感じ始めた。
「それに……、あんたは、わたしのことを蔑ろにして、保身に走り続けただけじゃない……。しまいには、吉永さんから命令されたのを、いいことに、わたしの服を、脱がせようとするという、最悪の行為に出た」
 秋菜は、噛み締めるように言った。
 待ってよ……。
 涼子は、開いた口が塞がらない思いだった。
 最悪の行為、だと……? それを言うならば、秋菜だって、涼子に対して、その最悪の行為に及んでいたではないか。しかも、涼子のほうは、秋菜の制服を、脱がせようとしたところで、ストップをかけられ、未遂に終わったが、秋菜は、そうではない。涼子の身に着けているものを、次から次へと、情け容赦なくはぎ取っていったのだ。
 しかし、今の自分の立場を考えると、秋菜に対して、反論する資格などない気がし、涼子は、金魚みたいに、口をぱくぱくさせるばかりの有様だった。
「あんたが、わたしのスカーフを抜き取った後、わたしに言い放った言葉、耳に残って離れないわよ。『あなたも、わたしと同じ気持ちを、味わってみなさいよ!』っていう、あの言葉がね」
 秋菜は、忌ま忌ましげな表情をする。
 当たり前のことだが、涼子だって、ひとりの人間なのだ。嫌なことをやられたら、それと同じことを、やり返してやりたいという思いが、自然と胸の内に生じる。しかしながら、秋菜の制服に、手をかけた時の、自分の言動については、到底、人として褒められたものではないと、今にして思えば、慚愧の念に堪えない。
「あの言葉が、あの時の、あんたの心情を、何もかも物語ってたわね……。あんた、たった今、自分で言ってたけど、わたしに、侮辱され続けて、そんなに悔しかった? あっ、そう……。まあ、そりゃあ、そうよね……。あんたは、わたしのことが、憎くて憎くてたまらなかった。もし、わたしに、高校生活の命運を、握られてる身じゃなかったら、わたしの顔に、拳を叩き込みたいくらい、憎悪の炎が燃え上がってた……。でも、あんたの胸の中にあったのは、そんな憎悪だけじゃない……。あんたは、自分が、ブラまで取り上げられた、屈辱的な格好をしてるのに、その一方で、『仲間』のはずの、わたしが、何も脱いでないことを、不公平だ、理不尽だ、と感じた。つまり、嫉妬ね。それも、強烈な嫉妬……。要するに、あんたは、わたしに対する、憎悪と嫉妬で、気も狂わんばかりの精神状態だった」
 秋菜は、凄むように、さらに半歩、こちらに寄ってきた。それから、やにわに、右手を、涼子の首もとに伸ばしてくる。
 その指先で、鎖骨の部分に触れられ、涼子は、頭頂まで電気が走ったかのように、びくっとした。
 人差し指から薬指にかけての、秋菜の三本の指が、涼子の、あぶら汗に濡れ光る肌の上を、ずずっと下降していく。まもなく、その指先は、左の乳房のふくらみに差しかかった。しかし、性的な嫌がらせの意図は、不思議と伝わってこない。この肋骨の奥に、どす黒いハートがある……。そう言いたげな手つきだった。
「わたしに対する、憎悪と嫉妬……。あの時の、あんたは、まさに、復讐の鬼と化してた。だから、わたしのスカーフを抜き取った後なんて、ようやく、わたしにも、恥をかかせることができると、体中の血が煮えたぎるほど、気持ちが昂ぶってた……。そのとおりよね? 今さら、いい子ぶったって、あんたの腐りきった本性は、もう、隠しようがないんだから、正直に、認めなさいよ」
 秋菜の三本の指に、力が入り、涼子の胸を突くようにしてくる。
 人間失格という烙印を、秋菜から押されたようなものである。
 涼子は、ごくりと生つばを飲み込む。秋菜の発言を全否定すべきところだったが、図星を指された、その心理的動揺のために、首を横に振ることすらできない。もはや、自ら、自分は、人間以下の存在だと認めたも同然だった。
 わたしは、理性を失って、女の子のセーラー服を、無理やり脱がせようとした、恥ずべき生き物……。ブタだ……。わたしは、醜いブタなんだ……。
「そして……、あんたは、そんな、復讐の欲望に突き動かされるままに、わたしの制服を、乱暴に引っ張り上げた……」
 秋菜の眼光が、猛禽類のように鋭くなる。
 涼子は、その目を見て、心身ともにすくみ上がった。
 怖い……。滝沢さんが、怖い……。
 今すぐ、この場で、土下座して謝ろうかという思いが、脳裏をよぎった。だが、涼子の、あるかなきかのプライドが、その行為を止めた。
「フザケンナヨ」
 それは、ロボットが発したような、無機質な声音だった。
 涼子は、ぞっとさせられた。体全体が、がたがたと震え始める。いや、というより、全身のけいれん発作が起きているような感覚だった。裸出しているおしりの割れ目の中、肛門周りの筋肉まで、ぴくぴくと動いているのを感じる。
 その後……、涼子を襲ったのは、この、十七年間の人生において、間違いなく、もっとも悲惨な出来事だった。
 秋菜は、涼子の胸から手を引くと、突然、野球のピッチャーが、全力投球するような動きを見せた。振りかぶられた右腕。怒気に満ちた秋菜の顔。そして、秋菜の右の手のひらが、見る間に、涼子の顔面に迫ってくる。
 涼子は、棒立ちのまま、それを眺めていた。
 えっ、うそ、待って……。
 左の頬に、手のひらを、恐ろしい勢いで打ちつけられる。その衝撃で、涼子の首は、吹っ飛ぶかのごとくひん曲がった。同時に、秋菜の手のひらに、自分の唾液が付着する、嫌な感触を覚えた。あまりのことに、脳から、動作に関する指令が、体に伝わってこなくなり、涼子の首は、あらぬ方向を見上げる角度のまま硬直した。やや遅れて、左の頬が、ひりひりと痛み始めた。いや、というより、頬骨が、打撲により、重いダメージを受けている、という感じである。それに、軽い脳しんとうを起こしている状態らしく、ぐらぐらと目まいがする。
 両手で恥部を押さえているため、ガードもできない涼子の顔を、秋菜は、非情にも、張り倒すように平手打ちしてきたのである。
「サイィィッッテイな女だよね、あんたって」
 秋菜は、吐き捨てるように、そう口にした。それから、自分の右の手のひらに、つと目を落とすと、聞こえよがしに舌打ちする。
「きったない……。つば、付けられちゃった」
 その手のひらを、涼子の左肩に、何度もこすり付けてくる。
 涼子は、その手に、肩を揺らされながらも、呆けたように口を開けたまま、天井の、青白い光を放つ蛍光灯に、意味もなく目を向けていた。自分は、今、絵に描いたような間抜け面をさらしているのだろうが、もはや、表情を整えるだけの気力すらなかった。
 そして、まもなく、頭の中の、思考や、感情や、記憶、といったものを司る部分が、ぐにゃぐにゃと乱れていくような感覚を覚えた。
「ヴッ、ヴッ、ヴッ……。ヴ、ヴヴヴヴ……。アヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……。ヴヴヴ、ヴヴヴヴヴヴヴ……」
 秋菜の顔に、ぱっと喜色が浮かぶ。彼女は、くるりときびすを返し、香織たちのところへ駆けていった。
「ねえねえ、吉永さんっ。聞いてよ聞いてよ、あの人の、あの声……!」
 珍しく興奮した口調で言う。
 香織たち三人と、それに、舞も、涼子のほうを見つめ、みな、聞き耳を立てるような仕草をする。
「えっ、やだ……、なに、この、変な声は。ちょっとちょっと、南さん、だいじょうぶ? セクシーショーは、まだ、始まってもいないんだよ? それなのに、あなたに壊れられると、あたしたち、困っちゃうんだけど」
 秋菜とは違い、香織は、幾分、慌てている様子である。
 網膜に映っていても、鼓膜に届いていても、涼子の脳は、それらの情報を取り込む能力を失っていた。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴァァァ……。ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴル、グヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴェェ……」
 少女たちの間にも、当惑の雰囲気が漂っている。
 この状況に、ただ一人、浮かれているのが、滝沢秋菜だった。
「やっぱり、人間って、惨めな感情が、耐えられる限界を超えると、こんな声を出し始めるのねえ……。きっと、南さんは、今、脳の大脳皮質とか、そのあたりに、器質的な異常をきたしてる状態なのよっ。もしかしたら、脳細胞が、不可逆的に萎縮してる可能性もありそう……。わあ……、なんか、想像しただけで、ぞくぞくしてきちゃう」
 秋菜は、目を輝かせながら喋り、快楽の波に身を委ねるかのように、自分の両肩を抱いた。
 
 周囲は、一面のお花畑だった。五十センチほどの高さのひまわりが、遥か彼方まで広がっている。
 その中を突っ切る、舗装されていない畑道を、涼子は、とことこと歩く。
 小学生になってから、初めての夏休みだった。そして、昨日から、涼子の一家は、田舎に住んでいる親戚の家に、泊まりに来ていたのだ。
 あんまり遠くへ行っちゃ、ダメよ。
 さっき、お母さんは、そう言っていた。
 涼子は、後ろを振り返る。
 親戚の家は、豆粒のように小さく見えた。すでに、かなり距離が離れている。
 けれども、涼子は、胸を躍らせながら、その畑道を、先へ先へと進んでいく。もっともっと遠くまで行けば、アニメのストーリーみたいな、刺激的な体験が待っているような予感がした。不思議な動物を発見したり、親切な人と出会ったり。そう。これは、わたしにとっての、冒険。ひとりで来て、よかったと思う。弟は、まだ幼稚園児だ。冒険をするのは、早い。もし、一緒に連れていたら、きっと、途中で、帰りたい帰りたい、と泣き出すに決まっている。そんな弟の姿を思い浮かべると、くすっと笑いが漏れてしまう。だけど、わたしは、もう、お姉さん。お父さん、お母さんがいなくても、自由に、どこへだって行ける。暗くなる前に帰ればいい。それで、夕御飯の時にでも、あんなところに行ったよ、こんなことがあったよって、みんなに話して聞かせてあげよう。そうしよう。
 と、そこで、涼子は、つと足を止めた。
 自分の周りを、ぐるりと見回してみる。
 見れば見るほど、ひまわりの黄色さが、目に眩しい。まるで、金色に輝く海みたいだ。
 綺麗だな、と心から思う。
 そうだ……!
 唐突に、アイディアが浮かんだ。
 ひまわりで、花冠を作ってみよう。
 正直、上手に作れる自信はない。でも、面白そうだ。何事も、チャレンジすることが大事。
 涼子は、その場にかがみ込んだ。
 ひまわりさん、ごめんなさい。
 心の中で謝りながら、ひまわりを、一本、地面から抜き取った。その茎には、三輪の花が付いていた。もっと、花が欲しいと思ったけれど、これ以上、殺生するのは、心が痛む。なので、その一本で我慢することにした。
 涼子は、さっそく、花冠作りに取りかかった。
 茎を、輪になるように結んで……。
 やっぱり、思ったとおり難しい。冠っぽくするのは、至難の業だ。だけど、もし、可愛く作れたら、これは、お母さんにプレゼントしよう。
 そうして、涼子が、ひまわりと悪戦苦闘している時だった。
 ふと、遠くから、奇妙な音が聞こえてきた。
 涼子は、手を止め、耳を澄ませる。
 なんだろう……?
 まるで、オオカミが唸っているような、そんな音。
 その音源と思われる方向に、目を向ける。
 ここから、一キロくらい離れたところに、森が見えた。暗い森だ。
 涼子は、胸騒ぎを覚えた。
 きっと、あの森の中に、オオカミが潜んでいるのだ。それも、猛獣みたいに巨大なオオカミに違いない。だから、こんな遠くまで、唸り声が届くのだ。そして、その声からは、敵意のようなものが伝わってくる。なにやら、向こうは、涼子のことに気づいているらしい。今にも、こちらを目がけて、ものすごいスピードで襲いかかってくるかもしれない。
 事実、姿こそ見えないが、その音が、どんどん近づいてきているのを感じる。
 気づくと、不吉な兆候の現れのように、空は、灰色の雲に覆われていた。そのうち、雷が鳴り出しそうな気配である。
 涼子の手から、輪っかになったひまわりが、ぽとりと落ちる。
 怖い……。すぐに、帰らなくっちゃ……。
 涼子は、駆け出した。来た道を、精一杯の力で走って戻っていく。
 しかし、その、オオカミの唸り声は、疾風のごとき速さで、涼子に近づいてくる。
 親戚の家は、まだ見えてこない。これでは、家に辿り着く前に、間違いなく追いつかれてしまう。
 涼子は、わあわあと声を出して泣き始めた。
 お母さんの言いつけを守らず、ひとりで遠くまで来たことを、心の底から後悔していた。
 音の大きさからすると、オオカミは、すでに、涼子の、数十メートル後方まで迫ってきているみたいである。
 が、聞こえてくるのは、なんとなく、オオカミの唸り声ではない気がしてきた。ほかの猛獣が発している音、という感じでもない。それは、呪いの呪文のような、ひどく不気味な響きだった。
 涼子は、自分を追っているのが、オオカミなどより、ずっと怖ろしい存在であることを悟った。頭の中に、黒いマントを羽織った、死霊のイメージが浮かぶ。その手が、もう、次の瞬間にでも、自分の肩にかかる感じがする。
 とうとう、涼子は、恐怖に耐えられなくなり、そこで、小さな体を丸めてうずくまった。目をぎゅっと閉じ、両手で耳を塞ぐ。
 お父さん、お母さん、助けて……! わたし、怖い怖い怖い怖い怖い……!
 得体の知れない存在が、今、涼子を見下ろすようにしているのだろう。
 おどろおどろしい音響が、頭上から、大音量で降り注いでくる。
 その音を聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。
 もうダメ……!
 そう思った直後、ふと、あることに気づいた。
 この音は、外から聞こえてきてるんじゃない……。わたしの内側から、発せられてるんだ……。
 涼子は、まぶたを開けた。オオカミも死霊も、そのほか、いかなる怖ろしい存在も見当たらない。
 わたしは、自分で、この音を、止めるべきなのだ……。いったい、どうすれば、止められる……?
 そうだ。わたしは……。






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