バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第七章〜放課後の教室
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 教室のドアを引くと、窓際のほうの席に、ひとりだけ残っていた。彼女は、机の上にバッグと参考書らしきものを載せ、気だるげに頬杖をついていた。ドアの開く音で、こっちにちらりと目を向けたが、さして関心のない様子で、視線を机上に戻した。
 滝沢秋菜だった。定期試験や全国模試などの成績において、うちのクラス内に限れば、比類なく優秀だと囁かれている生徒である。とはいえ、能ある鷹は爪を隠すというのか、そんなふうには、あまり見えない。授業に対するスタンスにしても、積極的に発言する涼子とは正反対で、黙々と問題に取り組み、当てられたらそつなく答えるといったタイプである。そして、才色兼備の言葉がぴたりと当て嵌まる。端正さに対しても、細部まで抜かりなく気を配っているような風貌だった。
 
 滝沢秋菜が、教科の疑問点などを解消するために、放課後、しばしば担当の教師のところを訪れているのは、以前から涼子も知っていた。たぶん、そのような事情があって、今、教室に残っているのだろう。
 涼子は、声を掛けてみることにした。念のため、口臭止めのタブレットを口に放る。
 自分の体とは思えないほど体調は悪く、まもなくこの場で火蓋が切られる戦いを前にして、安穏な気分ではいられない。それでも二人して黙っているのも気まずいし、また、この機にちゃんと話してみたい相手でもあった。
 というのは、涼子にしてみれば珍しく、滝沢秋菜は、なんとなく相性の合わない思いのする生徒なのだった。気に障ることを言われたり、不快な態度を取られたり、という類ではない。滝沢秋菜は、わりと賑やかな子たちと行動を共にすることが多いため、涼子もその輪に加わる機会が多いのだが、涼子が入ったとたん、口数が減るか、あるいは、ひとり離れていく場面が、度々印象に残っている。それに、話しかけても、態度が妙によそよそしい。
 理由については知る由もないが、もしかすると、涼子のことを苦手に思っているか、最悪、嫌いな対象として見られている可能性もある。疑念は、打ち消すか、確信に変えるかのどちらかだ。それが、涼子の、友人たちとの付き合い方だった。

 秋菜が、参考書をバッグにしまい、帰り支度を始めていたので、涼子は窓際に歩いていった。
「ねえ、もうカーテン閉めちゃっていい?」
 重い気持ちを押し殺して、とびっきりの笑顔を秋菜に向ける。
 秋菜が涼子のほうに顔を巡らすと、胸元まで垂らしている洒落た髪型が一瞬崩れ、バネのように再び元に戻る。
「あっ……。ありがとう」と、秋菜のしっとりとした声が返された。
「もう、どこの大学受けるか、だいたい決めてるんでしょ?」
 涼子は、カーテンを引きながら訊くと、秋菜のそばの机に腰掛けた。
「うん? あんまり……、まだ、よくわかんない」
 相手とのテンションには、滑稽なくらいの差があった。
 秋菜は、視線を落とし、曖昧な笑いを口元に滲ませている。あらためて見ていると、彼女の特質は、生活態度からは窺えなくとも、その表情や仕草には、隠しようがない感じに表れている気がした。顔立ち自体も、高校生にしては、たいぶ大人びているが、彼女の醸す雰囲気には、たしかに知性の深淵を感じさせるものがあったのだ。特に、その眼差しには、知力による自信を映し出しているかのような、涼しげな余裕とでもいうべき光が宿っていた。
 ふと、涼子は、なぜか自分のほうこそ、滝沢秋菜に対する苦手意識が芽生えるような思いにとらわれた。だが、それを心に根づかせまいとするように、少々無理に話を続ける。
「あのさあ……。わたし、ずっとスポーツ推薦考えてたんだけど、最近になって、ほかに勉強したいことも見つかって……。それで、今、進路のこと、すごい迷ってるんだよね。滝沢さんは、推薦とか考えてないの?」
「まだ決めてないから……。でも、色々と悩むよね」
 秋菜は、微苦笑すると、つと壁の時計を見やった。
「あっ、そろそろ帰らなくちゃ……。鍵……。日直から鍵、預かったんだけど、南さん、まだ残ってるなら、お願いしていいかな」
 秋菜は、やはりどこか大人っぽい仕草で前髪を掻き上げると、席を立った。指に挟んだ教室の鍵を、控え目に示している。
 涼子が二つ返事で受け取ると、秋菜は、バッグを肩にし、うっすらと微笑んだ。
「じゃあ、また明日。南さん、部活頑張って」
「ああ、あ、うん……。滝沢さんも、頑張って」
 涼子も明るい声で言って、にこりと笑みを返す。

 教室のドアへ歩いていく秋菜の、割合にプロポーションの整った後ろ姿を眺めながら、彼女が勉強だけではなく、体育の授業で行われるスポーツなどでも、なかなかの実力を見せていた光景を思い出す。
 なんでもできる子……、か。涼子は、半ば無意識にそう呟いていた。むろん、自分だって彼女に引けを取らないという自負はあるが。
 結局、滝沢秋菜への疑念は、疑念のままだった。だが、その疑念は、高校生活の最後まで解消されない予感がした。それならそれでいい、と思った。相性の合わないクラスメイトの一人や二人、いて当たり前なのだ。



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