堕ちた女体と
華やかな晩餐
第三章
5



「加納さん……。ちょっと、千尋ちゃんの髪のことで話があるの……」
 亜希が、意味ありげな物言いをした。そちらに目をやると、亜希は、歯の間から舌先をちょろりと出して、こちらを横目で見ていた。へどが出るほど憎たらしい、その顔。明らかに何かを企んでいる表情だった。
 加納の耳もとに、亜希は、何事かを囁きかける。そして二人は、含み笑いをした。
「じゃあ、お願いね」
 亜希が、声のトーンを戻して言う。
 新たな指示を受けた加納は、戸棚からドライヤーとヘアブラシを用意し、シャンプー台に戻ってくる。染められたばかりの髪は、ドライヤーで入念に乾かされた後、全体をブラシでストレートに伸ばされた。
 その作業を終えた加納が、道具を片付け始めると、亜希は椅子を立ち、奥の浴室を仕切るガラス戸のほうへ向かった。
「千尋ちゃん……。こっちにおいで」
 亜希は、ガラス戸を開いて呼んだ。
 理由を尋ねても意味はない。亜希が何を企んでいようと、千尋には拒否権がないのだから。
 長いことシャンプー台に着いていたせいで、椅子の黒革に、おしりの皮膚が張り付いている。引き剥がして立つと、おしりが妙にすーすーとした。今さらながら、人前で、パンツまでも脱がされている惨めさを痛感する。
 
 亜希と共に浴室のタイルを踏んだ。水滴が足の裏を濡らし、湿気が裸体を包み込む。
 左手に、洒落た石造りで縁取られた豪勢な浴槽があり、その角には、黄金色をした天使の彫像が載っていた。右手が洗い場となっており、壁面には、巨大な鏡が据え付けられていた。
 亜希は、鏡の前に立つと、そこに映る自分に話しかけるように言った。
「わたしの隣に来てよ……。千尋ちゃん……」
 鏡を見つめる亜希の後ろ姿が、千尋には、何とはなしに不吉に感じられた。心臓の音が、どくどくと速まっていく。亜希から一歩引いた位置で、千尋は足を止めた。
 
 長方形の大きな鏡の中には、パジャマ姿の亜希と、全裸の千尋、二人の全身がしっかりと収まっている。客観的な絵として見せつけられると、にわかに羞恥心が膨れ上がってくる。千尋は、さり気なく乳房と恥部に手をやった。
 亜希の派手な茶髪と、千尋の、黒く染められた髪。前髪は、眼差しを覆い隠すように垂れ、後ろ髪は、肩下までストレートに流れている。
 ずいぶんと、雰囲気が変わったものだ……。
 けれども、黒髪の少女は、以前とはまた違った色気を、湛えているように見えた。やっぱり、わたしは、どんな髪になろうと、色気を保っていられるんだ……。千尋は、自嘲気味にそんなことを思った。
 
 鏡の中の亜希が、千尋のほうに顔を巡らした。
「どーう? 今の自分はぁ?」
 腐った小娘……。千尋が、自分の変わりようを見て、どれ程の精神的ダメージを受けているのかを、確認したいのだろう。
「べつに……」
 千尋は無愛想に言って、そっぽを向いた。むろん、ここに、お目付役の加納がいたとしたら、こんな態度は取れない。
 だが、その直後、鏡面の亜希の顔に、舌なめずりでもしそうな下品な笑みが浮かんだ。
「千尋ちゃん。ちょっと髪の毛、長いね……」
 その言葉は、千尋の脳裏に刺さった。千尋は、鏡越しにではなく、実物の亜希の横顔に、目を向けていた。

 数秒後、加納のスリッパの音が迫ってきた。隣に加納が立ち、鏡の枠の中で、千尋は、二人に挟まれる格好となった。
 うそ……。そんなのって……。
 千尋は、加納が手に持っているものを視認して、思わず顔を歪めていた。
 冷たい光を放つ銀色のハサミ。
「千尋……。何度同じことを言わせるの。お嬢さまの前では、もじもじと体を隠すんじゃないの」
 ついに加納は、千尋を名前で呼び捨てにし始めた。当然、そのことに強い不快感を感じたが、命令に従い、両手を太ももの横に添える。
 
 鏡面に映る、つんと突き出た乳首と、毛並みの乱れた陰毛。薄笑いを浮かべる二人の同性に挟まれて、全裸の少女が、呆然と立ち尽くしている光景は、ひどく現実味を欠いていた。
 しかし、今は、それどころではない。亜希の本意は、これから先にあるのだ。
 長身の加納が、事の始まりを告げるように、千尋の頭に手を置いた。
「千尋ちゃん。髪の色はよくなったんだけど、その髪の長さは、うちで働く身だしなみとしては失格かな……。だから、きっちり整えようね」
「待って、亜希ちゃん……。ちょっと待って、やめて……」
 頭頂部を押さえる加納の手の圧力がすごくて、亜希のほうに首が回らない。やむなく、鏡越しに視線で訴える。
 だが亜希は、千尋の視線に気づくと、嬉しさが込み上げたように、にんまりと笑った。そして、千尋の裸体に向き直り、肩の下まで真っ直ぐに流れている黒髪に、目を注いだ。
 信じられないぐらい亜希は非情だった。いや、悪意に満ちていたというほうが正確だろう。
 亜希は、加納に目配せすると、千尋の首筋を、手刀でとんとんと二度打った。ここまで短くしちゃって……。その意味に他ならない。
 千尋は、体温が急激に下がっていくような感覚を覚えた。亜希が手刀で示した位置は、目を剥くほどの高さだったのだ。

「えっ、ちょっとやめて。待って、やめて……」
 いくらなんでも、このまま黙って断髪されるわけにはいかない。千尋は、加納の腕力に逆らうように首を振った。
「亜希ちゃん。ねえ、お願いだから……」
 その瞬間、鼓膜のすぐそばで、割れんばかりの怒声が響いた。
「動くんじゃないよ! おまえのこの髪は、お嬢さまに見苦しいって言われてるんだから、切るしかないだろう。さあ……、もう切り始めるよ。正面を向きなっ!」
 じーんと耳鳴りが起こり、脳髄が痺れていた。全身の力が抜けていく感じがして、もはや、言葉を発する気力すらなくなる。
 千尋は、ただ鏡面を眺めているしかなかった。



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