第二十三章〜ジレンマ


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第二十三章〜ジレンマ




 はっと我に返る。
 まず目に映ったのは、天井の、青白い光を放つ蛍光灯だった。
 やや、それを眩しく感じ、目線を、ゆっくりと落としていく。
 一面のお花畑とは似ても似つかない、陰鬱極まりない空間に、自分がいることを認識する。まるで、地下牢を思わせるような場所だ。離れたところに、見覚えのある少女たちの姿があった。
 ひんやりとしたコンクリートの地面の感触が、足の裏に伝わってくる。自分は、今、裸足で立っているのだ。いや、そればかりか、体中が、妙にすーすーとしており、驚くべきことに、何も衣類を身に着けていない状態なのだと悟る。生まれたままの姿。人前であるにもかかわらず。
 恥ずかしい……。
 にわかに、羞恥心が込み上げてきたが、意識が途切れていた間も、体の、一番、人に見られたくない部分は、しっかりと、自分の両手で隠していたらしく、その点だけは、ささやかな救いである。
 南涼子は、十七歳の少女に戻った。もはや、小さな子供ではない。大人の女性に等しい、立派に成熟した体を持っている。両の手のひら全体に伝わる、ごわごわとした陰毛の感触が、その何よりの証拠だった。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴグググヴェ……。ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴァァァ……」
 しかし、依然として、意思とは無関係に、声帯は震え続け、地の底から聞こえてくるような唸り声が、自分の口から発せられている。
 いい加減、止まってよ……! 止まれ!
 涼子は、勢いよく息を吸い込むと同時に、ぴたっと口を閉じた。
 ようやく、その音は止まった。
 地下の空間に、静寂が訪れる。
「あっ、止まった」と吉永香織。
 少女たちは、かたずを飲むようにして、涼子の様子を見守っていたらしい。
 涼子は、そちらに目を向けた。
 一人ひとりの顔を見ているだけで、おのずから湧き上がってくる、不快感、そして、恐怖心。
 そうだ。わたしは……、この地獄にいたのだ……。
 五人の生徒の見ている前で、自分ひとり、全裸姿にさせられているという、現実とは思えないような惨状。さらに、左の頬骨の、じんじんとした鈍痛を意識すると、自分の惨めさを、よけい身にしみて感じる。
「南さーん、あたしの声、聞こえますかあ? 聞こえてるなら、大きな声で、返事をしてー」
 主犯格である吉永香織が、涼子に呼びかけてくる。
 涼子は、香織の顔を、冷めた気分で眺めた。
 反応を返そうとは、微塵も思わなかった。
 だが、香織と、その忠実な手下である、性悪の後輩は、互いに顔を見合わせ、安心したようにうなずき合った。非常事態は脱した、と判断した様子である。
「まあ、その顔からすると、だいじょうぶそうだね……。なになに? 滝沢さんに、ぶっ叩かれたのが、そんなにショックだったの……? でもさあ、南さん、胸に手を当てて、よく考えてごらんよ。あなた自身が、滝沢さんを傷つけるようなことを、散々、繰り返してきたのが、悪いんでしょう? あなたは、今、その報いを受けただけなの。だから、現実逃避なんてしてないで、ちゃんと、自分の、これまでの行いを反省しなさい」
 香織は、説教めいたことを言ってくる。
 涼子は、香織の言葉を、右から左に聞き流した。
 たった今、自分の身に起きていたことを思う。
 写真でしか見られないような、風光明媚な景色。
 身も心も、すっかり幼い頃に戻っていた、自分。
 言葉で表現するのは難しいが、なんというか、『あっちの世界』に行っていた、という感じである。そして、あとちょっとのところで、自分は、こちらに、二度と戻れなくなっていたような、そんな気もしている。
 突然、目の覚めるような悪寒が、背筋を這い上ってきた。
 このままだと、わたし……、本当に、壊れちゃう……。帰りたい……。家に帰りたいよ……。
 腹の底からほとばしるような、その渇望から、涼子の視線は、自然と、地上への階段に向かう。しかし、今や、その階段は、永久に手の届かない、蜃気楼のようなものに思われてならない。
 もしかすると、わたしが、まともな人間として、ここから出られる可能性は、限りなく皆無に近いのではないだろうか……。そう悲観せずにはいられなくて、涼子は、うっうっうっ、と小さな泣き声を漏らしていた。
「そういえば……、南さんから、傷つけられたのは、滝沢さんだけじゃないんだった。そうだよねっ? 舞ちゃん?」
 香織は、隣にいる一年生の生徒に、話を振った。
 足立舞は、目をしばたたきながら、香織のほうに顔を向ける。
「まず、舞ちゃんに訊きたいの。舞ちゃんは、南せんぱいに……、つまり、その、告白の手紙を渡したわけだ……。いやっ、ちっとも、恥ずかしがることじゃないの。うちは、女子校だから、女の子同士で、告ったり告られたりなんて、全然、珍しいことじゃないし……。舞ちゃんは、南せんぱいのことが、大好きだった。だから、勇気を振り絞って、その気持ちを、南せんぱいに伝えた……。そうでしょ?」
 香織は、舞のことを、最大限に気遣った物言いで尋ねる。
 舞の頬は、またぞろ、赤々と染まっていた。
 やや間が空いたが、舞は、いかにも子供じみた仕草で、こっくんとうなずく。
「で……、南せんぱいのほうは、舞ちゃんに、その返事をくれた?」
 香織は、続けて問いかける。
 舞は、視線を地面に落とした。それから、無言で、二度、三度と、首を横に振った。
「冷たいねえ、南せんぱいって……。自分は、後輩の子たちから、モテまくってるから、告白の手紙を渡されたからって、いちいち、そんなのに構ってたら、身が持たない、とか思ってんだろうね。なんか、ものすごい思い上がってる、って感じがしない?」
 香織は、横目で、こちらを見ながら喋る。
 舞は、香織の発言を聞いて、涼子から、返事を貰えなかったことが、だんだん、腹立たしくなってきたのか、唇を真一文字に引き結んだ。
「まあ、それはいいとしても……、あたしが、とにかく許せないのは、さっき、南さんが、舞ちゃんの、そんなピュアな恋心を、踏みにじるような言葉を吐いて、舞ちゃんのことを、泣かせたことよ。ねえ、舞ちゃん、あの時、南せんぱいから、なんて言われたんだっけ?」
 香織は、舞に発言を促す。
 ほどなくして、舞の、まん丸に近い大きな目が、かすかに潤み始めた。どうやら、悲しみがよみがえってきたらしい。
 数秒後、舞は、意を決したように口を開いた。
「……あたしのことなんて、大嫌いだって。……あたしの顔、二度と見たくないって。南先輩から、そう言われたっ」
 その口調には、彼女の幼い怒りが込められていた。
「うん、そうそう。あたしも、耳に残ってる……。南さん、あなたさあ……、自分に、告白の手紙を渡した子、それも、二個下の、一年生の子に対して、よくもまあ、そんな残酷なことが言えたもんだね……。まったく、血も涙もない女。あなたのせいで、舞ちゃんは、一生、消えない、心の傷を負ったんだよ。可哀想な、舞ちゃん」
 香織は、義憤に燃えているような口振りで言う。
 たしかに、先ほど、涼子は、舞に向かって、そのようなきつい言葉を浴びせた。しかし、それは、舞が、香織たちの側に立つ、というスタンスを決め込み、涼子に、度重なる屈辱を与えてきたからなのだ。涼子としては、それこそ、舞の顔を、引っぱたいてやりたいくらい、腹に据えかねる思いだった。悪いのは、明らかに舞のほうである。
 にもかかわらず、今、舞は、被害者意識を募らせているらしく、むくれたような顔つきをしている。
「で、そこでさ、舞ちゃん……。舞ちゃんの気持ちが、少しでも晴れればいいなと思って、言うんだけどね……。ここにいる、滝沢先輩が、南せんぱいに、報復のビンタをしたの、見てたでしょう? 舞ちゃんだって、南せんぱいから、傷つけられたんだから、滝沢先輩と同じように、仕返しをする権利があるんだよ」
 香織は、舞のほうに肩を寄せる。
 舞は、右手の人差し指を、下唇に当て、もの問いたげな目で、香織の顔を見つめた。
「あのね、滝沢先輩みたいに、暴力でやり返す以外にも、仕返しの方法は、いくらでもあるの。たとえば、そう……。ねえねえ、舞ちゃん、あの、南せんぱいの姿を、見てみて……。女の子の、一番、大事なところは、両手で隠してるけど、上のほうは、がら空きでしょう? ちょっと、手を出してやりたくならない? 舞ちゃん、仕返しに、南せんぱいの……、おっぱいを、もみもみ、ってやっちゃえ」
 何を言い出すのかと、涼子は、唖然とさせられた。しかし、香織が、冗談で言っているのか、あるいは、本気で、舞に、その行為を実行させようとしているのか、それが判然としないので、怖ろしさも感じる。
 舞も、困惑しきっている様子である。香織の顔と、それから、涼子の肉体とを、交互に見ながら、小首を傾げたり、口をもごもごさせたりしている。そうして、しばらくの間、どう答えるべきかと、思い悩むような仕草を繰り返していたが、やがて、小声ながらも、はっきりとした口調で言った。
「……でも、そんなことしたら、南先輩に、また、怒られちゃうっ」
 むろん、怒る。当たり前だ。
「いいのいいの。そんなことは、全然、気にしないで。さっ、あたしも、一緒に付いててあげるから、舞ちゃんも、南せんぱいに、仕返ししてやろっ」
 香織は、舞の後ろに移動し、その両肩に手を置いた。次いで、性悪の後輩に指示を出す。
「さゆりっ。南さんを、こっちに連れてきて」
「はーい」
 石野さゆりは、面白い仕事だと言わんばかりに、一も二もなく動きだした。
 どうやら、香織は、本気のようだ……。
 涼子は、そのことを悟らされ、肉食動物の存在を察知した、か弱いシカのように、わなわなと怯えた。
 さゆりは、相変わらずの嫌な薄笑いを浮かべながら、こちらに近寄ってきた。その右手が伸びてきて、恥部を押さえている左腕をつかまれる。
「やだっ、やめてぇっ……!」
 涼子は、思わず、後ろに脚を引いて逃れようとした。
 だが、さゆりは、涼子の左腕を、きつく捉えて離さない。
「いいから、こっちに、来るんですよっ」
 そう言って、涼子の身を、強引に引き寄せる。どたどたと、そちらに歩かされた。抵抗するすべを奪われている涼子は、性悪の後輩に、左腕を引っ張られるままに引きずられていく。両手を動かせないこともあり、それは、手錠をかけられた凶悪犯が、力ずくで連行される図に、そっくりの状況だった。
 そうして、地下スペースの、ちょうど、中央あたりまで来たところで、香織が、ふたたび指示を出す。
「よし、オーケー。そこでいい。さゆりは、南さんが、その場から動けないように、しっかりと、後ろから体を押さえておいて」
 さゆりは、その言葉に従い、涼子の背後に回った。
 過去、すでに、何度も見られているとはいえ、むき出しのおしりを、後輩の目に触れさせていることを思うと、うなじの毛が、ちりちりするような屈辱感を覚える。
 そんな涼子の両肩を、さゆりは、左右から挟み込むように、両手でがっちりと押さえてきた。
 今、涼子の正面、七、八メートルほど離れた位置に、香織を背にした、舞が立っている。
「さあ、舞ちゃん。準備は整ったよ。進んで進んで」
 香織は、舞の肩を、両手で優しく押す。
「えっ、えっ……、だけど……」
 舞は、不安げな面持ちで、おたおたと尻込みした。
「だいじょうぶ。今はもう、南せんぱいなんて、ちっとも怖くないんだから。そのことは、たった今、滝沢先輩が、証明してみせてくれたでしょ? 南せんぱいったら、顔を、思いっ切りぶっ叩かれたっていうのに、手も足も出せない有様だったじゃない。南せんぱいは、絶対、暴れたりしないから、安心して……。舞ちゃんは、完全無抵抗状態の、南せんぱいの体を、好きにできるんだよ」
 見るからに精神的に未熟な、一年生の生徒の耳もとで、香織は、真っ赤な口紅を塗った悪女よろしく、低い声でささやきかける。そして、ふたたび、舞の肩を押しやった。
 すると、その力で、舞の脚が、一歩、二歩と前に出た。
 涼子の脳裏に、警報が、大音量で鳴り響いた。
 どうやら、舞の心は、香織の誘惑に、大きく傾いたらしい。その二本の脚が、川の流れに押し流されるかのように、こちらに、ぎこちない動作ながらも進んでくる。
 もはや、涼子としては、黙っていられなかった。
「きみっ! きみさあ、いったい、どこまで調子に乗るつもりなの!? その先輩が、いいって言ったことなら、何をやっても、自分に罪はないって、そんなふうに思ってるわけ!? 言っておくけど、もし、きみが、わたしの体に、指一本でも触れてきたら、わたしは、きみのことを、今度こそ、絶対に、許さないからっ!」
 語気が荒くなり、あっという間に、息が、ぜいぜい上がっていた。
 それを聞いた舞の表情が、やるせなさそうに、くしゃりとなる。
「えっ、でも……、あたし……、後ろから押されてて……」
 舞は、蚊の鳴くような声で抗弁し、背後の香織を振り返るように、顔を右へ左へと巡らせた。
 むろん、涼子には、舞のその言葉など、ただの言い訳にしか聞こえなかった。思いっ切り、突っ込みを入れてやりたくなる。だったら、今すぐ、そこから離れればいいじゃない……!
 舞は、亀のように遅々とした足取りではあるが、着実に、涼子との距離を縮めてくる。
 このままだと、自分は、耐え難い辱めを受けることになる……。
 涼子は、そのことを確信し、この場から離れなくては、という思いに駆られた。
「やっ、わたし、いやぁっ……」
 自分の両肩を押さえている、後輩の両手から逃れるべく、勢いを付けて身をよじった。
「動くんじゃねえよ」
 だが、そのとたん、さゆりの右手が、頭部に飛んできて、後ろ髪を、がしっとつかまれた。
 頭を激しく左右に振って、抵抗を試みる。
 しかし、さゆりの手は、とても振りほどけそうになく、首を動かすたびに、髪の毛根が、めりめりと引っ張られるだけだ。
「離してぇ……! もうっ! 離せってばぁ!」
 涼子は、きぬを裂くような声で怒鳴った。
「離せ、じゃねえよ。むかつくんだよ、その口の利き方」
 さゆりは、手を離さないどころか、先輩である涼子に対し、あたかも、目下の者の言葉遣いを咎めるような物言いをする。まさに、常識を突き抜けた無礼さである。
 いったい、自分は、どこまで落ちぶれるのかと、涼子は、頭部を殴られたような心理状態におちいった。
 その間も、舞と香織の前進が止まることはなかった。
 舞からすれば、告白の手紙を手渡した相手である、先輩が、今、網にかかった魚のごとく、目の前で苦しみもがいているのだ。その様は、舞の目に、どのように映っているのか。普通であれば、心を痛めるのが、人情ではないのかと思う。
 涼子は、舞の顔を真っ直ぐに見つめ、今度は、自分の胸中を吐露することに決めた。
「ねえ、きみ……。わたし、率直に言って、きみに、自分の裸なんて、何があろうと見られたくなかった。今でも、すっごくつらい……。なのに、その上、きみに、その……、性的な嫌がらせみたいなこと、されるなんて、涙が出そう。わたしは、きみより、二つ年上だけど、きみと同じ、普通の女の子なんだよ? わたしの、この気持ちが、少しでも理解できるなら、きみだけは、もう、帰って……。それでさ、もし、きみが、今すぐ帰ってくれるなら、わたし、きみから貰った手紙の返事を書いて、それを、きみに届ける……。それだけは、ちゃんと約束する。だから、お願い……」
 すっかり涙声になっているのを自覚しながらも、どうにか、最後まで言葉を絞り出した。
 舞は、足を止めて、涼子の話を聞いていた。そして、ちょこんと首を傾げ、もの悲しげな眼差しをする。どうやら、心が揺れ動いているらしい。
 だが、その舞に、香織が、またしてもささやいた。
「遠慮することはないよ、舞ちゃん。思い出してごらん。さっき、南せんぱいに、なんて言われたか……。舞ちゃんのこと、大嫌いだとか、舞ちゃんの顔を、見たくないだとか、あんな暴言を吐いた女が、今さら泣き言を言ったって、聞く耳を持つ必要はないの。舞ちゃんは、恋心を、ぐちゃぐちゃに踏みにじられた、被害者なんだよ。腹が立つでしょう? だったら、その悔しい気持ちを、南せんぱいに、ぶつけてやらないと。それとも、舞ちゃんは、やられっぱなしで、泣き寝入りしちゃうほど、弱っちい子なの? 違うでしょ?」
 舞の顔つきが、見る見るうちに、ふくれっつらに変わっていく。
 まさか、涼子に対する、憤りのような感情が、ふつふつと込み上げてきたのだろうか。
 それから、香織が、舞の肩を押しやった。
 すると、舞は、さして抗うふうもなく、ふたたび、こちらに歩を進め始めた。
 涼子は、奈落の底に落ちていくような失意を味わい、幾度も、おえつを漏らしていた。
 刻一刻と、舞との距離が縮まっていく。
 先ほど、舞は、涼子の全裸姿を写した写真を目にしただけで、鼻血でも出しそうな顔をしていたのだ。そんな舞が、現実世界で、涼子の裸体に、一歩一歩、近づいていくのは、いったい、どのような心地なのか。
 だんだんと、舞の顔から、理性の色が薄れていき、その瞳に、何かに取り憑かれたような光が宿り始める。
 その時、涼子は、何とはなしに、舞から受け取った、手紙の中身のことを思い出していた。なぜだか、不思議と、その記憶は、目の前に映し出された映像のごとく、鮮明によみがえってくる。小学校の低学年の児童が書いたような、丸っこい字。回りくどいことが、うんざりするほど書かれた、支離滅裂な内容。そして、所々の印象的な文言が、涼子の脳裏に、ありありと浮かび上がってきた。
『あたし、南先輩が、バレー部で活躍してる姿を、初めて見た時、雷に、どかんって打たれたみたいな、ものすごい衝撃を受けちゃったんです。これって、今考えたら、一目ボレってことですよね?』
『夜、寝る前は、どうしても、南先輩のことを、あれこれと考え始めて、なかなか眠れなくなります。南先輩は、小学校、中学校時代、どんな子だったのかな、とか、高校を卒業したら、どうするのかな、とか。それに、いけないことかもしれないんですけど、この手紙には、とても書けないようなことを、妄想しちゃったりもします』
『はっきり書いちゃうと、あたし、南先輩のことが、大好きです。単に好きっていうんじゃなく、南先輩と、二人っきりになりたいとか、手をつないでデートしたいとか、そういう感情です。女の子から、こんなふうに思われるのって、南先輩にとって、迷惑ですか? 迷惑じゃないって、あたし、信じたいです』
『あたし、もう、南先輩のことしか見えません。できたら、南先輩と、付き合いたいって、真剣に願ってます。だけど、いきなりそれは、無理でしょうから、まずは、南先輩のそばにいさせてもらえませんか? あたしは、南先輩の、何もかもを知りたいって思いますし、そして、南先輩にも、あたしのことを、たくさん知ってほしいんです』
 今……、その差出人である、足立舞が、まるで、涼子の肉体に吸い寄せられるかのように、こちらに近寄ってきているのだ。
 これまでに、涼子は、自分に対して、同性愛的な好意を寄せてくる生徒のことを、嫌悪の目で見たことはない。しかし、舞を前にして、初めて、その感情が、猛烈な勢いで湧き上がってきた。
 この子、気持ち悪い……!
 もはや、その舞と香織が、あと、二、三歩のところまで迫ってきている。
「はい、舞ちゃん。『お手々』を上げてえ……」
 香織は、後ろから、舞の両方の手首をつかむと、ゆっくりと、涼子の胸の高さまで上げさせた。
 今や、舞の網膜には、涼子の乳房しか映っていないらしく、その恍惚とした顔つきと、香織の操り人形と化している様とが相まって、まるで、夢遊病者を思わせるような雰囲気を漂わせている。
「ほらっ。胸を突き出すんですよ」
 さゆりが、左の手のひらで、涼子の肩の後ろを、掌底打ちするように押してくる。
 涼子は、そうして、あごを、やや宙に上げる形で、背中を反らせる体勢を取らされた。
 とうとう、涼子と舞の間合いは、完全に詰まった。
 香織が、舞の両手を、涼子の双方の乳房へと押し出す。
 そのまま、遮るものがなく、無防備にさらけ出されている、涼子の乳房の柔肌に、舞の両の手のひらが、ぴたりと張りついた。
 涼子は、その瞬間、全身に氷塊を押し当てられたように縮み上がった。
 香織が、さらに、後ろから圧力を加える。
 それにより、あぶら汗で濡れ光る、涼子の乳房が、舞の手で押し潰された。女子高生ながらも、女性として、充分すぎるほどの成熟ぶりを示す、豊かな乳房の肉に、十本の指が、徐々に食い込み始める。と同時に、幼稚園児じみた、小さな『お手々』の、指と指の間から、健康的な小麦色の肌をした肉が、むにっとはみ出していく。
 涼子は、喉もとまで突き上がってきた、感情の塊を、声には出すまいと、懸命に堪えていた。ここで、悲痛な叫びを上げたら、一層、自分が惨めになるだけである。また、そのような反応は、加虐趣味者である香織たちを、よけい悦ばせる結果になるのだと、これまでの経験から知っていたからだ。
 しかし、その一方で、舞の口からは、熱に浮かされているかのような、はあっ、はあっ、という荒い吐息の音が、耳に入ってくる。
 今この瞬間、自分は、いや、自分の肉体は、同性愛的な傾向を持つ少女の、欲望のはけ口になっている。それは、ほぼ確実なことである。そして、そのことを意識すると、本当に、正気を失ってしまいそうだった。そのため、自己防衛の本能が働き、事実の受け入れを徹底的に拒絶する、心理的反応が起こっていた。
 そう……。自分の胸を触っている、この手は、ただの女のもの。ただの同性のもの。だから、特段、深く考えることではないはずだ……。
 そのように、自分自身の心に言い聞かせ続ける。
 しかし、その時だった。
「わあぁ……、柔らかぁい……」
 舞が、切なげな声をこぼした。
 同じ女とはいえ、彼女自身の体には、どこにも存在しない、その感触を、生まれて初めて、手のひらで味わったことで、心の蕩けるような感動を覚えているのだろう。
 性的な悦び。
 それ以外の何物でもないものを、舞に与えている身であるという思いで、頭の中がいっぱいになり、一気に心のタガが外れる。
「いやああああああぁぁぁっ!」
 涼子は、宙に向かって、腹部の筋肉をねじられたような叫び声を発した。
 むろん、そうしたところで、状況は、少しも好転しないのだった。
 舞の後ろにいる香織は、下卑た笑いを顔に浮かべ、涼子の苦悶ぶりを観察している。
 また、舞はというと、豊かな乳房の感触に、夢中になっている様子で、もはや、涼子の気持ちを配慮しようなどという意識は、かけらも持ち合わせていないらしい。
 そこで、香織が、舞の両方の手首から、そっと両手を離した。
 けれども、舞は、涼子の乳房を押さえたままである。
「あっ、舞ちゃん……。自分で触ってる……」
 香織が、驚いたように言う。
 その指摘を受けたとたん、舞は、突然、夢からたたき起こされたような表情に変わり、慌てて両手を下ろした。そして、背後の香織を振り返る。
「えっ、えっ、だってだって……」
 言い訳っぽく口にしながら、ふるふると体を揺らす。まさに、いけない遊びを、大人に見つかってしまった、小さな子供のようである。
 すると、香織は、にやりとした。
「いいんだよ、舞ちゃん……。気が済むまで、おっぱいを、もみもみして、南せんぱいに、思う存分、仕返ししてやりな」
 そのように促されると、舞は、気まずそうな素振りを示しつつも、また、涼子のほうに向き直った。
 そうして、自身の目線と、ほぼ同じ高さにある、涼子の乳房を凝視しながら、唇を尖らせるようにして微苦笑する。まだ、満足には至っていないが、自らの意思で、涼子の裸体に、それも性的な部分に、直接、触れるというのは、並々ならぬ勇気のいることなのだろう。
 が、ほどなくして、吹っ切れたような表情になり、両手を、ゆるゆると持ち上げ始めたのだった。
 涼子は、舞のその動きを見て、むせび泣くような声を漏らした。
 その数秒後、無情にも、再度、舞の両の手のひらが、涼子の乳房の柔肌に張りついた。間髪を入れず、十本の指が、前にも増して、深々と乳房の肉にめり込む。さらに、その両手は、女体に対して、遠慮会釈なく欲望をぶつける意思を示し、物をこねくり回すような動きを始めたのである。可憐な子供のものにしか見えない、『お手々』が、プリンのように柔らかな肉の丘を、無残なまでの形状にひしゃげさせる。それは、まともな感性の少女が見たら、思わず目を背けたくなるであろう、忌まわしさに満ちた光景だった。
 舞は、その有様を、細部に至るまで、目に焼きつけたがっているのか、涼子の乳房へと、これでもかというほど顔を近づけてきた。そして、荒い吐息の音を立てながら、この時を、この瞬間を、十年以上も待ち続けてきたかのごとく、潤んだ声でつぶやく。
「ああぁ……、南先輩……、南先輩……」
 涼子は、体中を虫が這い回るような拒絶感を抱き、後ろの後輩からの圧力に抗う形で、ぐぐっと腰を引いた。
「じっとしてろって言ってんだよっ」
 だが、次の瞬間、おしりに、どすんという、骨まで届くような衝撃を受け、体全体が揺らされた。
「くっはあうっ!」
 涼子は、聞くに堪えない無様な声を発した。性悪の後輩が、涼子のおしりに、強烈な膝蹴りを入れてきたのである。
「うっげえ、きったねえ……。ケツ汗が、びっちゃり付いちゃった……。やばい。あとで、脚が痒くなりそう……。おまえ、人に迷惑かけてくんの、いい加減にしろよ」
 さゆりは、不快感を露わにして言いながら、涼子の後ろ髪を、毟り取るような勢いで、ぐいぐいと引っ張ってきた。
 後輩である、二年生の生徒の暴力により、身の動きを封じられ、同じく後輩である、一年生の生徒から、慰み者として扱われる。普通に考えれば、屈辱、という言葉では言い表せないほどの状況である。にもかかわらず、怒りの声を上げることすらできない自分が、ここにいる。
 最低限のプライドどころか、すでに、人として当たり前の感情すら失っている女、南涼子……。
 そのような思いに囚われ、涼子は、目に映るものすべてが、灰色一色に染まっていくような虚無感を味わっていた。
 やがて、舞の手つきが変わり、双方の乳房の上部が、軽く絞られる格好となった。やや濃い色をした乳輪部が、輪ゴムをいじったように、うねうねと形を変える。決して望まぬ愛撫だったとはいえ、女性の性感帯を刺激され続けたために、左右の乳首は、いかにも敏感そうな屹立ぶりを見せていた。
 間違いない。舞の関心は、今、乳首の部分に集中しているのだ。
 やめてよ……。そんなところにまで、手を出してこないで……。
 涼子が、胸の内で、そう祈っていた矢先のことである。
 左の乳首。そこに、舞の人差し指が、控えめながらも、つん、つん、と二度、触れてきたのだった。
 涼子は、自分の体の、ありとあらゆる部分に、びっしりと鳥肌が立つのを感じた。
 このクソガキ……!
 普段なら、念頭に浮かぶことすらない、乱暴な言葉で、内心、舞に対して、激しく毒突く。
 乳輪の周りのうぶ毛まで逆立った、涼子の乳房を、舞は、きらきらとした目で見つめる。その後、ようやく涼子の身から両手を離し、幾分、後ろめたそうに、顔をうつむけながら、香織のほうに体を向けた。
「もう、気が済んだ? 舞ちゃん」
 香織が、優しい声で訊く。
 舞は、一拍、間を置いてから、こくっとうなずく。
 涼子の後ろ髪をつかんでいる、さゆりが、そこで、その手を離した。
 香織たち三人は、涼子から離れると、そのまま、肩を並べて遠ざかっていく。
 涼子は、舞の手のひらの感触を忘れるために、自分の乳房を、がりがりと掻き毟りたい衝動に襲われた。だが、パンツまで脱がされているせいで、それすら行うことができない。居ても立ってもいられないほど苛立ちが募り、苦し紛れに、両腕の上腕を、乳房にこすり付けた。
 たった今、自分が味わった、性的な辱め……。
 いや、もはや、辱めなどという言葉で表現するのは、生ぬるいであろう。
 自分は、自分のことを性的対象として見る、同性の手で、体を陵辱されたのだ。
 涼子は、憎悪をたぎらせ、香織たち三人の背中を、真っ直ぐにねめつけた。
「舞ちゃん舞ちゃん……。今日は、思い切って、このイベントに参加して、よかったでしょう?」
 香織が、浮かれた口調で尋ねる。
「うんっ、よかったっ」
 舞は、今までにない、はきはきとした声で答える。まるで、リレーで一等賞を取ったかのような、誇らしげな態度である。
「で……、どうだった? 南せんぱいの、おっぱいの、感触は」
 香織は、まさに、恋人との性行為に関する話題のような口振りで問う。
「なんか……、むにゅむにゅうっ、ってしてて、触ってて、すっごい、気持ちよかった……。あ、でも……」
 舞は、一度、言葉を切る。
「でも?」
 香織が、言葉の続きを促す。
「南先輩の、体……、汗だくだったから……、ちょっとだけ、ばっちい感じがした」
 舞は、そう口にしながら、ゆっくりと顔を巡らせ、横目で、涼子のことを見てきた。その口もとには、涼子を馬鹿にするような苦笑が、かすかに表れている。
「わかるわかる、それ……。あのさあ、南さん……、あなたの、その、超絶な汗っかき体質と、あと、言っちゃあ悪いけど、むせ返るような、きっつい体臭。女の子なんだから、どうにかして改善しなさいよ。じゃないと、舞ちゃんにも、そのうち、幻滅されちゃうよ?」
 香織も、ふてぶてしい笑い顔で、涼子に向かって言い放つ。
 どうやら、舞の、涼子に対する心情に、変化が起こり始めたらしい。
 直接、自らの手で、涼子の体に、性的な行為を加えるという、大それたことを実行し、それでいながら、何事もなく無事に済んだ。その成功体験により、自信のようなものが生まれたのだろう。香織の言うとおり、もはや、涼子など、恐れるに値しない、と。つまり、舞にとって、涼子は、軽侮の対象に成り下がったのだ。その心理が、今、涼子を愚弄する言葉として現れた。いや、もっといえば、涼子への嗜虐心さえもが芽生えたと、そう判断すべきかもしれない。ならば、この先、舞は、どんどん増長していくに違いない。そうして、香織たちと一緒になって、涼子を、享楽の道具として扱い、きゃっきゃっ、と笑い声を上げる……。そんな舞の姿が、今から目に浮かぶようだった。
 涼子は、舞に向かって、呪詛の念を送る。
 そっか……。もう、きみも、完全に、そっち側の人間なんだね……。それならそれで、構わない。でも、覚えておきなよ。もし、今後の高校生活のなかで、わたしが、吉永香織たちに、復讐できる状況になったなら……。制裁を加えるリストに、きみの名前も、ちゃーんと載ってるからね。今日この日、きみが、わたしを侮辱した分だけ、また、わたしの体をもてあそんだ分だけ、わたしは、きみの、その顔に、拳を叩き込む。きみが、どんなに泣きわめこうが、わたしは、きみのことを絶対に許さない。わたし、その時を、今から楽しみにしてるよ……。ふふふっ……。

 香織が、涼子の顔を、改めてしげしげと眺める。
「……南さーん。もしかして、だいぶ、精神的ダメージを受けてる? でも、この程度のこと、笑って済ませるくらい、図太い神経じゃないと、先が思いやられるよ。なんたって、セクシーショーは、これからが本番なんだからね……。だけど、その前にぃ……」
 涼子は、一時的に言語能力を喪失したような状態で、香織の話を聞いていた。
「たとえば、オリンピック選手が、ドーピング違反をしてるのが、発覚したら、みんな、がっかりするでしょ? まあ、なんていうか、それと似たようなもので、セクシーショーを演じる人が、規定に従ってないと、あたしたちとしても、興ざめなわけよ。だから、そういうわけで、本番前に、その点を、チェックしておきたいんだよね……。南さんさあ……、あたしたちとの、約束、ちゃんと守ってる?」
 香織は、やたら持って回った言い方をし、意味ありげに、やや間を置いた。
 やく・そく……。
 そして、香織の口から、続きの言葉が飛び出した。
「……腋毛。……まん毛。……あと、ケツ毛。この三つは、剃ったり抜いたりして、処理するのを、禁止にしておいたよね? 今から、それが守られてる状態か、体毛検査を始めるよ。南さんの体が、セクシーショーを演じるのに、適格かどうか、あたしたち『全員』で、徹底的に調べることにする」
 香織の顔に、サイコキラーを思わせるような笑みが浮かぶ。
 涼子の耳には、見知らぬ遠い国の、聞き慣れない言語に聞こえていた。だが、それでも、自分に対して、死刑宣告が下されたことだけは、おぼろげに理解した……。そんな境地である。
 恐怖とも絶望ともつかない、青黒い感情が、胴体から四肢の末端にまで染み渡っていき、自分の体が、すでに生き血を抜かれてしまったかのごとく、急激に冷たくなっていく感覚に襲われる。
 涼子は、無自覚のうちに、頭を左右に振り始めた。ただ、その動作は、香織に対して、拒絶の意思を示すというよりは、どちらかというと、現実を否定する気持ちの表れだった。
「どうしたの……? 普通、こういう検査っていうのは、抜き打ちでやるものなんだから、心の準備が整ってない、なんてのは、言い訳にもならないよ。今この場で、南さんが、検査に合格しないと、セクシーショーが、そもそも成り立たなくなっちゃうのよ」
 なぜか、話の流れが、今一つはっきりと見えてこなかった。それに、知りたいとさえ思わない。ただ、この世で、もっとも怖ろしい部類に入るであろう事態に、自分は直面させられている、という点だけは、頭の端のほうで理解していた。
 涼子は、今一度、超自然的な存在にすがりたくなり、おもむろに宙を仰いだ。
 神様……。わたし、何か悪いことを、しましたか……?
 いや、よくよく思い返せば、これまでの人生で、たくさん、人を傷つけたり、思い上がった振る舞いをしたり、また、親や教師には、口が裂けても言えないようなことを、陰で行ったりもしたと、自分の罪深さを痛切に感じる。クラスメイトの滝沢秋菜からも、腐りきった人間だというように、非難を浴びたではないか。それに、先ほどは、神様なんていないと、その存在を否定すらした。
 ごめんなさい、神様……。こんな不埒な人間である、わたしを、どうか許し、そして、助けてください……。
「さっ、そろそろ、検査を始めるよ。まずは……、一番、約束を守ってるか怪しい部分の、腋毛から調べる。南さん、両腋が見えるように、両手を、頭の後ろで組んで」
 香織が、傲然たる口調で言った。
 視界の右隅に、闇に覆われた領域が見え始めていた。
 闇の、黒い色……。
 まさしく、それは、メラニン色素で染まった、体毛の色である。
 本当は、自分でも理解しているのだろう。現在、自分は、どのようなことを強要されているのか。
 涼子は、顔を上向けたまま、ゆらゆらと頭を左右に振り続けた。
「あのねえ、検査を受けるのは、南さんの、最低限の義務なの。ほらっ、いつも検査を受ける時みたいに、早く、両手を、頭の後ろで組んで」
 どうやら、香織は、イライラし始めたらしい。
 今や、視界の右側、半分ほどが、闇に、黒い色に、塗り潰されていた。
 自分の体の、黒い部分、つまり、体毛のイメージを、頭の中に思い浮かべる。そのうち、頭髪や眉毛など、初めから外気にさらしているものは、この際、関係ないとして除外する。だが、そうすると残るのは、どれも、同性同士だろうと、決して見せるにふさわしくない種類の、体毛だけである。あろうことか、これから、その生え具合を、香織たちに調べられるらしい。香織たち……。むろん、そこには、滝沢秋菜と足立舞の二人も含まれているのだ。その情景を想像したとたん、涼子は、脳髄まで揺れ動くほど震かんした。
「やっ……、やっ……、ややっ……、やっ……、やあ……」
 またぞろ、意思とは無関係に、声帯が震えだした。
「やあ、じゃないのよ……。処理をしてないなら、腋の状態を、あたしたちに見せられるでしょ……? それとも、まさか、あたしたちとの約束を破って……」
「やああああああああああああがががが……」
 涼子は、自分の耳にも、やかましく聞こえるほどの声で、香織の発言を遮っていた。
 香織は、つっ、と舌打ちした。
「だんだん、むかついてきたんだけど……」
 そう口にし、競歩のような足取りで、こちらに歩いてくる。
 涼子は、ほとんど錯乱状態におちいっており、自分の体に、逃げ出すという指令すら発せられない有様だった。
 香織は、そんな涼子の、すぐ目の前に立った。
「どういうつもり……? まさか、あんた、腋毛を、剃ったり抜いたりして、処理したんじゃないでしょうね?」
 年頃の女の子ならば、誰しもが、当たり前に行っていることなのに、自分は、それを禁止されているという、不条理さ。
 しかし、涼子は、不服を言うつもりなど、毛頭なく、逆に、冤罪をかけられた者が、無実を主張するがごとく、潔白であることを懸命に訴える。
「……しょっ、処理なんて、わたしっ、してないっ。お願いだから、わたしのことを、信じてぇっ」
 実際、その言葉は、八割方、本当のことだった。
「信じるとか、信じないとかの話じゃなくてさ。処理は、してない。後ろめたいところは、何もない。そう言うんなら、正々堂々と、検査を受ければいいの。あんた、今までに、腋毛の検査は、何度も経験済みなんだから、もう、慣れっこでしょ? どうして、今日に限って、そんなに必死に拒否するわけ?」
 香織は、白々しい口調で問うてくる。
 涼子は、顔中の筋肉が、中央に寄るのを感じた。今、自分の顔は、梅干しのように、しわくちゃに見えることだろう。
 やがて、香織のつり上がり気味の目が、かっと見開かれた。それに続き、どう猛なサメがエサに食いつくみたいに、その口もとが大きく歪み、歯茎がむき出しになる。まさに、怪人そのものという顔つきだった。
「ひょっとして……、腋毛の検査に、抵抗があるっていうより、両腕を上げたら、今、両手で押さえてる、そこを、隠せなくなるってことが、最大の問題なの? これまでとは違って、滝沢さんと舞ちゃんも見てるからねえ……。やっぱり、南さんにとっては、滝沢さんと舞ちゃんに、ま○こまで見られるなんて、血ヘドを吐きそうなくらい、恥ずかしいことなの? ねえ、そうなの?」
 言葉の端々から、涼子の、血の一滴まで吸い尽くそうという意思が伝わってくる。
「いやあぁぁぁ……」
 涼子は、身も世もなく声をこぼした。
「いや、じゃ、わからないでしょ!? 恥ずかしいのかって、訊いてんだから、それを答えなさいよっ!」
 香織は、かんしゃくを起こしたように声を荒らげる。
 視覚も……、聴覚も……、自分の体から取り除いてしまいたい。いや、今ここで、五感のすべてを失い、そのまま、貝のような生き物になれたら、どんなに安楽だろう……。
 涼子は、そんなふうに感じながら、視線をさまよわせた。というより、眼球が、ぐりんぐりんと、勝手に動いているかのような感覚だった。
「とっとと、この腕を、上げろって言ってんのよ!」
 香織が、右手を伸ばし、涼子の左腕を、乱暴につかんできた。
 左の手のひらが、恥部から引き離されそうになる。
「いやややややあああああああああっ!」
 涼子は、半狂乱になって叫び、香織の手を振りほどくべく、暴れ馬のように全身を左右に振った。
「あんたっ、いい加減にしないと、滝沢さんがやったように、あたしも、顔、本気でぶっ叩くよ!」
 香織は、怒気をみなぎらせ、なおも、涼子の左腕を、無理やり引っ張り上げようとしてくる。
 ところが、その時、思いがけぬ声が、この空間全体に響き渡った。
「ひどいっ!」
 空気を裂く鋭い声が、耳朶を打ち、涼子も、香織も、動きを止めた。
 一刹那、遅れて、竹内明日香が発した声だと気づいた。
「ひどい! 香織っ! いくらなんでも、りょーちんが、かわいそうっ!」
 長いこと、傍観しているだけだった明日香が、突然、火を吹くような勢いで怒鳴ったのだった。それから、いつになく、いかめしい表情で、こちらに、つかつかと近づいてくる。
 香織は、呆気に取られた様子で、涼子の左腕から手を離した。
「えっ、なによ、明日香、急に……」
 その声には、動揺が滲んでいた。
「りょーちんだって、滝沢さんや舞ちゃんにっ、ま○こまで見られるなんて、そんな恥ずかしいこと、耐えられないに決まってんでしょっ!」
 明日香は、苛烈な口調で、さらに畳みかける。
 どういう風の吹き回しか、明日香が、仲間である香織を、厳しく責め始めたのである。
 香織は、明日香の剣幕に怯んだらしく、決まりが悪そうにうろたえている。
「だって、しょうがないじゃない……。南さんの、腋毛の検査をしないことには、何も始められないんだから……」
 明日香は、香織の言葉を無視し、こちらに歩いてくる。
 今、漂っている雰囲気からすると、どうも、香織と明日香が、互いに対立する、という芝居を演じているわけではないらしい。
 つまり、香織にとっては、想定外の事態が発生したことになる。
 涼子の目の前に、香織と入れ代わる形で、明日香が立った。
 明日香の眼差しには、涼子への憐憫の情が、色濃く表れているように見える。
「香織ったら、ホント、ひどいねえ……? あたしぃ、りょーちんが、かわいそすぎて、もう、見てられなくなった。これ以上、りょーちんにぃ、つらい思いは、させられないっ」
 その口調は、彼女らしくなく決然としていた。
 涼子は、かすかながら、心の扉が緩むのを感じた。
 ひょっとして、香織とは違い、明日香のなかには、人としての最低限の良心が、まだ残っていたのだろうか……?
 しかし、あの冷血なサディスト、竹内明日香のことである。彼女の言葉を、うのみにするべきではないと思う。とはいえ、今の涼子には、ほかに、すがれそうな者など、誰もいないのだ。
「ねえ、明日香ぁ……。お願ぁいっ。もう、こんなこと、やめてっ。おかしいよっ、こんなの……。何もかも、狂ってる……。わたし、このままだと、本当に、心も体も壊れて、一生、その後遺症に苦しみながら、生きていかなきゃならない気がするの。それを考えると、わたし、すっごく怖い……」
 涼子は、わななく声で言いながら、明日香に、思わずにじり寄る。
 すると、明日香は、慈悲を示した。その両手をこちらに伸ばし、涼子の頭と肩を抱き込んでくれたのである。
「うーん、つらかったね、りょーちん……」
 涼子は、つかの間、逡巡した。
 このまま、明日香に心を委ねるのは、果たして、正しいことなのか……。
 だが、いずれにせよ、ここで、明日香に救われないのなら、もう、自分は、それこそ、お終いなのだ。つまり……、香織の思うままに、なぶり尽くされ、その過程で、まず間違いなく、まともな人間ではなくなる。脳裏にちらつくのは、地面に転がったまま、生気を失った目で、虚空を見つめ、口からは、よだれを垂らし、人間というより、人型の肉塊と化した、自分の姿である。
 やだよ……。ありえない……。そんな自分の未来図は、とても直視することができず、そのせいか、まったく根拠はないけれど、きっと、わたしは、なんらかの形で助かるはずだ、と思う。
 ならば、信じよう。信じるしかない。目の前の、この女を。
 涼子は、思い切って、額を、明日香の左肩にのせた。そのようにして動きを止めると、自分の体が、がたがたと震え続けていることを、一層、強く実感させられる。
 壊れかけの、わたしの、体……。
 汗まみれの肩を、明日香の、ひんやりとした手のひらで、そっと撫でられる。
「香織ぃ! りょーちんの体、すごい震えてるっ! りょーちん、心が壊れるくらい、怖がってるんだよっ! ちょっとは、りょーちんのことも、考えてあげなよっ!」
 涼子の耳もとで、明日香は、ふたたび、香織に向けて、痛烈な非難の声を響かせた。
「でも……、それじゃあ、セクシーショーは、どうすんのよ。せっかく、舞ちゃんも、スペシャルゲストとして、来てくれたのに……」
 香織は、ぶつくさと不満を漏らす。
 ふざけるな。なにが、セクシーショー、だ。
 明日香の体からは、花を思わせるような、ふんわりとした香りが、鼻腔に流れ込んでくる。涼子は、明日香に悟られないよう、静かに、その空気を肺に取り入れていた。いかにも、清潔感あふれる女の子らしい、いい匂い。それに包まれるだけで、こんなにも気持ちが安らぐなんて、初めて知った。なんだか、何時間でも、こうしていたい、と思い始める。
 だが、明日香が、つと、身を引いた。
 額が離れ、涼子は、一抹の不安を覚えながら、明日香の顔に目を向ける。
 すると、明日香は、心配いらないよ、とばかりに、今度、その両の手のひらを、涼子の両頬に優しく当ててきた。
 そうして、二人は、幼い頃からの親友同士のように、顔を見合わせる。
 よく見ると、意外にも、明日香の瞳に、湿り気が含まれていることに気づく。その瞬間、涼子の胸の内には、明日香が、本気で、この自分のために、心を痛めてくれているのだと、確信が芽生えた。
 明日香は、涼子の瞳をのぞき込むように、さらに、ぐっと顔を近づけてくる。
 涼子は、どきっ、としてしまった。
 今や、明日香に対する否定的な感情は、すっかり取り除かれていた。それゆえ、視界いっぱいに迫った、抜群の美貌には、心からの感嘆を禁じ得ない。
 骨や肉で構成されているとは、とても信じられないくらい、端麗な目鼻立ち。人の顔というより、きらびやかなガラス細工を目の当たりにしているかのような、そんな錯覚を抱かされるのだ。また、その肌は、永久に、汗のしずくひとつ滲み出ないのではないかと思うほどの、透き通るような白さに覆われている。
 この子、なんで、こんなに綺麗なんだろう……。
「りょーちん……。滝沢さんと舞ちゃんにぃ、ま○こまで見られるのがぁ、耐えられないんだよねっ?」
 夜桜すらかすむほどの美少女の口から、唐突に、下品な言葉が飛び出したので、涼子は、軽く面食らった。
 ま○こ……。その発音が、あまりに明瞭だったせいか、逆に嘘っぽく聞こえ、もしかして、彼女のほうは、体のどこを探しても、そんなものは、見当たらないのではないか、という思いが、脳裏に浮かぶ。こんな発想が生じること自体、自分の精神が、すでに病的な状態にある、証拠なのかもしれないが。
 でも、わたしの体には、それが、ちゃんとある。なにしろ、今、その部分を、直接、手で触れているのだから。両の手のひら全体に伝わる、ごわごわとした陰毛の感触。それに、そこに注意を向ければ、恥丘の肉が、こんもりと盛り上がっている様も、目で見るように確認できる。
 こんなところ、絶対に見られたくない……。滝沢秋菜にも、足立舞にも。いや、誰にも見られたくない。もちろん、明日香、あなたにも。
「そうでしょっ? 滝沢さんと舞ちゃんにぃ、ま○こまで見られるなんて、そんなの、耐えられないんだよねっ? そうだよねっ?」
 明日香は、念を押すように、もう一度、そう訊いてきた。
 滝沢秋菜と足立舞の、二人の目を、特別、意識してしまうということ。
「うっ……、うっ……、え、う……」
 涼子としては、公然と認めるのに、ためらいを感じる質問だった。
 そのため、それに返答するのではなく、自分の望みを、率直に口に出すことにする。
「あのっ、それでさ……、お願いだから、明日香のほうから、吉永さんのことを、なんとか、説得してもらえないかな? もう、こんな、人をなぶって遊ぶようなこと、やめようって……。お願いっ。わたし、明日香だけが、頼りなの……。ねっ?」
 明日香は、涼子の必死の哀願を、うん、うん、とうなずきながら、真剣な顔で聞いてくれた。
 それからも、涼子は、自分の両頬を包み込んでいる明日香と、親友というより、もはや、深く愛し合う恋人同士のような至近距離で、黙ったまま、目と目を合わせ続ける。明日香が、今にも、額を、こつんと当ててきそうな雰囲気である。もし、そうされたら、自分は、どのような反応を返せばいいのだろう……。
 そんなことを考えていると、明日香の息が、顔にかかってきた。しかし、今は、ちっとも不快ではない。そればかりか、明日香は、吐く息までも澄んでいるなと、大いに感心してしまう。
 そこで、遅まきながら自覚する。今、自分は、欲情している人間のごとく、明日香の顔に、はしたなくも、荒々しく息を吐きかけ続けている……、と。そのとたん、口臭にまで気の回らなかった自分を、深く恥じ、涼子は、ぴたっと口を閉じた。そして、すねるような心持ちで、唇をすぼめる。
 だが、そうすると、今度は、自分の体が発する、汗の臭いが、無性に気になって仕方なくなる。
 香織からも、さゆりからも、極めつけには、秋菜からも、体臭のひどさを指摘されたのだ。それに、粘っこいあぶら汗が、体中を覆っていることは、涼子自身が、一番よくわかっている。
 この距離で、明日香が、涼子の体から、臭気を感じ取っていない、という可能性は、残念ながら万に一つもないだろう。
 視界いっぱいに迫った、少女の顔を、美しいと思えば思うほど、また、その体の清潔さを、感じれば感じるほど、自分も、同じ思春期の女の子として、女子のたしなみ、というものを、嫌でも意識してしまう。だが、それを意識し始めると、目の前の少女と、今の自分との格差が、いよいよ生々しく浮き彫りになり、胸を掻き毟りたくなるような劣等感に襲われる。
 恥ずかしい……。
 涼子は、自分のことながら、女の子にとって、こんなに残酷なことが、ほかにあるだろうか、と思わされていた。
 しかし、明日香は、涼子の体の臭気など、気にも留めていない様子で、おもむろに言った。
「あたしはぁ、もう、りょーちんの、味方だよぉ。りょーちんのことはぁ、あたしが、守ってあげるぅ」
 涼子は、それを聞いて、不覚にも、安堵の涙をこぼしてしまいそうになった。五人の生徒の前で、自分ひとり、全裸姿にさせられているという、惨劇の被害者の身であるにもかかわらず。
 わたしは、神様に、見捨てられていなかったんだ……。
 明日香、あなたは、地獄に降り立った天使よ……。
 目の前の、フランス人形のような美少女は、続けて口を動かした。
「りょーちん、心配しないで、腋毛の検査、受けてだいじょーぶだよぉ。りょーちんの、ま○こ、滝沢さんと舞ちゃんに、見られないようにぃ、あたしがぁ、後ろから、押さえててあげるからぁ……」
 涼子は、きょとんとなった。
 えっ……。
 次の瞬間、明日香が、こちらに、唇を突き出したのを目にした。
 まばたきをする間のことだったが、唇に、ぷにっ、と柔らかな感触を味わった。
 涼子は、愕然として目をむく。
 女同士の接吻。
 明日香は、そうして、涼子の両頬から、両手を下ろした。
 以前にも、虚を突かれて、明日香に、唇と唇を合わされたことがある。あの、記憶から消し去りたい体験。それが、またしても再現されたのだ。
 気持ち悪さと、気まずさ。
 しかし、今は、その余韻も、さして残らないほど、頭の中で、疑問の念が加速度的に膨らんでいく。
 後ろから、押さえる……?
 涼子は、まだ、目の前の明日香の顔を、茫然と見つめていた。
 すると、だんだん、明日香の瞳に、悪意、それも、底無しの悪意が宿っていく印象を受けた。それと同時に、明日香は、スローモーションのように、ゆるゆると身をかがめ始める。
 逃げろ……!
 本能が、全身に指令を発する。
「……えあっ、やっ、やっ、やっ、や、や、やややっ」
 涼子は、即座に、その場から離れようと脚を動かした。
 が、その時には、明日香の両腕が、素早く背後から回ってきて、涼子の胴体に絡みついたのだった。
「やっ! やあぁぁっ!」
 涼子は、驚愕の悲鳴を発し、両手で恥部を押さえた体勢のまま、明日香から逃れるべく、体中の力を振り絞って走り出そうとした。しかし、背中に、明日香が、がっちりと抱きついているため、早足で歩くことすら難しい。二、三メートルほど、ずりずりと明日香の身を引きずって進んだが、それが、体力的な限界で、足を止めざるを得なくなった。
「えっ、やだ……! 明日香、なに? わたしのこと、騙したの!? ちょっと、離してよおぉぉ!」
 涼子は、地団駄を踏むように、どたばたと脚を動かした。
「騙してなんかないよぉ、りょーちん。あたしが、りょーちんの、ま○こ、しっかりと押さえて隠しててあげるからぁ、安心して、両方の腕を上げてぇ」
 明日香は、人なつっこい口調で言いながら、両腕の位置を下げていく。ほどなくして、その、ほっそりとした両手が、涼子の下腹部に到達した。
 押さえる。
 その言葉の意味するところを、涼子は、ようやく、はっきりと理解させられた。
 信じがたいことに、涼子の両の手のひらと、恥部との隙間に、明日香は、両手の指を差し入れようとしてきたのである。
「ちょっ! ちょっ! ちょっと待ってぇぇっ! 本当に、なに考えてんのよぉっ、あんたはぁぁぁぁっ!」
 涼子は、両の手のひらを、一分の隙もなく恥部に押し当てたまま、命がけの修羅場さながらに取り乱し、怒鳴り声を張り上げた。
「遠慮しないで、いいんだよぉ、りょーちん。ま○こ隠すのはぁ、あたしに任せてっ。同じバレー部、キャプテンとマネージャーの仲じゃなーい。お互いにぃ、どんなことでも、協力し合わないとねぇ」
 今、明日香の両の手のひらは、涼子の両脚の付け根に、べったりと張りついている状態である。
 この、竹内明日香という変態女を、一瞬でも信じてしまった自分は、世界一の大馬鹿者だ……。
 涼子は、自分の救いようのない愚かさを、心の底から悔やんでいた。
 ぎゃはははははははっ、と香織の汚い笑い声が響く。
 香織は、こちらを指差しながら爆笑しており、また、隣のさゆりも、腹を抱えて身を揺すっていた。どうやら、明日香の大胆不敵なやり方が、二人にとっては、よほどツボにはまったらしい。
 先ほど、香織は、明日香の、鬼気迫る演技の前に、冷や水を浴びせられた様子だったが、今では、それが嘘のような上機嫌ぶりを見せている。
「南さんさあ……、明日香の、せっかくの好意なんだから、ありがたく受け入れればいいでしょ? そうすれば、腋毛の検査をしてる間、滝沢さんと舞ちゃんに、ま○こまで見られる心配は、なくなるんだから。いったい、なにを遠慮してるわけ?」
 涼子は、両の手のひらで、恥部を、というよりも、正確には、Vゾーンの陰毛部分の全体を、まさしく死守している状況だった。だが、明日香のほうも、両手の指で、涼子のそのガードを、左右両側から、執拗にこじ開けようとしてくる。
 吉永香織。竹内明日香。石野さゆり。
 過去、この三人には、気が変になるほどの恥辱を、数え切れないくらい味わわされてきた。
 主犯格であり、また同時に、涼子に関する、あらゆる企ての筋書きを練っていると思われるのが、吉永香織である。
 しかしながら、思い返せば、曲がりなりにも同じ女である以上、守るはずの『一線』を、最初に踏み越えてくるのは、いつも、この、竹内明日香だった、という気がしてならない。
 そして、今現在も、ふたたび、それが繰り返されようとしているのだ。
 だが、今回ばかりは、どう考えても、これまでとは次元が違う。どう考えても……。
 竹内明日香は、変態だ。それは、晴天の空の色は、青い、と表現するのと同じくらい、考えるまでもなく断言できることだった。しかし、だとしても、である。その明日香にしたって、毎日、学校に通い、ほかの生徒たちと同じように、学んだり笑ったり、時には怒ったりして、この多感な時期を過ごしているのだ。見たところ、親密に付き合っている友達も、大勢いるらしい。テストは、赤点だらけ、という話を聞いたこともない。ただ、彼女の、ウェーブのかかった茶髪だけは、校則的に問題であるだろうが……。つまり、本性が、どうであれ、表向きは、普通の女子高生であることを装うだけの、常識的な判断能力は、きちんと備わっていることを意味している。
 今、明日香が行おうとしているのは、そのような少女であれば、自分の体面のことを考え、はばかるのが当然の行為なのだ。明日香自身も、その程度のことは、頭のどこかでわかっているはずだった。
 涼子は、いちるの望みをかけて口を開いた。
「ねっ、明日香……。少しだけ、耳を傾けてくれる……? なにこれ、明日香……。人の、こんなところ、触ろうとしてくるなんてさ、まともな女の子の、やることじゃないよね? 自分でも、キモい、って思わない? はっきり言って、今の明日香、狂ってるよ……。まあ、わたしからすれば、ここにいる全員、普通じゃない気がするんだけどさ。あっ、滝沢さんだけは、別ってことね……。ただ……、今の明日香は、その中でも、とくに、変……。変態、なんてものじゃない。なんていうか……、言い方は悪いかもしれないけど、性的異常者っていう感じ……。でも、でも、わたし、普段から、明日香のことを、間近で見てるから、明日香が、そんな子だとは、とても思えないの。お願いだから、冷静になって? ね? ね?」
 どやしつけたい衝動を押し殺し、小さな子供を相手に、優しく教えさとすような口調で語りかける。
 言い終えても、明日香は、なんら返事をしなかった。ただし、涼子の両脚の付け根に押し当てられた、その両手は、動きを止めていた。もしかすると、涼子の指摘が、胸に突き刺さったのだろうか。
 涼子は、その静けさを、逆に不気味に感じながらも、明日香が、自らの行いを恥じて引き下がることを、全霊で祈っていた。
 だが、後ろから返ってきたのは、涼子の希望を打ち砕く言葉だった。
「ダメェ!」
 明日香の、一喝するような声を、背中に浴びた。
「腋毛の検査を受けるのはっ、りょーちんの、義務でしょっ! 義務なんだから、早く、両方の腕を上げなさいっ!」
 そうして、明日香の両手が、涼子のガードの下に入り込もうとする動きを、猛然と再開した。
 やっぱり、神様なんて、いなかった……。
 暗い海に落ち、荒れ狂う海流に、押し流されていくかのごとき恐慌。
 自律神経が、体内の機能を調節する能力を失ったのか、体全体の表皮細胞が、熱く煮えたぎっているような感覚があり、体中の毛穴という毛穴から、あぶら汗が、これまでにない勢いで、どろどろと噴き出してくる。もはや、涼子の肉体は、まるで、頭から油を引っ被ったように、汗みどろの状態になっていた。
 わたし……、体は、もう立派な大人で、人並み以上にパワーもあるけど、まだ、未成年の女の子なのに……。どうして、社会的にか弱い存在である、わたしが、こんなふうに、むざむざと、なぶり者にされないといけないの……? こんな狂った世の中なら、もう、生きている意味などない。いっそ、地球ごと、爆発してしまえばいいのに。そうすれば、わたしだけではなく、この場にいる女たちも、それに、この世で、今この瞬間、当たり前のように、幸福な時間を過ごしている者たちも、みーんな消し飛ぶ。それが、今のわたしにとっての、一番の願い……。
 涼子の魂は、どんどん暗黒面に墜ちていく。
 人間は、極限状態に追い詰められると、生きとし生けるものすべてを憎む、醜い怪物に変わるのだと知る。しかし、それでいて、恥部を、圧迫するように押さえているためか、自分は、女である、という意識だけは、むしろ強まる一方だ。
 やがて、ひとつの結論に達した。いくら、まっすぐな心は失っても、女としての誇りまでは捨てられない。
 涼子は、奮い立つような思いで、両の手のひらに全神経を注いだ。今や、明日香の両手の指先は、涼子の陰毛に触れるか触れないかという、極めて際どい位置にある。だが、単純な腕力という点で比べるなら、涼子にとって明日香など、幼子も同然なのだ。だから、涼子が、気を抜くことさえしなければ、このガードを外される可能性は、まずあり得ない。このまま、膠着状態が続けば、先に、気力も体力も尽きるのは、明日香のほうだ。それまで、ひたすら耐え忍んでやる……。
 しかし、そう考えていた矢先、恐るべき誤算が生じた。
「よいしょっと」
 それまで、涼子の背中に抱きついている格好だった明日香が、本腰を入れるように、両手の位置は変えぬまま、出し抜けにしゃがみ込んだのだ。
 後ろを見て確認するまでもなく、今、ちょうど、涼子のおしりと同じ高さに、明日香の顔がある。それも、伝わってくる気配からすると、その間隔は、親指と人差し指で測れるほどしか開いていない。つい数分前まで、お互いの息遣いを感じる距離で、顔と顔を見合わせていた、涼子と明日香の二人。しかし、今は、明日香のあの、きらびやかなガラス細工のごとき美しい顔が、涼子の、あぶら汗のしたたり落ちんばかりの、おしりに、それこそ息がかかるほど接近しているのだ。
 現在のその、ありうべからざる状況を認識したとたん、涼子の脳は、一時的に、機能不全の状態におちいった。
 やだやだ、やだやだ……。
 超至近距離で、むき出しのおしりを見られている、という屈辱感もさることながら、ひとりの女の子として、何より気になること。
 そして、その直後、涼子の不安は、最悪の形で的中した。
「りょーちんのおしり、くっさぁぁぁ! なにこの臭いっ! くっさぁぁぁ! マジで、くっさぁぁぁぁぁっ!」
 明日香の放つ一語一語が、ずどんずどん、という物理的衝撃のごとく、脳天まで突き上げてくる感覚だった。まさしく言葉の暴力である。しかも、明日香は、そう叫びつつも、涼子のおしりの割れ目に、さらに鼻を寄せ、鼻水をすするような大きな音を立てながら、思いっ切り、その臭気を吸い込んできた。
「いやあああああああああああああああああああああ!」
 涼子は、絶世の美少女に、自分の便臭を嗅がれているという、死の恐怖にも似た恥ずかしさに襲われ、天まで届くような絶叫を発した。
 明日香は、そんな涼子の反応を見て、ころころと笑い声を立てる。
 もはや、涼子としては、恥部を守ることのみに、神経を集中していられる状況ではなくなった。
 おしりの筋肉を、力一杯、引き締める。むろん、肛門の臭いが、おしりの割れ目から外に漏れ出るのを、最小限に抑えるためだ。しかし、それでも、十センチかそこらしか離れていない、明日香の鼻には、腐った生ゴミよりひどい悪臭が、絶え間なく流れ込んでいるものと思われる。
 今では、意識の大部分が、むしろ、おしりの側に向けられていた。
「りょーちーん。いつまでも、そうやって、強情に、両手をどかさないでいるとぉ、あたし、りょーちんの、おしりの割れ目の中に、鼻、突っ込むよぉ。そんでぇ、おしりの穴にぃ、鼻、くっつけてぇ、りょーちんが、拭き残した、うんこの臭い、直接、嗅い・じゃう・ぞっ」
 明日香は、歌うような調子で、その狂気に満ちたセリフを吐く。
 涼子は、髪の毛の全体が、強風に煽られるような感覚を覚えた。
 自分の体のあらゆる臭いが、とかく気になる、年頃の女の子にとって、明日香のその脅しは、生命の危機の、その次くらいに怖ろしい内容だという気がする。
 それだけは、いや……。それだけは……。
 いったい、わたしは、どうしたらいいんだろう……?
 涼子の心に、迷いが生じた。そして、その迷いは、肉体的にも、隙、として現れた。
 明日香は、それを、敏感に察知したらしかった。その両手の指は、チャンスとばかりに、凶暴な勢いで、涼子のガードの下に攻め入ってきたのである。
 やや意表を突かれた形となり、涼子は、両手に力を入れ直すと同時に、脊髄反射で腰を引きそうになる。が、すんでのところで、両脚を突っ張るようにして、下半身の動作にブレーキをかけられた。危うく、清潔さとは、ほど遠い状態の、自分のおしりを、明日香の顔面に押しつけるという、大惨事に至るところだった。
 しかし、今の、一瞬の隙が、致命的な結果を招いたことに変わりはない。
 涼子のガードの、一番、外側、つまり両手の小指側の、その下に、明日香の左右の親指が、わずかに潜り込んでいる。すでに、陰毛の茂みの端に、明日香の指が被さっている状態である。要するに、とうとう、ガードをこじ開けられてしまったのだ。
 明日香の左右の手は、それにより、勢いづいたかのように、両の親指を、涼子の手のひらの下に、ずっぽりと入れると、続いて、人差し指をも、強引にねじ込んできた。蒸れに蒸れた下腹部の上で、涼子の陰毛が、明日香の指に擦られ、ぞりぞりという音がする。
「うっ、うっ、えうっ……、うえうぅ……」
 涼子は、溢れそうになる涙を堪えながら、明日香のその、蝋のように白い両手を、穴のあくほど凝視した。
 一思いに、その指をへし折ることができたら、どんなにいいだろう。
 たとえ、それは、叶わぬ願望だとしても、せめて、明日香の手を、自分のデリケートゾーンの外側に、力ずくで押し出したい。だが、そのような、強引なやり方で抵抗したがために、もしも、明日香の指をひねるなどして、怪我を負わせてしまったら、どうなるか……。わかりきったことである。自分の高校生活が、終焉を迎える、そのカウントダウンが始まるのだ。どんなに苦しくても、いや、かりに、この心と体が壊れても、自分の人生、それだけは奪われたくないと、切実に思う。要するに、涼子にできるのは、これ以上、明日香の手に侵入されるのを阻止するべく、ひたすら守りを固めることだけなのだ。
 しかし、涼子の守備は、すでに半壊しており、せめぎ合いの趨勢は、ほぼ決しているも同然だった。
 明日香の左右の手の、その中指までもが、涼子の手のひらの下に、ずずっと潜り込んでくる。
 それにしても、と涼子は思う。
 この女は、同性の陰毛なんかに、じかに触れて、汚い、とは思わないのだろうか……?
 涼子としては、明日香のその神経が、心底、不思議でならなかった。
 だが、明日香は、衛生面のことなど、まったく気にしていないらしく、その左右の手は、非力ながらも、うねるような荒々しさで、涼子の、べたべたの陰毛を押しつけながら、下腹部の中心へと突き進んでくる。まるで、人間の手というより、なにか、グロテスクな生き物の触手が、涼子の体内に入るべく、恥部の奥にある穴を目指して、蠕動しているかのようである。
 涼子は、その、あまりに現実離れした、おぞましい光景を見下ろしながら、脳裏で、希望の光が、目くるめく花火のごとく弾け飛ぶのを、まざまざと目の当たりにした。そして、光の最後の一粒まで消えると、自分の内なる世界は、漆黒の闇に閉ざされた。
 その後は、もはや、あっけないものだった。
 明日香の左右の手が、涼子の陰裂部に差しかかり、そこで、見る間に重なり合っていく。
「あっ、あっ、あわわ、あわわわわぁっ、あっはあああぁーん……」
 まさに、真の絶望に至った人間の声が、涼子の口から出る。
 かくして、涼子の死守していた、Vゾーンの陰毛部分は、明日香に、文字通り掌握されたのだった。
 涼子は、右手の指先で、明日香の手の甲を、ぺしぺしと叩く。むろん、明日香に、決して痛みを与えない程度の強さで。果たして、その行為に、なんの意味があるのか、自分自身にもわからなかった。
 両の手のひらの下で、明日香の両手は、なおも、もぞもぞと動き続ける。なにやら、涼子のVゾーンの、逆三角状に広く茂った陰毛全体を、可能な限り覆い隠すべく、手の位置を微調整しているらしい。ほどなくして、その手の動きが止まった。
「よし! りょーちん、準備は、オッケーッ! もう、両手を離して、だいじょーぶ、だよーん。さ、あたしが、こうして押さえてるうちに、腋毛の検査を受けるんだぁ!」
 明日香が、陽気な声で言ってくる。
 今や、涼子の両手は、なんら役目を果たしていない状態だった。手に力を入れれば入れるほど、明日香の手のひらを、自分の恥丘に、ぎゅうっと強く押しつけることになり、その結果、陰裂の内側に秘められた性感帯までもが、圧迫による刺激を受ける。逆効果でしかないのだ。
 だが、それを理解してはいても、自分の両手を、そこから離すことはできなかった。どう表現すればいいのか、感情の問題を通り越して、脳が、腕を上げるという動作を行うための、その指令の発し方を忘れているような、そんな感覚なのである。
 香織が、愉快さに酔いしれた表情で、こちらに、右手の人差し指を向けた。
「南さーん。それ、それ……、あんた、自分から、明日香の手に、ま○こ、こすり付けたがってるようにしか、見えないからっ。そんな、レズの淫乱みたいなことしてないで、早く、両手を、頭の後ろで組んで。じゃないと、いつまで経っても、終わらないんだよ? まあ……、明日香の手で、ま○こが、濡れ濡れになるくらい、感じていたい、っていうなら、ずっと、そうしててもいいけど」
 終わらない……。
 そうなのだ。
 自力で、明日香の手を、恥部から引き剥がせない以上、この状況から解放されるには、もはや、香織の要求に従うほかないのだ。
 まるで、世界で、一番、苦手な生物の肉を、無理やり喉に流し込むかのような思いで、どうにか、その、自分の置かれている現状を受け入れる。が、すると今度は、頭の片隅に、薄ぼんやりと疑問の念が浮かんだ。
 本当に、明日香は、しっかりと隠していてくれるのだろうか……?
 いや、断じて、明日香に、恥部を押さえていてほしいと、そう願っているわけではない。むしろ、それとは真逆で、自分の体の性的な部分を、他人に、触れられているのと、見られているのとでは、後者のほうが、よっぽどマシだと思っている。きっと、誰もが同じ答えだろう。当たり前のことだ。しかし、滝沢秋菜と足立舞の、二人の目を意識すると、どういうわけか、その普遍的な観念が、根底から揺らぐような感じがするのだった。
 そこで、つと思う。
 そもそも、現時点で、ちゃんと隠れている、といえる状態なのだろうか……?
 涼子は、無用の長物となっている、自分の両手を、こわごわ、そこから、わずかばかり離し、下腹部に目を落とした。
 すると、明日香の両手からはみ出た、数え切れないほどの量の陰毛が、目に飛び込んできた。逆三角状に広く茂った陰毛部分の、上辺に沿ったラインである。だが、明日香のその、手の置き所が、理想の位置から大きくズレている、というふうにも見えない。つまり、明日香の手の大きさに、問題があるのだ。涼子の手に比べると、指にしろ甲にしろ、とにかく、ほっそりとしている。そのため、涼子のコンプレックスである、岩礁に着生した海藻のように広範囲にわたった、Vゾーンの陰毛部分を、完全に覆い隠すのは、まず不可能に近い模様である。
 陰毛のはみ出た下腹部を、この場でさらけ出すことを思うと、背筋に、ぞわぞわとしたものが走る。
 しかし、こうして、羞恥心に縮こまっていても、明日香の手に、恥部を押さえつけられている時間を、いたずらに長引かせるだけなのだ。このままだと、自分は、それこそ本当に、心身崩壊してしまいそうだと、危機感が募ってくる。この状況から解放されるなら、なんだってやる……。
 今すぐ、両腕を、上げるんだ。
 頭に血を昇らせるような感覚で、脳が、自分の体に指令を発するよう、エネルギーを総動員する。
 両腕が、そろそろと上に動き始めた。あたかも、腰が砕けるほど重いものを、持ち上げている最中みたいに、激しく震えながら。
 なんとか、肩の高さまで、両腕を上げたところで、ふと、自分への情けなさが、胸の底から込み上げてきて、中途半端な姿勢のまま動けなくなった。
 いったい、なにやってるんだろう、わたし……。
 だが、そんな自分のプライドを、自分で踏みつけるようにして、涼子は、両手を、頭の後ろで組んだ。そのポーズの意味どおり、香織たちに対して、全面的な服従を示したのだ。
「はい、りょーちん、よく、できまちたぁ……。がんばったでちゅねー」
 明日香は、悪趣味な赤ちゃん言葉を用い、涼子に対して、ここぞとばかりに、さらなる辱めを加えてきた。右手の、親指と人差し指を、閉じたり開いたりして動かし、涼子の恥丘の肉を、つまんでは押し広げる、という行為を繰り返し始めたのである。
 もし、自分のおしりの真後ろに、明日香の顔がなければ、今この瞬間、涼子は、堪らず腰を引いているところだった。だが、その動作を行うことだけは、絶対厳禁であると、肝に銘じていたので、涼子の体は、それとは反対の方向に動いた。できるなら、明日香の手から、自分の恥部を遠ざけたいという意識が、強烈に働いたせいか、無駄なことだと、頭では理解していながらも、腰を前にせり出し、両手を頭の後ろで組んだまま、伸び上がるような姿勢になる。
 きゃあああああああああ、と香織が、ジェットコースターで叫ぶような嬌声を響かせる。
「恥ずかしいっ! こーっれは、恥ずかしすぎるっ! なにこれ……。他人の手による、手ブラならぬ、手パン? で、ま○こ隠してもらってるなんて。あたし、こんな無様な女、リアルではもちろん、ネットでも見たことないんだけど……。ねえねえ、南さん、教えて? ぶっちゃけ、今、どんな気分?」
 なぜか、今になって、つい先ほど、明日香から、口づけを受けたという想念が、頭をもたげ始めた。
 まごうことなき、思春期の女の子同士の、接吻。
 しかし、あの瞬間、両者の立場は、あらゆる面において対照的だった。ひとり全裸姿にさせられた上に、苦手意識を抱くクラスメイトから、暴力を振るわれ、後輩である一年生の生徒から、体を陵辱され、ずっと、がたがたと震え続けていた涼子と、その様子を、安全圏から、ただ傍観していた明日香。また、涼子が、体中、あぶら汗にまみれ、全身から臭気を発していたのに対し、明日香の体からは、ふんわりとした、いい匂いが伝わってきたという、劣等感を強く刺激される事柄までも、はっきりと思い起こせる。
 多感な年頃の女の子同士でありながらも、もはや、比べ物にもならないほどに、惨めな涼子が相手だからこそ、明日香は、照れる素振りも見せずに、キスをしてきたのである。たとえるなら、牛や馬などの家畜に、スキンシップを行う際、恥じらいの気持ちを抱く人間など、誰一人としていないのと同じである。言ってしまえば、涼子は、自分の唇に、下等生物という刻印を押し当てられたのだ。
 そして、今現在のこの状況も、本質的には、それと、なんら変わりないだろう。
 明日香は、キスだけにとどまらず、恥を恥とも思わぬ態度で、超えてはならない一線を、あっさりと越えてきた。涼子の体の、いわゆる、女の子の、一番、大事なところに、べったりと張りついた、明日香の両の手のひら。常識的に考えれば、変態、どころか、性的異常者のそしりを免れない行為である。
 にもかかわらず、涼子は、明日香よりも、むしろ、自分自身、南涼子という女のほうが、よっぽど品性下劣な人間だという、絶望的なまでの劣等意識を抱え込んでいた。なにしろ、竹内明日香は、ちっとも惨めではないのだから……。自分とは違い、女の子らしい清潔感にあふれているのだから……。また、同性でも息を呑むような、抜群の美貌を誇る少女なのだから……。それに、今、明日香に触れられている、恥部は、女の子の聖域であると同時に、人間ならば、誰しもが持ち合わせている、獣性の根源ともいうべき部分だ。そのため、明日香の指に、恥丘を撫でられれば撫でられるほど、自分の中に眠る、いやらしい欲求の存在を、見透かされているような感じがするのだった。
 しかしながら、涼子の劣等意識をかき立てる要因は、そればかりではない。
 涼子は、後ろでしゃがみ込んでいる、明日香の、鼻をすする音に、ひどく敏感になっていた。その音が耳に入るたび、明日香に、自分の便臭を、吸い込まれているような気がしてならないのだ。いや、実際にそうなのだろう。いったい、何が悲しくて、洗ってもいない、おしりの臭いを、他人に、それも、フランス人形のような美少女に嗅がれなくてはならないのか。
 恥辱という感情。
 人間は、他の動物たちとは異なり、高度な知性を基として、恥の概念を有しているため、みな、何重ものベールを身にまとった状態で、社会生活を送っている。衣類を身に着け、体の皮脂や雑菌を洗い流し、体臭を極限まで抑制し、こと排泄に関する要素は、徹底的に秘匿する。究極のところ、そうした気品こそが、人間を人間たらしめている、最大のゆえんだろう。だから、裏を返せば、その大切なベールを、人為的かつ強制的に、すべてはぎ取られた時、人は、二足歩行の獣と化すことになるのだ。しかし、獣に身を落としても、人間としての知性は残っているがゆえに、魂は、声を枯らして泣き叫ぶ。真の意味での恥辱とは、人間の、その名状し難い苦痛をこそ指すはずである。
 涼子が、今、味わっているのは、まさにその、正真正銘の恥辱だった。
 恥じらいを胸いっぱいに抱えた、思春期の女の子にとって、それは、到底、耐えられるものではなく、涼子は、まるで、捕食動物に捕らえられた爬虫類のごとく、激しく身悶える。そうして、恥と汗にまみれた涼子の肉体は、同い年の、魔性の眼差しをした美少女の腕の中で、ぶるぶると震え続けていた。
「どうしたの? 南さん。今は、何も答えたくない……? そっか。それなら、それでいいや。でもさ……、明日香に対して、何も言わないっていうのは、さすがに失礼じゃないの? 明日香は、南さんが、安心して腋毛の検査を受けられるよう、自分の手を、南さんの、パンツ代わりにしてくれてるんだよ? ありがとうの、一言くらい、言ったらどうなの?」
 香織は、今や、絶対的権力者のごとき風情を、全身から漂わせている。
「でも……、南せんぱい、まん毛の量が多すぎて、明日香先輩の手パンから、モロにはみ出しちゃってる……。なんか、むしろ、よけい卑猥な感じに見えてくるんですけど……」
 さゆりが、ふししっ、と笑う。
「こら、さゆりっ! そんなこと言ったら、南さんが、動揺しちゃうじゃない。せっかく、明日香のおかげで、腋毛の検査ができる段階まで来たのに、また、南さんに、手を下ろされたら、どうすんのよ」
 香織は、後輩の発言をたしなめ、それから、涼子のほうに顔を向けた。
「南さん、ごめん。この子の言ったことは、気にしないで。あたしたちの側から見たら、南さんは、パンツをはいてるのと、まったく同じ状態だよ。滝沢さんと舞ちゃんにも、大事なところは、全然、見られてない。だからさあ……、そんな、悲劇のヒロインみたいな、壮絶な顔してないで、なんていうか、もうちょっと、肩の力を抜いて、リラックスしたらどうなの? じゃないと、あたしたちが、まるで、悪いことしてるみたいで、やりにくいじゃない」
 現在、涼子の視界には、滝沢秋菜と足立舞の姿も、おぼろげながら映っている。
 その二人も見つめる前にあって、自分の恥部を隠しているのは、パンツでもなければ、自分自身の手でもなく、あろうことか、明日香の手なのだ。まるで、地上、数百メートルの高さにある、足場の悪い場所に、ひとり、立たされているかのような、心許なさ。
 今すぐ、明日香には、恥部から、手をどけてほしいと思っているが、それと同時に、突然、その瞬間が訪れることを、心の底から怖れてもいる自分がいた。
 窒息死しそうなジレンマである。
 その時、自分のVゾーンを押さえている、明日香の右手の位置が、じりじりと、下がり始めたのを感じた。まもなく、その何本かの指先が、明らかに意図的な手つきで、涼子の股間の下に潜っていく。涼子の胸中に、まがまがしいものが伝わってきた、次の刹那のことである。大陰唇の、陰裂部を挟む際どい部分、いわゆるIゾーンの両側を、明日香の中指と薬指に、ぐにっ、と押さえ込まれたのだった。
 それを受けて、涼子は、峻烈な恥辱に全身を貫かれた。
「トッホホホホホホホホッハハハアァァァァァーッ!」
 涼子の口から、もはや、悲鳴とも絶叫ともつかぬ声がほとばしり、この陰鬱な地下の空間全体にこだまする。
 一方、明日香は、美しい音色にでも浸っている様子で、機嫌のいい猫みたいな声を出していた。普段、ほかの生徒たちの間では、茶目っ気あふれる美少女として、絶大な人気を集めている、竹内明日香だが、全裸の涼子を、享楽の道具として与えられると、その仮面の裏にある、死神のごときサディストの顔が現れるのだった。
 涼子の身は、苦痛の凄まじさを、雄弁に物語っていた。弓なりに反り返った背中。はた目にもわかるほど、異様に張り詰めた、体中の筋肉。また、しだいに、かかとが、地面から浮き始める。両手を頭の後ろで組み、胸を大きく前に突き出しているポーズのせいもあり、涼子のその姿は、女性の肉体美を表現した、中世ヨーロッパの彫像じみた様相を帯びていた。
 ある種、芸術性すら漂う光景。
 十代の小娘たちの、憂さ晴らし的な饗宴にしては、どの角度から見ても奇怪至極であり、なにか、超自然的な力が、この場に、影響を及ぼしているかのようでもある。
 ひょっとしたら、南涼子は、人を疑うことを知らぬほど、純真な心と、高校生離れした、強靱な肉体とを、合わせ持つがゆえに、弱冠、十七歳にして、神に選ばれた存在なのかもしれない。この世のあらゆる邪気を、一身に背負うべき、聖なる生贄として。






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