バレー部キャプテンと
よこしまな少女たち
第十三章
隔絶された世界
4



「ねえ、言っておくけど……。滝沢さんが、体育の時間、この、きったないシャツを着ちゃって、そのことで、ものすごい悲しんで、何日経っても、ずっと落ち込んでる様子だとしたら……。あたし、ヒトとして見て見ぬ振りはできないかも……」
 香織は、にやりと笑う。
「もしかしたら……、滝沢さん本人にだけは、こっそり、犯人が南さんだって証拠の写真を、送っちゃうかもしんなーい」
 ううっ……と、涼子は泣き声を漏らしそうになっていた。
 考えうる限り、それは最悪の事態である。もし、そうなったら、涼子が必死になって滝沢秋菜に釈明したところで、彼女は拒絶反応しか示さず、耳を傾けようとはしないだろう。いくら精神的な強さを持つ涼子でも、彼女、あるいはクラス中から、変態、という軽蔑の視線を浴びながら学校生活を送ることなど、到底耐えられない。

「お願い……、ねえ、お願い……。滝沢さんの体操着、お願いだから、ロッカーに戻すのは、やめて……」
 もはや、なりふり構っていられず、涼子は、この場で土下座しようかとも思い始めていた。
 香織の眼差しは、虫けらでも眺めるかのようだった。
「じゃあ、このシャツ、どうするの……? 引き取り手が、いなくなっちゃうんだけど……」
 涼子は、口を噤んでしまう。率直な希望を口にするのは、ためらわれる。さっき香織が、涼子には手渡さないと、はっきり言っていたからだ。
「まあ、あたしたちが持って帰って、処分してあげてもいいけど……。洗って、滝沢さんに返すっていう選択肢は、無しね。こんな汚いシャツ、洗濯機にも入れられないから」
 張りつめていた緊張の糸が、わずかに緩む。
 どういうこと……。香織のほうも、滝沢秋菜に迷惑が掛かるような事態は、本意ではないということなのか。だったら、わたしに処分させて、と言いたいところだが、異議を唱えたために、香織の気が変わってしまう恐れがある。
「あっ……。ごめん……、じゃあ……、おねがい。やっぱり、滝沢さんを巻き込むのは、間違ってると思うから……」
 深く考えず、涼子はそう言った。
 すると、香織は遠い目をした。
「でも、問題なのは……、滝沢さんにとっては、シャツが盗まれたことになるわけだから、相当ショック受けちゃうだろうね。可哀想じゃない……? 南さん、そのことについて、どう思うの?」
 香織のような女が、人の気持ちを心配する資格はないと思うが、その指摘だけは、たしかに正鵠を射ていた。涼子は、ごくごく単純な事実を見過ごしていたのだ。滝沢秋菜の体操着を処分するという時点で、もうすでに、彼女を巻き込んでしまっているではないか。
 涼子にできるのは、せいぜい、彼女が、なるべく心を痛めないようにと、祈ることくらいである。
 だが、心の隅っこから声がする。わたしの味わった苦痛に比べれば、滝沢さんが、体操着一枚失うくらい、なんだっていうのよ……。そう香織に言ってやりたい。いや、ともすると、滝沢秋菜本人にさえも、かもしれなかった……。

「南さん……。どうやら、滝沢さんの気持ちは、全然考えてなかったみたいだねえ? もう今は、自分のことしか頭にないんでしょ? だんだん、南さんの卑怯な本性が、現れてきたって感じ……」
 香織は、蕩けるような喜色を浮かべている。
「ホント、そうですよね……。自分さえ助かれば、ほかの人は、どうでもいい、みたいな……?」
「りょーちぃんも、やっぱりぃ、自分が一番、可愛いってことなのぉ? なーんか、げんめつしたぁ……」
 さゆりと明日香も、好き勝手に揶揄する。
 だが、こればかりは、はっきりと否定もできないのではないか、と自問する。今では、自分本位、自己保身に染まった自分が、心の隅にうずくまっているのを感じるのだ。もしかすると、極限の恥辱や恐怖により、自分の心は、だんだんと歪み始めているのかもしれない。
 なんとなく、裸の体だけでなく、心の中の汚い部分まで覗き込まれている気がして、涼子は狼狽した。



次へ

登場人物・目次
小説タイトル一覧
メニュー
トップページ

PC用のページはこちら

Copyright (C) since 2008 同性残酷記 All Rights Reserved.