バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第七章〜放課後の教室
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 放課後の教室へと、意識が舞い戻ってきた時、涼子は、バッグの中の荷物を意味もなくまさぐる動作を繰り返していた。いつの間にか、教室に残っているのは、数人だけとなっていた。
 Tシャツの生地に指が触れると、それをぐっとつかんだ。ふざけた呼び出しのために、キャプテンの自分が部活の練習に不在という、やり切れない思い。隣のクラスの副キャプテンの生徒に、『やらなければいけない用事』で遅れてしまうという旨を伝えてあった。なるべく短時間で決着をつけて、その後は、体育館に向かいたい。
 伝言で指定された時間まで、残り三十分強。この数日間続いた、おぞましい悪夢を、完全に断ち切るのだ。
 決着。三対一の対峙。それらを強く意識したとたん、コントロールしていた不安が、どっと心身を覆った。腹部に、鈍痛と不快感が現れる。
 涼子は、小さな舌打ちを漏らして席を立ち、教室を出た。

 トイレの個室に入ると、苦々しい思いで便座に座る。今日、腹痛でトイレに駆け込んだのは、これで四度目になる。神経性の下痢に悩まされるのは、いつ以来だろうか。
 おしりの下で鳴っている品のない音に、なんとも惨めな気持ちにさせられる。溜め息をつき、一度レバーを倒して水を流した。
 脳裏に、香織の顔がちらついて仕方がない。すでに涼子は、あの三人による奸計の首謀者が、香織であると見抜いていた。
 それにしても薄気味の悪い話だと感じる。なんの変哲もない、ごく普通の女子生徒にしか見えなかった香織に、なぜ、あんな正気の沙汰とは思えない悪意が宿ったのか。現に香織は、教室では以前となんら変わらず、友人たちとお喋りに興じ、携帯の液晶画面を見せ合い、女子高生に通有の親切心を示したりもしている。
 わたしは知らず知らずのうちに、香織の胸に底無しの悪意を抱かせるような言動を取っていたのだろうか。同じクラスになってから、たったの数ヶ月。接する機会もなかったし、言葉を交わした記憶もない。恨まれる原因など、見当も付かない。だが、涼子に対する嫌がらせとして、香織の選んだ手段や、あの愉快そうな態度などを勘案すると、怨恨という動機は、どうもしっくりこない。
 だとすれば、あれは、考えうる限りもっとも悪質な類の、『いじめ』だったのか。性的ないじめ。自分がこの身に受けたとは、とても信じられないし、認めたくもないけれども、いじめであったならば、その言葉を措いて的確なものはない。ターゲットは、誰でも構わなかったのか。この高校の門を通る、あまたの女子生徒の中で、偶然、わたしが、不幸な標的にされたのか。
 でも、わたしは、いじめの餌食になるような弱者ではない。そのことには確信が持てる。性格にしろ活力にしろ友達関係にしろ、強く柔軟で、ほかの子たちより、ずっと恵まれていたと自負している。実際、中学校、小学校と時代を振り返ってみても、大きな悩みとなるような『いじめ』に遭った憶えは、一度たりともない。
 それでは、香織の悪意の源泉は、なんなのか。悪意は悪意であり、鬼畜は鬼畜であるという事実だけで充分であって、そこに意味を求めること自体、馬鹿馬鹿しい気もするが。
 ただ、涼子の意識の隅には、香織の動機を考える上での、もう一つの可能性と成りうる想念が明滅しているのだった。だが、それだけはないと否定する。ありえない。あってはならない。死ぬほどおぞましく、もっとも救いのない説だった。考えるだけでも総毛立つほど怖ろしいため、意識の隅に追いやった。

 ようやく腹の不快感も治まってきたので、出ることにした。
 手洗い台の前に立って、蛇口をひねる。流れ落ちる水の中で両手を擦り合わせていると、ふと、思い付くことがあった。
 水で濡らしたトイレットペーパー。それで性器と肛門を拭って、少しでも綺麗な状態にしておこうかという考えだった。にわかに、これから実行したい思いに駆られる。
 何気なしに横目で鏡を見やると、怯えに歪んだ自分の顔が映っていた。
 唖然とする。こんなの、わたしの顔じゃない……。
 涼子は、鏡の正面に顔を向け、自分自身を睨みつけた。今、一瞬でも愚行に走りかけた自分が、腹立たしくてならなかった。のっけから脱がされるものと諦めた、とんでもなく卑小で惨めな行為だというのに。馬鹿……。情けない。なぜ、敗北や服従を考えているんだ。
 自分の気持ちを立て直そうとするが、たった今、弱気によって脆くなった心の部分から、凍てつくような冷気が忍び込む。それは、裸足で立つコンクリートの冷たさにつながった。
 ひとり全裸になり、三人の好奇の目に恥部を晒した、あの瞬間の感覚が、みるみると心身に蘇ってきた。目眩がし、視界の色が失せたようになり、心と体に襲ってくる猛烈な屈辱感。立っていることすら忘れそうな、おぼつかない肉体。
 突然、胃から逆流してくるものを感じ、涼子は、手洗い台に両手をついた。呻き声を漏らしながら、胃液の混じった唾液を何度も吐いた。
 最後の唾を吐き捨てると、深く深呼吸しながら、自分に言い聞かせる。だいじょうぶ、もう絶対に、二度と絶対に、あんな辛酸を嘗めることはない。わたしは、あいつらを打ち負かすのだから。



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