堕ちた女体と
華やかな晩餐
第七章
6



 もどりたい……。もどりたい、輝いていたあの頃に。
 亜希の携帯に写っていた自分の顔が、目に焼きついている。本当の自分の姿は、あれなのだという思い。
 あの頃に戻りたいという、痛切な願望。
 それは、感情を覆っていた一種の膜に、亀裂が入っていく前触れだった。身を裂かれるような恥辱の中で、期せずして自己を防衛していた、薄い膜に。
 
 その時、まだ千尋の胸もとに載っていたアスパラを、朱美が箸でつまんだ。箸で乳房の柔肌をつつかれる嫌な感触。
 動けず、ただ呼吸を繰り返すだけの自分の肉体を、強烈に意識する。女体盛りの『器』になっているという現実感が、今になって、ひしひしと涌き上がってくるようだった。
 千尋は、震え上がる思いがした。自分の体の上や、落ちてテーブルにちらばっている、高級料理の数々。以前なら、このような華やかな晩餐の席に、客人として座っているのが普通だった。それを、当たり前のように、千尋は食べていたのだ。しかし、今はなぜか、それらの料理と共に、自分の裸の体までもがテーブルに載ってしまっている。
 ありえない、ありえない、こんなの、ありえない……。
 千尋は、頭の混乱を覚えたが、次に感じたのは、激しい怒りだった。
 何より悔しいのは、これほどまでのことをしておきながら、亜希や朱美には、明るい明日があるということ。何の罰を受けることもない。学校の時間が終われば、同年代の少女たちより一段高いところから、輝かしい青春を謳歌する。
 こんな理不尽があってよいのか。許せない、と千尋は思う。
 
 堰を切ったように、悲しみや怒りや屈辱感が、ない交ぜになって噴出し始める。
 亜希の携帯に写っていた、寄り添って笑う千尋と亜希。そもそも、なんで、あの二人の関係が、こんなことになってしまったのか……。
 そうだった。わたしは堕ちたのだ。だから亜希は、わたしとの対等な関係を終わりにした。
 今、亜希の向かいには、千尋が失った様々なものを、当然のように持ち続ける朱美が座っいる。そして、そんなお嬢様たちを悦ばせるために、千尋は、慰み者として、ここに乗せられている。今の千尋の価値からすると、彼女たちの前では、こうしているのが、お似合いだというわけだ。
 言い様のない感情が、胸の内から溢れ出ていく。涙が一筋、頬を伝った。
 くそ……、亜希のやつ……。あんなに仲良しだったのに。泣き虫だった亜希はよく泣いて、その度に、わたしは亜希の顔を胸に抱いてやったのに。なんで、わたしのことを、こんな見世物に……。

「あっれえ……、女体が、泣いてるぅ! どうしたの? 今になってさあ?」
 朱美が、鼻に掛かった声で言い、千尋の肩を揺すった。
「おーい、千尋ちゃーん。もしかして、自分だけ、ご飯が食べられないのが悲しいの? それだったら、言ってくれれば、なんでも食べさせてあげるよ? ……ちゃんと、千尋ちゃん特製の調味料を、たっぷりと付けてねっ」
 亜希は、はしゃいでいた。もう血も涙もなくしているようだ。
 珍しく加納が、はっはっはっ、と豪快に笑う。
「千尋、まさかおまえ、前のような生活に戻りたい、なんて甘いこと考えてるんじゃ、ないだろうね。無理なんだよ! おまえは、ここで働き続ける以外にないの。ほらっ、仕事中だよ。お客さまの前で泣くような失礼な真似、するんじゃないよ!」
 
 千尋は、慟哭していた。野太い泣き声を上げていた。両眼を手で覆い、顔をくしゃくしゃにしている様は、髪の毛が短いせいもあって、まるで猿の赤ん坊のようでもあった。亜希の携帯に写っていた、モデルのような美少女の面影は、もはや、どこにもなかった。



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