第二十四章〜乙女の叫び


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第二十四章〜乙女の叫び




 あれは、ほんの一時間ほど前のことだろう。もう、あれから、何日も過ぎ去ったような感覚だが。
 体育館の館内通路での出来事が、今この瞬間、南涼子の脳裏に去来していた。
 うつ伏せに横たわり、竹内明日香の手で、マッサージを施されていた時のことである。涼子の身に着けているTシャツとスパッツは、滝に打たれたように汗で濡れそぼっている状態だった。だが、明日香は、そんなことなど意に介さない様子で、涼子の体の、とくにバレーで筋肉疲労の溜まる部分を、重点的に揉みほぐし続けた。
 その場には、不思議と、語り合えるような雰囲気が醸成されていたのだ。
 だから、涼子は、明日香の情に訴えるべく、苦しみと悲しみ、そして絶望でいっぱいの自分の胸中を、とつとつと吐露していった。
 ところが、涼子が、言いたいことを言い終えてから、まもなく、明日香の手つきが一変した。突然、涼子のおしりの肉を、ぎゅうっと押し上げてきたのである。ちょうど、ヒップアップマッサージみたいに、その動作を繰り返す。
 当然ながら、涼子は、戸惑いを禁じ得なかった。
 たとえ、スパッツの上からとはいえ、また、同性の手とはいえ、体のそんなところは触れられたくない。だが、喉まで出かかっている拒絶の言葉を、ぐっと呑み込んでいた。せっかくの和やかなムードを、なるべく壊したくない、という思いがあったのだ。
 しかし、ほどなくして、明日香の手つきが、一層、性的な意味合いの強いものに変わった。涼子のおしりの、もっとも盛り上がったところに、両の手のひらを張りつけると、爪を立てるように十本の指を動かし、ぐにぐにと、その部分を揉んできたのだ。
「んんー?」という明日香の声。
 明日香は、涼子を挑発する際、しばしば、そのような声を出す。
 それを聞いて、今、自分は、またも、明日香から性的な辱めを受けているのだと、遅まきながら悟る。
 これ以上は、我慢ならない。
「明日香、変なところ触るの、やめて!」
 涼子は、一度目の抗議の声を上げた。
 それにより、明日香の手が、ぴたっと止まった。
 二人の間に、一転、息詰まるような空気が流れるのを、肌で感じる。
 涼子は、失意に打ちひしがれていた。
 結局のところ、自分が、どれだけ心を開いても、明日香に対しては、無意味だということが、よくわかったからだ。だが、それならそれで諦めるしかない。明日香も、もう引き上げるだろうし、自分も、部室に向かうことにしよう。
 そんなふうに考えていた。
 ところが、明日香は、何を思ったのか、よりエスカレートした行為を加えてきたのである。
 そう。
 わずかに開かれた涼子の股の間に、そっと右手を差し入れてきた。そうして、恥部に触れると、スパッツ越しに、大陰唇の肉をこね回すように、指先でいじり始める。
 その瞬間、涼子は、頭の中で、紅蓮の炎が燃え上がるのを見た気がした。がばっと上体を起こし、明日香のほうに身を反転させる。そして、怒りの声をぶつけた。
「変なところ触るの、やめてって言ってんの!」
 まともな感性を持つ、ひとりの女の子として、自分は、至極、当然の反応を示したのである。
 しかし、今となっては、あの時の自分が……、あの程度のことで、明日香に、食ってかかっていた自分自身が……、妙に懐かしく思われてならない。
 スパッツの上からとはいえ、触れられたら、一瞬のうちに、忍耐の臨界点を超えた、いわゆる女の子の大事なところ。だが、今や、スパッツはおろか、パンツまでもはぎ取られ、裸出した状態の、その部分に、あろうことか、明日香の両の手のひらが、じかに押し当てられているのだ。しかも、明日香の手は、もっさりと茂った陰毛を、指で引っ張ってきたり、恥丘の盛り上がりぶりを確かめるように、Vゾーンを撫で回してきたりと、ねちっこい動作を、絶えず繰り返している。にもかかわらず、今の自分は、全力で抵抗するどころか、両手を頭の後ろで組み、服従のポーズを取ったまま、身動きひとつしないで耐えているという、この現状。
 ほんの一時間ほど前の自分には、夢想すらできなかった、まさしく狂気の沙汰である。
 主犯格である吉永香織と、性悪の後輩、石野さゆりの二人は、終始、悪霊に取り憑かれているかのような、陰険な笑い顔を浮かべていた。
「滝沢さんと、舞ちゃんも、もっとこっちに、おいでよ」
 香織が、やや離れたところに立っている二人に呼びかける。
 すると、滝沢秋菜と、足立舞も、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
 ショーを見物するかのごとく、涼子の正面に、四人が、肩を並べて立つ形となる。
 涼子は、その四人の顔ぶれを見て、今さらながら、目のくらむような非現実感に襲われた。
 最大の誤算は、涼子の『仲間』でありながら、滝沢秋菜だけは、香織の気まぐれにより、なぶり者にされる運命から逃れられたという点だ。涼子が、常日頃から、苦手意識を抱いており、距離感について悩まされていた、あのクラスメイト。
 思えば、滝沢秋菜に対しては、苦手な相手であるがゆえに、ある種の対抗心のようなものを持っていたという気がする。この子にだけは、下に見られたくない、という心理。ある時は、自分が、バレー部の友人たちと大はしゃぎしながら、いわゆる変顔を披露している最中、ふと、秋菜からも、視線が向けられていることに気づくと、そのとたん、ものすごく恥ずかしくなってしまったり。あるいは、また、体育の時間に、汗まみれになり、その格好で、秋菜のいるグループと行動を共にしていると、自分の体が汗臭くはないかと、無性に心配になったり。つまり、秋菜に、どう見られているか、どう思われているか、という気がかりが、常に頭の片隅にこびり付いていたのだ。まるで、好きな異性の目を、意識せずにはいられない、乙女心のように。
 今では、その滝沢秋菜が、しれっと加害者側に立っており、恥辱に悶える涼子の姿を、上から下まで観察している。その冷ややかな印象を放つ眼差しに、好奇の色すら湛えて。
 だが、涼子にとって、現実味がない、というより、嘘だと思い込みたいのは、今の自分と秋菜との、そんな無情なる対照性だけではなかった。
 過去、涼子に、同性愛的な好意を寄せてきた、この学校の生徒は、両手の指で数え切れないほどいる。けれども、涼子は、そんな彼女たちに、一度として、嫌悪の目を向けたことはない。なにせ、彼女たちの好意とは、やましい思いなど含まれていない、純真な感情なのだと捉えていたからだ。
 しかし、今日この場で、その認識は、足立舞の行動によって完全に覆された。
 女の子同士とはいえ、どうやら、人が人に恋心を抱くからには、その根底に、多かれ少なかれ、どろっとした欲望が沈殿している、という事実を、涼子は、身をもって思い知らされたのだ。
 すべての衣類を奪われ、全裸での屈伏を強いられている涼子を前に、舞のその欲望は、とどまることなく増幅し続けているらしい。今や、足立舞は、その幼い外見とは裏腹に、薄汚い劣情を隠そうともせず、目をらんらんと輝かせて、香織の言うところの、明日香の手による『手パン』状態の、涼子の下腹部を、食い入るように見つめていた。
 これでは、まるで、性的な事柄に興味を持ち始めたばかりの、小学生の男児の前で、自分は、裸体をさらしているかのような、そんな錯覚すら覚える状況である。
 涼子は、意図して目線を虚空に向けた。前に立つ四人の、誰とも目を合わせたくなかったのだ。
 ひるがえって、竹内明日香は、現在の自身の行為について、その滝沢秋菜と足立舞の目に、涼子の恥部を触れさせないようにするため、との理由付けをしていた。とことん人を舐めきった言い草である。明日香が、同性である涼子の肉体を、直接、自らの手で陵辱したいという、恐ろしく倒錯した欲求から、このような行為に及んでいることは、誰がどう考えても明らかなのだ。にもかかわらず、それに、黙って耐え続けている自分は、いったい、何者なのかと自分自身で思う。
 けれど……。
 もしも、明日香の両手が、次の瞬間にでも、自分の恥部から離れたなら、どうなるだろう。いや、想像するまでもない。それまでは、不本意な形ながらも隠されていた、Vゾーンに、前にいる四人の視線が、一挙に突き刺さってくるのだ。女の子の聖域であるという以上に、自分が、強烈なコンプレックスを抱えている部分を、滝沢秋菜と足立舞の二人にも、すっかりさらけ出すということ。正直なところ、それは、自分にとって、何より耐え難いことかもしれない。
 涼子は、その、見えない壁に前後から挟まれ、身も心も押し潰されていくようなジレンマのなかで、自分が、正気と狂気の間をたゆたっているのを感じていた。
「明日香、明日香、忘れちゃダメだよ。南さんは、滝沢さんのシャツを、ま○こに食い込ませてオナニーして、やらしい汁で汚した、っていう前科があるんだからね。つまり……、相当、レズっ気があるってこと。だから、気をつけたほうがいいよ。明日香に、あんまり触られてると、南さん、あの時みたいに、本気で感じ始めて、やらしい汁を垂れ流すかもよ。そうなったら、明日香の手、思いっ切り汚されちゃうでしょ」
 香織が、涼子としては、聞くに堪えないことを言う。
「ですよね……。レズって、わりと、若い女の子なら、誰でもいいから、エッチなことしたい、されたい、みたいなところ、ありそうですしぃ。南せんぱいの場合も、本命は、滝沢先輩だけど、気持ちよくしてくれるなら、明日香先輩も、アリ、とか思ってそう」
 さゆりも、下卑た性根を露わに同調する。
「そうなの? りょーちん。レズのりょーちんはぁ、あたしの手で、ま○こが、濡れ濡れになっちゃいそうなのっ?」
 明日香が、後ろから、咎めるような口調で問うてくる。
 むろん、涼子は、返事をする気になどなれなかった。
 レズだレズだというが、それならば、女でありながら、同性である女の恥部を、自ら好き好んでまさぐっている、この竹内明日香こそ、その疑惑を向けられてしかるべきである。だというのに、その穢らわしい行為の餌食となっている側の、涼子が、なぜかレズ呼ばわりされているのだ。これほど馬鹿な話が、ほかにあるだろうか。
 そこへきて、そんな涼子の恥部を押さえている、明日香の手つきが、ますます淫猥なものになり始めた。陰裂部の上端に、右手の指先をあてがい、そこを執拗にこすってきたのである。それにより、女性器のなかでも、とくに敏感な部分が、くにくにと圧迫刺激を受ける。
「うーん?」
 明日香は、いつものあの、挑発的な声を出した。
 変なところ触るの、やめてって言ってんの……!
 体育館の館内通路で、スパッツ越しに恥部をいじられた時、明日香に向かって浴びせた、自分のその言葉が、耳の奥底によみがえる。しかし、その直後、涼子の口から出たのは、意味のある言葉ではなく、喉にたんの絡んだ、ひどく汚らしい苦悶の声だった。
「アッアッアッ、アアアヴァ……、グヴァアアアアアアアアアアアッ……」
 自分の耳にさえ、それは、とても思春期の少女の口から発せられたとは思えない、野獣の唸り声じみた響きに聞こえた。
 吉永香織と石野さゆりが、顔を見合わせて、ひひひっ、と笑い合う。
 その時、滝沢秋菜が、一歩、こちらに足を踏み出し、おもむろに口を開いた。
「ねえ、南さんさあ……、あんたって、過去に何度も、吉永さんたちから、こんな目に遭わされてきたの?」
 苦笑混じりの問いかけだった。
 涼子は、それに答えることはせず、虚空の一点を、にらみ付けるように見すえていた。
「まったく、よく耐えられるわねえ。ある意味、尊敬しちゃうわよ……。率直に聞きたいんだけどさ……、あんたには、女としてのプライドってものが、ないわけ?」
 秋菜は、虫の湧いた生ゴミでも見るような、蔑みの視線を、こちらに向けてくる。どうやら、秋菜にとって、唾棄すべき人物は、同性への陵辱行為にふけっている明日香ではなく、むしろ、その被害者である、涼子のほうらしい。
 女としてのプライド……。
 もちろん、涼子にだって、それは、ちゃんとある。当たり前ではないか。
 そもそも……、である。本来ならば、この地獄から脱出できるはずだった涼子の身を、見えない首輪で拘束し、香織たちの饗宴のための、生贄として差し出したのは、ほかならぬ秋菜なのだ。その『手柄』も評価されてのことだろう、秋菜だけは、衣類を一枚も脱がされることなく、香織の配下というポジションに、ちゃっかりと収まった。つまり、今現在の秋菜の安泰な身分は、涼子の犠牲の上に成り立っているといっていい。それでいて、涼子の神経を逆撫でするような言葉を、ぬけぬけと吐く。
 涼子としては、そんな秋菜のことが、どうしても許せないと同時に、妬ましくて憎らしくてたまらなかった。いっそのこと、秋菜に襲いかかり、身に着けているそのセーラー服も下着も、引き裂くようにはぎ取り、今の自分と同じように、一糸まとわぬ全裸にさせてやりたい、という衝動が、体の芯から湧き上がり、全身に広がっていく。
「さてと……、じゃあ、南さんの体が、セクシーショーを演じるのに、適格かどうか、腋毛の検査を始めようか。さゆりっ、あんたも、検査を手伝って」
 香織が、性悪の後輩に言う。
「はーい」
 さゆりは、待ってましたとばかりに快諾した。
 二人が、涼子のところへ近寄ってくる。
 涼子の左腕側に、香織が、右腕側に、さゆりが立った。
「うっふわあああああ……」
 香織が、恐れおののいたような声をこぼし、さらに言葉を続ける。
「嘘でしょ、これ……。女も、人によっては、ちょっと放置するだけで、腋が、こんな有様になるんだねえ……。なんか、見てるだけで、ぞわぞわしてくる……」
「あたしもぉ……。変な寒気に、襲われちゃった……」
 さゆりは、自分の両腕をさすった。
「南、涼子ちゃーん……。あたしに、怒られるのが怖くて、きちんと、約束を守ってたってわけ?」
 香織は、頬が蕩けているような表情で、涼子に訊いてくる。
 涼子は、下唇を軽く噛んだ。
 実際には、毎夜、カミソリで、数回、撫でる程度の処理は行っていた。もし、腋毛の処理は禁止、という香織の言いつけを、完全に守っていたら、とてもじゃないが、半袖の格好では、体育の授業にも、部活の練習にも出られなくなってしまう。だが、それでも、今や、自分の腋の下は、目も当てられないような状態であることに変わりはない。香織は、そのことに、無上の悦びを覚えているらしい。
 涼子の腋の下、その部分の発毛範囲は、極めて広く、ほとんど手のひらと同じくらいの面積である。その縦長の楕円状の中に、たわしのごとく、びっしりと密生した、濃い腋毛。全体的な毛の長さは、五ミリほどで、長いものでは、一センチを超えるほども伸びていた。
「ねえねえ、答えて……。きちんと、約束を守って、剃ったり抜いたりしなかった、ってことなの?」
 香織が、もう一度、もの柔らかに尋ねてくる。
 涼子は、少しばかりためらったが、こくりと首肯してみせた。
 女の子としての身だしなみに関することまで、香織に制限され、それに、おおかた従っているという自分の情けなさを、改めて噛み締める。
「ふーん。そっか。いい子じゃない……。でも、本当なのかなあ……?」
 香織は、涼子の腋を、まじまじと観察してきた。そうして、腋毛の発毛部分の上端に、右手の人差し指を押し当てると、ぐいっと皮膚を上に引っ張った。
「この部分とか、なーんか、周りの毛と比べて、短くなってるし、ちょっとくらいは、処理したんじゃないのかなあ……? ねえ、さゆり。あんたも、そっち側の腋、不自然な点がないか、徹底的に調べてくれる?」
 その指示を受け、さゆりも、やや体勢を低くし、涼子の腋の下を、のぞき込むようにしてくる。
「うえっ。なにこの、腋汗の量。しずくが、ぽたぽた垂れ落ちそう……。っていうか、この臭いっ! 目に染みるー! 涙が出そうっ! 無理です。顔を近づけられない!」
 さゆりは、げははっ、と老婆のような笑い声を立てた。
「わかるわかる! 硫黄ガスみたいな、すんごい刺激臭がするよね!?」
 香織も、躍り上がらんばかりに浮き立った。それから、今一度、上目遣いに涼子の顔を見上げてくる。
「南さーん。やっぱり、腋毛を伸ばすとぉ、ばい菌が増殖しやすくなって、必然的に、臭いも、強くなっちゃうのかなあ? そうなのかなあ? その辺りのことは、あたしも、女の子として、後学のために知っておきたいから、よーく確かめさせてね」
 左腕の肘を、香織の手で、さらに持ち上げられる。
 香織は、そうして、涼子の腋に、鼻を寄せてきた。腋の肌に、その鼻先が、触れるか触れないか、という至近距離まで。どうやら、その行為を恥ずべきこととは、微塵も思っていないらしかった。涼子の腋全体から、満遍なく臭気を吸い込もうという意思の表れだろう、顔を、上下左右に小刻みに動かしながら、ヨガで腹式呼吸をするみたいに、荒々しい勢いで鼻をすすり始める。
 涼子は、切れ切れの吐息を吐き出した。
 平時においても、自律神経の狂いが原因で、汗腺の異常な活発化や頑固な便秘、また、それらによる、体臭の悪化といった症状が現れており、自分の体が、どんどん汚いものに変わってきているという、悲しい事実を、嫌でも思い知らされてきた。その上、こうして極限状態に追い詰められたことにより、今や、自律神経は、壊滅的な影響を受けているらしかった。体中の毛穴という毛穴からの、あぶら汗の噴出。当然ながら、それに伴い、自分の体が、猛烈な臭気を放っていることも自覚している。そして、なかでも、その一番の発生源ともいうべき部分の臭いを、他人に、それも、自分から健康性を奪った、張本人である女に嗅がれるという、この屈辱感。
「香織先輩、嗅ぎすぎっ……」
 さゆりが、失笑しながら口にする。さすがに、香織に対して、異様なものを感じ始めたのかもしれない。
「おわあああああああああ……!」
 香織は、まるで、武者震いしているかのような声を発し、顔を離した。その後、しばし、声も出ない様子で突っ立っていたが、やがて、んふふっ、と涼子に笑いかけてきた。
「これは、間違いない。腋毛の量や長さと、腋の臭いの強さは、完璧に比例する……。南さんの体って、とっても勉強になるわあ」
 その恍惚とした顔つき。
 ほどなくして、香織の口もとが、意味ありげに歪んだ。
「あ、そうだ……。南さんの、この、腋の臭い……、『仲間』である、滝沢さんにも、確かめてもらわないとねえ」
 それを聞いて、涼子は、左腕の筋肉が、反射的にこわばるのを感じた。
「ん? どうしたのっ?」
 香織の目が、涼子の内心を見透かすように、ぎらりと光る。香織は、秋菜のほうを振り返った。
「滝沢さん。あなたも、ここまで来なさいっ」
 涼子は、正面、五、六メートルほど離れたところに立つ、秋菜と舞に、思わず視線を向けた。
「いやよお。その人の体臭、さっき、おしくらまんじゅうの勝負してる時に、散々、嗅がされて、本当に、具合が悪くなりかけたんだから……。それに……、そっちに行くまでもなく、心なしか、その、腋の酸っぱい臭いが、こっちまで、ぷーんと漂ってきてる感じがするもん」
 秋菜は、実に嫌そうな顔で、目の前の空気を、手で払う仕草をした。
 相変わらず、そうした言葉が、どれだけ涼子の感情を傷つけるか、という点については、まるっきり無頓着である。
「滝沢さん。図に乗るんじゃないよ。あなたが、脱がずに済んだのは、誰のおかげだと思ってんの? 大恩人の、あたしの言うことが、聞けないってわけ? あなたは、あくまでも、南さんの『仲間』なの。だから、セクシーショーを演じる、南さんの体の状態を、細部に至るまで、しっかりと把握しておくのは、あなたの、最低限の仕事だよ。ほらっ、ご託を並べてないで、早く来なさいっ」 
 香織が、主導権を握っていることを誇示する。
 秋菜は、諦めたように宙を仰いだ。
「すみませんでした、吉永さん。了解です」
 それだけ言うと、こちらに向かって歩き始める。
 その直後、涼子の、まさに女としてのプライドが、過敏に反応した。
「やぁっ、やぁっ、やぁぁ、やめて、来ないでっ……」
 明日香の両腕が、下半身に絡みついているため、逃げるにも逃げられなかったが、涼子は、横に移動するように、どたどたと脚を動かした。
「あららららー、南さんったら、滝沢さんのこと、ものすごい意識してるぅ」
 香織が、興奮に上ずった声で指摘してくる。
 秋菜は、涼子の反応を、やや怪訝に感じたのか、足を止めていた。そして、つと小首を傾げ、涼子に向かって口にする。
「なによ、南さん……。そんなに慌てふためいちゃって。わたしのことを、過剰に意識する必要は、ないでしょう? それともなにか、わたしに対して、特別な感情でも、あるっていうの?」
 そう冷笑的に問われる。
 涼子は、返す言葉も思い浮かばず、視線を斜めに落とした。
 香織が、右手を上に伸ばし、涼子の頭を、ぽんぽんしてきた。
「南さんは、滝沢さんのことを、どうしても意識しちゃうんだよね? 南さんにとって、滝沢さんは、ただのクラスメイトじゃないんだもんね? 滝沢さんと、仲良くなりたくて、距離感を縮めようと、一生懸命、努力してきたけど、滝沢さんが、一向に振り向いてくれないから、南さんが、人知れず嘆き悲しんでたこと、あたしは、ずっと前から知ってたよ……。南さんって、ほんっと、キモカワイイ」
 秋菜はというと、やはり、涼子に対して不審の念を抱いているような目線を、こちらに向けてくる。
 涼子は、この世界に存在するのが、自分と、苦手意識を抱く相手、滝沢秋菜の二人だけになってしまったような、そんな気まずさを感じながら、上下の唇を口の中に丸め込んだ。周りから見たら、泣きべそをかいていると思われるかもしれない。
「まあ、いいや。いちおう、腋毛の検査は、合格ってことにしてあげる。で……、想像してた以上に、腋毛が伸びちゃってるから、この状態で、セクシーショーを演じるのは、さすがに見苦しいねえ……。でもね、実はさ、そんなこともあろうかと思って、あたし、用意してきたんだよね」
 香織は、そう言って、くるりときびすを返した。自分のバッグが置いてあるところに歩いていく。
 さゆりも、香織の後を追うように、涼子から離れていった。
 香織は、自分のバッグを開けると、中から、何かを取り出した。それは、四枚刃か五枚刃と見られる、薄いピンク色をした女性用のカミソリが、一本、入った、未開封のケースだった。
 涼子は、思わず目を見開いた。
 香織は、それを手に、こちらに戻ってくる。
「これ、薬局で、買ってきてあげたのよ」
 まさか……、今この場で、剃れ、とでもいうのか……。
 しかし、まもなく、香織の口から、はるかに信じられない発言が飛び出した。
「滝沢さんっ。残念ながら、南さんの腋毛は、セクシーとか、そういうのを通り越して、なんていうか……、一言で言うなら、インモラル、つまり、モラルに反してるって感じ。だから、あたしとしても、苦渋の選択なんだけど、『仲間』である、あなたが、南さんの、両腋の腋毛を、このカミソリで、綺麗に剃ってあげて」
 涼子は、聴覚に異変が生じるほど震かんした。
 秋菜のほうも、愕然としたらしく、血相を変えて抗議する。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってよ……! なんで、わたしが、そんな『汚れ仕事』を、引き受けないといけないのよお! 吉永さんっ。いくらなんでも、それは、あんまりじゃないっ!」
「だって、仕方ないでしょう。南さんには、自分で、腋毛の処理をすることを、禁止してるの。自分では、剃ったり抜いたりできないんだから、誰かが、代わりに、それをやる必要があるの。その役目は、合理的に考えて、南さんの『仲間』である、あなた以外にいないのよ」
 香織は、どこ吹く風という態度で論じる。
「いい加減にしてぇぇぇぇぇっ!」
 涼子は、我知らず、怒号を響かせていた。わなわなと唇が震える。もう、これ以上は、黙って聞いていられない。
「吉永さんっ。あんた、もちろん、冗談で言ってるんだよねえ? もしも、本気で、そんなこと言ってるんだったら、あんたが通うべきなのは、学校なんかじゃない。病院。それも、病院は病院でも、精神の治療を専門にしてる、病院よっ」
 まごうことなき性的異常者である、竹内明日香と、そして、人のむだ毛を、別の人間に処理させるという発想をする、吉永香織の、この二人を、今すぐ社会的に隔離してほしいと、良識あるすべての大人たちに訴えたい。
「はあ? あたしは、真面目に言ってるんだし、普段と変わらない精神状態なんだけど……。そもそも、南さん、あんたのためにも言ってあげてるの。今日ここで、滝沢さんに、腋毛を剃ってもらうのを、拒否するってことは、腋毛を、もっともっと伸ばします、っていう意思表示と、同じだからね。そのうち、部活の練習とかでも、ほかの子に、腋毛が伸びてること、指摘されちゃうんじゃないかなあ。いくら女子校内とはいえ、女の子としての最低限のエチケットも、守れないような生徒は、周りから軽蔑の目で見られるよ。そんなんで、いいわけ?」
 自分で腋毛の処理をすることは、禁止、という言いつけを、涼子は守り通す、という前提で、香織は話す。
「いいから、そんなもの、持ってこないでっ! バッグにしまってえぇぇっ!」
 涼子は、香織の支配下にある立場であることも忘れ、大声で怒鳴り散らした。滝沢秋菜の手で、腋毛を剃られるくらいだったら、この身を切り裂かれたほうが、マシだという思いだった。
 緊迫した空気が流れる。
 数秒の間、涼子の、はあはあ、と息を切らす音だけが聞こえていた。
「あっ、そう……」
 香織が、仏頂面で口にする。
「そこまで激しく拒否するんなら、あたしも、無理に、とは言わないわ……。ただ、あんた、自分で、こっそり腋毛を処理したら、死刑より重い罰を与えるからね」
 涼子は、鼻の付け根に、しわが寄るのを感じながら、香織の顔を見すえる。
「まあ、せいぜい、高校卒業まで、腋毛を伸ばし続けるんだね。この、きったならしい、腋毛女っ」
 香織は、吐き捨てるように言い、身をひるがえした。自分のバッグのところに引き返していく。
 涼子の目には、香織のバッグにしまわれる、その薄いピンク色のカミソリが、世にも忌まわしいものに映っていた。
 だが、もはや、自分の腋は、きちんとした手入れを行わなければ、日常生活に、大きな支障が出ることも、また事実だった。いったい、どうしたらいいというのか。
 いや、今は、先のことを心配している余裕などない。とにかく、今日この日、まともな人間として、家に帰ることだけを考えるのだ……。

 香織が、つまらなそうな顔で、こちらに戻ってくる。
「あーあっ。よかれと思って、カミソリを買ってきたのに、南さんったら、感謝するどころか、キレだすんだもんなあ。おまけに、何様のつもりなのか、カミソリをしまえ、とか、あたしに、命令までしてくるし……。ああ、あたし、胸くそが悪い。それに、この場の空気も、すっかり白けちゃったよ……。滝沢さんさあ、あなたって、はっきり言って、役立たずだよね。やっぱり、あなたに、南さんを躾けるっていう、大役は、荷が重かったってことかな?」
「……あっ、申し訳ありません。わたし、責任を、痛感しています。今後、もし、この女が、吉永さんに対して、無礼な口を利いたら、わたしが、さっきと同じように、手加減なしでぶっ叩いて、奴隷としての立場を、わからせてやります」
 秋菜は、揉み手をするように恐縮する。
「ふーん。責任を、痛感してるわけね……。だったらさ、この場を盛り上げるために、滝沢さんに、何かやってもらおうかなあ……。そうだ、いいこと、思いついた。南さんが、これだけ腋毛を伸ばした、その記念品として、南さんの腋毛を、何本か抜いて、採取してくれる?」
 香織は、またしても、悪趣味な冗談としか思えない発言をした。
 むろん、香織に従順な秋菜といえど、そんなことを受け入れるはずはないと、涼子は信じたかった。
「えええーっ。ごめんなさいっ。無理です。わたし、この女の腋なんて、絶対、触りたくない」
 秋菜は、涼子の腋の下、太い毛の密生した様を見ながら、渋い顔をしている。
 汚い腋、と秋菜に思われるのは、恥そのものだったが、涼子は、半面、ほっとした。
 だが、そんな秋菜に対して、香織は、居丈高に言う。
「ダメ。これは、命令。従えないっていうなら、南さんのことを、きちんと躾けておかなかった、その責任を取ってもらうよ。責任を取るっていうのは、どういうことを意味するのか、もちろん、忘れたわけじゃないよねえ?」
「わかりましたっ。やります、やります」
 秋菜は、妙にあっさりと応じ、こちらに急ぎ足で歩いてきた。
 涼子としては、人生を捨ててでも逃げ出したくなるような事態だった。
 やだ……。
 とうとう、脅威に耐えられなくなり、素早く両腕を下ろした。自分の肩を抱くようにして、きつく両腋を締める。
「やめてよっ、滝沢さん……。変なこと、考えないでっ」
 目の前に立った秋菜に対し、涼子は、切実に訴える。
 すると、秋菜の顔つきが、見る間に険しくなった。
「しょうがないでしょう!? 吉永さんの命令なんだから。わたしだってねえ、あんたの、見るからに雑菌まみれの腋なんて、触りたくないわよっ。それとも、なに? あんた、わたしが、責任を取らされて、最悪、退学に追い込まれようが、自分には関係ない、って思ってるわけ? まったく、とことん自分勝手な女ねえ」
 秋菜は、ヒステリーを起こしたようにまくし立てる。
 自分勝手な女は、どっちよ、と反論したかったが、今の涼子に、それだけの気概はなかった。
「ほらっ。腕を上げなさいよ。吉永さんから、許可が出るまで、腕を下ろすんじゃないわよ」
 秋菜は、両手を伸ばし、涼子の両腕の前腕をつかんできた。
 そうして、両腕を、強引に引っ張り上げられる。
 涼子は、やむなく、ふたたび両手を頭の後ろで組み、服従のポーズを取った。これから行われることを考えると、むせび泣きそうな思いに襲われ、横隔膜が、ひくひくとけいれんするのを感じる。
 それから、秋菜は、はたと動きを止めると、なにやら、今一度、涼子の姿を観察するような目つきをした。涼子の体の、頭のてっぺんから足の爪先まで、しげしげと眺め回している。
「それにしても……、南さん、あんたの体の筋肉美は、本当に圧巻ねえ。そういえば、うちの学校のバレー部って、それなりの強豪校だったっけか。さすが、そのバレー部のキャプテンを務めてるだけあって、これぞ、アスリートボディって感じ……。やだっ、わたし、不覚にも、見とれちゃったわ。あ、わたし、実は、こう見えて、筋肉フェチなのよ。だから、少し触らせてくれる?」
 涼子が身構える間もなく、秋菜の左右の手が伸びてきた。
 頭の後ろに持ち上げている、左腕の上腕部を、秋菜に、むんずと両手で握られる。
 涼子は、その瞬間、強烈な拒絶反応のために、全身の筋肉が、がちがちに硬直する感覚を抱いた。
「あらっ、すっごい力こぶじゃない! 想像してた以上に、ばっきばき! 同じ女の腕とは思えないくらい……。ねえねえ、バレー部の筋トレのメニューって、どんなものなの? もしかして、腕立てと腹筋、百回なんて、当たり前? それと、やっぱり、バレーだと、背筋も重要になってくるよねえ。あ、そういえば、ずっと前、学校のトレーニングルームを見に行ったんだけど、結構、設備が充実してたね。バレー部の子たちは、みんな、ベンチプレスを持ち上げたりもするのかな? まあ、とにかく、強くなるために、毎日、血の滲むような思いで、肉体作りに励んでるってことよね? 感心、感心」
 この異常極まりない状況下において、いったい、秋菜は、なんのつもりで、そんな日常に関する話題を振ってくるのか。まるで、今の涼子とは対照的に、安泰な身分に舞い戻ったことを、得意げに示されているようで、妬ましいという感情が、一段と激しく渦巻く。
 向こうから、香織が、おおおおっ、と驚いたような声を上げた。
「よかったじゃーん、南さーん。日頃は、南さんに対して、あれだけ、つんつんしてた滝沢さんが、なんと、南さんのその、自慢の体に、興味を持ち始めてくれたんだよ? 南さんにとっては、涙が出るくらい嬉しい話でしょう?」
「もちろん、こーんな立派な肉体を持ってるんだから、取っ組み合いの喧嘩なら、吉永さんたちが、束になってかかってきても、あんたは、簡単にねじ伏せられるわよねえ? それなのに……、後輩たちも見てる前で、素っ裸にさせられようが、自分の大事な体を、性的にもてあそばれようが、吉永さんたちには、一切、抵抗することができないなんて……、あんた、悔しくて悔しくてたまらないでしょう? わたしも、今のあんたの境遇には、心の底から同情しちゃうわーん」
 秋菜は、悲しげな眼差しを作ってみせるが、その口もとは、薄笑いに歪んでいた。まさに、嫌味を絵に描いたような表情である。
 涼子は、胸のむかつきを覚え、そっぽに顔を向けた。
「ねえ、正直に教えて? あんた、わたしのことを……、もう、敵対グループの吉永さんたちと同じくらい、憎いと思ってるでしょ? もしも、の話よお? あんたが、この場で、自由に行動することを許可されたとしたら、まず、何をしたい? 決まってるわよねえ? わたしに、襲いかかりたいんでしょ? 隠そうとしても、無駄よお? だって、あんたの顔に、はっきりと書いてあるもん。『滝沢秋菜の着てるものを、一枚残らず、びりびりに引き裂いて、自分と同じように、素っ裸にさせてやりたい。それから、さっき、殴られた仕返しに、滝沢秋菜の顔面に拳を叩き込んで、泣き叫ばせてやりたい』ってね……。ダメじゃなーい。あの、天使のような優等生だった、南さんが、そんな、邪悪なオーラを、むんむんと放ってたらぁ」
 必要以上にねちねちとした、その物言いからして、滝沢秋菜の意図は、もはや明白だった。香織たちと、完全に同化することこそ、自らの身を、安全圏に置いておくための、最適な手段。そのような考えから、涼子を愚弄する姿勢を、ここぞとばかりに、香織にアピールしているのだ。人間というものは、危機的状況に瀕すると、様々な形で、醜い自己保身に走りがちだが、そのなかでも、滝沢秋菜のやり方は、最悪の部類に入るであろう。
 涼子は、そんな秋菜に、軽蔑の言葉を浴びせてやりたくなった。が、かろうじて、それを自制した。今や、胸の内では、秋菜に対する憎悪の念が、嵐のごとく吹き荒れている。だから、もし、ひとたび口を開いたら、自分でも、びっくりするくらい汚い言葉が、次々と飛び出してしまうに違いないと思ったのだ。
「あらあら、ずいぶんと殺気立ってきちゃって……。わたしには、指一本、触れられたくない? そりゃあそうよねえ……。でも、もう少し我慢してね。だって、なにしろ目を奪われるのは……」
 秋菜は、そう言いながら、涼子の二の腕から両手を離すと、おもむろに身をかがめた。
 そして、次の瞬間、涼子は、左脚の太ももを、罠が獲物を捕らえるかのごとく、秋菜の両手でわしづかみされた。その精神的衝撃により、びくんと体が跳ね上がる。
「この、馬の脚みたいな、たくましい太もも……! あ、でも……、意外と、頑強さだけじゃなく、しなやかさも伝わってきて、筋肉フェチとしては、極上の触り心地だわぁ……。基本的には、スクワットで足腰を鍛え上げてるんでしょう? 聞きたいんだけど、あんたは、スクワット、何回くらいできるのお?」
 秋菜は、涼子の太ももを、ぎゅっぎゅっ、と両手で締め上げてくる。
 涼子の体を、直接、手でもてあそぶという、性的辱め以外の何物でもない行為。それは、まさしく香織たちの手法である。いくら、今の秋菜が、自己保身の本能のままに行動しているにしても、そうしたことまで模倣してみせるとは、どういう精神構造をしているのか。ここまでくると、滝沢秋菜とは、元来、人格の歪んだ生徒だったとしか思えなくなってくる。
 涼子は、過去、秋菜との距離感を縮めようと、懸命に振る舞っていた自分を、記憶から消し去りたい気持ちだった。
 滝沢秋菜……。この女の本性を見抜けず、ずっと仲良くなりたがっていた、大馬鹿者の、わたし……。結局のところ、わたしって、人を見る目が、全然なかった、ってことなのか……。
「質問してるんだから、答えなさいよっ。答えないとお、わたし、あんたの体の、変なところまで、触っちゃうわよお?」
 秋菜の右手が、後方、つまり、涼子の太ももの裏側に、じりじりと回っていく。続いて、その手は、汗まみれの涼子の肌の上を、ぬるぬると上方へと滑っていき、ちょうど、おしりの肉の下に達した。意味ありげに、手の動きが、その際どい位置で止まる。
 しかし、まもなく、秋菜の右手は、あぶら汗に濡れ光る涼子のおしりの肉を、すくい上げるように持ち上げ始めたのである。
 涼子は、全身に静電気が走ったように、体毛という体毛が、ぞぞぞっと逆立っていく感覚に襲われた。
「ふっ、ふざっ……! やめてえぇぇぇぇぇ!」
 体を激しく左右に揺すりながら、怒号を放つ。
 秋菜は、ふんっ、と笑い、涼子の太ももと臀部から両手を離した。
「なによ……。後ろの竹内さんには、あんた、『とんでもないところ』を押さえられていながらも、大人しく耐え続けていられるっていうのに、わたしが、ちょっとだけ、おしりに触れた程度で、そんなに激高しちゃって。要するに、わたしから、性的な嫌がらせを受けることだけは、女としてのプライドが許さない、って言いたいわけね? あんたって、本当にわかりやすい女」
 そのように涼子を冷やかしながら、ゆっくりと立ち上がる。
 涼子は、バレーの試合でサーブを打つ前、心を落ち着けるように、すーはーすーはー、と深呼吸を繰り返していた。そうでもしていないと、衝動に駆られるままに、秋菜のその、ふてぶてしい笑い顔に、つばを吐きかけてしまいそうだったのだ。
 いや、というより、今となっては、滝沢秋菜の、それこそ何もかもが、生理的に受け付けなくなっていた。
 クールなお姉さん風の印象を形作る、見るからに怜悧そうな目鼻立ちも。中分けのストレートヘアを、胸もとで内側にハネさせた、お洒落な髪型も。髪の毛をふわりとかき上げたりする、余裕に満ちた一つ一つの所作も。しっとりとした響きを帯びた声も。どことなく艶めかしさを感じさせるような、喋り口調も。
「あのね、わたし……、あんたの体のことについて、思い当たったことがあるのよ。ためになる話だと思うから、是非、ちゃんと聞いてね。あんたってさあ、プロのバレー選手みたいにパワフルになりたくて、毎日、肉ばっかり食べて、それで、体をいじめ抜くように、筋トレに打ち込んでるんでしょう? あんたの、女子高生離れした屈強な肉体が、それを、何より物語ってるわ。でもね、そんな生活をしてると、男性ホルモンが、過剰なくらい増えていっちゃうのよ。男性ホルモンが増えると、筋肉の付きやすい体になるから、あんたからすれば、嬉しいことかもしれないけど、その反面、年頃の女の子にとっては、深刻なデメリットもあるのよ? それは、何かっていうと、皮脂、つまり、体のあぶらのことなんだけど、その皮脂の分泌量が多くなるの。そうなると、必然的に、体臭も強くなっちゃう。そこで、なんだけど、あんたのこの、むせ返るような、きっつい体臭は、男性ホルモンが増えすぎてることが、一番の原因じゃないかな、っていうのが、わたしの見解ね」
 秋菜の声を聞いているだけで、ますます神経がささくれ立っていく気分である。しかしながら、ひょっとすると、秋菜の指摘は、一理あるのかもしれないと、涼子自身も、薄ぼんやりと思う。
「それとね……、ホルモンバランスの大きな崩れによって、ほかに、どういった問題が引き起こされるかというと、代表的な例が……、そう、体毛が濃くなること。あんたの裸の体を、こうして見ていると、その問題を抱えてることが、もう一目瞭然ねえ……。男性ホルモンが増えすぎた場合、体毛のなかでも、とくに顕著に濃くなるのが……、まず、腋毛」
 秋菜は、右手を、すーっと涼子の上半身に伸ばしてきた。
 その指先で、左の腋の下を、ぬるりと撫でられ、涼子は、屈辱のあまり、つい、低いうめき声をこぼしてしまった。
「あと、なんといっても濃くなるのが……、下の、毛」
 秋菜の右手が、もったいぶるように時間をかけて、しだいに下がっていく。
 涼子は、まさかという思いで、秋菜の手の動きに、意識を吸い寄せられていた。やがて、涼子のへその下、明日香の両手に押さえられているVゾーンの、やや上辺りに、その右の手のひらが、べたりと張りついた。間を置かず、その部分を、ねちっこい手つきで撫で回され始める。今にも、はみ出ている自分の陰毛に、秋菜のその指先が触れそうな感じである。
「いっくら、青春のすべてをバレーに捧げているような、あんただって、ここの毛が、もっさもさに生えてることには、もちろん、コンプレックスを持ってるわよねえ? あんたの体、男性ホルモンの量が、きっと、普通の女子高生の、何倍もある状態なのよ。アスリートとしての肉体作りも、結構なことだけど、でも、このままだと、男性ホルモンの作用が、もっともっと体に現れてきて、今以上に、体臭が強くなる可能性が高いし、それに、腋毛も、下の毛も、手に負えないくらい濃くなっちゃうかもしれない。そうなったら、もはや、女ではなく、完全に獣よお? そんなの、嫌でしょう? あんたも、まだ、曲がりなりにも、十代の女の子なんだから。だったら、今のその、脳みそにまで筋肉を付けるかのような生活を、真剣に見直しなさい……。わたし、意地悪な気持ちで言ってるんじゃないのよお? あんたのためを思って、アドバイスしてあげてるんだからねえ?」
 秋菜は、涼子のへその下に、手をあてがったまま、勝ち誇ったように、あごを反らした。
 果たして、秋菜のこの言動も、やはり、香織へのアピールなのだろうか。しかし、それにしては、度が過ぎると感じる。ひょっとすると、滝沢秋菜は、本当の意味で、香織たちと同化しつつあるのではないだろうか。すなわち……、涼子をなぶり者にすることに、ある種の快感を覚え始めたということ。
 秋菜の口もとに表れた、いかにも残忍そうな薄笑いを見ていると、その推測こそが、真相に近いという思いを抱かずにはいられない。
 だとするならば、秋菜の、涼子に対する嫌がらせ行為が、どんどんエスカレートしていくことは、今から覚悟せねばならないだろう。下手をすると、最終的には、香織たちと同様、涼子のこの、無防備な裸の体に、想像するのもおぞましい、変態的行為を加えてくる、という可能性も……。
 そこまで考えると、絶望感に意識が遠くなり、一瞬、ふっと視界が暗転した。
 目の前が真っ暗になったというより、眼球がひっくり返ったような感覚だった。
「なによ、その、笑える間抜け面は。あんた、ただでさえ、誰にも真似できないほど惨めなんだから、表情くらい、しゃきっと引き締めなさいよ。じゃないと、わたし、人間を相手にしてるっていうより、家畜に話しかけてるような気分になるじゃない……。で、わたし、何をしようとしてたんだっけ? ああ、そうだった、そうだった。いちおう、言っておくけど、わたしは、吉永さんの命令を実行するだけだから、変に思わないでね」
 秋菜は、右手を、涼子の上半身に伸ばしてきた。
 その手で、ふたたび、左の腋の下に触れられる。
「しっかし、あんたの腋汗って、べったべたねえ……。やっぱり、皮脂の分泌量が多すぎる、って断言できるわ。だって、これ、汗っていうより、まさしく油って感じだもん。あんたの体内の、脂肪酸やコレステロールを、たっぷりと含んだ、油。ティッシュで拭き取って、火を点けたら、よく燃えそう……。あっ、触ってたら、毛穴から、みるみる油が出てきったっーん」
 秋菜は、涼子の腋の肌を指先でつまみ、にゅるにゅるとこすっていた。先ほどは、涼子の腋など触りたくないと、あれだけ嫌がっていた秋菜だが、今は、なにやら、人間の体の、物珍しい生理反応を見て、やたらと面白がっている様子である。
 この子にだけは、下に見られたくない……。
 そのように、否が応でもプライドを刺激されていた相手だからこそ、常日頃から、彼女の前では、女の子としての武装を解きたくない、という意識が、心の内に深く根差していた。生身の姿を見せることには、強い抵抗があったし、ましてや、コンプレックスをさらすなど、もってのほかの話だった。だというのに……、今、よりにもよって、その相手に、自分の体の汚い部分を、興味本位でいじくり回されているのだ。
 涼子は、視界いっぱいに、火花が散る様を見ているような、極限的な屈辱のなかで、滝沢秋菜に対する、どす黒い怨念を募らせていた。秋菜に襲いかかり、身に着けているものを、一枚残らず、びりびりに引き裂き、そうした上で、性的に、そう、性的に陵辱されることの苦痛を、その身に味わわせてやりたい、という夢想。
 むろん、自分に、女の子の裸体を、手でもてあそぶような趣味はない。
 しかし、これは、プライドの問題なのだ。
 現在、忌ま忌ましくも、涼しげな雰囲気をまとっている、この滝沢秋菜が、獣のような姿に成り果て、恥ずかしさと惨めさに、顔を歪めているところを、実際に目にすることができたなら、どれだけ胸がすっとするだろう。
 まもなく、その秋菜が、小声でつぶやいた。
「それじゃあ、せっかくだし、とくに伸びてる毛を選んで、採取していこうかな……」
 数秒後、腋の肌に、ちくっと痛みが走った。
 見たくはないが、つい、秋菜の右手に、目が行ってしまう。
 その人差し指に載った、一センチを超える長さの毛。
 涼子は、女としてのプライドに、二度と癒えることのない、深い傷を付けられた気持ちだった。
 秋菜は、涼子の腋から抜き取った毛を、自分の左の手のひらにこすり付ける。そうして、再度、右手を、涼子の左腋に伸ばしてきた。あたかも事務的な作業をこなすように、涼子の腋毛を、二本、三本と抜いていく。やがて、四本目を抜き終えると、あっらーっ、と声をこぼした。
「毛根までくっついてる……。やだ、あまりの生々しさに、鳥肌が立っちゃった」
 事実、その毛の片端には、白い粒のようなものが付着しており、涼子としても、自分のものながら、ぷつぷつと肌のあわ立つのを感じた。
 結局、それから、もう一本、腋毛が抜かれた。
「吉永さーん。褒めてください。わたし、心を無にして、この女の腋毛を、これだけ採取しました」
 秋菜は、誇らしげな口調で言い、香織のほうに、左の手のひらを差し向ける。
 その手のひらには、どれも一センチを超える、しかも、黒々とした太い毛が、五本、涼子の腋汗と見られる、少量の液体と共にへばり付いていた。
 涼子は、その恐ろしくまがまがしい光景を見て、堪らず目を逸らした。まるで、インターネット上のグロテスクな画像を、うっかり目にしてしまった直後のような、そんな心地である。
「それ、こっちに持ってきて」
 香織が、秋菜に手招きする。
 秋菜は、そちらに歩いていく。が、その途中で、何を思ったのか、つと、足を止めると、涼子のほうを振り向いた。
 涼子と秋菜は、互いに、目と目を見合わせる。しかし、今、秋菜の、冷ややかな印象を放つ眼差しからは、いかなる感情も読み取ることができない。
 なに……?
 涼子は、秋菜に向かって目で問いかける。
 秋菜は、改めて、自分の左の手のひらに、視線を落とした。そして、その後、予想外の、信じがたい行動を取ったのだった。
 おそらく、涼子に対する当てつけのつもりだろう、左の手のひらを、これ見よがしに、すーっと、自分の顔の前に持っていく。
 涼子にとって、それは、瞳孔が開ききるような瞬間だった。
 やだっ! やめてっ! わたしの、そんな、腋毛の臭いなんて、嗅がないでええええええええええええ……!
 心の内で、声の限りに絶叫している自分がいる。
 秋菜は、左の手のひらで、自分の鼻を覆うようにした。すると、たちまち、秋菜のその、冷然と整った顔が、無残なまでに、しわくちゃに歪んだ。
「ぎいやああああああああああっ!」
 狂ったような秋菜の叫び声が、この空間全体に響き渡った。
「こっ、こっ、こっ、この臭いっ! いくら洗っても落ちなそう! わたし、とんでもないものを、手に付けちゃったわよっ!」
 涼子の胸中には、地鳴りを立てて激震が走る。
 秋菜は、ふたたび、香織のほうに、ぷんぷんと憤った様子で駆けていく。
 涼子は、無意識のうちに、あごが外れるほど、大きく口を開けていた。
 急激に身体感覚が薄れていき、それがゆえに、明日香に、恥部を押さえられていることすら、忘却の彼方に飛び去っていくような境地だった。
 ほどなくして、火山が噴火するかのごとく、心の底から、屈辱、というより、純粋な、恥ずかしい、という感情が突き上がってきた。
 と同時に、またたく間に、顔面に血が昇っていく。
 顔が火照っていることを自覚し、自分の感情を、必死に鎮めようとするが、それは、むしろ逆効果で、ますます顔全体が熱くなる。
「あっ! 見て見て! 南さんの、あの顔っ! 真っ赤っか! ゆでだこみたいになってる!」
 香織が、涼子の赤面ぶりを目ざとく発見し、こちらを指差す。
 それを受けて、さゆりと舞も、おのずと涼子のほうに目を向ける。
 だが、彼女たちの視線は、涼子にとって、さして気になるものではなかった。
 一拍、遅れて、香織に歩み寄っていた秋菜が、こちらを振り返った。秋菜の眼差しが、涼子の顔を、じいっと捉えている。
 涼子は、どこにも目を向けられないほどパニックになり、ついつい、誰もいない右方向に、顔を背けてしまった。顔全体の皮膚の下で、血液が、沸騰しているかのような感覚である。今や、その熱が、耳たぶにまで伝わってきていた。
 香織が、秋菜の横を通り、こちらに歩いてきた。涼子の目の前に立つと、香織の顔が、舌舐めずりでもせんばかりの表情になる。そうして、十五センチほど身長の高い、涼子の顔を、のぞき込むように見上げてくる。
「なになに……? 滝沢さんに、自分の腋毛の臭いを、思いっ切り嗅がれて、憤死するぐらい恥ずかしかったの? 滝沢さんのことを、そこまで強く意識するってことは、やっぱり、南さんは、滝沢さんに対して、特別な感情を持ってる、ってことだよねえ? まったく、こーんな、ほっぺた、真っ赤にしちゃってえ」
 左の頬を、香織の右手の人差し指で、ぷにぷにとつつかれる。
「お願いだから、やめてよっ、もうっ!」
 涼子は、勢いよく頭を横に振った。
「あっ……。なんか、めっちゃムキになってる……。図星なんだ」
 香織は、今度、両手を伸ばし、その親指と人差し指で、涼子の両頬を、軽くつまんできた。
 両頬の肉を、むぎゅむぎゅと上下に引っ張られる。
「あたし、ぶっちゃけ、ずっと前から、見抜いてたんだよね……。南さんが、滝沢さんに、必死こいて、話しかけてるのは、滝沢さんと、友達になりたいっていうより、もっと、それ以上の、深い関係になりたいからだ、ってね。滝沢さんに対する、特別な感情……、要するに、『好……、き』ってことでしょう? もう、この際だから、素直に認めちゃいなさいよ。だって、こーんな、ほっぺた、真っ赤にしてたら、バレバレなのよお? この、見かけによらず、乙女心あふれる、南、涼子っちゃーん」
 その間も、秋菜は、強い疑念のこもった眼差しで、涼子のことを見すえていた。
 涼子としては、そんな秋菜の目線に、なにか、心まで丸裸にされていくような思いである。
 香織は、ふんっ、と笑って、涼子の両頬から手を離すと、また、秋菜のほうに戻っていく。
 秋菜が、涼子を見ながら言う。
「あの女ったら、わたしのことを、本当に、『そういう目』で見てた、ってわけ? やだやだ……。わたし、控えめに言って、ものすごい屈辱なんだけど」
 涼子は、のぼせ上がったように赤面している自分自身を、この世から抹殺したいくらい、ただただ恥じ入っていた。
 香織が、秋菜の左の手のひらに、目を落とす。
「滝沢さんが採取した、その、南さんの腋毛……。せっかくだから、記念品として、永久保存しておこうと思うの。ちょっと待っててね」
 そう言い残すと、香織は、なにやら、またも、自分のバッグのところに向かう。
 バッグを開けると、その中を漁り、ほどなくして、あるものを取り出した。
 縦の長さ、十センチほどの小さなサイズの、チャック付きの透明なビニール袋である。
 それを手に、引き返してくる。
 香織から、その小さなビニール袋が、秋菜の手に渡された。
「その毛、全部、これに入れて」
「はーい」
 秋菜は、作業に取りかかった。自分の左の手のひらに載った、涼子の腋毛を、一本一本、右手の指でつまみ、ビニール袋の内側にこすり付けていく。その手つきを見ていると、まるで、腋毛だけではなく、涼子の微量の腋汗までも、そこに、密閉保存しておこうというような、そんな意図すら伝わってくる。
 ビニール袋の中に、五本の腋毛が入れられ、チャックが閉じられる。
 香織は、それを見ながら、野卑な笑い顔を隠すように、右手で口もとを押さえた。
「滝沢さん、滝沢さん……。その、記念品……、あたしは、要らないから、一番、欲しがりそうな子に、プレゼントしてあげて」
 秋菜は、一瞬の間、思案げな目つきをしたが、まもなく、二度、小さくうなずいた。
「そりゃあ、もちろん、この子よねえ……」
 と口にしながら、悠然と歩いていく。
 そうして、足立舞の前に立った。
 舞は、きょとんとした表情で、秋菜の顔を見上げる。
「はいっ。あなたに、プレゼント。あなたが、恋い焦がれてる、南涼子さんの体の一部だから、一生の宝物にしてね。もちろん、南涼子さんの、刺激的なフェロモンまで、濃厚に詰まった状態よお」
 秋菜は、一度、閉じたビニール袋のチャックを、悪意たっぷりに、わざわざ開けてから、舞の顔の前に差し出した。
 舞は、おずおずと、それを受け取った。
 その後、奇妙な空気が流れる。
 秋菜も、香織も、さゆりも、高校生にしては幼すぎる容姿をした、一年生の生徒が、次に、どのような行動を起こすか、黙って見守っているのだ。
 舞は、先輩たちの、一人ひとりに、もの問いたげな視線を送り始める。
 最後に、ただ一人、全裸姿で、性的な陵辱を受けている真っただ中の、涼子と目が合った。すると、舞の漆黒の瞳に、一転、そこはかとなく大人びた光が宿る。
 その瞳を見て、涼子は、強く確信した。
 案の定、舞は、そのビニール袋の開封口を、自分の鼻に寄せた。すんすんと鼻を鳴らす音が、涼子の耳にも、かすかに届く。
「きゃっ! なにこの臭いっ!」
 舞の小さな体が、文字通り跳ね上がった。それから、顔中に驚愕の表情を浮かべ、目をぱちくりさせる。
 その尋常でない驚きぶりに、香織とさゆりは、二人して、カラスの鳴き声を思わせるような、耳障りなだみ声で高笑いをした。さらには、秋菜までもが、愉快そうに身を揺する。
「舞ちゃん、舞ちゃん。南せんぱいの、その腋毛、舞ちゃんに、記念品としてプレゼントしてあげる……。でもだけど、もし、こんな汚いもの、貰いたくない、って思うんだったら、捨てちゃってもいいよ? どうする?」
 香織は、舞に、選択肢を与えた。
 舞は、涼子の腋毛の納められたビニール袋を、穴のあくほど凝視する。
 十秒は、沈黙が続いた。
 やがて、舞は、おもむろに顔を上げ、香織のほうを見た。
「でも……、捨てるのも、なんか……、もったいない、かも?」
 幼児が喋っているみたいな、たどたどしい口調で、そう答える。
「だったら、バッグにしまっておきなっ。おうちに帰ったら、大事なものを入れるところに、きちんと保管するんだよ? お守りみたいにねっ」
 香織は、この上なく嬉しそうだった。
 舞は、幾分、決まりが悪そうに、もごもごと口もとを動かしながらも、こっくんとうなずいた。そうして、自分のバッグの置いてあるところに、とぼとぼと歩いていく。
 今、涼子の頭の中では、人間のセクシャリティ、それ自体に対する想念が、かつてないほど膨らんでいた。
 あの、足立舞という生徒は、外見からは想像もできないが、特別、異常な性癖の持ち主である。そんな彼女だからこそ、あんなものを欲しがった……。涼子としては、そう信じたいところだった。しかし、その考えは、果たして、本当に正しいのだろうか……? もしも、彼女が、特異な例ではないとしたら……。
 過去、涼子に、同性愛的な好意を寄せ、なんらかの形で告白をしてきた、この学校の生徒たちの存在が、走馬灯のように脳裏をよぎる。まさか、彼女たちの内面の奥深くにも、足立舞の性癖に通ずるものが、密かに隠されていたとでもいうのか……。考えたくもないことであるが。
 舞は、涼子の腋毛の納められたビニール袋を、大事そうにバッグにしまう。
 涼子は、その舞の姿を横目で見ながら、吐き気を催すほどの生理的嫌悪感を覚えていた。
 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……!

「さてと、南さんの、体毛検査は、いよいよ次の段階、と進みたかったけど……、その前に、南さんの、滝沢さんに対する同性愛疑惑について、もう、いい加減、白黒はっきりさせる必要があるね。好きなら、好きって、正直に白状させるために、これから、南さんを、徹底的に尋問することにする」
 香織が、三白眼の目つきで言う。
「ええー、やめてよ、吉永さーん。わたし、あの女から、『実は、わたし、あなたのことだけを見ていました。お願いですから、恋人として付き合ってください』なーんて告白されたら、体中に、じんましんが出ちゃいそうよお」
 秋菜は、ふざけ半分で、香織の身に追いすがるような素振りをする。
 その時、背後にしゃがみ込んでいる明日香が、唐突に声を響かせた。
「滝沢さぁーんっ! 滝沢さぁーんっ!」
 呼びかけられた秋菜が、明日香のほう、つまりは、こちらの、やや低い位置に目を向ける。
 そのとたん、涼子の胸中には、凄まじく嫌な予感が走った。
「ファッ!」という明日香のかけ声。
 と同時に、涼子のVゾーンを押さえていた、明日香の両の手が、そこから、ぱっと離れて宙に浮いたのだった。
 当然ながら、秋菜の視線が、遮るもののなくなった、涼子の、コンプレックスである黒い茂みの部分へと、真っ直ぐに突き刺さってくる。
 時間の流れが止まってしまったかのような、一刹那。
 たちまち、涼子の頭の中は、あらゆる思考の断片が砕け散り、破滅的な恐慌状態におちいった。
「ああっ! やっ、やっ、や、いやあああああああああああっ!」
 涼子は、割れんばかりの悲鳴を発し、自らの両手を、電光石火のごとく下ろして恥部を押さえると共に、脊髄反射的に腰を後ろに引いた。おしりの肉、というより、極めて肛門に近い部分までもが、背後にいる明日香の顔面に、ぬちゃっと密着した、その嫌な感触。
「ぶおっ!」
 明日香は、ボディブローを打ち込まれたような声をこぼす。その後、彼女が、さっと立ち上がる気配を感じた。
 清潔さとは、ほど遠い状態の、自分のおしりを、明日香の顔面に押し当てるという、大惨事に至ったのだ。
 しかし、今は、そのことに対する羞恥感情が、不思議なくらい湧いてこない。
 涼子は、両手で恥部を押さえ、腰を後ろに突き出した、なんとも間抜けな体勢のまま、おそるおそる顔を上げ、秋菜のほうを見た。
 秋菜はといえば、どこか唖然とした顔つきで、視線を、涼子の両手が重なっている部分に固定していた。まさに、凝視している、という状態である。
 見られた……。
 その一念が、胸いっぱいに充満していく。
 明日香が、怒り狂った声を、涼子の背中に浴びせてきた。
「てめぇっ! いきなり、ケツ引くんじゃねえよっ! ふざけやがってぇ!」
 次の瞬間、おしりの右下部に、がすっ、という飛び上がらんばかりの、強烈な打撃を喰らった。
「あああああうっ!」
 涼子は、肉体的及び心理的衝撃から、堪らず奇声を上げ、無様にも、どたばたと体を前に押し出された。明日香が、革靴の底で、涼子のおしりを、力任せに蹴り飛ばしてきたのだ。
「ミナミ! てめぇの、きぃぃぃーったねえケツが、あたしの顔に、モロに直撃したじゃねえかよっ! どーしてくれんだっ、このブタ!」
 さらに、もう一度、おしりの同じ部分に、革靴の底を、荒々しく打ちつけられる。
「うぐっ!」
 涼子は、衝撃にうめき声を漏らすも、今度は、足腰に力を入れるようにして、その場で踏ん張った。
 ややあってから、蹴られたところが、ずきずきと痛み始めた。おそらく、そこの部分の肌は削れ、うっすらと血が滲み出ていることだろう。だが、今は、その程度の痛みなど、ほとんど意識上から消え去っていく感じだった。
 そして、はっと気づいた。
 しまった……。
 たった今、自分の取った行動を、脳内で繰り返し再生する。
 そうしていると、自分の最大の弱点を、これ以上ない形で露呈したという思いが、加速度的に強まっていく。香織が、いよいよ、そこに付け込んでくるだろうことは、もはや、火を見るより明らかだった。
 明日香が、憤まんやるかたないという態度で、香織たちのもとに戻っていく。
「ああああっ、もぉうっ! 聞いてよ、香織ぃっ。今ね、ミナミの、変な汗でびっちゃびちゃの、きぃぃぃーったねえケツに、あたし、顔を、めり込まされたんだよ? それでね、それでね、信じられる? なんと、ミナミの、ウンカスの付いてそうな、ケツ毛の中にまで、あたし、鼻も口も、突っ込むハメになったの。嘘じゃないよ。これ、本当だよ? サイアクだよっ、ミナミのあの、クソブタッ!」
 本来であれば、涼子にとっては、堪らず耳を塞ぎたくなるような発言である。だが、涼子は、明日香のそんな言葉の一つ一つを、半分、右から左に聞き流していた。
「そりゃあ、災難だったね、明日香」
 香織は、今一つ、便乗する姿勢を示さない。
「これってぇ、ミナミのうんこを、あたし、顔中に付けられたようなもんじゃん! うぅぅぅっげぇぇぇぇぇっ」
 明日香は、そのフランス人形のような美貌を、これでもかというほど歪め、泣き崩れんばかりの表情を見せた。
「可哀相な、明日香……。でも……、待って待って。なに? 今の、南さんのリアクションは……。明日香に、ま○こから手を離されたとたん、ものすごいパニックを起こしてなかったっ?」
 香織は、世紀の大発見でもしたような口振りで、隣のさゆりに話を振る。
「はいっ。なんか、『やだ、やだ、やだ、いやあああああああっ』て、悲鳴を上げてましたよね?」
 さゆりも、横目で涼子の様子をうかがいながら答える。
「つまり……、南さんは、明日香に、ずっと、ま○こを押さえててもらいたかった、ってことでしょう? 滝沢さんには、絶対に見られないように……。えっ、でもさ……、明日香は、遊びでやってたんだし……、それに、常識的に考えてよ。人に、ま○こを押さえられて、隠されてる状態と、人に、ま○こを見られるのと、どっちがマシかな? まあ、強いていえば、どっち?」
「普通の女子だったら、まだ、人に見られるほうが、いいに決まってますよね。十人中、十人が、間違いなく、同じように答えると思います」
「だけど……、南さんの場合は、違った……。滝沢さんに、ま○こを見られるくらいだったら、明日香に、ま○こを押さえられて、隠されてる状態のほうが、よっぽど、女の子としてのプライドを保てたみたい。要するに……、滝沢さんの目を、ほかの何よりも意識しちゃう、ってことだよね……。ねえ、さゆり。南さんの、滝沢さんに対する、この特別な思いは、一言で言うと、何、なんだろう?」
 香織は、興奮を抑えられないという風情である。
「ずばり……、恋愛・感情、ではないでしょうか」
 さゆりは、禁忌に触れるかのごとく言う。
「それ以外に、あり得ないよねえ!? もう、疑う余地なんて、ないよねえ!? 恋よ、恋っ。これは、紛れもない恋よ!」
 香織は、飛び跳ねるようにして奇妙なステップを踏む。それから、ぎらぎらとした眼光を湛えた目で、こちらを見てきた。
「やっぱり、あたしの、思ってたとおりだった。南さんは、実は、レズビアンで、滝沢さんと、恋人同士の関係になりたがってる、ってこと……。南さん、この期に及んで、まだ、シラを切るつもりじゃないでしょうね? なにも、恥ずかしいことじゃないんだから、これ以上、隠そうとしなくていいの。逆に、いい機会でしょ? あたしたちが、こうして、お膳立てしてあげたんだし、今この場で、勇気を出して、滝沢さんに、告白したらいいの。あなた、サバサバしてるわりに、肝心な時に、ヘタレなんだから、こういう状況でもないと、滝沢さんに、いつまで経っても、告白できなそうだし……。この機会を逃したら、きっと、一生、後悔することになるよ。あっ、それとも、まさか……、大好きな滝沢さんに、ま○こを見られたのがショックで、声も出ない?」
「そりゃあ、ショックですよ……。だって、香織先輩、考えてもみてください。あたしたちでいえば、好きな男子に、いきなり、ま○こを見られたのと、同じことなんですから。それも、まん毛、ボーボー状態の、ま○こを。たぶん、南せんぱい、後で一人っきりになったら、しくしくと泣きだすと思いますよ」
 さゆりが、ふししっ、と笑う。
「そっかそっか……。南さんの気持ちは、あたしも、わからなくはないけど、なにもさ、そんな、世の中が終わっちゃったみたいな顔、することないじゃない。ねえ? 滝沢さん? ……っていうか、滝沢さんまで、なに、ぼんやりしてるのよ?」
 香織が、秋菜に声を投げかける。
「えっ、ああ……」
 秋菜は、たった今、事態を把握したかのような様子で、目をしばたたく。
「あ、もしかして、滝沢さん……、南さんの、野性味あふれる、ジャングルみたいなまん毛を見て、度肝を抜かれたとかぁぁぁ?」
 香織は、お化けじみた低い声で問う。
 その言葉によって、涼子の意識は、研ぎ澄まされたように覚醒した。
「ええっと、なんて言えばいいのかな……。やっぱり、写真の中の光景として見るのと、実際に目にするのとでは、全然、違うわねえ。わたし、女の体の、性的な部分に興味を持ったのなんて、生まれて初めてよ。南さんさあ、その手をどけて、わたしに、ちゃんと、そこを見せてくれる?」
 秋菜は、まるで、小ずるい少年のような笑みを浮かべながら、涼子の下腹部を、右手の人差し指で、つんつんと指し示した。
「いやぁ……。やめて……。滝沢さん、あなたまで、どうして、そんなこと言いだすのよぉ……?」
 涼子は、秋菜の発言に動揺を抑えきれず、わななく声で抗議した。
「なに、ふぬけたこと言ってんのよ、南さんっ。片思いの相手である、滝沢さんが、あなたの体の、大事なところまで見たい、って言ってくれてるんだよ? これは、両思いになれる、またとないチャンスじゃないのっ。なのに、あろうことか、それを拒否するなんて……、あなたさあ、小学生の女の子ならまだしも、十七、八にもなって、エッチなことは、受け入れられません、みたいに純情ぶられると、見てるこっちが、恥ずかしくなってくるんだけど……。もっとポジティブに考えなさいよ。裸の体を、包み隠さず、すべてさらけ出した状態で、大好きな人に、愛の告白をするなんて、最高にロマンチックなシチュエーションじゃない。滝沢さんから、オーケーを貰える可能性も、ぐっと高まるってもんよ。だから、ほらっ、決戦に臨むつもりで、女を見せなさい、女を」
 香織は、喋りながら、どんどんボルテージを上げていく。
 それに対して、涼子は、両手で恥部を押さえたまま、首を左右に振り続けるしかなかった。ただただ、何かに取り憑かれたように、その動作を繰り返す。もはや、声を出すことも、また、体のほかの部分を動かすことも、今の自分にはできそうになかった。そのうち、だんだんと、奇妙な感覚が生じ始める。まるで、自分の体が、自分のものではないような……。
 そこで、ふと思った。
 ひょっとすると、自覚していなかっただけで、これまでに、何度となく、自分の人格は、この体から消え失せていたのではないだろうか。そして、その間は、誰か別の人格が、この体の持ち主となっていた……。そうだ。そうでなければ、どう考えても不可思議である。つい先ほどまで、自分の肉体に、あの、竹内明日香が、性的な陵辱行為を加えていた、という事実。そのこと自体は、記憶に生々しく刻み込まれている。しかし、それが、どうも他人事のように感じられてならない。そもそも……。今この瞬間、両の手のひら全体に伝わる、ごわごわとした陰毛の感触に、意識を傾ける。こんなところを、他人の手で、無理やりまさぐられるなど、思春期の女の子である自分には、到底、耐えられることではないはずだ。きっと、別の人格が、自分の身代わりに、その生き地獄の恥辱である苦痛を、引き受けてくれていたに違いない。
 ごめんね……。その、見知らぬ誰かさん。でも、お願い……。わたしのことを、また守って……。
 わたし、この体から、当分の間、さよならするから……。
「まったく、好きな人の前で、亀みたいに縮こまっちゃって……。情けないやら、みっともないやら。ああ、やだやだ……。南さんねえ、いくら、学校では、後輩たちから、きゃーきゃー騒がれるような、モテモテの人気者なんだとしても、こういう時に、ビシッと決められない女っていうのは、人として、すっごい格好悪いんだよ? なんか、あなたには、愛想が尽きちゃった。でも、なんだけど……」
 香織は、言葉を止め、少しばかり間を置いた。
 それから、脅すような口調で、ふたたび話しだす。
「あなた、自分の置かれてる立場を、忘れてないでしょうね? 滝沢さんに、大事なところを見られることを、極度に怖がってるみたいだけどさ、体毛検査は、まだ、終わったわけじゃないんだよ? 腋毛は、合格。で、これから……、まん毛を処理してないかどうかを、徹底的に調べる。それに合格したら、最後に、ケツ毛。あと二つの検査を受けるのは、あなたの義務だからね。あなたの側に、どういう事情があろうと、この義務から逃れることは、ぜーったい許さないよ」
 無情にも、その宣告は、ほかの誰でもない、十七歳の少女、南涼子の胸に突き刺さった。
 セーラー服を身に着けた、五人の少女が、ひとり全裸姿で立つ、涼子の反応を注視する。
 一秒、二秒……、そして、数秒も経つと、涼子は、もはや、すっかり精神の均衡を失っていた。
「ああっ! やだやだやだっ! 誰かっ! お願いだから、来てっ! 助けてぇぇ!」
 持ち前のアルトボイスとは似ても似つかない、いかにも、か弱い女の子っぽい声が、この陰鬱な地下の空間に響き渡った。体育倉庫の外にというより、むしろ、自分の内に向けた言葉だった。
「あらあら。もう、なりふり構っていられない、っていう必死ぶりだね。あたしたち以外の誰かに、全裸の体を見られることになってもいいから、残りの検査は、受けたくないってわけ? でも、ざーんねん。体育倉庫の扉は、きっちり閉まってまーす。どれだけ大声で助けを呼んだって、誰にも聞こえやしないよーん」
 香織は、べえっと舌を出した。
「いるよね……? いるんでしょ……? わたし、知ってるもん。さっきから、何度も助けてもらってること……。もう、こんな、惨めな役、引き受けたくない、って言いたいのは、よくわかる。けど、けど……、十七歳の女の子の、わたしには、とてもじゃないけど、これ以上、耐えられないの……。ねえ、あなたは、何歳の人……?」
 涼子は、自分の内に存在するはずの誰かに対し、ぶつぶつと語りかける。
 すると、五人の少女は、それまでとは打って変わって、一様に、呆気に取られた顔になり、互いに視線を交わし合い始めた。彼女たちも、ようやく、ただならぬものを感じ取ったらしかった。
 しばらくしてから、香織が、みなの意思をくみ取ったように口を開いた。
「南さん、南さん……。だいぶ、ご乱心の様子だね。あたしの話を聞いて、公開処刑されるような気持ちになっちゃった? それで、滝沢さんにぶっ叩かれた時みたいに、また、現実逃避しようとしてるの? でも、まあ、もう少し心を落ち着かせてよ。実は、まだ、話の続きがあるのよ。あたしが、南さんに、現実的な提案をしてあげる」
 もちろん、わたしの中にいるんだから、女の人だよね……? ううん。聞くまでもない。そのことだけは、確信してる。
 それで、あなたは、何歳なの……? まさか、わたしと同じ、十代の女の子じゃないよね……? だとしたら、さすがに、身代わりになってもらうのは、可哀相になっちゃう。二十代? それとも、三十代? いや、別に、大人の女の人なら、性的な陵辱を受けても耐えられる、なんて言いたいわけじゃないの。それって、ものすごい偏見だよね。ただ、うまく表現できないんだけど……、わたしの中に、わたしを守ってくれる、優しいお姉さんがいるのを、強く感じるの。だから……。
 お姉さん、わたし、怖くて怖くてしょうがないの……。このままだと、わたし、二度と、まともな人間に戻れなくなりそうで……。一生のお願いです。今すぐ、わたしを助けにきて……。
 幼い子供みたいに一心に祈り続けるが、涼子は、未だに、おのれの裸体から離れられずにいる。
「とくに恥ずかしいのは、ケツ毛……、つまり、おしりの穴を見せなきゃいけない検査でしょ? それで、滝沢さんと、あと、舞ちゃんの、二人にだけは、おしりの穴なんて、見られたくないんだよね?」
 香織は、薄気味悪いくらい柔和な声で尋ねてきた。
 それを聞き、涼子は、ぴくりと反応した。香織の顔に目をやる。
 香織は、にやっと笑った。
「そうなのね?」
 もう一度、問われる。
 この陰鬱な地下の空間が、しんと静まり返った。
 十秒か、あるいは、それ以上の間、衣ずれの音すらしない時間が続いた。
「あっ、あうあ、あ、あう……」
 涼子は、ほとんど無意識のうちに、意味を持たぬ声音を漏らしていた。その後、どこを見るともなく、きょときょとと視線をさまよわせる。
「わかった、いいよ……。あたしだって、鬼や悪魔じゃないの。だから、こうしようか。今、大事なところを隠してる、その両手をどけて、まん毛の処理をしてないかどうかの検査だけは、あたしたち全員が確認できるように、堂々と受けなさい。そうしたら、南さんの、その心意気に免じて、ケツ毛のほうは、あたしと、さゆりと、明日香の、この三人だけで、ちゃちゃっと検査することにする。滝沢さんにも、舞ちゃんにも、おしりの穴までは、見せなくていい。それだけは、ちゃんと約束してあげる。どう? 南さんにとって、悪い話じゃないでしょ?」
 香織は、闇取引のごとく言う。
 お姉さん、優しいお姉さん……。どうして? どうして、わたしを助けにきてくれないの……?
 涼子は、なおも、この体から、自らの人格が消え去ることだけを願い続けたが、しかし、その実、香織の言葉が、心に染み込んでくるのを感じていた。
「南さんったら、滝沢さんの前だと、バリバリの体育会系女子なのが、嘘みたいに、恋する乙女そのものになっちゃうんだもんなあ……。まあ、あたしも、同じ女として、女の子の恋心が、いかにデリケートかは、ちゃんと理解してるつもりだからさ、ここは、南さんに、情けをかけてあげる。ヘアヌードならまだしも、大好きな人に、望まぬ形で、肛門まで見られるっていうのは、年頃の女の子にとって、ある意味、死ぬよりつらいことだろうしぃ」
 もしかしたら、目の前に迫った現実と向き合うのは、十七歳の少女、南涼子以外にあり得ないのかもしれないと、涼子も、薄々であるが悟り始める。すると……、現実問題として、滝沢秋菜の存在と、それから、自分の体の、とかく黒っぽい印象のある、不浄の穴のイメージとが、頭の中で重なりかかった。が、涼子は、慌ててその二つを切り離す。
 あってはならない、絶対に、あってはならない……。
 まるで、怖ろしい夢から飛び起きた直後のように、どっくんどっくんと、心臓が音を立てている。
「あと、何より、舞ちゃんのことを考えると、性教育的に、よくない、と言えるかもね」
 香織は、さゆりに向かって笑いかける。
「ええ……。ケツの穴なんて、まさに、十八禁ですよ」
 さゆりは、力説するように答える。
「それじゃあ、あたしたちだって、南さんのケツ毛を検査したら、社会のルールに違反してる、って結論になっちゃうじゃないの」
「うーん、そこは……、とりあえず、香織先輩と、明日香先輩と、あたしの、この三人だけは、業務の一環、みたいなものだから、法律的にも校則的にも認められてる、ってことで。だいいち、あたしは、もう、何回も見せられてるし。南せんぱいの、あの、ギョウ虫検査を受けなきゃいけないレベルの、きったないケツの穴」
「まあ、それは置いとくとして……、南さんさあ、まさか、あたしの現実的な提案さえ、拒否するつもりじゃないよね? 念のために言っておくけど、ここで、つまらない意地を張らないほうがいいよ。だって……」
 香織の、つり上がり気味の目の瞳が、黒い碁石のように鈍く光る。
「なにしろ、南さんと、舞ちゃんは、告白の手紙を貰った側と、手渡した側、っていう関係でしょう? つまり、南さんが、レズビアンとして、滝沢さんに、熱烈、片思い中なのと同じように、舞ちゃんは、南さんと、深く愛し合いたいと思ってるんだよ? 南さんは、そんなふうに、自分に片思いしてる、二個下の後輩の子に、ケツ毛の生え具合まで調べられても、プライドを保っていられるわけ? 正直、発狂もんよねえ?」
「っていうか……、そもそも、高校三年の、もう半分大人の女が、まだ、中学を卒業したばかりの女の子に、ケツの穴まで見られるなんて、それだけで、超、屈辱だと思うんですけど」
 香織たちの話を聞いているうちに、涼子の脳裏でも、徐々に、怪奇映像のごとき、おどろおどろしい情景が浮かび上がってきた。
 セーラー服姿の五人の前で、涼子は、そう……、一糸まとわぬ後ろ姿をさらす形で立っている。涼子自身、迫力があると自覚している、年齢不相応なくらい肉付きのいいおしり。そこを手で隠せない分、今よりも、はるかに屈辱を感じさせられる状況である。やがて、香織とさゆりの二人が近づいてきて、それぞれ、涼子の両脇で腰を落とした。そして、二人は……、一番、年下の生徒である、足立舞を手招きして呼ぶのだった。
 果たして、その時、足立舞は、どうするだろう……?
 首を横に振り、固辞する意思表示をするか、あるいは……。いや、もはや、考えるまでもない。苦痛に身をよじる涼子の乳房を揉みながら、嬉し涙を流しそうな顔を見せていた舞のことである。そればかりか、涼子の腋毛を欲しがるなどという、信じがたい変態性まで示したのだ。
 おそらく、舞は、はち切れんばかりに性的好奇心を膨らませ、高鳴る鼓動を抑えられないというふうに、その小さな胸を、両手で押さえながら、一歩、また一歩と、涼子の立っているところまで歩み寄ってくることだろう。
 そうして、舞が、涼子のすぐ背後で、ちょこんとしゃがみ込む。
 すると、香織とさゆりが、互いに目配せし合い、いよいよ、涼子のおしりの割れ目に、両側から手をかけた。あぶら汗に濡れ光る、二つの肉塊が、左右にぐぐっと押し広げられた、その瞬間……。
 香織たちの言うとおり、まだ、中学を卒業したばかりの、それも、涼子に告白の手紙を渡してきた、容姿も精神年齢も幼すぎる一年生の生徒が、人生観が変わるほどの衝撃の光景として、そのつぶらな瞳の網膜に、まざまざと焼きつけるのだ。今や、完全に性的欲望の対象として見ている、涼子の裸体の、もっとも汚い部分を……。
 やだやだ、やだやだ、やだやだ、やだ……!
 その場面を想像しているうちに、涼子は、神経症的な発作を起こしたように、ぜーはーぜーは−、と喘鳴を立て始めていた。
「で、どうするわけ……? 南さんの、答えを聞こうじゃないの」
 香織が、高圧的な口調で言う。
 涼子は、今一度、両の手のひら全体に伝わる、ごわごわとした陰毛の感触に、意識を傾けた。この場の全員の眼前で、自分が、強烈なコンプレックスを抱えている部分を、すっかりさらけ出すということ。その恥ずかしさに思いを巡らせるだけで、涙があふれ出そうになってくる。
 しかし……。
 現在、涼子の胸の内では、感情の糸が切れそうなほどの葛藤が生じていた。
 滝沢秋菜と足立舞の、二人の存在……。
 裸出している自分のおしりの、その深部に秘められている排泄器官……。
 事と次第によっては、嗅がれることになるかもしれない、便の残滓の臭い……。
 女としてのプライドが、考えうる限り最悪に近い形で、踏みにじられることになる、その苦痛……。
 やがて、地の底から響いてきたような低い声を、涼子は発した。
「絶対にぃ……、約束は……、守ってくれるんでしょうねえ?」
 まるで、今の今になって、思春期の少女、南涼子ではない、別の人格が現れたかのごとき、ドスの利いた声音だった。
 涼子の物言いが、よほどおかしかったらしく、香織とさゆりは、顔を見合わせて、小さく吹き出した。
「おおお、こわっ。もし、約束を破ったら、あたし、南さんに殺されそうだね……。約束は、うん、ちゃんと守るよ。あたしを、信用して。じゃあ、つまり……、南さんは、あたしの、現実的な提案を、受け入れると決めたってことだよね?」
 香織は、へらへらと笑いながら言う。
 涼子は、香織のその顔を、にらみ付けるように直視した。返事をすることも、首を縦に振ることも、自尊心が拒否している。
「だったらさ、南さんの、その切実な気持ちを、大きな声で訴えて。『誰』と『誰』にだけは……、体の、『どこ』を見られたくないのか。もし、声が小さかったり、心がこもってなかったりしたら、あたし、提案を白紙にするからね。チャンスは、一度きりだよ。さっ、どうぞ」
 香織は、涼子の感情を、徹底してもてあそぶ。
 涼子は、自分の顔に、憤怒の表情が浮かぶのを感じた。しかし、それは一瞬のことで、またたく間に、心が、諦観の底に沈んでいく。そして、ぎゅっと目を閉じ、あごを上向けた。
 いったい、どのような言葉を口にすればいいのだろう……。
 その迷いを断ち切り、すうっと息を吸い込んでから、宙に向かって、腹の底から声を吐き出した。
「わたしぃっ! 滝沢さんとぉ! あだっ、いや……、舞ちゃんにだけはぁ! おしりの穴、絶対に見られたくありませんっ!」
 涙の混じった、がらがら声が、やまびこのように響き渡った。
 涼子は、その残響を耳にしながら、薄目を開ける。
「きゃあああああああああ……。言っちゃったあぁぁっ」
 香織が、悦楽にあふれた嬌声を上げる。
「南さんったら、もぉう、超絶にキモカワイイんだからあ……。まあね、舞ちゃんっていうのは、よく理解できる。いくらなんでも、自分に片思いしてる、二個下の後輩の子に、おしりの穴を見られるっていうのは、普通の神経の女だったら、プライドが許さないよねえ。だけども……、滝沢さんのことを、これほどまでに特別に意識しちゃう、南さんの思いっていうのは……、さゆり、何?」
「もちろん、恋、ですよっ」
 さゆりは、勢い込んで即答する。
「だよね、だよね、今度こそ、確定だよね!? 大好きな滝沢さんには、うんこの出るところである、おしりの穴なんて、絶対に見せられない……。南涼子、乙女の叫び」
「けど、けど……、南せんぱい的には、物事の順序ってものが、あったんですよ。まずは、滝沢先輩と、遊園地でデートとかして、腕を組んで歩きながら、いちゃいちゃラブラブしたい、みたいな。それで、何度目かのデートで、初めてのチュー。最終的には、当然、裸で抱き合って、滝沢先輩に、自分の体の汚いところまで、全部、見てもらいたいって、そんなふうに考えてたに、決まってますって!」
「ああ、なるほど。うん、間違いないね……。南さんの、ちょっぴり、やましい初恋……。やぁーん。南さんって、バレーのこと以外、眼中にない女、って印象が強かったけど、ちゃんと、女子高生らしく、青春してたんじゃなーい」
 香織は、はんにゃのお面のような笑みを浮かべる。それから、秋菜のほうに顔を向けた。
「一方で、滝沢さんの、今の心境も聞きたいね。南さんは、あなたに、公然告白したも同然なんだよ? あなたのほうは、恋愛とか、エッチとか、男としか、できないわけ? それとも……、女も、アリだと思えるタイプ?」
 秋菜は、半ば、茫然とした様子で、香織の言葉を聞いていた。
「嘘でしょう……。この女、マジだったの……? だとしたら、最悪よっ。だって……、わたし、さっき、この女から、服を脱がされそうになったのよ? あの時、吉永さんが、寸前で止めてくれなかったら、わたし、何をされてたか、わかったもんじゃないわよっ」
「ああ、ああ……。そういえば、あの時、あたしが、ストップ、って言ってるのに、南さんってば、それでも、滝沢さんの制服を、引っ張り上げようとしたんだったね。あれは、滝沢さんの、裸の体を、見たくて見たくてしょうがなかったことの、何よりの証拠だよ。それで、もし、滝沢さんの、おっぱいとか目にしちゃったら、もう、南さん、欲望のままに暴走してた可能性が、大だね。南さんの場合は、レズはレズでも、それこそ本当に、ガチのレズだから」
 香織は、横目でこちらを見ながら喋る。
「つまり……、わたし、レズの女に、レイプされるところだった、ってことじゃない。うっわぁ……、考えただけで、身の毛がよだつほど、おぞましいっ」
 秋菜は、乳房を隠すように、自分の両肩を抱いた。
 まさに、何もかもが、あべこべだという状況だった。
 この場において、同性愛者であることが明らかな者を、誰か一人、挙げるとしたら、それは、足立舞にほかならないはずだ。また、竹内明日香も、その疑惑を向けられてしかるべきである。だというのに、その彼女たちから、この体に、性的な陵辱行為を加えられた、涼子が、いわゆるレズビアンだという話なのだ。おまけに、現在進行形のこの、性暴力の被害者である、涼子のことを、秋菜は、あたかも極悪な性犯罪者のごとく言う。
 それは、どっちよ……!
 心の中で、声を大にして、そう反論し続ける。
 だが、その反面、涼子は、香織たちの話を聞いているうちに、まるで、洗脳されているかのように、惨めな気持ちを通り越して、だんだんと、自分こそが、恥ずべき存在であるという、強烈な自己否定感に、精神を蝕まれ始めていた。
 体も不潔である上、心まで薄汚い、人間以下の生き物の、わたし……。
「さてと、南さん……。あたしの提案を、受け入れたんだよね? だったら……、次は、体のどこを見せなきゃいけないか、自分でわかってるでしょ? あたしの気が変わらないうちに、早くしてれる?」
 香織の声が、水中で聞いている音のように、頭の中で反響する。
 その言葉の意味を、しばし時間をかけて噛み締め、胸の内に落とし込んだ。
 涼子は、再度、香織の不敵な笑い顔を、ぎろりと見返した。
「絶対にぃ……、絶対にぃ……、約束を、破ったり、しないでしょうねえ……?」
 呪詛を唱えるように問う。
 もしも、約束が守られなかったら、いずれ、自分の怨念が、香織を呪い殺すであろう。
「だーから、あたしを信用しなさい、って言ってんの。そんなふうに、いつまでも疑われると、あたし、提案を、白紙撤回したくなってくるんだけど……。そうなったら、泣きを見ることになるのは、南さん、あなたでしょ? いい加減、自分の立場ってものをわきまえて……。はいっ、これ以上は、問答無用。ま・ん・毛・の検査だけは、正々堂々と受けます、っていう意思を、ただちに行動で示しなさい」
 香織は、ことさら涼子を刺激するような、尊大な態度で言った。
 涼子は、香織の姿を、何とはなしに視界に捉えたまま、ぱちぱちと瞬きをした。ふと、それまでの感情の昂ぶりが嘘みたいに、自分が、まったくもって今の状況にそぐわない、明鏡止水の境地に至っていることに気づく。そして、脈絡もなく、漠然と思うのだった。
 それにしても、わたしの人生、ずいぶんと狂っちゃったものだな……。
 今となっては、輝いていた過去の日々が、なんだか、すべて、夢まぼろしだったかのよう。
 輝いていた……? うん、それなりに。
 思い返してみると、わたしにしては、少々、うまく行き過ぎていた感さえある。
 毎日、部活は、いつ倒れても不思議じゃないくらい大変だったけれど、高校生活は、おおむね順風満帆だった。どんな時でも、笑顔を絶やさないよう努力してきた甲斐あって、わたしの周囲には、常に、自然と人が集まってきた。また、二年生の夏、バレー部のキャプテンに任命されてからというもの、とくに後輩たちから、異様にモテるようになった。スクールカーストなんて概念は、好きじゃないけれど、正直、自分が、かなりの上位に立っているような、そんな自負心は持っていた。
 ああ、わかった……。
 わたしの、悪いクセだ。周りからチヤホヤされると、すぐ思い上がっちゃう。だから、それに合わせて、知らず知らずのうちに、プライドが、高層ビルみたいに高くなってたんだ。
 ハハッ。わたしって、ホント、アホな女。
 それを猛省するつもりで、今の自分を、客観的に見てごらん。
 わたしの身に着けていた、Tシャツやスパッツ、それに、ブラジャーやパンツは?
 人間としての最低限の尊厳は?
 自由に発言したり行動したりできる権利は?
 意思に反する形で、性的行為を加えられた際、抵抗するすべは?
 それらは……、すべて奪い取られたのだ。
 もう、わたしには、何も残っていない。
 あるものといえば、そう……。この、自分でも閉口するくらい、猛烈な臭気を放つ、清潔感のかけらもない体だけ。
 冷酷なクラスメイト、滝沢秋菜に至っては、こんなわたしのことを、吉永香織たちの、奴隷であると表現した。
 奴隷。
 反論不能だ。ぐうの音も出ない。
 にもかかわらず、この期に及んで、まだ、わたしは、過去の栄光にすがるようにして、分不相応なプライドを、後生大事に守ろうとするつもり……?
 いいや、そんなことを続けても、いたずらに、自分自身を苦しめるだけだ。
 そろそろ、今現在のこの、ありのままの自分を受け入れよう。
 奴隷ならば奴隷らしく、もし、吉永香織たちから、地べたにひれ伏せと命じられたなら、彼女たちの靴を舐めるように土下座したらいい。そして、今は、いわゆる大事なところを見せるよう、要求を受けているのだから、わたしは、その部分をさらけ出す形で、直立不動のポーズを取ればいいのだ。
 えっ、なに……?
 苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜の存在が、どうしても気になるって……? 
 まったく、そんな自分に、つくづく呆れてしまう。わたしごときが、滝沢秋菜、いや、滝沢秋菜『様』に対抗心を持つなんて、百年早いってもんよ。
 えっ、わたしの裸の体を、やらしい目で見ている、一年生の子がいるって……?
 いいじゃない。今のわたしには、そんな子の欲求を満たしてあげるくらいしか、価値がないんだから。
 はいっ、色々と考えるのは、もう終わり……。奴隷に身を落としたことを肯定してしまえば、あとは、気楽なもんだね……。
 涼子は、陰毛部を隠している、両方の手を、じりじりと横に動かしていく。ほどなくして、両の手のひらで、両脚の付け根の部分を押さえる格好となる。すると、なんとなく、手の置き所がない心地がし、左右の太ももの外側を、やんわりと握った。
 ええっと……、わたしの、その、大事なところ、あまりに毛深くて、どん引きしちゃいました……? そりゃあ、そうですよね……。わたし自身、見苦しいと思ってますもん……。汚らしい? 女を捨ててる? ほとんど獣? うん、うん。どうぞ、なんとでも言ってください……。
 涼子は、少女たち一人ひとりの顔に、そんなメッセージを込めて、おそるおそる視線を走らせる。それから、恥ずかしさを紛らわせるように、卑屈にも、口の両端を上げ、うっすらと笑い顔っぽい表情まで作ってみせた。
 が、一見したところ、少女たちは、涼子の下腹部に視線を向けてくるものの、当たり前の光景でも眺めているかのような様子であり、大げさな反応を示す者は、誰もいなかった。
 そのため、涼子は、胸の内に、安堵の念が、じんわりと広がっていくのを感じた。
 そっかそっか……。なんだかんだで、女の子同士だもんね……。Vゾーンなんて、思い切って、さらけ出しちゃえば、なんのことはない……。今まで、それを極度に怖がってた自分が、馬鹿みたい……。
 しかし、次の刹那、苦手意識を抱いている相手、滝沢秋菜が、エサにかぶりつく齧歯類みたいな顔つきをし、その口もとに、右手を当てたのである。
 涼子の神経は、秋菜のその素振りに、極めて鋭く反応した。
 あっ、笑われてる……。
 やっぱり、わたし、滝沢さんに、ものすごい見下されてるってこと……?
 そうなのかな、いや、あの顔は、そうに決まってる……。
 きっと、滝沢さんの目には、わたしのこの姿が、家畜みたいに映ってるんだ……。
 そのことを悟ったとたん、涼子は、たちまち、自分の肉体が、生きた人間のものではない、人体標本と化しているかのような、そんな絶望に覆い尽くされた心境におちいった。






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