バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第二章〜憧憬と悪意
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 そんなこんなで一年が過ぎ、三年に上がった。
 今年は受験もあるし、登校日数もだいぶ減るので、友達のレベルについては二年時ほど重要視していなかったが、一応、それなりに華やかな子とグループを組みたかった。いや、逆に、最後の年だからこそ、という思いもあったかもしれない。
 香織は、例によってクラスメイトを物色し、値踏みしていった。
 クラスのなかで最高の価値を誇ると思われる子を、すぐに発見した。しかし、香織は、その子が、高校に入学した当初からずっと部活に励んできたという事実に、意外の感に打たれた。しかもキャプテンを努めていたのだ。
 前々から香織は、部活動や生徒委員会といった類のものを、冷ややかな目で見てきた。高校生にもなって、汗水垂らして走り回ったり、なんの特にもならない会合に出たりする生徒の神経が、理解できなかった。
 あの子は、あたしとは違う人種なんだ……。香織は、そう思った。たしかに、彼女は綺麗でプロポーションにも優れているが、よく見ると、いかにも運動部系という『いも臭い』雰囲気を漂わせているし、顔つきにも、なにか痛々しいほどの真面目さが表れているように感じた。
 
 香織は、ちょっと興醒めさせられた気分になり、その子へのアプローチを考え直すことにした。けれども、ふとした時などに、横目で、その子のことを観察していた。
 彼女の周りには、いつも人が集まっていた。いったい、彼女は、どのような生徒と交友関係を結んでいるのか。それを、香織は見極めようとした。
 漫然と眺めていると、彼女は誰とでも仲良くしているように見えたが、実は、その仲間たちには、ある共通点があることに気づいた。学校内外を問わず、何かに打ち込んでいるという点だった。やはり運動系の部活の生徒が多かったが、そのほか、吹奏楽部や、ダンス教室に通っている生徒たちなどである。時には、休み時間中は常に読書をしているような根暗で眼鏡の図書委員と、彼女が、読んだ本について熱く語っている場面も見受けられた。
 詰まるところ、彼女が親しくするのは、目的も目標もなく学校生活を送っている香織とは、対極的な人種の生徒たちなのである。そのことを悟った香織は、彼女と友達になろうとする考えを捨てた。

 しかし、ほんの些細な出来事が、香織の心を揺さぶった。
 その日の朝、香織は、普段より二本早い電車に乗った。特に理由はなかった。学校に行く準備が整っていたので、たまには、早く登校するのもいいかと思っただけだ。
 駅を降りると、香織を待っていたかのように、ちょうどバスが到着するところだった。そうして香織は、チャイムの三十分も前に、校舎に足を踏み入れていた。
 どっか寄ってから来ればよかった、教室に誰もいなかったらどうしよう……。後悔の気持ちを抱えながら、ぼんやりと、教室のある三階へと階段を上っていた。三階に行き着き、廊下の角を曲がったところで、香織の足は止まった。
 水飲み機のペダルを踏み、噴き出した水に、今まさに、口を近づけようとしている生徒がいた。その生徒は香織の存在に気づき、首を香織のほうへとわずかに巡らせた。
 切れ長で黒目がちの双眸が、香織を捕捉していた。意識が吸い込まれそうだった。目の前にいるのは、香織が、クラスのなかでベストだと密かに評していた、あの彼女なのだ。部活の朝練の後らしく、汗なのか水なのかわからないが、髪の毛が少し濡れているのが気になった。
 彼女は、表情をまったく変えずに、唇だけを動かして声を発した。
「おはよー」
 無機質な低い声だった。
 香織も、咄嗟に挨拶を返した。
「あっ、おはよぅ……」
 蚊の鳴くような声量しか出ていなかった。
 ほんの二、三秒のやりとりだった。その後、彼女は水を飲み始め、一方、香織は、逃げるようにそこを去り、教室に向かった。
 教室には、まだ誰もいなかった。無人の教室に入り、机にバッグを置くと、香織はパニックに陥りかけた。当然、これから、彼女もここにやって来る。つまり、二人っきりになるのだ。気まずい……。というより、気恥ずかしい……。
 香織は、瞬時の判断で、またも逃げるように教室を出て、トイレに駆け込んだ。個室のドアに凭れかかると、心臓が異常なほど速く鼓動を打っているのがわかった。
 なにやってんだ、あたしは……。深い溜め息を吐き、しだいに頭の中が冷静になっていくと、香織は、今しがた、自分と彼女の間に起こったことを反芻した。

 彼女は、水を飲みかけたところで香織の姿を目にし、声を掛けてきた。『おはよー』だ。いや、『おはっ・よー』と若干節を付けて言っていたかもしれない。
 つまり、香織がクラスメイトであることは、知っていたのだ。けれども、その声音は無機質で、なんの感情も含まれていなかった。ただ単に、同じクラスの生徒と顔を合わせたから挨拶しただけ、という感じだった。
 それに対して香織は、どうだろう。
 かろうじて言葉が出せたというような、消え入りそうな声で挨拶を返すと、逃げに逃げて、今はこんなところに立っている。
 猛烈な自己嫌悪に、全身を襲われた。自分が、あの子と比べて、ちっぽけ過ぎる存在に思えてならない。
 そして、もう一つ、認めなくてはならないことがあった。悲しいほど情けないが、香織の取った一連の行動は、憧れの男子に偶然出くわしてしまった時の女子生徒のそれに、ぴったりだった。
 香織は、言い様のない複雑な思いを抱えながら、心の中で呟いた。
 南さん……。



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